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暴走妄想少女チアキ

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「アイタタタタ~って、え? そんなに……痛くない? あれれれれ?」

 暴走自転車少女は怖くて閉じていた目をゆっくりと開いた。

「キミ、相手がカオルでよかったなあー。コイツ武道の達人だからよ。受け身が完璧なんだよ」

 カオルは抱きついてきた少女もろともひっくり返り、反射的に完璧な受け身をとっていた。カオルはこう見えて、柔道三段、剣道四段、空手黒帯と武道の達人だったのだ。

「よ、よくないよ! 汚らわしい! 早くボクの上から降りてくれよ!」
「あわわわわ、ゴ、ゴメンナサイ! すぐ降りますぅ」

 この少女は名前を侑杏千明ゆあちあきという。極度の……天然ドジっ子だった。だから、馬乗り状態になっていたカオルの上から立ち上がろうとして、当然のようにまた転んだ。しかも――

「うぱっ」
「んぐぐぐぐ………」

 転んだ拍子で、ふたりのクチビルとクチビルが……重なった。

「な、な、な、なんてコトするんだ! どけよ汚らわしい!」
「キャッ」
 
 カオルはチアキをはね飛ばすと、近くの公園に走って行って水道で口を洗った。

「おいおい~カオル~さすがにそりゃあねーだろう」
「な、ボ、ボクは被害者じゃないか」

 いつになくカオルは取り乱している。

「キミ、大丈夫か?」
「え……や……あ……だ、大丈夫です」

 そう言いながらもチアキの目には涙が溢れ出した。

「お、おい。どこか打ったのか? 痛むのか?」

 差し出されたシノブの手を無意識に取りながらチアキはつぶやいた。

「わ、私……ファ、ファーストキッスだったの……」
「え? マジ?」

 ――コクン

 うなずくと、チアキはシノブの胸に弱々しくもたれかかっていた。

「おいおいおいおい、この泥棒猫娘! ボクのシノブに、なに抱きついてるんだよ! だいたいがだな、ボクだってファーストキスだっての! だからシノブ! やり直しを要求する!」
「カオルは黙ってろよ。女の子のファーストキスのほうが大事だろーが。てかおまえファーストじゃないだろーが!」
「そんなぁ~男女差別はよくないゾ~」

 シノブは口を尖らせて顔を近づけてくるカオルの頭を押さえて遠ざけた。

「で、でもキミさ。んと……えと……カオルはいいヤツだし……ま、まあ、良かった……とは言わないまでも……な? 助けてもらったんだしさ」

 シノブは無理矢理だと分かりながらも懸命にフォローしようとした。しかし、チアキの思うところは少々違うようだ。

「そ、そーですけど……ファースト・キッスが女の子とだなんて……もう百合ロードまっしぐらじゃないですか。もう女の子しか愛せない、お嫁に行けないカラダになってしまったのですね! 私は!」
「ぷっ、はははははっ、マジか。そこか」
「笑い事じゃないです。花の命は短いのです」
「悪かった悪かった。ま、まあ~お嫁に行けなくなったら俺が貰ってやるよ」

 これはシノブの悪い癖だった。カオルに言わせれば『余計なおせっかいは優しさでも何でもない!』だ。どうもシノブはときどき考えるより先に口が動いてしまうらしい。こんなことは冗談にしても言うべきなんかじゃなかったのに……と本人も一瞬後悔しかけた……

「ほ、本当ですか! でわ、富めるときも病めるときも不束者ですが、末永くよろしくお願いいたしますですぅ~」

 が、チアキの反応は予想と違った。チアキはなぜかシノブ手を取り目を閉じた。『ノリがいい女だ』このときシノブは単にそう思っていた。

「シャーラップ! 黙る! 離れる! シノブもなんでこんなので遊んでんの!」

 すかさずカオルが割り込んできた。

「や、だって面白いじゃんコイツ」
「へ?」
「キミもキミだよ。この姿見てわからないかい? ボクは男だ!」
「え? 嘘……こんな美人なのに? わ、私を憐れんでそんな嘘をつくだなんてヒドイ! ヒドすぎます!」

 チアキは走っていってしまった。意外にも足が速く、声をかけようと思ったときにはすでに姿が見えなかった。

「んー行っちゃったなあ~」
「うん。まあコレ置いてったからスグに戻るでしょ」

 チアキは自転車もカバンも置いていってしまったのだ。だから、すぐに戻るだろうと二人は待った……が、チアキは戻らなかった。
 
「マジかアイツ! あの制服、ウチらと同じ学校だよな? 自転車もカバンも置いていくか? おかげで俺たち遅刻じゃねーか!」

 二人は仕方なく、その自転車を押して学校へと向かったが、遅刻してしまった。

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