1 / 1
サムライ達の手紙 人切り半次郎の手紙に思う
しおりを挟む桐野利秋の手紙を見たことがある。
長野英世氏の「桐野利秋」に掲載されていた写真である。
明治10年、今からわずか約150年前、日本最後の内戦西南戦争が終結した。
当時、明治政府に対する不満は大きく賊軍の対象西郷隆盛は国民に愛されている。人々はちょうど接近していた火星を見上げ西郷星と呼んだ。そして、そのそばの鈍く輝く小さな土星を桐野星といった。
桐野星と呼ばれた賊将の名は桐野利秋、明治維新以前の名は中村半次郎という。
ハリウッド映画「ラストサムライ」のモデルとなった西郷隆盛に最期まで付き従ったと言われる人物である。
利秋はテロ行為の横行した幕末の京都を鍛え上げた必殺の剣と天性の感で生き延びた。
生前から女性関係などが取りざたされ、妻子もなく無学文盲で、剣の腕と西郷隆盛の庇護だけで陸軍少将に上り詰めをやがて内戦を引き起こした人物とされていく。
幕末の4大人切りと言われるが、会津若松城受け渡しに際しては藩主容保に礼を尽くした。これでは、どちらが勝者か分からないと批判する者さえいたと言われている。さらに容保の心情を思い人目もはばからず男泣きに泣いたという。一方で戊辰戦争の際には一度に35名もの敵を切り伏せたという。
西南戦争の最期も満身創痍になりながら、多くの官軍を倒している。
人切りと言われる一方で勝海舟、福沢諭吉、市来四郎らは高く評価しているから、その人物像は判然としない。
明治10年6月13日宮崎陣中で利秋は家族にあてて手紙を書いていた。
雨の続く6月、利秋は雪の降る鹿児島を後にした時や田原坂の戦いで篠原冬次郎を失った時を思い出し思わずふうと息を吐いた。
2月22日に始まった戦いは物量に勝る政府軍に有利で薩軍は次第に追い詰められていた。熊本人吉もわずか1週間で陥落し、今、日向宮崎に逃れている。
「こんなに早く人吉を追われるとは。」
利秋は楽観的に物事を受けとめる気質だが、ここまで戦ってきてさすがに疲れていた。
「あの時川村どんと会っていれば。」
気弱くなってそんな過去を思っている自分が情けなかった。
2月9日西郷の縁戚である陸軍中将川村純義が西郷との面会しに来たのだった。県令大山の仲介も取り付けてあったが、私学校党の者に妨害されたのだった。
「いや、会っていた所で、状況は変らなかった。」
明治政府内での権力闘争は非情なものだった。佐賀の江藤の首の写真は海外にも伝わって見せしめになっていた。思えば上野を望む屋敷にいた頃から、自分は今の状況を予感していたのだ。利秋は今度は自分たちがかつての幕臣たちのように滅ぼされていく悪夢で毎夜うなされていたあの頃を思った。
あれから5年、薩摩に戻っても落ち着くことはなかった。明治6年家族と暮らす家に壮士たちが出入りするのを避けるため宇戸谷で開墾することを決めたのは正しかった。反乱のわなを仕掛けに来る政府の刺の来訪も途絶えることはなかった。そして今、佐賀の江藤から預かった2人をかくまった事を西郷どんにとがめられたことを思い出していた。2人は今度の戦で薩軍と共に戦っている。結局2人を死なせることになるのかと思うと狭い洞窟で窮屈な思いをさせ2人をかくまったことが悔やまれた。
「いや、楽しいこともあったな。」
利秋は宇戸谷での農作業を思い出していた。
鍬をふるい汗をかいて土を耕していくのが楽しかった。耕された土地が広がって行くのを見るのがうれしかった。汚職にまみれた同僚との駆け引き、同胞の裏切りを知る日々、あの鬱々としたの日常がばかばかしく、思わず笑みが浮かぶことさえあった。
妹は奴婢のようだと嘆いていたが、思えば18才から4年間土を相手に働いていた日々が一番幸せだった気がする。
そして明治9年収穫を迎えた秋の日の宴を思い出していた。
孫兵衛どん、太郎、一緒に働いた仲間たちに囲まれて2間しかない狭い小屋はいっぱいだった。気心の知れた仲間たちと味わう新米や自家製の麦みそを使った味噌汁の味は格別だった。額に汗して働くことで一家が食べていける田畑を手に入れることができたことがうれしかった。
「こんな秋がずっと迎えられたら。」
これから農夫として毎年収穫の秋を迎えたい。そんなささやかな願いは結局かなわなかった。気になるのは残された母や妻そして子供たちの事だった。
特に年老いた母の事は気がかりだった。気丈な妻はなんとかみんなの面倒を見てくれるだろう。いや、妻の弟竹下九郎も一緒に戦いに来ている。母方の別府家も薩軍として戦っているのだ。
頼るべき人は相楽様しか思いつかない。
子として夫として、そして父として家族を守れないことを伝えるのは辛かった。
それでも母を頼むと最期の手紙を今、書いている。
「この手紙が届くころ、もう俺はこの世にいないだろう。」
幕末から今まで多くの同胞が死んでいった。吉野の家で坂本龍馬と過ごしたひと時を思いだして彼も又この世にいないことを思った。人は皆何時かは死ぬのだ。歓迎されない今の明治政府の事を思えば、むしろ自分は長生きすぎたのかもしれない。生きることに未練はなかった。江藤の時のように西郷どんの首を晒すわけにはいかない。それだけはどうしても避けなければならなかった。
ただ、残していく老いた母と妻、子供たちのことは自分ではどうすることもできない。それだけが気がかりだった。
軍資金も尽きて死を覚悟した利秋が最期にと家族にあてた草書の手紙には老母様と大きく濃い墨で書かれた文字が目立っている。
敗戦が確定した時、家族にあてた手紙に利秋の苦悩が現れているのではないだろうか。
草書を読み取れる人は今では少ない。ただ、母上と大きく濃い墨で書かれた文字や踊るような筆致に心の乱れを感じるのは私だけだろうか。
豪傑と言われた人物の実は母の事を思う1人の幼子の様な一面を見た気がする。
当時の人々は文章の内容や表現だけでなく、墨の濃淡や文字の大きさで伝えたいことを表現していたのではないだろうか。
幼い頃、明治生まれの祖母の書いた草書の手紙を見たことがある。読めないと思った記憶だけがある。そして今は手書きの手紙さえ消えつつある。
手紙という手段ではなくメールやラインで思いを伝えるのが当たり前になっている。ただ、
メールやラインで絵文字などを使うのは草書で自由に心情を表現した名残だろうか。
日本人はなかなか感情を表に出さない民族で、日本語は最期まで聞かないと結論が出ない文体になっている。そんな日本人は墨の濃淡や大胆な文字の配列で感情を表現してきた気がする。長年使ってきた墨で書かれた手書きの手紙が失われたことが、これからの私達の文化にどのように影響していくのかはわからない。
技術の進歩は止められない。手で字を書く行為事態も極端に減っていくことだけは確定された事実のようだ。
手紙を書く習慣は確実に少なくなっていくだろう。
そのことで失っていくものより、こうして誰でも気軽に文章が書け、広く読んでもらえる機会ができたことに感謝したい。
あとがき
桐野利秋の子孫については明治18年北海道に入植した桐野一族が子孫であると言い伝えられたいるというブログで見た記事などを参考にしました。また、久夫人が孫に言い伝えた事などの口伝も参考にさせていただきました。坂本龍馬や品川弥次郎が吉野の生家を訪ねたことは晩年夫人が語ったとされています。
本文はいくつかの本を読んで、私なりの想像で桐野利秋が手紙を書いた時の心情を想像して書かせていただきました。
参考
桐野利秋のすべて 新人物往来社
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
永遠より長く
横山美香
歴史・時代
戦国時代の安芸国、三入高松城主熊谷信直の娘・沙紀は「天下の醜女」と呼ばれていた。そんな彼女の前にある日、次郎と名乗る謎の若者が現れる。明るく快活で、しかし素性を明かさない次郎に対し沙紀は反発するが、それは彼女の運命を変える出会いだった。
全五話 完結済み。
武田信玄救出作戦
みるく
歴史・時代
領土拡大を目指す武田信玄は三増峠での戦を終え、駿河侵攻を再開しようと準備をしていた。
しかしある日、謎の刺客によって信玄は連れ去られてしまう。
望月千代女からの報告により、武田家重臣たちは主人を助けに行こうと立ち上がる。
信玄を捕らえた目的は何なのか。そして彼らを待ち受ける困難を乗り越え、無事に助けることはできるのか!?
※極力史実に沿うように進めていますが、細々としたところは筆者の創作です。物語の内容は歴史改変ですのであしからず。
桔梗一凛
幸田 蒼之助
歴史・時代
「でも、わたくしが心に決めた殿方はひとりだけ……」
華族女学校に勤務する舎監さん。実は幕末、六十余州にその武名を轟かせた名門武家の、お嬢様だった。
とある男の許嫁となるも、男はすぐに風雲の只中で壮絶な死を遂げる。しかしひたすら彼を愛し、慕い続け、そして自らの生の意義を問い続けつつ明治の世を生きた。
悦子はそんな舎監さんの生き様や苦悩に感銘を受け、涙する。
「あの女性」の哀しき後半生を描く、ガチ歴史小説。極力、縦書きでお読み下さい。
カクヨムとなろうにも同文を連載中です。
【改稿】剣鬼の牙が抜けるとき(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)
牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品) 渋川春海に出会う前の村瀬義益、彼は剣鬼だった。佐渡奉行の元で働いていた父が、朋輩によって殺された。地下御前試合、大店の主人や大名家によって運営される、真剣による立ち合いの場に身を投じ、ここに参加しているという仇の姿を求めていた――
教皇の獲物(ジビエ) 〜コンスタンティノポリスに角笛が響く時〜
H・カザーン
歴史・時代
西暦一四五一年。
ローマ教皇の甥レオナルド・ディ・サヴォイアは、十九歳の若さでヴァティカンの枢機卿に叙階(任命)された。
西ローマ帝国を始め広大な西欧の上に立つローマ教皇。一方、その当時の東ローマ帝国は、かつての栄華も去り首都コンスタンティノポリスのみを城壁で囲まれた地域に縮小され、若きオスマンの新皇帝メフメト二世から圧迫を受け続けている都市国家だった。
そんなある日、メフメトと同い年のレオナルドは、ヴァティカンから東ローマとオスマン両帝国の和平大使としての任務を受ける。行方不明だった王女クラウディアに幼い頃から心を寄せていたレオナルドだが、彼女が見つかったかもしれない可能性を西欧に残したまま、遥か東の都コンスタンティノポリスに旅立つ。
教皇はレオナルドを守るため、オスマンとの戦争勃発前には必ず帰還せよと固く申付ける。
交渉後に帰国しようと教皇勅使の船が出港した瞬間、オスマンの攻撃を受け逃れてきたヴェネツィア商船を救い、レオナルドらは東ローマ帝国に引き返すことになった。そのままコンスタンティノポリスにとどまった彼らは、四月、ついにメフメトに城壁の周囲を包囲され、籠城戦に巻き込まれてしまうのだった。
史実に基づいた創作ヨーロッパ史!
わりと大手による新人賞の三次通過作品を改稿したものです。四次の壁はテオドシウス城壁より高いので、なかなか……。
表紙のイラストは都合により主人公じゃなくてユージェニオになってしまいました(スマソ)レオナルドは、もう少し孤独でストイックなイメージのつもり……だったり(*´-`)
帯刀医師 田村政次郎
神部洸
歴史・時代
時は江戸。将軍家光の時代、上野に診療所を開く顔立ちが整った男は何故か刀を持っている。
何を隠そうこの男は、医師でありながら将軍家縁者であったのだ。
この作品はフィクションです
この作品は通常毎週土曜日更新です。
天正十年五月、安土にて
佐倉伸哉
歴史・時代
天正十年四月二十一日、織田“上総守”信長は甲州征伐を終えて安土に凱旋した。
長年苦しめられてきた宿敵を倒しての帰還であるはずなのに、信長の表情はどこか冴えない。
今、日ノ本で最も勢いのある織田家を率いる天下人である信長は、果たして何を思うのか?
※この作品は過去新人賞に応募した作品を大幅に加筆修正を加えて投稿しています。
<第6回歴史・時代小説大賞>にエントリーしています!
皆様の投票、よろしくお願い致します。
『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n2184fu/ )』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/1177354054891485907)』および私が運営するサイト『海の見える高台の家』でも同時掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる