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第二章「別宮編」

接吻

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「失礼しま~す。副隊長、頼まれてた資料……うわっ!!」

資料で手が塞がっていたので、半開きだったドアを足で開けて入ると、ライルさんと副隊長がキスをしていた。

「……失礼。」

これは失敬、失礼致した。
しかしこれは苦笑いするしかない。

ラブラブなのはわかったから、時と場所を考えてね?
当のライルさんはにこにこしているだけだが、副隊長は真っ赤だ。
流石に誤魔化すように咳払いをしている。

「……サーク、ノックして。」

「それなら副隊長、ドアはちゃんと閉めて下さい。」

しれっと言い返すと、カッと副隊長がライルさんを睨む。

「ライル!あなた閉めたって……っ!!」

「だってサム、あのタイミングを逃したら、昼までさせてくれないんだもん。」

うわ~もう愛称で呼んでるんだ~。
思わずニヤニヤしてしまう。

忘れてた。
犬系男子は意外と手が早い。

駆け引き等はしない分、機会を見つけたら脇目もふらず全力疾走するからな。
おまけに自分に好意的な相手には甘えるのが上手い。

リグで慣れてるつもりだったけど、真面目な忠犬タイプのライルさんもやはりその性質はちゃんと持っていたようだ。

むしろあれだな。
普段は真面目一徹、なのに自分が気を許した相手には他の人には見せない甘ったれっぷりを発揮するタイプ。
あれはやられると結構メロメロになるんだよなぁ~。
その証拠に、男相手に負け知らずの副隊長が翻弄されている。
恐るべし、犬系男子。

「……ご馳走様です。」

俺は持っていた資料の箱を、そのままライルさんに渡した。
テーブルに置いても良かったけど、その方が早いし。

「ライルさん、どうせここにいるんでしょ?お願いします。」

「ありがとう!サーク!今度、何か奢るな!」

「ちょっと!勝手に決めないで!!」

一応、別れて仕事をするつもりだった副隊長は慌てているが、あの人の性格から考えて、俺が資料を持ち込んだ時点で自分が手伝う気満々だったと思うよ?
そうすればイチャイチャできなくても、副隊長室で二人で過ごせるし。

「ではごゆっくり~。」

俺はニヤニヤしながら扉を閉めてやった。

副隊長、仕事できるかな?
二人で副隊長室に篭って、イチャイチャしないとは思えない。
まぁ、今まで仕事浸けで頑張って来た副隊長なんだし、暫くはこういうのもいいだろ。
付き合いはじめの一番楽しそうな時期なんだし。






とはいえ、それは俺に少なからず影響を与えた。

俺がこの第三別宮警護部隊で、一番仲がいいのはライルさんだし。
副隊長とも屈託なく話す仲だった。

流石にもう、俺を「平民」呼ばわりする人も、庶民と貴族は格が違うと区別したがる人も、なんとなく距離を起きたがる人も殆どいなくなった。
先輩風吹かしてこき使う人も少なくなったし、むしろ、魔術や性欲研究及び商売の事で接触される事も増えたし、そんな中でだんだんお互い気心が知れてきて、全体的にだいぶ馴染んできたと思う。
王子にここに行けと命じられた時は、地獄送りにされたと思ったけど、なんだかんだ楽しくやっていると思う。

それはここがおちゃらけ第三別宮警護部隊だった事も大きい。
これが王太子所属の第一別宮警護部隊とかだったら、こうもいかなかっただろう。
でも、それでもまだ、ライルさんや副隊長の様に、完全にお互い何の隔たりもなくって状況でもない。
なくなってきてはいるが、まだ、俺と部隊の貴族騎士お坊ちゃまたちとの間には、僅かな隔たりというかズレがある。

そこに緩衝材みたいに入ってくれていたライルさんと副隊長。

俺はこのところ、一人で昼食をとっていた。
いくら仲が良いからと言って、付き合いたてのふたりの邪魔をするほど野暮じゃない。

それに、今はあまり人と接したくなかった。
ガスパーと話してだいぶ落ち着いたが、やはり元通りとまではいかない。

ふとした瞬間、言い様のない何かに捕らわれる。

それが恐怖心なのか、憤りなのか、嫌悪感なのかはわからない。
もしかすると、その全てなのかもしれない。

おかしなものだ。
実験として、散々、性欲処理など見てきたのに。

性的欲求がなくても、こういう精神不安は出るんだな。

自分の事なのに、少し他人事のようにそう思う。
多分、自分の事として受け入れると不安になるから、他人事として心が扱っているんだと思う。
性的欲求がなくて恋愛感情が持てないのに、こういう事は他の人と同じだなんで、何か損した気分だ。

とはいえ、振り回されてたら仕事にならない。
俺は気持ちを切り替えたくて、建物裏の井戸に向かった。








井戸で水を汲み、ザバーと頭から被った。

水は冷たくて頭の中がツーンとした。
井戸の縁に両手を置き、髪から垂れる水滴が限りなく遠くでピチョンと跳ねる音を聞いていた。

「良ければお使い下さい。」

「あ、すみません、ありがとうございます。」

誰かがタオルを差し出してくれた。
反射的にお礼を言って受けとる。
頭をわしわし拭きながら顔を上げ、俺は固まった。

「えっ!!レオンハルドさん!?」

「お久しぶりです。サーク様。」

いつもの高揚する気持ちが湧き上がりそうになった時、それは起きた。
ドス黒い闇が、俺の剥き出しになった柔らかい部分に触れ、キラキラしたそれに粘着的にまとわりついてひきずり降ろした。

ギクッと硬直する。
にっこりと微笑むその人を、俺は直視できなくて、頭を拭く振りをして、俯いた。

俺の好きな人。
生まれて初めて恋をした人。
会えて嬉しいような、今は会いたくなかったような。
気持ちが高まろうとすればするほど、闇が俺を掴んで離さない。

「その後、体調はいかがですか?」

にっこりと優しくそう言われた。
優しげなレオンハルドさんの穢れのない顔。

俺は次の瞬間、強烈な吐き気を催し、その場で嘔吐した。

駄目だ。
俺は汚れてる。
この人の前に立っていい存在じゃない。

ドロドロとした闇が俺を飲み込んだ。

わかってる。
レオンハルドさんが聞いたのは、あの試合の時の事だ。

だが頭のどこかで、あの日が浮かんだ。
あの忌まわしい埃の臭がした。

別に俺自身は何もされてない。
体調を心配されるような事にはならなかったのに、急にフラッシュバックが起きたのだ。

どんよりとした青臭さ。
窓のない狭く暗い掃除用具室の空気の重さ。


そして恐怖した。

この人に知られたくないと。


レオンハルドさんは、何も言わなかった。
俺がここまでおかしな様子なのに、ただ静かに背中をさすってくれた。
吐き気が治まると俺を井戸の組石に座らせ、何も言わずに水を汲んで、顔と口の中をすすがせてくれた。

そして、静かに俺の前に膝まづいた。

優しく温かい眼差しが俺を見上げている。
でも俺はそれを見返す事ができない。

だって……だって俺は……俺は綺麗じゃない。
そう思えた。

レオンハルドさんは、放心している俺の手をそっと握った。
ビクッとしたが、触っててはいけないと、俺は汚いからレオンハルドさんに触れてては駄目だと思ったけれど、振り払えなかった。

レオンハルドさんの手は温かかった。
その手の温もりが少しずつ、凍りついていた俺の体を暖めてくれた。
そうやってしばらく時間を置き、俺が落ち着いた頃合いを見てレオンハルドさんは言った。


「それは、話せば楽になるものですか?」


ズキッと胸が痛む。

俺は首をふった。
誰にも話せる訳がない。

他でもない貴方に話せる訳がない。

特に何もなかったんだ。
こんなに気にしている俺がおかしい。
でもこうなってみて、俺は自分がどれだけあの件でダメージを負っているのか知った。

他の人から見れば何でもない事かもしれない。
たいした事でもなかったのかもしれない。

でも俺は。
俺にとっては衝撃的だった。
これほど取り乱すほどに。

レオンハルドさんは何も言わなかった。
握ってくれた手だけが、ただ暖かかった。

「落ち着きましたか?」

「……はい。すみません。とんだお世話をおかけして……。」

「とんでもない。」

レオンハルドさんは、いつものようににっこり微笑む。
そして握っている俺の手を、とんとんと優しく叩いた。

「……ひとつ、サーク様におまじないをかけてもよろしいですか?」

「おまじない、ですか?」

「ええ、効果があるかはわからないのですが……。」

おまじない。
レオンハルドさんの口からそんな言葉が出たのがちょっとおかしい。

そう言ったレオンハルドさんは、静かに微笑む。
俺もぎこちなくだが、やっと笑って答えた。

「お願いします。」

「では、目を閉じてもらえますか?」

「??」

俺は言われた通り、目を閉じた。

おまじないって何だろう?
痛いの痛いの飛んでいけ~みたいなヤツかな??

俺はそれぐらいのおまじないだと思っていた。

目を瞑る俺。
レオンハルドさんの手が、顔に触れた。



「……………っ!!」



唇の上にチクチクとする髭の感触。

俺がびっくりして目を開いた時には、おまじないは終わっていた。

レオンハルドさんが静かに笑う。



「あなたの幸せを想っています。」



そう囁き、彼は俺の額に接吻した。
さっきと同じ、ちょっとちくちくする口ひげの感覚がおでこに残った。

俺は惚けてしまって、何も言葉が出なかった。

レオンハルドさんはただ優しくにっこり笑って、俺の頭を撫でる。
そして区切りをつけるように立ち上がった。


「申し訳ございません。サーク様。急に用事を思い出してしまいました。名残惜しいですが、この辺で失礼致します。」


そういって、いつもの優雅な所作で去っていった。

残された俺は、しばらく呆然。

え……??
今、何が起きた??

おまじないって??

え??
これって夢??
現実??


でも……。


俺はそっと唇を触る。




「俺…今……あの人と……。」




そこからは言葉にならなかった。


















ギルは王宮の廊下を歩いていた。

ピンッと何かを感じ取る。
その感覚に殺気を覚え、刀に手をかけた。

が……、

彼が殺気に気付いた瞬間には既に、彼の体は壁に追い込まれ、首筋にナイフが軽く刃を立てていた。
相手にその気があったなら、気付いた時には死んでいたはずた。

じり……とした重い空気に汗が流れた。



「あの方に何をした?」



その声は、地の底から響くように思えた。

元々勝てる相手ではない。

何を言われているかは、自分の胸に聞けば直ぐに答えは出た。
そしてそれ故に、こうして相手の気持ち一つで命を失うという状況も理解できた。

「……俺を助けようとしてくれた。のに……、俺はあいつを、裏切って……踏みにじった……。」

グッと刃が深く食い込む。
軽く皮膚が切れて、血が滲んだ。

「事は成したか?」

「あいつ相手に無理が敵う訳がない。」

そう、叶う訳がない。
こんな不確かで無自覚な、欲望に負ける気持ちが……。

自虐的に笑うその喉元に、刃が強く当てられる。


「……未遂だからと言って、襲われた恐怖が減るとでも思ったか……っ!!」


さらに強まったナイフに、ギルはただ、目を閉じた。

そうされて当然だ。
むしろ自分は、それを望んでいたのかもしれない。

だが、その圧はやがて消えた。


「……私に殺して貰えるなどと思うな。落とし前は自分でつけろ。いいな。」


ギルが目を開いた時には、そこには誰もいなかった。

ただ、首もとから流れる血だけが、それが夢でも幻でもないことを物語っていた。
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