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本編
青春とハンバーガー
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武術アクション映画を見終わった後、同系の映画はもう駄目だと言ったらサークはブーブー文句を垂れた。
それでも見たかった映画は多い様で、日付が変わるまで映画やら何やらを見続ける事になった。
とはいえ、見たがった映画の大半が何らかのアクション系映画なので選別が大変だったのだが……。
「……ここまで映画好きとは知らなかったな……。」
風呂から上がり、ゲストルームの扉を少し開け問題なくサークが眠った事を確認してギルは呟く。
眠る事ができて良かった。
もしそれができなけれは、夜間訪問診療を担当している医師を呼んで薬を処方してもらおうと思ったが、今日のところは大丈夫そうだ。
明日、自分が学校に行く時に診療所に行かせて家まで送る手筈になっているので必要ならその時に処方されるだろう。
それにしてもと思う。
知っているようでギルはまだまだ何もサークの事を知らない。
こんな状況とはいえ、そういった事を知れる今が嬉しく思ってしまう。
好きな映画は基本アクション系。
推し活と称し、特に武術アクション映画を好む。
怖いものは好きだが種類にもよる様で、ホラーやサスペンスはモノによる。
グロや後味の悪いタイプは苦手。
構成やストーリーが斬新なモノや知識モノも好きらしい。
社会性があり考えさせられる映画も好きらしいが、それは一人でじっくり見たいらしい。
感動モノや動物モノも好きだが恋愛モノはあまり興味がない。
アニメ等も拘り無く見るようだが、シリーズの続き等ではなくそれ一つでわかるものがいい様だ。
洋画と邦画だとどちらかと言うと洋画を好む。
あまり知られていないミニシアター系の映画等も食わず嫌いしない。
チープならそのチープさを楽しむ。
ただしお笑い系は好きだがあまりお下劣に走るのは後味が悪く感じるようだ。
SF系、ファンタジー系、リアル系等のこだわりはない。
自分が面白そうだと思えば何でも見る。
ギルはサークが映画を選んでいるのを観察してわかった事を事細かにまとめた。
今度、良さそうな映画を調べて教えてやろうと思う。
この重すぎる好意がストーカーめいている事に本人が気づいていないのが玉に瑕だ。
「……坊ちゃま、ご友人が心配なのはわかりますが、学校もありますのでそろそろお休みになられた方が良いかと。」
リビングのソファーでタブレットを弄っているギルの前に温かい飲み物が置かれる。
老執事の控えめな言葉にギルは薄く笑って体の力を抜いた。
タブレットをテーブルに置き、背もたれに深く寄りかかる。
「わかってる……。」
「今夜は爺が起きておりますので、どうぞご安心下さい。」
「……ああ。頼んだ……。」
そう言ってギルは目を閉じる。
僭越ながら差し入れをお持ちしましたと言って部屋を訪れた彼の執事は、二人が差し入れを楽しみながら何だかんだ戯れて映画を見ているのを邪魔しないようクリーニングの手配をしたり寝室の準備をしながら脇に控えていたが、流石に良い時間になったので寝るよう促す。
(ちなみに風呂はサークが入った後この老執事によって清掃されている。)
幼い頃から親身になってくれる老執事。
ギルにとってある意味、両親より身近な家族だった。
そんな彼なので誰の前より気が抜けてしまう。
ギルは目を開き、じっと天井を見つめる。
自分の手の怪我を見たと同時にサークの状況を診断した医師、カウンセラー、そしてガスパーの紹介でやってきた弁護士。
三人の連携もすでにできている。
サークの家族には今夜泊まる事も含め説明済だ。
明日、家に送った後、揉める事もないはずだ。
また、一応サークがカウンセリングを受けている間に件の弁護士と話し、自分の手の怪我も別枠として依頼した。
サークがこの件に精神的に耐えられなくなったら、自分が訴えればいいと思った。
それは弁護士を通じてガスパーの耳にも届いたようで、同時進行でいいかと確認された。
リオからも連絡があり、大まかな動きの説明をされる。
サーク自身も落ち着いている事は皆にも伝わっているはずだ。
「……問題ない。大丈夫だ。」
自分に言い聞かせるよう呟く。
まわりの動きは完璧に近く、連携もとれている。
初日の対応としては良くできたのではないかと思う。
しかしカウンセラーが言うには、サークの精神が安定しているからこそ突然の揺れが怖いという。
こういった件は、もう大丈夫と本人や周りが思い始めてからが一番難しいのだと。
できるならずっと側にいてやりたい。
だが今の自分にはそんな権利はない。
「……坊っちゃま。」
「すまん……。」
「いえ、出過ぎた事を申し訳ございません。」
「……いや、ありがとう。爺。」
老執事の呼びかけに、ギルは微かに微笑み立ち上がった。
自分は明日、登校する。
その際、皆とも話すし、学校側からも呼び出されるだろう。
自分が話す事でサークが置かれている状況も見える。
状況が見えれば対策を詰めていくことができる。
「……爺。」
「はい。こちらに。」
自分の脳がすぐに眠れる状況ではないと判断し、ギルは睡眠導入剤を飲んだ。
これで眠れてくれれば良いがと思う。
「ふふっ。」
「??」
「失礼。大切に思われているご友人がいらっしゃって寝付けないなど……坊っちゃまもまだまだ可愛らしい一面がお有りだなと思いまして……。」
「!!」
思わずカッと赤くなる。
その言葉で、サークが自分の部屋のゲストルームで無防備に寝ている事を思い出した。
先程までは事件の事で神経が尖って寝付けないと思っていたが、今度は別の事で眠れなくなりそうになる。
「……余計な事を意識させないでくれ……。」
「ふふっ。大丈夫ですよ、坊っちゃま。私が一晩きちんと起きておりますから。」
それはどういった意味で大丈夫なのだろうかとギルは思った。
とにかく様々な面で間違いは起こらないだろうと言う事のようだ。
トレーのコップと薬を片付けながら、長年面倒を見てくれている老執事はくすくすと笑っている。
彼には何の隠し事もできないのだと諦めるしかない。
「……どう思う?」
「何をですか?」
「その……爺の目から見て……その……。」
しどろもどろになるギル。
老執事はその様子を微笑ましく眺めた。
幼い頃より己が仕える若き主。
医師になる為にどんな時も動揺しないよう育てられ表情すら乏しくなってしまった事に心を痛めてきたが、こんな風に想いに悩む姿を見ると嬉しさを覚えた。
「ふふっ。そうですね、坊っちゃまが心配なさっているよりもずっと、サーク様は坊っちゃまに心を許されているかと。」
「……そうか?」
「ええ。坊っちゃまは敬遠されていると仰っていましたが……サーク様は坊っちゃまをご友人として受け入れられていると思いますよ?それもかなり親しい友人として心を許されているかと。」
「そうか……。」
「……ただ、サーク様はお心が広い方の様ですので、そうやって心を許されている方はそれなりにいらっしゃる印象を受けましたけれども。」
「…………そう……だろうな……。」
一喜一憂。
少ない表情で上がっては下りを繰り返す様子が微笑ましく、老執事は忍び笑う。
少し心配していたが、表に目立って現れずとも感情豊かな心があるのだと安心する。
「良いですなぁ。青春。」
「……やめてくれ……。」
自分を知り尽くした老執事には敵わないと、ギルは挨拶もそこそこに逃げるように自室に引っ込んでいった。
目が覚めると知らない部屋にいた。
寝ぼけているのか何なのかはじめはわからなかった。
が、ここがギルの部屋のゲストルームだと思いだしてからがヤバかった。
どうしてここに来ることになったのか、思い出したからだ。
「……………………。」
大丈夫、大丈夫、大丈夫……。
ぐっと目を閉じ、何度も頭の中で唱える。
しかし……。
身を丸めて固まっているうちに、妙に旨そうな匂いが鼻をくすぐる。
その魅惑の香りに深刻な思いに固まっていた体が緩む。
緩んだ瞬間、キュルクルと腹の虫が鳴いた。
「…………人がシリアスに固まってんのに……何なの?俺の腹って?!」
そう思っても、一度嗅いでしまったいい匂いには敵わない。
いても立ってもいられず、サークはベッドを抜け出しリビングに向かった。
「これはサーク様。おはようございます。」
「おはようございます……。これ……?!」
「はい。ご朝食でございます。まずは白湯を1杯お飲みください。」
「ありがとうございます。」
リビングにはギルの老執事さんがいて、ニコニコ笑っていた。
そして手始めに白湯を渡される。
程よく冷めた白湯は飲みやすかった。
「それからお手間をおかけしますが、検温と体調チェックリストをお願いできますか?」
飲み終わるとバインダーを手渡される。
アンケート用紙のチェックを記入していると、俺のおでこに機械を翳して熱を測ってくれた。
「……お熱は36.2℃ですね。普段からこのぐらいですか?」
「あ、はい。常に測ってる訳じゃないんですけど……多分そのぐらいだと思います。」
いたれりつくせりな上、健康管理は完璧だ。
セレブって毎朝こんな事するんだなぁと感心してしまう。
呆ける俺に執事さんはエレガントに微笑んだ。
「ふむ、体温も問題ないですね。お飲み物は冷たい物と温かい物とどちらがよろしいですか?」
「あ、何がありますか?」
「ジュースはオレンジ・グレープフルーツ・トマトがございます。後は豆乳、それからミルク、コーヒー、紅茶、緑茶、ほうじ茶、麦茶でしたら、ホットでもアイスでもご用意できますよ。」
「…………ホテル並みですね……。」
ラインナップの豊富さに目眩を覚える。
セレブって……セレブって……何なんだろうなぁ~。
庶民には現実離れしていて思わず遠い目をしてしまう。
そこにシャワーを浴びてきたらしいギルが出てきた。
映画みたいにバスローブを着ていて、俺は呆然とそれを眺めていた。
「……昨日、風呂入ってんのに朝からシャワーとか……。」
「何か変か??」
庶民にとっては非日常の光景でも、ギルにとってはごく当たり前の朝の光景なのだろう。
当然のように老執事さんに椅子を引いてもらい腰掛け、不思議そうに俺を見上げている。
「ふふっ、さぁ、サーク様もお座り下さい。」
「あ、ありがとうございます……。」
同じ様に椅子を引いてもらったが、ギクシャクしながら腰掛ける。
とは言え、だ。
「……何この旨そうなの……。」
セレブと庶民の感覚の違いに絶望しながらも、目の前のご馳走に超絶な食欲が唸る。
食べたい……庶民とかセレブとかどうでもいい……目の前のご馳走にかぶりつきたい……。
「お前が昨晩、ハンバーガーが食べたいと言っていたから用意してもらったのだが?」
「違う……俺の知ってるハンバーガーじゃない……こんなご馳走……ハンバーガーなんて気軽に呼んだら罰が当たる……。」
確かに昨日の夜、映画を見ながら小腹が空いてハンバーガーが食べたいと言った。
だが今、俺の目の前にあるのは想像していたファストフードのハンバーガーなんかじゃない。
肉汁滴る肉厚で焼目の付いたハンバーグ。
たっぷりの生野菜ととろけたチーズ。
バンズも具も両手で抱えるくらい大きい。
「これはハンバーガーなんかじゃない!!ハンバーガー様様だ!!」
「……何を言っているんだ??お前……。」
庶民の高校生の口にはそう簡単には入る事のない高級ハンバーガーを目の前にし、俺の思考はおかしな事になっていた。
ギルのドン引きっぷりなど目に入らず、俺は混乱を極めてイカれた発言を繰り返す。
「クレソンが添えられてるとか……。これがハンバーガーなら!俺の食っていたハンバーガーは何だったんだ?!半バーガーか?!」
「よくわからんが……とりあえず落ち着け、サーク……。」
取り乱す俺に困惑するギル。
何となく俺の気持ちもわかるらしい執事さんは笑いを必死に噛み殺している。
「ふふっ……お気持ちはお察しいたしますが、サーク様……。冷めてしまいますので、よろしければお熱いうちにお召し上がりください。」
「うぅ……ありがとうございます!全ての方、全てのものに感謝します!!我が一生に悔いなし!!頂きます!!」
そうだ。
突然こんなウマそうな物を目の前にして取り乱したが、混乱してアツアツなものを冷ますなど調理してくださった方、ひいては材料を提供してくれた全ての方、頂く命に失礼だ。
美味しいうちに美味しく頂く事を忘れてはならない。
唖然とするギルの前、俺はしっかりと手を合わせて感謝を示し、むんむんと涎を誘うそのファストフードでないハンバーガーを両手で掴んだ。
ずっしりとした重みのあるそれは、掴んだだけで「本物」だと訴えてくる。
がぶりと齧り付くと、口の中いっぱいに旨味が広がった。
「~~~~っ!!旨い!!分厚いのに柔らかいハンバーグからジュースみたいに溢れだす肉汁!!パンチの効いたスパイス!!シャキシャキの野菜!!それらを包むソース!!とろけたチーズのまろやかさとコク!!一皿の料理でもおかしくないそれが!!バンズに挟まれ手軽に一口で食べられるなんて!!何という1品!!何という絶品!!」
「……食レポの勉強でもしてるのか??」
「ふふふっ。シェフが聞いたら泣いて喜ぶと思います。」
あまりの旨さに放心して一口の余韻を楽しむ。
天国って、案外身近にあるんだなぁ……。
そして残りを夢中になって食べた。
そんな俺に福々と笑みを浮かべて老執事さんがオレンジジュースを持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ。サーク様が美味しく召し上がって下さって、とても嬉しいです。」
「いや!これ!!本当に美味しかったです!!こんな美味しいハンバーガー!一度食べたら忘れられないくらいです!!ハンバーガーじゃなくて神バーガーと呼びたいくらいですよ!!」
「ふふふっ。そこまで言って頂けると作ったシェフも配膳した私も嬉しくなります。」
「ありがとうございます!こんな美味しい物を食べられて幸せです!!」
興奮冷めやらず、持ってきてもらったオレンジジュースを飲みながら付け合せのフライドポテトを摘む。
朝っぱらからこんなにも美味しい物を食べる事ができた事の幸せを噛みしめる。
「ふふっ……。サーク様がおモテになられる理由が、この爺にもよくわかりました。」
「え……。」
ほくほくと余韻を楽しむ俺に、老執事さんが穏やかに微笑んだ。
その穏やかな優しい笑みにちょっと見惚れる。
「こんなに幸せそうに……こんなに嬉しそうに美味しくお食べ頂かれては……見ている方は惚れ惚れしてしまいますよ。」
……………………。
食べてる姿が良いとよく言われるが……これは言われた方も惚れ惚れしてしまう。
俺は嬉々として老執事さんを見上げた。
「惚れ惚れついでに良ければ結婚して下さい!!」
「?!」
「ふふっ。年上の方に惚れっぽいと言うのも本当なんですね。……でもすみません。私、妻も娘もおりますし、歳も歳ですので。」
「やはり素敵な方は当然もう結婚してますよねぇ~。う~ん、残念無念。」
「ですがサーク様がよろしければ娘を紹介いたしますが……?」
「爺っ?!」
「……娘さんをですか??」
「ちなみにこちらを作ったシェフの一番弟子が娘です。」
「ぜひ!!娘さんさえよろしければ仲良くさせて下さい!!」
「おい!」
半ば本気の俺に、ギルが見た事もないほど狼狽えている。
とはいえ執事さんの方はほぼ冗談の様で、慌てるギルを横目に笑いを噛み殺している。
「……坊っちゃま?わかりますか?これがサーク様の求めるところです。」
「……っ?!」
「そして、これがサーク様が皆から求められるところです。」
「……なるほど。」
「どうも私の見た限りでは……サーク様と坊っちゃまには「当たり前」だと思う事に差がお有りかと思います。そのせいでサーク様は坊っちゃまの事を意味不明だと思われる部分が多々あるのでしょうし、坊っちゃまもサーク様が何をお考えか察する事ができないのかと思います。」
「……………………そうか……。」
「まずは……当然だと思っていらっしゃる身の回りの事に感謝する事などからはじめられては??それから、美味しい物を美味しく頂けるよう心がけては?」
「………………。」
「美味しく召し上がっている方からすれば、目の前で同じものを無表情で召し上がられては美味しさも半減するかと……。」
「?!」
そう言われたギルはあまり表情は変えないものの目を白黒させながら、ハンバーガーを持ち上げた。
むぐっと口に運んでもぐもぐしている。
その口元が不自然に歪んだ。
「旨い……。」
「怖っ!!それ!旨くて笑ってるって顔じゃねぇ!!」
引き攣った顔に恐怖を覚える。
ドン引きする俺。
堪えきれず吹き出す執事さん。
ショックでさらに変な顔になるギル。
そんな状況に俺は、昨日の事は思い出す暇もなく朝食を楽しんだのだった。
それでも見たかった映画は多い様で、日付が変わるまで映画やら何やらを見続ける事になった。
とはいえ、見たがった映画の大半が何らかのアクション系映画なので選別が大変だったのだが……。
「……ここまで映画好きとは知らなかったな……。」
風呂から上がり、ゲストルームの扉を少し開け問題なくサークが眠った事を確認してギルは呟く。
眠る事ができて良かった。
もしそれができなけれは、夜間訪問診療を担当している医師を呼んで薬を処方してもらおうと思ったが、今日のところは大丈夫そうだ。
明日、自分が学校に行く時に診療所に行かせて家まで送る手筈になっているので必要ならその時に処方されるだろう。
それにしてもと思う。
知っているようでギルはまだまだ何もサークの事を知らない。
こんな状況とはいえ、そういった事を知れる今が嬉しく思ってしまう。
好きな映画は基本アクション系。
推し活と称し、特に武術アクション映画を好む。
怖いものは好きだが種類にもよる様で、ホラーやサスペンスはモノによる。
グロや後味の悪いタイプは苦手。
構成やストーリーが斬新なモノや知識モノも好きらしい。
社会性があり考えさせられる映画も好きらしいが、それは一人でじっくり見たいらしい。
感動モノや動物モノも好きだが恋愛モノはあまり興味がない。
アニメ等も拘り無く見るようだが、シリーズの続き等ではなくそれ一つでわかるものがいい様だ。
洋画と邦画だとどちらかと言うと洋画を好む。
あまり知られていないミニシアター系の映画等も食わず嫌いしない。
チープならそのチープさを楽しむ。
ただしお笑い系は好きだがあまりお下劣に走るのは後味が悪く感じるようだ。
SF系、ファンタジー系、リアル系等のこだわりはない。
自分が面白そうだと思えば何でも見る。
ギルはサークが映画を選んでいるのを観察してわかった事を事細かにまとめた。
今度、良さそうな映画を調べて教えてやろうと思う。
この重すぎる好意がストーカーめいている事に本人が気づいていないのが玉に瑕だ。
「……坊ちゃま、ご友人が心配なのはわかりますが、学校もありますのでそろそろお休みになられた方が良いかと。」
リビングのソファーでタブレットを弄っているギルの前に温かい飲み物が置かれる。
老執事の控えめな言葉にギルは薄く笑って体の力を抜いた。
タブレットをテーブルに置き、背もたれに深く寄りかかる。
「わかってる……。」
「今夜は爺が起きておりますので、どうぞご安心下さい。」
「……ああ。頼んだ……。」
そう言ってギルは目を閉じる。
僭越ながら差し入れをお持ちしましたと言って部屋を訪れた彼の執事は、二人が差し入れを楽しみながら何だかんだ戯れて映画を見ているのを邪魔しないようクリーニングの手配をしたり寝室の準備をしながら脇に控えていたが、流石に良い時間になったので寝るよう促す。
(ちなみに風呂はサークが入った後この老執事によって清掃されている。)
幼い頃から親身になってくれる老執事。
ギルにとってある意味、両親より身近な家族だった。
そんな彼なので誰の前より気が抜けてしまう。
ギルは目を開き、じっと天井を見つめる。
自分の手の怪我を見たと同時にサークの状況を診断した医師、カウンセラー、そしてガスパーの紹介でやってきた弁護士。
三人の連携もすでにできている。
サークの家族には今夜泊まる事も含め説明済だ。
明日、家に送った後、揉める事もないはずだ。
また、一応サークがカウンセリングを受けている間に件の弁護士と話し、自分の手の怪我も別枠として依頼した。
サークがこの件に精神的に耐えられなくなったら、自分が訴えればいいと思った。
それは弁護士を通じてガスパーの耳にも届いたようで、同時進行でいいかと確認された。
リオからも連絡があり、大まかな動きの説明をされる。
サーク自身も落ち着いている事は皆にも伝わっているはずだ。
「……問題ない。大丈夫だ。」
自分に言い聞かせるよう呟く。
まわりの動きは完璧に近く、連携もとれている。
初日の対応としては良くできたのではないかと思う。
しかしカウンセラーが言うには、サークの精神が安定しているからこそ突然の揺れが怖いという。
こういった件は、もう大丈夫と本人や周りが思い始めてからが一番難しいのだと。
できるならずっと側にいてやりたい。
だが今の自分にはそんな権利はない。
「……坊っちゃま。」
「すまん……。」
「いえ、出過ぎた事を申し訳ございません。」
「……いや、ありがとう。爺。」
老執事の呼びかけに、ギルは微かに微笑み立ち上がった。
自分は明日、登校する。
その際、皆とも話すし、学校側からも呼び出されるだろう。
自分が話す事でサークが置かれている状況も見える。
状況が見えれば対策を詰めていくことができる。
「……爺。」
「はい。こちらに。」
自分の脳がすぐに眠れる状況ではないと判断し、ギルは睡眠導入剤を飲んだ。
これで眠れてくれれば良いがと思う。
「ふふっ。」
「??」
「失礼。大切に思われているご友人がいらっしゃって寝付けないなど……坊っちゃまもまだまだ可愛らしい一面がお有りだなと思いまして……。」
「!!」
思わずカッと赤くなる。
その言葉で、サークが自分の部屋のゲストルームで無防備に寝ている事を思い出した。
先程までは事件の事で神経が尖って寝付けないと思っていたが、今度は別の事で眠れなくなりそうになる。
「……余計な事を意識させないでくれ……。」
「ふふっ。大丈夫ですよ、坊っちゃま。私が一晩きちんと起きておりますから。」
それはどういった意味で大丈夫なのだろうかとギルは思った。
とにかく様々な面で間違いは起こらないだろうと言う事のようだ。
トレーのコップと薬を片付けながら、長年面倒を見てくれている老執事はくすくすと笑っている。
彼には何の隠し事もできないのだと諦めるしかない。
「……どう思う?」
「何をですか?」
「その……爺の目から見て……その……。」
しどろもどろになるギル。
老執事はその様子を微笑ましく眺めた。
幼い頃より己が仕える若き主。
医師になる為にどんな時も動揺しないよう育てられ表情すら乏しくなってしまった事に心を痛めてきたが、こんな風に想いに悩む姿を見ると嬉しさを覚えた。
「ふふっ。そうですね、坊っちゃまが心配なさっているよりもずっと、サーク様は坊っちゃまに心を許されているかと。」
「……そうか?」
「ええ。坊っちゃまは敬遠されていると仰っていましたが……サーク様は坊っちゃまをご友人として受け入れられていると思いますよ?それもかなり親しい友人として心を許されているかと。」
「そうか……。」
「……ただ、サーク様はお心が広い方の様ですので、そうやって心を許されている方はそれなりにいらっしゃる印象を受けましたけれども。」
「…………そう……だろうな……。」
一喜一憂。
少ない表情で上がっては下りを繰り返す様子が微笑ましく、老執事は忍び笑う。
少し心配していたが、表に目立って現れずとも感情豊かな心があるのだと安心する。
「良いですなぁ。青春。」
「……やめてくれ……。」
自分を知り尽くした老執事には敵わないと、ギルは挨拶もそこそこに逃げるように自室に引っ込んでいった。
目が覚めると知らない部屋にいた。
寝ぼけているのか何なのかはじめはわからなかった。
が、ここがギルの部屋のゲストルームだと思いだしてからがヤバかった。
どうしてここに来ることになったのか、思い出したからだ。
「……………………。」
大丈夫、大丈夫、大丈夫……。
ぐっと目を閉じ、何度も頭の中で唱える。
しかし……。
身を丸めて固まっているうちに、妙に旨そうな匂いが鼻をくすぐる。
その魅惑の香りに深刻な思いに固まっていた体が緩む。
緩んだ瞬間、キュルクルと腹の虫が鳴いた。
「…………人がシリアスに固まってんのに……何なの?俺の腹って?!」
そう思っても、一度嗅いでしまったいい匂いには敵わない。
いても立ってもいられず、サークはベッドを抜け出しリビングに向かった。
「これはサーク様。おはようございます。」
「おはようございます……。これ……?!」
「はい。ご朝食でございます。まずは白湯を1杯お飲みください。」
「ありがとうございます。」
リビングにはギルの老執事さんがいて、ニコニコ笑っていた。
そして手始めに白湯を渡される。
程よく冷めた白湯は飲みやすかった。
「それからお手間をおかけしますが、検温と体調チェックリストをお願いできますか?」
飲み終わるとバインダーを手渡される。
アンケート用紙のチェックを記入していると、俺のおでこに機械を翳して熱を測ってくれた。
「……お熱は36.2℃ですね。普段からこのぐらいですか?」
「あ、はい。常に測ってる訳じゃないんですけど……多分そのぐらいだと思います。」
いたれりつくせりな上、健康管理は完璧だ。
セレブって毎朝こんな事するんだなぁと感心してしまう。
呆ける俺に執事さんはエレガントに微笑んだ。
「ふむ、体温も問題ないですね。お飲み物は冷たい物と温かい物とどちらがよろしいですか?」
「あ、何がありますか?」
「ジュースはオレンジ・グレープフルーツ・トマトがございます。後は豆乳、それからミルク、コーヒー、紅茶、緑茶、ほうじ茶、麦茶でしたら、ホットでもアイスでもご用意できますよ。」
「…………ホテル並みですね……。」
ラインナップの豊富さに目眩を覚える。
セレブって……セレブって……何なんだろうなぁ~。
庶民には現実離れしていて思わず遠い目をしてしまう。
そこにシャワーを浴びてきたらしいギルが出てきた。
映画みたいにバスローブを着ていて、俺は呆然とそれを眺めていた。
「……昨日、風呂入ってんのに朝からシャワーとか……。」
「何か変か??」
庶民にとっては非日常の光景でも、ギルにとってはごく当たり前の朝の光景なのだろう。
当然のように老執事さんに椅子を引いてもらい腰掛け、不思議そうに俺を見上げている。
「ふふっ、さぁ、サーク様もお座り下さい。」
「あ、ありがとうございます……。」
同じ様に椅子を引いてもらったが、ギクシャクしながら腰掛ける。
とは言え、だ。
「……何この旨そうなの……。」
セレブと庶民の感覚の違いに絶望しながらも、目の前のご馳走に超絶な食欲が唸る。
食べたい……庶民とかセレブとかどうでもいい……目の前のご馳走にかぶりつきたい……。
「お前が昨晩、ハンバーガーが食べたいと言っていたから用意してもらったのだが?」
「違う……俺の知ってるハンバーガーじゃない……こんなご馳走……ハンバーガーなんて気軽に呼んだら罰が当たる……。」
確かに昨日の夜、映画を見ながら小腹が空いてハンバーガーが食べたいと言った。
だが今、俺の目の前にあるのは想像していたファストフードのハンバーガーなんかじゃない。
肉汁滴る肉厚で焼目の付いたハンバーグ。
たっぷりの生野菜ととろけたチーズ。
バンズも具も両手で抱えるくらい大きい。
「これはハンバーガーなんかじゃない!!ハンバーガー様様だ!!」
「……何を言っているんだ??お前……。」
庶民の高校生の口にはそう簡単には入る事のない高級ハンバーガーを目の前にし、俺の思考はおかしな事になっていた。
ギルのドン引きっぷりなど目に入らず、俺は混乱を極めてイカれた発言を繰り返す。
「クレソンが添えられてるとか……。これがハンバーガーなら!俺の食っていたハンバーガーは何だったんだ?!半バーガーか?!」
「よくわからんが……とりあえず落ち着け、サーク……。」
取り乱す俺に困惑するギル。
何となく俺の気持ちもわかるらしい執事さんは笑いを必死に噛み殺している。
「ふふっ……お気持ちはお察しいたしますが、サーク様……。冷めてしまいますので、よろしければお熱いうちにお召し上がりください。」
「うぅ……ありがとうございます!全ての方、全てのものに感謝します!!我が一生に悔いなし!!頂きます!!」
そうだ。
突然こんなウマそうな物を目の前にして取り乱したが、混乱してアツアツなものを冷ますなど調理してくださった方、ひいては材料を提供してくれた全ての方、頂く命に失礼だ。
美味しいうちに美味しく頂く事を忘れてはならない。
唖然とするギルの前、俺はしっかりと手を合わせて感謝を示し、むんむんと涎を誘うそのファストフードでないハンバーガーを両手で掴んだ。
ずっしりとした重みのあるそれは、掴んだだけで「本物」だと訴えてくる。
がぶりと齧り付くと、口の中いっぱいに旨味が広がった。
「~~~~っ!!旨い!!分厚いのに柔らかいハンバーグからジュースみたいに溢れだす肉汁!!パンチの効いたスパイス!!シャキシャキの野菜!!それらを包むソース!!とろけたチーズのまろやかさとコク!!一皿の料理でもおかしくないそれが!!バンズに挟まれ手軽に一口で食べられるなんて!!何という1品!!何という絶品!!」
「……食レポの勉強でもしてるのか??」
「ふふふっ。シェフが聞いたら泣いて喜ぶと思います。」
あまりの旨さに放心して一口の余韻を楽しむ。
天国って、案外身近にあるんだなぁ……。
そして残りを夢中になって食べた。
そんな俺に福々と笑みを浮かべて老執事さんがオレンジジュースを持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ。サーク様が美味しく召し上がって下さって、とても嬉しいです。」
「いや!これ!!本当に美味しかったです!!こんな美味しいハンバーガー!一度食べたら忘れられないくらいです!!ハンバーガーじゃなくて神バーガーと呼びたいくらいですよ!!」
「ふふふっ。そこまで言って頂けると作ったシェフも配膳した私も嬉しくなります。」
「ありがとうございます!こんな美味しい物を食べられて幸せです!!」
興奮冷めやらず、持ってきてもらったオレンジジュースを飲みながら付け合せのフライドポテトを摘む。
朝っぱらからこんなにも美味しい物を食べる事ができた事の幸せを噛みしめる。
「ふふっ……。サーク様がおモテになられる理由が、この爺にもよくわかりました。」
「え……。」
ほくほくと余韻を楽しむ俺に、老執事さんが穏やかに微笑んだ。
その穏やかな優しい笑みにちょっと見惚れる。
「こんなに幸せそうに……こんなに嬉しそうに美味しくお食べ頂かれては……見ている方は惚れ惚れしてしまいますよ。」
……………………。
食べてる姿が良いとよく言われるが……これは言われた方も惚れ惚れしてしまう。
俺は嬉々として老執事さんを見上げた。
「惚れ惚れついでに良ければ結婚して下さい!!」
「?!」
「ふふっ。年上の方に惚れっぽいと言うのも本当なんですね。……でもすみません。私、妻も娘もおりますし、歳も歳ですので。」
「やはり素敵な方は当然もう結婚してますよねぇ~。う~ん、残念無念。」
「ですがサーク様がよろしければ娘を紹介いたしますが……?」
「爺っ?!」
「……娘さんをですか??」
「ちなみにこちらを作ったシェフの一番弟子が娘です。」
「ぜひ!!娘さんさえよろしければ仲良くさせて下さい!!」
「おい!」
半ば本気の俺に、ギルが見た事もないほど狼狽えている。
とはいえ執事さんの方はほぼ冗談の様で、慌てるギルを横目に笑いを噛み殺している。
「……坊っちゃま?わかりますか?これがサーク様の求めるところです。」
「……っ?!」
「そして、これがサーク様が皆から求められるところです。」
「……なるほど。」
「どうも私の見た限りでは……サーク様と坊っちゃまには「当たり前」だと思う事に差がお有りかと思います。そのせいでサーク様は坊っちゃまの事を意味不明だと思われる部分が多々あるのでしょうし、坊っちゃまもサーク様が何をお考えか察する事ができないのかと思います。」
「……………………そうか……。」
「まずは……当然だと思っていらっしゃる身の回りの事に感謝する事などからはじめられては??それから、美味しい物を美味しく頂けるよう心がけては?」
「………………。」
「美味しく召し上がっている方からすれば、目の前で同じものを無表情で召し上がられては美味しさも半減するかと……。」
「?!」
そう言われたギルはあまり表情は変えないものの目を白黒させながら、ハンバーガーを持ち上げた。
むぐっと口に運んでもぐもぐしている。
その口元が不自然に歪んだ。
「旨い……。」
「怖っ!!それ!旨くて笑ってるって顔じゃねぇ!!」
引き攣った顔に恐怖を覚える。
ドン引きする俺。
堪えきれず吹き出す執事さん。
ショックでさらに変な顔になるギル。
そんな状況に俺は、昨日の事は思い出す暇もなく朝食を楽しんだのだった。
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