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38 邪興の領域

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「聖職者達の間ではあまり信じられていない話と言いますか、眉唾モノと言いますか……そういう現象がある、という噂の域を出ない話です。アビサルホラー、深淵の狂気、などとも言われたりしますが……恐らくはここがそうなのでしょう。そうとしか考えられません」
「噂、ですか」
「そもそもその領域に踏み込んだ者は死ぬか発狂するか廃人になるか、そのどれかしかなく。いちるの望みも無い、そんな場所です。なるほど、何の準備も無しにこんな所に踏み込んだらそりゃあそうですね」
「なにそれこわい」
「帰って来た者はみなそうなってしまうので確かな証言が得られていなかったのです。廃人になったり発狂したり死んだりというのを全部が全部この邪興の領域だとは言えませんし。言ってしまえばそのような事はどこででもあり得る事。冒険者の皆様ならお分かりかとは思いますが」
「そうだな。何かしらの事故でトラウマ負ったり、モンスターやアンデッドから受けた傷で再起不能になるやつは五万と見て来た」
「じゃ、じゃあここに長くいたら私達もそうなっちゃうって事……?」

 リーシャが不安そうに私の手をきゅっと握った。
 私は少しでも安心させようとその手を握り返し、さらにもう片方の掌ものせて包み込むように握りしめる。

「長い間いれば、です。勇猛な旗頭をかけ続けていればここの精神的な蓄積ダメージも無効化出来ます。大事なのはみなを信じる事、帰れると信じること、互いを互いに信じ、力を合わせてこんな異様な所なんてさっさと出ましょう。それには皆さんの協力が不可欠、力を貸してください」

 ラペルはそう言ってにこりと笑った。
 それだけなのに、なぜか安心出来る気がした。
 もういっそこの人が勇者でいいんじゃないだろうか。
 あの勇者(笑)より断然勇者っぽいんだから。
 あ、そう言えば。

「勇者様もここにいらっしゃるはずですよね」

 異様な光景を目の当たりにして、すっかり頭の中から飛んで行っていた彼らの事を思いだす。

「勇者……? あぁ、そうですね! カイト様と、ええと、リリアナ様でしたね。きっと彼らもまだ近くにいるはずです。合流しましょう」
「そういやそんな奴いたな」
「なんか忘れてた、っていうか、抜け落ちた感じするね」

 ん?
 なんだろう、今のラペルの反応。
 他の聖職者達も、カイトとリリアナを連れて来たセドルという聖職者も、一瞬首を傾げていた。
 そして「あぁそういえば」、と思い出した感じ。
 正直な話、カイトとリリアナの名前は思い出せるが、その顔立ちまでは思い出す事が出来ない。
 姿などはぼんやりとした感じで思い出せるのだけど、つい今の今まで頭の中にあった映像がストンと抜け落ちているような妙な感覚を抱く。

「あのラペルさん! 勇者様のお顔は思い出せますか?」
「何をおっしゃいますか。それはもちろん……あ、あれ……? なぜでしょう、おぼろげにしか思い出せません……みなはどうですか?セドルは?」
「おかしいです! カイト様とリリアナ様のお顔が……ぼやけていて……」

 その途端、背筋がぞわりと泡立った。
 私がカイト達の事を忘れたのは、異様な光景を目の当たりにしたからではなかった。
 どういうわけだか、ここにいる皆の頭の中から彼らの存在が消えかけている。
 皆の言い分からそうとしか考えられない。
 だが私達はお互いをしっかり認知しているし目を閉じてもバルトやリーシャ、ラペルや他の聖職者達の顔も思い浮かべる事ができる。
 存在の消失。
 誰の記憶にも残らない、いた事がいなかった事になる、それはとてもとても恐ろしいことだ。
 この一瞬で、私はこの邪興の領域の恐ろしさの片鱗を味わった。
 それだけで背筋が凍りそうになる。
 だが、この領域の恐ろしさはまだまだ序の口でしかなかったのだと言うことを、私はまだ知らない。
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