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第二部 大砲と魔術師
第三十八話 強気
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試合は九回表へと進む。大林高校の攻撃は八番の青野からで、マウンドには斎藤が立っている。まなは円陣を組ませて、皆に指示を与えていた。
「この回、絶対に勝ち越しましょう。うちに延長戦を戦う力はありません」
「ああ。向こうはまだ手札を温存しているけど、こっちはもう総力戦だからな」
「その通りです、岩沢先輩。控え選手も、いつでも出られるようにしておいてください」
まなの言う通り、延長戦となれば大林高校の負けは必至だ。この試合に勝利するためには、何としても九回表に勝ち越す必要があった。
「八番、セカンド、青野くん」
「頑張れ青野ー!!」
「絶対出ろよー!!」
アナウンスが流れると、青野が右打席へ歩き出した。大林高校の応援団は、勝ち越しを願って必死に声援を送っている。先頭打者が出塁して、チャンスを作ることが出来るか。両校の選手たちは、緊張した面持ちでグラウンドに立っていた。
マウンド上の斎藤は、青野に対して直球を投げ込んでいく。八木ほどの球威はないもののしっかりと制球されており、青野はなかなか弾き返すことが出来ない。カウントはワンボールツーストライクで、追い込まれている。
「よく見ていけー!!」
「簡単に打ち取られんなよー!!」
ベンチからも必死な声援が続く。斎藤は足を上げ、第六球を投げた。彼の決め球、スライダーが本塁へ向かって進んでいく。
「くっ……!」
青野は左手を伸ばし、どうにかバットの先っぽで拾ってみせた。打球がふわりと舞い上がり、センター方向へと飛んでいく。
「センター!」
松澤が指示を飛ばしたが、打球は中堅手の前にポトリと落ちた。テキサスヒットとなり、大林高校の応援団から一気に歓声が巻き起こった。
「っしゃあ!」
「ナイバッチー!!」
当然、ベンチも盛り上がりを見せていた。一方で、松澤は険しい表情で内野陣に指示を送っている。ノーアウト一塁という状況を切り抜けるべく、自英学院の選手たちも声を出して守備隊形を確かめ合っていた。
「九番、ピッチャー、平塚くん」
「頼むぞー!!」
「平塚打てよー!!」
ここで、九番のリョウが打席に向かった。内野手はバントに備えて前進守備を取っており、なんとしても二塁で刺そうという気概を見せていた。守備隊形を見て、ベンチの久保はまなに問いかけた。
「まな、送るのか?」
「いや、一点勝ち越しじゃ足りない。二点は取らないと」
「ってことは、打たせるのか」
「こういうときこそ、強気に行かないとね」
そしてリョウが打席に入ると、ベンチの方を見た。まなのサインを見て一瞬驚いたが、彼はすぐにバントの構えに入った。
斎藤はセットポジションに入り、一塁に牽制球を送った。その一挙手一投足に、観客席からどよめきが起こる。両校ともに決定打に欠くまま、試合は九回表まで進んだ。どちらが勝利を手にするのか、誰にも予想がついていなかった。
ブラスバンドは依然として元気よく演奏を続けており、応援団も全力で声を張り上げている。斎藤は額に汗を浮かべ、厳しい表情でマウンドに立っている。そして、彼は足を上げた。三塁手と一塁手が思い切ってチャージをかけてくる。
「なっ……」
しかし、三塁手が足を止めた。斎藤が指からボールを放とうとした瞬間、リョウがヒッティングの構えに切り替えたのだ。まなが出していたサインは、バスターだった。
斎藤が投じたボールは、インコースに向かって飛んでいく。リョウは構わず、強引にそれを流し打ってみせた。地面に叩きつけられ、高く跳ね上がった打球が三塁手の右を抜けていく。そのまま広く開いた三遊間を破り、レフト前ヒットとなった。
「っしゃあ!」
リョウは塁上でガッツポーズを見せた。大林高校のベンチも、それに呼応するかのように盛り上がりを見せていた。これで無死一二塁とチャンスが広がった。一方で、自英学院のベンチは騒がしくなった。タイムを取って、マウンドに伝令を送る。その間、まなと久保も作戦について話しあっていた。
「まな、今度こそバントか?」
「流石にそうかな。でも、簡単には送らせてくれないはず」
「って言っても、二連続でバスターってわけにもいかねえしな」
「でも、強気で行くのは変わらないよ」
まなは真剣な表情で、そう言い切った。やがてタイムが終わり、自英学院の内野手が各ポジションへと散って行った。打順は一番の木尾に戻る。大林高校にとっては、これ以上ないチャンスとなった。
「「かっとばせー、きーおー!!」」
応援歌が流れ、皆が一生懸命に木尾の名前を叫んでいる。球場全体が大林高校を応援するような雰囲気に包まれており、選手たちの背中を後押ししていた。木尾は打席に入ると、まなのサインを確認した。
(一球目は「待て」です)
まながサインを送ると、木尾が頷いた。斎藤は松澤とサインを交換し、セットポジションに入る。塁上のランナーを目で牽制したあと、小さく足を上げた。その瞬間、再び一塁手と三塁手が一気に前進してくる。斎藤はそのまま投球したが、低めに外れてボールとなった。二塁ランナーの青野がやや飛び出しているのを見て、松澤は素早く二塁へと送球した。
「バック!!」
三塁コーチャーが叫ぶと、青野は慌てて頭から帰塁した。審判が両手を広げて「セーフ」の判定を下すと、彼はほっと息をついた。自英学院はあくまで強豪校である。少しでも隙があれば、積極的にアウトを狙ってくるのだ。
今の攻防を見て、木尾は再びベンチの方を見た。すると、まなはさっきとは違うサインを出した。木尾は頷き、打席でバットを構えた。一塁手と三塁手がじりじりと前進してきて、プレッシャーを与えてくる。斎藤が足を上げるとともに、二人は一気にチャージをかけた。
「ランナー!!」
次の瞬間、二塁手が叫んだ。そう、青野とリョウが一気にスタートを切っていたのだ。流石に予想外だったのか、松澤は目を見開いて送球の準備に入る。斎藤がそのまま二球目を投げると、木尾はバントの構えに切り替えた。そのままバットに当てると、やや強い打球が斎藤の前に転がっていった。
「斎藤!!」
松澤は声を張り上げて指示を出した。斎藤は打球を掴んで三塁を見たが、既に青野は滑り込もうとしている。
「サードは無理だ、ファースト!!」
その指示を聞いて、斎藤は一塁へと送球した。カバーに入った二塁手が送球を受け取り、塁審が右手を突き上げた。木尾はアウトになったが、これで一死二三塁となった。
「ナイスバントー!!」
「いいぞ木尾ー!!」
応援団からは拍手と歓声が聞こえてきていた。自英学院の守備力を考えれば、送りバントを決めるのは簡単ではない。そう判断したまなは、バントエンドランという思い切った策を講じたのだ。監督としての勝負勘が、遺憾なく発揮されていた。
(まずいな、うちが後手に回っている)
松澤は今の状況に危機感を覚えていた。まなの作戦が次々に決まり、ピンチが広がっている。彼はベンチに視線を送り、あることを要求していた。一方で大林高校のベンチは押せ押せムードであり、威勢よく次のバッターに声援を送っていた。
「二番、ショート、近藤くん」
「打てよ近藤ー!!」
「見せ場だぞー!!」
一死二三塁という状況で、バットコントロールに長けた近藤が打席に入る。大林高校にとって、これほどのチャンスはない。応援団は今日一番の盛り上がりを見せ、得点を期待していた。久保は打席に入る準備をしながら、まなに作戦を尋ねた。
「近藤先輩には打たせるのか?」
「ここは小細工なしだよ。向こうはいろいろ気にしてるだろうしね」
「裏の裏をかくってわけか」
「そういうこと」
その言葉通り、まなは「打て」のサインを送った。近藤も頷き、バットを強く握り直す。自英学院の内野陣は前進し、バックホーム態勢を取っていた。
「斎藤、打たせて来いよー!!」
「守ってやるからなー!!」
犠牲フライ、スクイズ、内野ゴロ、どんな形でも一点が入る場面だ。自英学院の野手も積極的に斎藤に声を掛け、意地でも得点を阻止する構えを見せていた。
近藤に対し、斎藤は強気で投げ込んでいく。内角と外角にうまく投げ分け、なかなか的を絞らせない。一方の近藤も、バントの構えを見せるなどして揺さぶりをかけている。カウントがツーボールツーストライクとなり、斎藤は六球目を投じた。直球が外寄りのコースに向かって進んでいく。
(来たっ!)
近藤はその球を見て、スイングを開始した。逆方向に打ち返すようにバットに当てたが、ややボールの下を叩いてしまった。打球はふらふらと左方向に舞い上がる。
「ショート!!」
松澤が指示を飛ばすと、遊撃手の深山が懸命に後退していく。もともと前進守備だったこともあり、追い付けるか微妙な距離だ。三塁ランナーの青野はやや前に出て、様子を窺っている。
「くっ……!」
深山は辛うじてグラブで打球を掴み、離さなかった。審判がアウトを宣告するや否や、素早く送球の構えを見せた。青野もこれではタッチアップ出来ず、三塁へと戻った。
「よっしゃー!!」
「ナイスショートー!!」
好プレーで難を逃れ、自英学院の応援団は盛り上がっていた。それに対して、大林高校の面々は思わずため息をついた。
「惜しいなあ」
「ドンマイ近藤ー!!」
ベンチから残念がる声が響いている。しかし、依然としてチャンスであることに変わりはない。アナウンスが流れると、再び観客席が沸いた。
「三番、サード、岩沢くん」
「頼むぞキャプテン!!」
「打てよー!!」
岩沢が打席に向かって歩き出すと、久保もネクストバッターズサークルへ向かった。クリーンナップとなれば、斎藤にも一段とプレッシャーがかかる。
ここで松澤はタイムを取り、マウンドへと向かった。斎藤の気持ちを落ち着かせて、次の岩沢に対する心構えを説いている。
「ここで切れば久保には回らない。斎藤、頑張ってくれ」
「分かってる。ツーアウトだし、打者勝負だな」
「ああ。欲張らずに、しっかり低めに投げてこい」
岩沢は素振りをしながら、二人を待っていた。八回表の打席では二死一塁から四球を選び、久保の同点弾に繋げた。そして今度は、主将の彼にチャンスで打席が回ってきたのだ。
(キャプテンなら、ここで決めないとな)
彼は自分にそう言い聞かせ、打席に入った。バッテリーもタイムを終え、審判が試合を再開する。状況は二死二三塁。ヒットが出れば勝ち越しだ。
「「かっとばせー、いーわさわー!!」」
応援歌が響き渡るなか、斎藤が初球を投じた。外角のストレートだったが、これはボールとなった。岩沢はふうと息をつき、バットを構え直した。
「見えてる見えてるー!!」
「しっかりー!!」
ベンチからも必死な声援が続く。続いて、斎藤は二球目を投げた。インコースのボール球だったが、岩沢は手を出してしまった。空振りとなり、これでワンボールワンストライクだ。
「どうしたー!!」
「落ち着けー!!」
少し気負ってしまっているのか、岩沢は冷静にスイングすることが出来なくなっていたのだ。続いて斎藤はスライダーを投じたが、これにも空振りしてワンボールツーストライクとなった。岩沢は焦った表情を見せ、ベンチにいる選手たちも心配そうに彼を見つめている。
「岩沢先輩、気楽にー!!」
「楽にいこー!!」
皆が懸命に声を掛け、なんとか落ち着かせようと努めている。しかし、なかなか岩沢の表情が和らがない。そのとき、ネクストバッターズサークルにいた久保が口を開いた。
「岩沢先輩!!」
その声を聞いて、岩沢はハッと振り返った。久保は大きな声で、そのまま続けた。
「繋いでくれれば、何とかしますから!!」
彼はニッと笑って、親指を突き立てた。その言葉を聞いて、岩沢も笑みを浮かべた。改めて構え直すと、真剣な眼差しでマウンドに対した。
(そうだ、俺が決めなくてもいいんだ。アイツに繋げば、どうとでもなる)
岩沢は気持ちを切り替え、落ち着いて打席に入ることが出来ていた。斎藤は第四球にもスライダーを投じたが、これは見極めた。カウントはツーボールツーストライクとなり、バッテリーは五球目に外角のストレートを選んだ。岩沢がしっかりとファウルにしてみせると、球場がどよめいた。
(クソ、アウトになってくれないな)
松澤はなんとか仕留めようと、あの手この手で攻めてくる。六球目に高めの釣り球を選んだが、岩沢はしっかりと見逃した。フルカウントとなり、大林高校の応援団も盛り上がりを見せていた。
「いいぞ岩沢ー!!」
「なんとか繋げよー!!」
そしてもう一球ファウルがあってからの、八球目。スライダーがワンバウンドとなり、四球となった。八回に続いて、しっかりと久保に繋いでみせた。岩沢はほっと息をついて、ネクストバッターズサークルに向かって親指を突き立てた。
「繋いだぞ、久保!!」
「はい!! 任せてください!!」
これでツーアウト満塁だ。散々粘られた挙句に四球を選ばれ、斎藤は肩で息をしている。それに対して、次の打順は斎藤から本塁打を放った経験のある久保だ。誰がどう見ても、大林高校に有利な局面となった。
「タイム!!」
ここで、自英学院の監督がタイムを取った。それに合わせて、ベンチ前に一人の選手が現れる。その様子を見て、松澤は小さく声を漏らした。
「……ったく、遅いんだよ」
同様に、大林高校のベンチもざわつき始めた。まなもその選手を見て、表情を険しくした。
「いよいよ、向こうの『切り札』が出てきたのね」
松澤は球審に選手交代を告げた。それに合わせて、アナウンスが流れ始めた。久保はキッと表情を引き締め、耳を傾けていた。
「自英学院高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、斎藤くんに代わりまして――」
「森山くん。二番、ピッチャー、森山くん」
「この回、絶対に勝ち越しましょう。うちに延長戦を戦う力はありません」
「ああ。向こうはまだ手札を温存しているけど、こっちはもう総力戦だからな」
「その通りです、岩沢先輩。控え選手も、いつでも出られるようにしておいてください」
まなの言う通り、延長戦となれば大林高校の負けは必至だ。この試合に勝利するためには、何としても九回表に勝ち越す必要があった。
「八番、セカンド、青野くん」
「頑張れ青野ー!!」
「絶対出ろよー!!」
アナウンスが流れると、青野が右打席へ歩き出した。大林高校の応援団は、勝ち越しを願って必死に声援を送っている。先頭打者が出塁して、チャンスを作ることが出来るか。両校の選手たちは、緊張した面持ちでグラウンドに立っていた。
マウンド上の斎藤は、青野に対して直球を投げ込んでいく。八木ほどの球威はないもののしっかりと制球されており、青野はなかなか弾き返すことが出来ない。カウントはワンボールツーストライクで、追い込まれている。
「よく見ていけー!!」
「簡単に打ち取られんなよー!!」
ベンチからも必死な声援が続く。斎藤は足を上げ、第六球を投げた。彼の決め球、スライダーが本塁へ向かって進んでいく。
「くっ……!」
青野は左手を伸ばし、どうにかバットの先っぽで拾ってみせた。打球がふわりと舞い上がり、センター方向へと飛んでいく。
「センター!」
松澤が指示を飛ばしたが、打球は中堅手の前にポトリと落ちた。テキサスヒットとなり、大林高校の応援団から一気に歓声が巻き起こった。
「っしゃあ!」
「ナイバッチー!!」
当然、ベンチも盛り上がりを見せていた。一方で、松澤は険しい表情で内野陣に指示を送っている。ノーアウト一塁という状況を切り抜けるべく、自英学院の選手たちも声を出して守備隊形を確かめ合っていた。
「九番、ピッチャー、平塚くん」
「頼むぞー!!」
「平塚打てよー!!」
ここで、九番のリョウが打席に向かった。内野手はバントに備えて前進守備を取っており、なんとしても二塁で刺そうという気概を見せていた。守備隊形を見て、ベンチの久保はまなに問いかけた。
「まな、送るのか?」
「いや、一点勝ち越しじゃ足りない。二点は取らないと」
「ってことは、打たせるのか」
「こういうときこそ、強気に行かないとね」
そしてリョウが打席に入ると、ベンチの方を見た。まなのサインを見て一瞬驚いたが、彼はすぐにバントの構えに入った。
斎藤はセットポジションに入り、一塁に牽制球を送った。その一挙手一投足に、観客席からどよめきが起こる。両校ともに決定打に欠くまま、試合は九回表まで進んだ。どちらが勝利を手にするのか、誰にも予想がついていなかった。
ブラスバンドは依然として元気よく演奏を続けており、応援団も全力で声を張り上げている。斎藤は額に汗を浮かべ、厳しい表情でマウンドに立っている。そして、彼は足を上げた。三塁手と一塁手が思い切ってチャージをかけてくる。
「なっ……」
しかし、三塁手が足を止めた。斎藤が指からボールを放とうとした瞬間、リョウがヒッティングの構えに切り替えたのだ。まなが出していたサインは、バスターだった。
斎藤が投じたボールは、インコースに向かって飛んでいく。リョウは構わず、強引にそれを流し打ってみせた。地面に叩きつけられ、高く跳ね上がった打球が三塁手の右を抜けていく。そのまま広く開いた三遊間を破り、レフト前ヒットとなった。
「っしゃあ!」
リョウは塁上でガッツポーズを見せた。大林高校のベンチも、それに呼応するかのように盛り上がりを見せていた。これで無死一二塁とチャンスが広がった。一方で、自英学院のベンチは騒がしくなった。タイムを取って、マウンドに伝令を送る。その間、まなと久保も作戦について話しあっていた。
「まな、今度こそバントか?」
「流石にそうかな。でも、簡単には送らせてくれないはず」
「って言っても、二連続でバスターってわけにもいかねえしな」
「でも、強気で行くのは変わらないよ」
まなは真剣な表情で、そう言い切った。やがてタイムが終わり、自英学院の内野手が各ポジションへと散って行った。打順は一番の木尾に戻る。大林高校にとっては、これ以上ないチャンスとなった。
「「かっとばせー、きーおー!!」」
応援歌が流れ、皆が一生懸命に木尾の名前を叫んでいる。球場全体が大林高校を応援するような雰囲気に包まれており、選手たちの背中を後押ししていた。木尾は打席に入ると、まなのサインを確認した。
(一球目は「待て」です)
まながサインを送ると、木尾が頷いた。斎藤は松澤とサインを交換し、セットポジションに入る。塁上のランナーを目で牽制したあと、小さく足を上げた。その瞬間、再び一塁手と三塁手が一気に前進してくる。斎藤はそのまま投球したが、低めに外れてボールとなった。二塁ランナーの青野がやや飛び出しているのを見て、松澤は素早く二塁へと送球した。
「バック!!」
三塁コーチャーが叫ぶと、青野は慌てて頭から帰塁した。審判が両手を広げて「セーフ」の判定を下すと、彼はほっと息をついた。自英学院はあくまで強豪校である。少しでも隙があれば、積極的にアウトを狙ってくるのだ。
今の攻防を見て、木尾は再びベンチの方を見た。すると、まなはさっきとは違うサインを出した。木尾は頷き、打席でバットを構えた。一塁手と三塁手がじりじりと前進してきて、プレッシャーを与えてくる。斎藤が足を上げるとともに、二人は一気にチャージをかけた。
「ランナー!!」
次の瞬間、二塁手が叫んだ。そう、青野とリョウが一気にスタートを切っていたのだ。流石に予想外だったのか、松澤は目を見開いて送球の準備に入る。斎藤がそのまま二球目を投げると、木尾はバントの構えに切り替えた。そのままバットに当てると、やや強い打球が斎藤の前に転がっていった。
「斎藤!!」
松澤は声を張り上げて指示を出した。斎藤は打球を掴んで三塁を見たが、既に青野は滑り込もうとしている。
「サードは無理だ、ファースト!!」
その指示を聞いて、斎藤は一塁へと送球した。カバーに入った二塁手が送球を受け取り、塁審が右手を突き上げた。木尾はアウトになったが、これで一死二三塁となった。
「ナイスバントー!!」
「いいぞ木尾ー!!」
応援団からは拍手と歓声が聞こえてきていた。自英学院の守備力を考えれば、送りバントを決めるのは簡単ではない。そう判断したまなは、バントエンドランという思い切った策を講じたのだ。監督としての勝負勘が、遺憾なく発揮されていた。
(まずいな、うちが後手に回っている)
松澤は今の状況に危機感を覚えていた。まなの作戦が次々に決まり、ピンチが広がっている。彼はベンチに視線を送り、あることを要求していた。一方で大林高校のベンチは押せ押せムードであり、威勢よく次のバッターに声援を送っていた。
「二番、ショート、近藤くん」
「打てよ近藤ー!!」
「見せ場だぞー!!」
一死二三塁という状況で、バットコントロールに長けた近藤が打席に入る。大林高校にとって、これほどのチャンスはない。応援団は今日一番の盛り上がりを見せ、得点を期待していた。久保は打席に入る準備をしながら、まなに作戦を尋ねた。
「近藤先輩には打たせるのか?」
「ここは小細工なしだよ。向こうはいろいろ気にしてるだろうしね」
「裏の裏をかくってわけか」
「そういうこと」
その言葉通り、まなは「打て」のサインを送った。近藤も頷き、バットを強く握り直す。自英学院の内野陣は前進し、バックホーム態勢を取っていた。
「斎藤、打たせて来いよー!!」
「守ってやるからなー!!」
犠牲フライ、スクイズ、内野ゴロ、どんな形でも一点が入る場面だ。自英学院の野手も積極的に斎藤に声を掛け、意地でも得点を阻止する構えを見せていた。
近藤に対し、斎藤は強気で投げ込んでいく。内角と外角にうまく投げ分け、なかなか的を絞らせない。一方の近藤も、バントの構えを見せるなどして揺さぶりをかけている。カウントがツーボールツーストライクとなり、斎藤は六球目を投じた。直球が外寄りのコースに向かって進んでいく。
(来たっ!)
近藤はその球を見て、スイングを開始した。逆方向に打ち返すようにバットに当てたが、ややボールの下を叩いてしまった。打球はふらふらと左方向に舞い上がる。
「ショート!!」
松澤が指示を飛ばすと、遊撃手の深山が懸命に後退していく。もともと前進守備だったこともあり、追い付けるか微妙な距離だ。三塁ランナーの青野はやや前に出て、様子を窺っている。
「くっ……!」
深山は辛うじてグラブで打球を掴み、離さなかった。審判がアウトを宣告するや否や、素早く送球の構えを見せた。青野もこれではタッチアップ出来ず、三塁へと戻った。
「よっしゃー!!」
「ナイスショートー!!」
好プレーで難を逃れ、自英学院の応援団は盛り上がっていた。それに対して、大林高校の面々は思わずため息をついた。
「惜しいなあ」
「ドンマイ近藤ー!!」
ベンチから残念がる声が響いている。しかし、依然としてチャンスであることに変わりはない。アナウンスが流れると、再び観客席が沸いた。
「三番、サード、岩沢くん」
「頼むぞキャプテン!!」
「打てよー!!」
岩沢が打席に向かって歩き出すと、久保もネクストバッターズサークルへ向かった。クリーンナップとなれば、斎藤にも一段とプレッシャーがかかる。
ここで松澤はタイムを取り、マウンドへと向かった。斎藤の気持ちを落ち着かせて、次の岩沢に対する心構えを説いている。
「ここで切れば久保には回らない。斎藤、頑張ってくれ」
「分かってる。ツーアウトだし、打者勝負だな」
「ああ。欲張らずに、しっかり低めに投げてこい」
岩沢は素振りをしながら、二人を待っていた。八回表の打席では二死一塁から四球を選び、久保の同点弾に繋げた。そして今度は、主将の彼にチャンスで打席が回ってきたのだ。
(キャプテンなら、ここで決めないとな)
彼は自分にそう言い聞かせ、打席に入った。バッテリーもタイムを終え、審判が試合を再開する。状況は二死二三塁。ヒットが出れば勝ち越しだ。
「「かっとばせー、いーわさわー!!」」
応援歌が響き渡るなか、斎藤が初球を投じた。外角のストレートだったが、これはボールとなった。岩沢はふうと息をつき、バットを構え直した。
「見えてる見えてるー!!」
「しっかりー!!」
ベンチからも必死な声援が続く。続いて、斎藤は二球目を投げた。インコースのボール球だったが、岩沢は手を出してしまった。空振りとなり、これでワンボールワンストライクだ。
「どうしたー!!」
「落ち着けー!!」
少し気負ってしまっているのか、岩沢は冷静にスイングすることが出来なくなっていたのだ。続いて斎藤はスライダーを投じたが、これにも空振りしてワンボールツーストライクとなった。岩沢は焦った表情を見せ、ベンチにいる選手たちも心配そうに彼を見つめている。
「岩沢先輩、気楽にー!!」
「楽にいこー!!」
皆が懸命に声を掛け、なんとか落ち着かせようと努めている。しかし、なかなか岩沢の表情が和らがない。そのとき、ネクストバッターズサークルにいた久保が口を開いた。
「岩沢先輩!!」
その声を聞いて、岩沢はハッと振り返った。久保は大きな声で、そのまま続けた。
「繋いでくれれば、何とかしますから!!」
彼はニッと笑って、親指を突き立てた。その言葉を聞いて、岩沢も笑みを浮かべた。改めて構え直すと、真剣な眼差しでマウンドに対した。
(そうだ、俺が決めなくてもいいんだ。アイツに繋げば、どうとでもなる)
岩沢は気持ちを切り替え、落ち着いて打席に入ることが出来ていた。斎藤は第四球にもスライダーを投じたが、これは見極めた。カウントはツーボールツーストライクとなり、バッテリーは五球目に外角のストレートを選んだ。岩沢がしっかりとファウルにしてみせると、球場がどよめいた。
(クソ、アウトになってくれないな)
松澤はなんとか仕留めようと、あの手この手で攻めてくる。六球目に高めの釣り球を選んだが、岩沢はしっかりと見逃した。フルカウントとなり、大林高校の応援団も盛り上がりを見せていた。
「いいぞ岩沢ー!!」
「なんとか繋げよー!!」
そしてもう一球ファウルがあってからの、八球目。スライダーがワンバウンドとなり、四球となった。八回に続いて、しっかりと久保に繋いでみせた。岩沢はほっと息をついて、ネクストバッターズサークルに向かって親指を突き立てた。
「繋いだぞ、久保!!」
「はい!! 任せてください!!」
これでツーアウト満塁だ。散々粘られた挙句に四球を選ばれ、斎藤は肩で息をしている。それに対して、次の打順は斎藤から本塁打を放った経験のある久保だ。誰がどう見ても、大林高校に有利な局面となった。
「タイム!!」
ここで、自英学院の監督がタイムを取った。それに合わせて、ベンチ前に一人の選手が現れる。その様子を見て、松澤は小さく声を漏らした。
「……ったく、遅いんだよ」
同様に、大林高校のベンチもざわつき始めた。まなもその選手を見て、表情を険しくした。
「いよいよ、向こうの『切り札』が出てきたのね」
松澤は球審に選手交代を告げた。それに合わせて、アナウンスが流れ始めた。久保はキッと表情を引き締め、耳を傾けていた。
「自英学院高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、斎藤くんに代わりまして――」
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主人公の登藤 清(とうどう きよし)が阿部 直人(あべ なおと)に振り回されながら、一目惚れした山城 清美(やましろ きよみ)に告白するまでの高校青春恋愛ストーリー
人物紹介 イラスト/三つ木雛 様
内容更新 2024.11.14
自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話
水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。
そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。
凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。
「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」
「気にしない気にしない」
「いや、気にするに決まってるだろ」
ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様)
表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。
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