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その日も、またいつものように過ぎて行ったクラブSの夜だった。コンタクトを落とした女の子の為に店員も客も総出でフロアを探るというちょっとしたハプニング(信じられないことにそれは見つかったのだった)があった他は何も変わったことのない、いつもどおりの夜だった。
僕らは、踊り、笑い、乾杯をした。そして、いつもと同じように夜を通り過ぎて、そのまま、気の置けない仲間たちと、——気の置けない会話をして、ゆるくほんわかとした気分で終わる。そんな日になると思っていたのだった。
しかし、そんないつも通りのパーティも終わり近く、何も考えずに、ただにぼんやりとソファーに座り半分眠りかけていた僕のところに、なんだか良いことを思いついたみたいな表情のマイがやってきたのだった。
彼女は、僕の隣に座わると、ニコニコと笑いながら、その様子と少し不釣り合いな発言をするのだった。
「ねえもしかしてまたサキちゃんが紹介した子とうまくいかなかったの」
「えっ」
僕は曖昧に頷く。
マイは、僕が先週紹介された子と最初のデートで何にも話さずに帰ってしまったことをヒラヤマからでも聞いたのだろうか。
それならば、マイがそれを知っていてもおかしくはないが。……
しかし、マイはなんで突然そんなことを言い出したのか。他人の恋愛ごとにはあまり深く入って来ない普段の彼女からすれば、その言動は少々唐突で、その発言の意図が良く分からずに、僕は思わず身構える。
すると、マイは、彼女にしては悪そうな、何かを企てているのが丸わかりの表情で言った。
「そうだよね、サキちゃんってわざとユウくんと相性悪い子紹介して、ユウくんが誰かとくっつかないようにしてる様にしか見えないんだけど、ともかく……」
僕は無言で、また曖昧に頷く。
「なら、ユウくんは今つきあってる人はいないんだよね」
僕は、やはりマイの意図を掴みかねて、警戒しながら、もう一度用心深げに頷く。
すると、
「じゃあ次の土曜日私の家にこない?」
マイはにっこりと笑いながら言うのだった。
*
――シャッターの音。
今、目の前では、椅子に座ったエロティックな体つきの下着姿の女の子が、身体を美しくくねらせながら挑発的な表情で僕を見ていた。
もう一度シャッターの音。
緊張して手のひらに少し汗を掻きながら、僕はシャッターを押す。
「エマちゃんいい感じよ」
後ろからマイの声がした。
エマと呼ばれた女は今、ブラジャーを外して、後ろ向きになって立ち上がり、手で胸を押さえたまま立ち上がった。
「ユウくん、今、今!」
僕は慌てて、またシャッターを切った。
僕は、マイに招待され、彼女の自宅に来ていたのだった。それは彼女との五年にもなる付き合いでも始めてのことであったが、その目的は、マイが僕との間でなにか進展を図った、そんなイベントを意図した、――のではまるで無く、実際はある意味で最もそれとはかけ離れたもの、僕に友達の女の子を紹介しようということであったようだ。
しかし、それでなぜ僕が裸の女の子の写真を取ってるのかと言えば、
「この写真がフライヤーなら次のパーティいっぱいお客さんはいるわよ。やったねエマちゃん」
「気が早いわよマイ。もう一息、もう少し撮らないと。……でもユウさん大丈夫?」
なにが大丈夫なのか分からなかったが僕はとりあえず愛想笑いをかえしながら、またカメラを構える。
目の前にいる女の子の名前はエマで、マイがこの頃できたGと言う新しいクラブに行った時に知り合い、あっという間に仲良くなって、今では結構行動を共にしてる女の子とのことだった。
でも、そんなことはこの状況ではどうでも良くて、――怪しい微笑を浮かべながら、あられもない格好で、やたらと艶っぽい目で見つめてくる彼女に、僕は隠しきれない欲望を見透かされながら、
「しかし、不思議だね。この街のクラブ通いどうしで、今まで見かけたことないなんて」と言う。
僕は、話題を、今の目の前の状況からなんとかずらそうとする。
すると、苦し紛れのその話には、その話で興味があるようで、エマは話に乗って来る。
「そうね。もしかしたらすれ違うくらいはしてるかもしれないけど」
確かにそうだなと言った顔でエマは僕に質問を返す。
「そうだよね。不思議だよね。この街に住んでいるクラブ好きで相手を見かけたこともないなんてね。クラブ通いは長いんでしょ」
「高校の途中からだから五年くらいかしら」
エマは、胸を抑えていた手を腰に移しながら言った。
その挑発的に突き出された胸に圧倒されて、僕は少し目をそらしながら言った。
「マイの行くパーティで一緒になったんならハウスかテクノが好きなんだよね」
「両方かしら」
「じゃあやっぱり不思議だね。……もしかしてエマさんは来ないのかな?」
「どこに?」
エマはカメラにむかって身体を正面に向け、腰をくねらしながらショーツに指をかけて軽く下げようとしていた。それを見て、僕はなるべく音が出ないように、こっそりと唾を飲み込みながら言う。
「Sにはこないのかなあって。今まで、あそこで見かけたことないし」
すると、エマはアンダーヘアがみえるくらいまでショーツを下げると、片方の肩を少し前に突き出して言った。
「ああ、あそこ……あたしはいかない」
彼女の口調には、少し侮蔑の感情が入っているのに気づいて、僕は少しムッとしながら言う。
「じゃあ僕はS以外あんまり行かないし、会ってないのも不思議ないけど……なんで? 良いパーティが多いのに」
エマは僕の少しイラっとした感情に気づいたようだが、むしろそれを面白がるような様子で言う。
「あれ……ユウさんはS通いの人なの?」
「そうだけど」
「あそこ、息がつまらない?」
「なんで?」
「かっこつけすぎてるんだわ、あそこ。私は、……いまさらあの中に入りにくいし」
「あのSの仲間にということ?」
「そうよ。排他的じゃん。もっと気軽に、クラブって下品に楽しんでも良いと思うの。楽しむ為の音楽じゃない。ねえマイもそうは思わない」
エマの目は僕を通り越して後ろのマイに同意を求めているようだ。僕は振り返らずに、もう一枚写真を撮る。ファインダーが切り取ったエマの顔は拒否をされて少しムッとした様子。――それがマイの答えらしい。
僕は、マイの同意に勇気付けられて、反論して言う。
「……そうでもないと思うな。思い込みだと思うよ。あの中に入ってみれば印象変わると思うけどな」
すると、
「まあ、考えておくわよ……でも」とエマは言いながら、半分脱ぎ掛けていたショーツをゆっくりと、完全にずり下げて行く。「あたしは、今はもっと気軽な場所で、馬鹿騒ぎしたい気分で……さあ撮って」
エマは丸裸になって、片膝をつきながら腰を下ろす。すると、脇から性器が少し見えて、僕はさすがに固まってしまうが、
「ここも撮って」
片手を後ろにつき、さらに大胆なポーズを取るエマに言われるままにシャッターを押す。
「まさかこの写真つかわないよね」
「いえ、真ん中に文字入れて微妙に隠せば、良いかも……」エマは立ち上がるとまた椅子に座り、手を性器の上でまさぐるように動かす。身体を大きくそらしその姿はまるで絶頂に達した姿のようだ。「大丈夫よ、本気で触ったりはしてないわよ、ユウさん」
目で合図されて僕はその姿をまた写真に撮る。
シャッターの音。次々とかわるポース。服も着てみたり脱いでみたり。
――全部で一時間くらいもそうしていただろうか。僕は、エマのヌードに、だんだんと興奮してしまっていて、マイがそばで見ていると言うのに、あられもない妄想が次から次へと頭をよぎるのを止められない。
僕は、次から次へと沸き起こる、動物的本能に心をいっぱいにされてしまい、それを顔に出さないようにと必死になっていたのだった。
しかし、この時は、理性が勝るうちになんとか撮影は終了した。エマが、裸に直接はいたジーンズを半分脱ぎかけたところでシャッターを切って、
「そろそろいいかもね」撮影は終わったのだった。
マイとエマは、きっと良い写真が撮れたとか、この写真をつかったフライヤーでパーテイは満員だとか、——真面目な様子で話し始める。
僕は、その横で、会話に入れずに、無関心でぼうっとしたふりをしている。だが、それは、実は、まだ全然収らない興奮を必死に隠しているのであって、——それは、なんとも気恥ずかしく、自分自身がひどくこっけいに感じられた。
なので、僕は、なぜこんなことをやらされているのかと、恨みがましくマイのことを見る。が、目があうと、なんで睨まれているのか分からないとでも言いたげに、ぽかんとした様子の彼女の表情に、僕の怒りの行き先は、こんなところにのこのこと付いてきてしまった自分に向かうしかなくなるのであった。
だいたい、そもそも、なんで僕が、こんな写真を撮ることになっているのか?
それはマイから受けた説明をそのまま言うならば、――フライヤーに自分のヌードを使うというアイディアを思いついたエマが、写真を撮ったこともないような初心者の素人臭い写真が欲しいと言ったの発端だったそうだ。
――その上、撮る人が少し恥ずかしがっているようなのが分かる写真が良い。なので、撮影者は女の子では駄目でましてや鈍感な男でも駄目と、エマはさらに注文をつけて来て、――それならば調度いい人知っているからと僕に白羽の矢が立ったということらしかった。
確かに、僕は写真なんて使い捨てカメラ以外では撮ったこともないし、鈍感どころか、過敏なうえに度胸がなくて、——写真を撮っている間は気恥ずかしくてしょうがなかった。
僕は、まさしく、エマの要望にぴったりの人物だった。とは言え、そんな程度の人選なら、別に僕でもなくても他にいくらでも候補者がいそうな話ではあったのだが。……
もちろん、今回の写真は口実で、僕にだれか紹介する子を探していたらしいマイにとっては、このエマという子と、僕を一気に近づけようとこんな奇抜な出会いを用意してくれたと考えるのなら合点はいく。だが、それにしても、唐突なこのイベント作りに、だいぶ不自然さを感じてしまう。それは——後にして思えば——もっと深く考えねばならないことであった。
しかし、見知らぬ女の子のヌード写真を撮るのにいっぱいいっぱいになってしまっていた僕は、マイの本意などについて詮索をする余裕もないままに撮影は終わる。
僕らは、二階のマイの部屋から降りて、庭に面した明るい一階のリビングに移り、今日は留守だと言うマイの両親が帰って来るまでと、娘の友達が来ると聞いて、昨日母親が焼いたのだと言う少しもっさりとしたチョコレートケーキを食べながら、どうでも良いような、とりとめのない話を始めるのだった。
話の内容は、ここに来る途中の地下鉄で見知らぬ誰かが着て来た可愛い服のこととか、クラブミュージック以外で最近好きな曲とか。僕の知らない誰かが誰かとくっついたなの別れたなの、――そんな、僕にとってはどうでも良いような話をする二人に適当に話をあわせ、ちゃんと会話を聞きもせずに。それに参加してるふりをしていたのだった。
でも、油断大敵、
「へえ、今、彼女はいないんだ」
僕は、深く考えることなくエマの質問に素で答えてしまったことに気づくと、慌てて、真顔になるが、――時すでに遅し。調子に乗った女子二人に、どんな芸能人がタイプなのかとか、初恋はいつなのかとか、自分が苦手なタイプの質問を、一方的にされ続け、――僕はそのままへとへとになってしまうのであった。
とは言え、そんな質問も、何十個もしてるうちに次第にネタ切れとなる。そうなれば、朝はいつも何時に起きるのかとか、大学で専攻しているのは何なのかとか、エマも惰性で続けているのが丸わかりの、無難と言うか、凡庸なものに移って行く。……
だが、——そんなあまり意味のない質問の中、出身地のどこかというものにエマは随分と興味を示す。僕が関東出身でもう一年ちょっとで就職が上手くいけば、そこに戻ることになるだろうということが分かると、
「ユウさんは東京の人なの」
興味深そうに、弾むような声で言うのだった、
「東京――と言うか埼玉だけど」
僕は頷きながら答えた。
「でも東京近いんでしょ。いいなあ」
「池袋なら電車で二十分もあれば行くけれど……でも……いい?」
「東京、おもしろそうだな。外国から有名DJもいっぱい来るでしょ」
「そりゃそうだけど、でもこの街もおもしろいじゃない」
「そうかしら?」
「そうだよ」
「でもユウさんはSのことを言いたんだろうけど、……やっぱり、あそこ、わたしあわないのよね」
あくまでSにこだわる僕に、少しあきれた口調でエマが言う。
それを聞いて、僕は、彼女のヌードをどうしても思い出してしまいながら聞く、Sを否定する言葉ならば、さっきのように自分がムッと来ないことに、自分で自分に驚きながら、——説得するように言う。
「それは、もっと来てみれば……」
しかしエマは僕の話を無視して言う。
「私、この街だけで終わりたくないな……そうだユウさん、関東に帰る時、私を連れて行ってくれない」
「エマちゃん、それじゃプロポーズだよ」
エマの今の発言を聞いて、少しびっくりしたような顔でマイが言う。
「あれマイちゃんそれじゃ困る?」
「違うけど……」
小声でマイ。
「それじゃユウさん、答えは?」
意地悪な表情で上目遣いに見つめてくるエマに、すこしどぎまぎとしながら、僕は、
「そりゃ……」
僕とエマは少し早足になりながら、商店街のアーケードを抜け、飲屋街のネオンも越えて、さらにちょっと薄暗い方向へ向かう。
僕らは、多少千鳥足気味の身体が行きたい方向に進むだけで、——自然と薄暗い方向に進むのだった。
そして、裏道に入ればあっという間だった。ほろ酔い気分で手を組みながらすすむエマと僕は、気がつくと、立ち並ぶラブホテルの間を歩いていたのだった。
マイの家を出たのはもう数時間も前のことであった。予定外に早く帰って来たマイの母親に夕食を振る舞われそうになった僕とエマは、いろいろいらぬ詮索される前にと、あわててマイの家を出てから同じ地下鉄に乗ったのだが、座席はさんざん空いているのに、妙に身体を密着させて座ったエマの、
「ちょっと時間がありますか、ユウさんとパーティの相談をしたいので」と言う言葉に、僕はよこしまな期待も満々に同意して、この街の中心の商店街に出る駅で途中下車をしたのだった。
そして、僕らは、ドーナツ屋での相談もほどほどに、そのまま安い居酒屋を二件はしごしてから、どちらが言い出したわけでもなく向かったのが土曜の夜のラブホテル街であった。
そこには、この真夜中にずいぶんと大勢の人々が歩いていた。しかし、その人通りなのに妙に静かなのであった。
通りの誰もが、ついつい声をひそめるせいで、そこには不思議な静けさがあった。
僕らも思わず息さえ飲み込む。
大きな情欲を静かにためた、飲屋街の喧噪とは違うエネルギーが、そこに淀んでいた。
時々場の空気を読めないカップルが大笑いしながら通り過ぎるが、——その声もいつの間にかビルの谷間の闇に飲み込まれ、通りはまた静かな情欲の渦巻きへと変わる。
ネオンが人々の白い顔を照らした。僕らの、薄っぺらなその表面に、ラブホテルの名前やら、料金やらが映った。
僕らは、無言で頷きあうと、その言葉の命ずるままに、ホテルを選び、部屋に入り、唐突に大笑いをしながら、服を脱がし合った。
そして、一緒にシャワーを浴び、――酔いのまだ残る身体は、そのまま意識よりも先に求め合う。今日一日のじらされた性欲を吐き出すような、――僕らはあまり品の良くないセックスをした。
がつがつとむさぼるように求め合う。愛よりも先に欲望が来るセックスは、音の前に姿が見える超音速機のようなものであった。行為の後にやってくるソニックブームは、僕らの心を不安にさせ、不安は僕らを獣にした。
ならばその激しい野性は、果てた後に後悔がやってくる。それがまた獣を生み出して。――そしていつの間にか朝。
僕は、気持ち良さそうに寝ている、エマを起こさないようにと、慎重に、こっそりとベットを抜けた。
窓を明け夜明けの街を眺めた。
部屋の中は暖房が効きすぎだったので、外の空気をいれようと、僕は、少し立て付けの悪い窓を開けて顔を外に出して、夜明けの空気を吸いながら寒い秋の朝の街を眺めた。
ホテルの前の路地が眼下に見えた。
ことを終えて帰るカップルや、ホテルの従業員か何かなんだろうか、なぜ今ここにいるのか不思議な老人の一人歩きとかが見えた。
ビルの間から飛び出して来た野良犬がごみ箱をあさっていた。向かいのホテルの看板に止まっているカラスの鳴き声、遠くでトラックが走る音。
冷え込みが厳しくなり始めた秋の凜とした空気は良く音を運ぶ。シャッターの音? 通りを歩くカップルが肩を組みながら自分たちを撮ろうと手を伸ばしてシャッターを押したカメラの音。
――シャッターの音。
パーティが終わり、僕らは、みんなで記念写真を撮っているところだった。エマのヌード写真がフライヤーになったパーティが終わり、オーガナイザーの連中とクラブのスタッフがフロアに集まって写真を撮っている所。――そこは、もちろん、クラブSでは無かった。
クラブSは、基本的に、レギュラーパーティと店の企画するパーティしかやれなかったため、この時のエマのように、個人的に、ちょっとパーティを企画してやってみようと思い付いた者の選択肢はこの街にも随分と増えてきた他のクラブでとなるのだった。
と言っても、僕とは違い、エマは、クラブSに特に思い入れがあるわけでもないので、雰囲気が良くて適度な予算でオーガナイズができる場所ならどこでも良かったのだろうが、
「良いパーティだったね……Sでやれてたらもっと良かったかもしれないけど」と言う僕の言葉に、クラブSにやたらとこだわる僕にあきれ気味なのか、
「そうかもね。でもユウさんはあそこにこだわりすぎじゃない。もう今の時代には閉鎖的過ぎるよ」
多少馬鹿にしたような口調でエマは言うのだった。
僕は肯定とも否定とも取れないようなあいまいな頷きをすると、まあその話しはここで終わりにしようと言う意味を込めて、横に立つ彼女の腰の上の辺りをポンとたたく。
エマはにっこりと笑いながら僕の手を握り、
「でも今日は楽しかった?」
「もちろんだよ」
エマの耳元で僕はつぶやく。
「でも、ユウさんこう言うの聴くの」
「……今日のパーティでかかってたようなの」
「そう」
「こういうのハッピー系っていうんだよね」
「そう」
エマは僕がジャンルを知っていたことを、肯定的に取ってくれたようで、にっこりとほほ笑みながら、
「良かった」
僕は返事の代わりに微笑を返すと、強く手を握りながらフロアを見渡す。記念写真に入らずに店員と話していたマイが、こちらを嬉しそうに見つめているのと目が合った。すると、僕の目は少し暗くなるが、彼女はかまわずに笑いながら手を振る。僕も手を振り返すが、その時さらに暗くなった目をエマに見つかる。
「ユウさん……」とエマが言う。「私で良かったの」
僕は暗い目のまま、
「なんで、そんなこと? もちろん……」と言いながら頷く。
――シャッターの音。
目の前には僕の分もドリンクをもって立っているエマ。僕は隅の壁際でフロアの熱狂を眺めている。それを見て。若いな、と僕は思った。今から思えば、大学を出るかでないか程度の歳で年寄りぶるというのも青くさい話だが、フロアで飛び回る高校生か下手したら中学生に見える若い連中をみれば、ついついそんな気持ちにもなる。
上半身がビキニ姿で互いに水鉄砲を打ち合っている女の子の横では、へんな帽子をかぶってサイリウムを振り回しているヤンキー風味の若い男が、仲間の二三人と嬉しそうに叫びあっている。躁状態のメロディーとビート。
DJのつくるブレイクの度にフロアはさらに盛り上がって行き、それに乗り切れない僕は、知らないうちにため息をつく。
うっかりしていた。
ため息をついているところをエマに見られたようだった。僕は、横で、じっと自分を見つめている視線に気づくと言う。
「ああ今日は疲れていて」
少し悲しそうな目で頷くエマ。
僕は思わず下を向き、目を上げるとそこにいるのはマイ。
――シャッターの音。
僕は思い出していた。
「ユウくん」
廊下で、マイの家の廊下、撮影が終わっておしゃべりをしてる途中、エマがタバコを吸いにベランダに出た時のことだった。タイミングがちょうど良いので、トイレにと言ってリビングから僕が出ると、マイは僕について来て言う。
「トイレの場所分かる?」
「ああ、この廊下の先でしょ……」
「そう、それなら……」
しかし、そう言ったマイはそのまま僕についてくる。そして、トイレの前、廊下を曲がって扉を開け放ったリビングからも死角になったところで、
「ユウくん」と言いながら僕の腕を掴む。
僕は振り返り、そこに立つマイを見る。彼女は少し寂しそうに笑いながら、着ていたシャツのボタンを外し始める。
「どうしたの……」
僕はすこし動転する。
しかしマイは構わずにボタンを外し続け、シャツを脱ぎ、あらわになった肌に僕が少し緊張して表情が強張ったのにも構わずに、後ろ手にブラジャーのホックを外し、胸を出す。
その意味がわからずに、僕が思わず一歩だけ下がりそうになるのを、彼女は僕の手を引っ張って引き寄せて、そのまま抱きついて、……自分の唇を僕の唇に重ねる。
びっくりした僕は身動きができないまま、そのまま、瞬間に永遠が織り込まれて何回も何回も繰り返されて、僕は世界の中で迷い、目を瞑り、出口も分からないまま心の中をひたすらに彷徨い、目を開けると、うつむくマイが、
「ごめんなさい。このことは忘れて……でも一枚だけ……」
カメラを手渡しながら言うのだった。
――シャッターの音。
思い出せば、その音は、僕の耳に何度もこだまする。僕は、その時の感情を思い出す。素早く服を着て早足で歩いて行ったマイを追いかけて、リビングに、丁度ベランダから戻って来たエマに鉢合わせて、言おうと思った言葉を飲み込んでしまった時の事。
僕はマイに向かって伸ばしかけた手を引っ込めてしまい、そのまま何事も無かったかのようにしている。マイの笑い顔を直視できないまま、またソファーに座り、そのままエマの引力の中に入って行く自分。
——僕はため息をついた。
ああ、僕はここまで思い出したのだった。ならば、もうすぐに、——思い出したくないことまで、全て思い出すのかもしれなかった。
僕らは、踊り、笑い、乾杯をした。そして、いつもと同じように夜を通り過ぎて、そのまま、気の置けない仲間たちと、——気の置けない会話をして、ゆるくほんわかとした気分で終わる。そんな日になると思っていたのだった。
しかし、そんないつも通りのパーティも終わり近く、何も考えずに、ただにぼんやりとソファーに座り半分眠りかけていた僕のところに、なんだか良いことを思いついたみたいな表情のマイがやってきたのだった。
彼女は、僕の隣に座わると、ニコニコと笑いながら、その様子と少し不釣り合いな発言をするのだった。
「ねえもしかしてまたサキちゃんが紹介した子とうまくいかなかったの」
「えっ」
僕は曖昧に頷く。
マイは、僕が先週紹介された子と最初のデートで何にも話さずに帰ってしまったことをヒラヤマからでも聞いたのだろうか。
それならば、マイがそれを知っていてもおかしくはないが。……
しかし、マイはなんで突然そんなことを言い出したのか。他人の恋愛ごとにはあまり深く入って来ない普段の彼女からすれば、その言動は少々唐突で、その発言の意図が良く分からずに、僕は思わず身構える。
すると、マイは、彼女にしては悪そうな、何かを企てているのが丸わかりの表情で言った。
「そうだよね、サキちゃんってわざとユウくんと相性悪い子紹介して、ユウくんが誰かとくっつかないようにしてる様にしか見えないんだけど、ともかく……」
僕は無言で、また曖昧に頷く。
「なら、ユウくんは今つきあってる人はいないんだよね」
僕は、やはりマイの意図を掴みかねて、警戒しながら、もう一度用心深げに頷く。
すると、
「じゃあ次の土曜日私の家にこない?」
マイはにっこりと笑いながら言うのだった。
*
――シャッターの音。
今、目の前では、椅子に座ったエロティックな体つきの下着姿の女の子が、身体を美しくくねらせながら挑発的な表情で僕を見ていた。
もう一度シャッターの音。
緊張して手のひらに少し汗を掻きながら、僕はシャッターを押す。
「エマちゃんいい感じよ」
後ろからマイの声がした。
エマと呼ばれた女は今、ブラジャーを外して、後ろ向きになって立ち上がり、手で胸を押さえたまま立ち上がった。
「ユウくん、今、今!」
僕は慌てて、またシャッターを切った。
僕は、マイに招待され、彼女の自宅に来ていたのだった。それは彼女との五年にもなる付き合いでも始めてのことであったが、その目的は、マイが僕との間でなにか進展を図った、そんなイベントを意図した、――のではまるで無く、実際はある意味で最もそれとはかけ離れたもの、僕に友達の女の子を紹介しようということであったようだ。
しかし、それでなぜ僕が裸の女の子の写真を取ってるのかと言えば、
「この写真がフライヤーなら次のパーティいっぱいお客さんはいるわよ。やったねエマちゃん」
「気が早いわよマイ。もう一息、もう少し撮らないと。……でもユウさん大丈夫?」
なにが大丈夫なのか分からなかったが僕はとりあえず愛想笑いをかえしながら、またカメラを構える。
目の前にいる女の子の名前はエマで、マイがこの頃できたGと言う新しいクラブに行った時に知り合い、あっという間に仲良くなって、今では結構行動を共にしてる女の子とのことだった。
でも、そんなことはこの状況ではどうでも良くて、――怪しい微笑を浮かべながら、あられもない格好で、やたらと艶っぽい目で見つめてくる彼女に、僕は隠しきれない欲望を見透かされながら、
「しかし、不思議だね。この街のクラブ通いどうしで、今まで見かけたことないなんて」と言う。
僕は、話題を、今の目の前の状況からなんとかずらそうとする。
すると、苦し紛れのその話には、その話で興味があるようで、エマは話に乗って来る。
「そうね。もしかしたらすれ違うくらいはしてるかもしれないけど」
確かにそうだなと言った顔でエマは僕に質問を返す。
「そうだよね。不思議だよね。この街に住んでいるクラブ好きで相手を見かけたこともないなんてね。クラブ通いは長いんでしょ」
「高校の途中からだから五年くらいかしら」
エマは、胸を抑えていた手を腰に移しながら言った。
その挑発的に突き出された胸に圧倒されて、僕は少し目をそらしながら言った。
「マイの行くパーティで一緒になったんならハウスかテクノが好きなんだよね」
「両方かしら」
「じゃあやっぱり不思議だね。……もしかしてエマさんは来ないのかな?」
「どこに?」
エマはカメラにむかって身体を正面に向け、腰をくねらしながらショーツに指をかけて軽く下げようとしていた。それを見て、僕はなるべく音が出ないように、こっそりと唾を飲み込みながら言う。
「Sにはこないのかなあって。今まで、あそこで見かけたことないし」
すると、エマはアンダーヘアがみえるくらいまでショーツを下げると、片方の肩を少し前に突き出して言った。
「ああ、あそこ……あたしはいかない」
彼女の口調には、少し侮蔑の感情が入っているのに気づいて、僕は少しムッとしながら言う。
「じゃあ僕はS以外あんまり行かないし、会ってないのも不思議ないけど……なんで? 良いパーティが多いのに」
エマは僕の少しイラっとした感情に気づいたようだが、むしろそれを面白がるような様子で言う。
「あれ……ユウさんはS通いの人なの?」
「そうだけど」
「あそこ、息がつまらない?」
「なんで?」
「かっこつけすぎてるんだわ、あそこ。私は、……いまさらあの中に入りにくいし」
「あのSの仲間にということ?」
「そうよ。排他的じゃん。もっと気軽に、クラブって下品に楽しんでも良いと思うの。楽しむ為の音楽じゃない。ねえマイもそうは思わない」
エマの目は僕を通り越して後ろのマイに同意を求めているようだ。僕は振り返らずに、もう一枚写真を撮る。ファインダーが切り取ったエマの顔は拒否をされて少しムッとした様子。――それがマイの答えらしい。
僕は、マイの同意に勇気付けられて、反論して言う。
「……そうでもないと思うな。思い込みだと思うよ。あの中に入ってみれば印象変わると思うけどな」
すると、
「まあ、考えておくわよ……でも」とエマは言いながら、半分脱ぎ掛けていたショーツをゆっくりと、完全にずり下げて行く。「あたしは、今はもっと気軽な場所で、馬鹿騒ぎしたい気分で……さあ撮って」
エマは丸裸になって、片膝をつきながら腰を下ろす。すると、脇から性器が少し見えて、僕はさすがに固まってしまうが、
「ここも撮って」
片手を後ろにつき、さらに大胆なポーズを取るエマに言われるままにシャッターを押す。
「まさかこの写真つかわないよね」
「いえ、真ん中に文字入れて微妙に隠せば、良いかも……」エマは立ち上がるとまた椅子に座り、手を性器の上でまさぐるように動かす。身体を大きくそらしその姿はまるで絶頂に達した姿のようだ。「大丈夫よ、本気で触ったりはしてないわよ、ユウさん」
目で合図されて僕はその姿をまた写真に撮る。
シャッターの音。次々とかわるポース。服も着てみたり脱いでみたり。
――全部で一時間くらいもそうしていただろうか。僕は、エマのヌードに、だんだんと興奮してしまっていて、マイがそばで見ていると言うのに、あられもない妄想が次から次へと頭をよぎるのを止められない。
僕は、次から次へと沸き起こる、動物的本能に心をいっぱいにされてしまい、それを顔に出さないようにと必死になっていたのだった。
しかし、この時は、理性が勝るうちになんとか撮影は終了した。エマが、裸に直接はいたジーンズを半分脱ぎかけたところでシャッターを切って、
「そろそろいいかもね」撮影は終わったのだった。
マイとエマは、きっと良い写真が撮れたとか、この写真をつかったフライヤーでパーテイは満員だとか、——真面目な様子で話し始める。
僕は、その横で、会話に入れずに、無関心でぼうっとしたふりをしている。だが、それは、実は、まだ全然収らない興奮を必死に隠しているのであって、——それは、なんとも気恥ずかしく、自分自身がひどくこっけいに感じられた。
なので、僕は、なぜこんなことをやらされているのかと、恨みがましくマイのことを見る。が、目があうと、なんで睨まれているのか分からないとでも言いたげに、ぽかんとした様子の彼女の表情に、僕の怒りの行き先は、こんなところにのこのこと付いてきてしまった自分に向かうしかなくなるのであった。
だいたい、そもそも、なんで僕が、こんな写真を撮ることになっているのか?
それはマイから受けた説明をそのまま言うならば、――フライヤーに自分のヌードを使うというアイディアを思いついたエマが、写真を撮ったこともないような初心者の素人臭い写真が欲しいと言ったの発端だったそうだ。
――その上、撮る人が少し恥ずかしがっているようなのが分かる写真が良い。なので、撮影者は女の子では駄目でましてや鈍感な男でも駄目と、エマはさらに注文をつけて来て、――それならば調度いい人知っているからと僕に白羽の矢が立ったということらしかった。
確かに、僕は写真なんて使い捨てカメラ以外では撮ったこともないし、鈍感どころか、過敏なうえに度胸がなくて、——写真を撮っている間は気恥ずかしくてしょうがなかった。
僕は、まさしく、エマの要望にぴったりの人物だった。とは言え、そんな程度の人選なら、別に僕でもなくても他にいくらでも候補者がいそうな話ではあったのだが。……
もちろん、今回の写真は口実で、僕にだれか紹介する子を探していたらしいマイにとっては、このエマという子と、僕を一気に近づけようとこんな奇抜な出会いを用意してくれたと考えるのなら合点はいく。だが、それにしても、唐突なこのイベント作りに、だいぶ不自然さを感じてしまう。それは——後にして思えば——もっと深く考えねばならないことであった。
しかし、見知らぬ女の子のヌード写真を撮るのにいっぱいいっぱいになってしまっていた僕は、マイの本意などについて詮索をする余裕もないままに撮影は終わる。
僕らは、二階のマイの部屋から降りて、庭に面した明るい一階のリビングに移り、今日は留守だと言うマイの両親が帰って来るまでと、娘の友達が来ると聞いて、昨日母親が焼いたのだと言う少しもっさりとしたチョコレートケーキを食べながら、どうでも良いような、とりとめのない話を始めるのだった。
話の内容は、ここに来る途中の地下鉄で見知らぬ誰かが着て来た可愛い服のこととか、クラブミュージック以外で最近好きな曲とか。僕の知らない誰かが誰かとくっついたなの別れたなの、――そんな、僕にとってはどうでも良いような話をする二人に適当に話をあわせ、ちゃんと会話を聞きもせずに。それに参加してるふりをしていたのだった。
でも、油断大敵、
「へえ、今、彼女はいないんだ」
僕は、深く考えることなくエマの質問に素で答えてしまったことに気づくと、慌てて、真顔になるが、――時すでに遅し。調子に乗った女子二人に、どんな芸能人がタイプなのかとか、初恋はいつなのかとか、自分が苦手なタイプの質問を、一方的にされ続け、――僕はそのままへとへとになってしまうのであった。
とは言え、そんな質問も、何十個もしてるうちに次第にネタ切れとなる。そうなれば、朝はいつも何時に起きるのかとか、大学で専攻しているのは何なのかとか、エマも惰性で続けているのが丸わかりの、無難と言うか、凡庸なものに移って行く。……
だが、——そんなあまり意味のない質問の中、出身地のどこかというものにエマは随分と興味を示す。僕が関東出身でもう一年ちょっとで就職が上手くいけば、そこに戻ることになるだろうということが分かると、
「ユウさんは東京の人なの」
興味深そうに、弾むような声で言うのだった、
「東京――と言うか埼玉だけど」
僕は頷きながら答えた。
「でも東京近いんでしょ。いいなあ」
「池袋なら電車で二十分もあれば行くけれど……でも……いい?」
「東京、おもしろそうだな。外国から有名DJもいっぱい来るでしょ」
「そりゃそうだけど、でもこの街もおもしろいじゃない」
「そうかしら?」
「そうだよ」
「でもユウさんはSのことを言いたんだろうけど、……やっぱり、あそこ、わたしあわないのよね」
あくまでSにこだわる僕に、少しあきれた口調でエマが言う。
それを聞いて、僕は、彼女のヌードをどうしても思い出してしまいながら聞く、Sを否定する言葉ならば、さっきのように自分がムッと来ないことに、自分で自分に驚きながら、——説得するように言う。
「それは、もっと来てみれば……」
しかしエマは僕の話を無視して言う。
「私、この街だけで終わりたくないな……そうだユウさん、関東に帰る時、私を連れて行ってくれない」
「エマちゃん、それじゃプロポーズだよ」
エマの今の発言を聞いて、少しびっくりしたような顔でマイが言う。
「あれマイちゃんそれじゃ困る?」
「違うけど……」
小声でマイ。
「それじゃユウさん、答えは?」
意地悪な表情で上目遣いに見つめてくるエマに、すこしどぎまぎとしながら、僕は、
「そりゃ……」
僕とエマは少し早足になりながら、商店街のアーケードを抜け、飲屋街のネオンも越えて、さらにちょっと薄暗い方向へ向かう。
僕らは、多少千鳥足気味の身体が行きたい方向に進むだけで、——自然と薄暗い方向に進むのだった。
そして、裏道に入ればあっという間だった。ほろ酔い気分で手を組みながらすすむエマと僕は、気がつくと、立ち並ぶラブホテルの間を歩いていたのだった。
マイの家を出たのはもう数時間も前のことであった。予定外に早く帰って来たマイの母親に夕食を振る舞われそうになった僕とエマは、いろいろいらぬ詮索される前にと、あわててマイの家を出てから同じ地下鉄に乗ったのだが、座席はさんざん空いているのに、妙に身体を密着させて座ったエマの、
「ちょっと時間がありますか、ユウさんとパーティの相談をしたいので」と言う言葉に、僕はよこしまな期待も満々に同意して、この街の中心の商店街に出る駅で途中下車をしたのだった。
そして、僕らは、ドーナツ屋での相談もほどほどに、そのまま安い居酒屋を二件はしごしてから、どちらが言い出したわけでもなく向かったのが土曜の夜のラブホテル街であった。
そこには、この真夜中にずいぶんと大勢の人々が歩いていた。しかし、その人通りなのに妙に静かなのであった。
通りの誰もが、ついつい声をひそめるせいで、そこには不思議な静けさがあった。
僕らも思わず息さえ飲み込む。
大きな情欲を静かにためた、飲屋街の喧噪とは違うエネルギーが、そこに淀んでいた。
時々場の空気を読めないカップルが大笑いしながら通り過ぎるが、——その声もいつの間にかビルの谷間の闇に飲み込まれ、通りはまた静かな情欲の渦巻きへと変わる。
ネオンが人々の白い顔を照らした。僕らの、薄っぺらなその表面に、ラブホテルの名前やら、料金やらが映った。
僕らは、無言で頷きあうと、その言葉の命ずるままに、ホテルを選び、部屋に入り、唐突に大笑いをしながら、服を脱がし合った。
そして、一緒にシャワーを浴び、――酔いのまだ残る身体は、そのまま意識よりも先に求め合う。今日一日のじらされた性欲を吐き出すような、――僕らはあまり品の良くないセックスをした。
がつがつとむさぼるように求め合う。愛よりも先に欲望が来るセックスは、音の前に姿が見える超音速機のようなものであった。行為の後にやってくるソニックブームは、僕らの心を不安にさせ、不安は僕らを獣にした。
ならばその激しい野性は、果てた後に後悔がやってくる。それがまた獣を生み出して。――そしていつの間にか朝。
僕は、気持ち良さそうに寝ている、エマを起こさないようにと、慎重に、こっそりとベットを抜けた。
窓を明け夜明けの街を眺めた。
部屋の中は暖房が効きすぎだったので、外の空気をいれようと、僕は、少し立て付けの悪い窓を開けて顔を外に出して、夜明けの空気を吸いながら寒い秋の朝の街を眺めた。
ホテルの前の路地が眼下に見えた。
ことを終えて帰るカップルや、ホテルの従業員か何かなんだろうか、なぜ今ここにいるのか不思議な老人の一人歩きとかが見えた。
ビルの間から飛び出して来た野良犬がごみ箱をあさっていた。向かいのホテルの看板に止まっているカラスの鳴き声、遠くでトラックが走る音。
冷え込みが厳しくなり始めた秋の凜とした空気は良く音を運ぶ。シャッターの音? 通りを歩くカップルが肩を組みながら自分たちを撮ろうと手を伸ばしてシャッターを押したカメラの音。
――シャッターの音。
パーティが終わり、僕らは、みんなで記念写真を撮っているところだった。エマのヌード写真がフライヤーになったパーティが終わり、オーガナイザーの連中とクラブのスタッフがフロアに集まって写真を撮っている所。――そこは、もちろん、クラブSでは無かった。
クラブSは、基本的に、レギュラーパーティと店の企画するパーティしかやれなかったため、この時のエマのように、個人的に、ちょっとパーティを企画してやってみようと思い付いた者の選択肢はこの街にも随分と増えてきた他のクラブでとなるのだった。
と言っても、僕とは違い、エマは、クラブSに特に思い入れがあるわけでもないので、雰囲気が良くて適度な予算でオーガナイズができる場所ならどこでも良かったのだろうが、
「良いパーティだったね……Sでやれてたらもっと良かったかもしれないけど」と言う僕の言葉に、クラブSにやたらとこだわる僕にあきれ気味なのか、
「そうかもね。でもユウさんはあそこにこだわりすぎじゃない。もう今の時代には閉鎖的過ぎるよ」
多少馬鹿にしたような口調でエマは言うのだった。
僕は肯定とも否定とも取れないようなあいまいな頷きをすると、まあその話しはここで終わりにしようと言う意味を込めて、横に立つ彼女の腰の上の辺りをポンとたたく。
エマはにっこりと笑いながら僕の手を握り、
「でも今日は楽しかった?」
「もちろんだよ」
エマの耳元で僕はつぶやく。
「でも、ユウさんこう言うの聴くの」
「……今日のパーティでかかってたようなの」
「そう」
「こういうのハッピー系っていうんだよね」
「そう」
エマは僕がジャンルを知っていたことを、肯定的に取ってくれたようで、にっこりとほほ笑みながら、
「良かった」
僕は返事の代わりに微笑を返すと、強く手を握りながらフロアを見渡す。記念写真に入らずに店員と話していたマイが、こちらを嬉しそうに見つめているのと目が合った。すると、僕の目は少し暗くなるが、彼女はかまわずに笑いながら手を振る。僕も手を振り返すが、その時さらに暗くなった目をエマに見つかる。
「ユウさん……」とエマが言う。「私で良かったの」
僕は暗い目のまま、
「なんで、そんなこと? もちろん……」と言いながら頷く。
――シャッターの音。
目の前には僕の分もドリンクをもって立っているエマ。僕は隅の壁際でフロアの熱狂を眺めている。それを見て。若いな、と僕は思った。今から思えば、大学を出るかでないか程度の歳で年寄りぶるというのも青くさい話だが、フロアで飛び回る高校生か下手したら中学生に見える若い連中をみれば、ついついそんな気持ちにもなる。
上半身がビキニ姿で互いに水鉄砲を打ち合っている女の子の横では、へんな帽子をかぶってサイリウムを振り回しているヤンキー風味の若い男が、仲間の二三人と嬉しそうに叫びあっている。躁状態のメロディーとビート。
DJのつくるブレイクの度にフロアはさらに盛り上がって行き、それに乗り切れない僕は、知らないうちにため息をつく。
うっかりしていた。
ため息をついているところをエマに見られたようだった。僕は、横で、じっと自分を見つめている視線に気づくと言う。
「ああ今日は疲れていて」
少し悲しそうな目で頷くエマ。
僕は思わず下を向き、目を上げるとそこにいるのはマイ。
――シャッターの音。
僕は思い出していた。
「ユウくん」
廊下で、マイの家の廊下、撮影が終わっておしゃべりをしてる途中、エマがタバコを吸いにベランダに出た時のことだった。タイミングがちょうど良いので、トイレにと言ってリビングから僕が出ると、マイは僕について来て言う。
「トイレの場所分かる?」
「ああ、この廊下の先でしょ……」
「そう、それなら……」
しかし、そう言ったマイはそのまま僕についてくる。そして、トイレの前、廊下を曲がって扉を開け放ったリビングからも死角になったところで、
「ユウくん」と言いながら僕の腕を掴む。
僕は振り返り、そこに立つマイを見る。彼女は少し寂しそうに笑いながら、着ていたシャツのボタンを外し始める。
「どうしたの……」
僕はすこし動転する。
しかしマイは構わずにボタンを外し続け、シャツを脱ぎ、あらわになった肌に僕が少し緊張して表情が強張ったのにも構わずに、後ろ手にブラジャーのホックを外し、胸を出す。
その意味がわからずに、僕が思わず一歩だけ下がりそうになるのを、彼女は僕の手を引っ張って引き寄せて、そのまま抱きついて、……自分の唇を僕の唇に重ねる。
びっくりした僕は身動きができないまま、そのまま、瞬間に永遠が織り込まれて何回も何回も繰り返されて、僕は世界の中で迷い、目を瞑り、出口も分からないまま心の中をひたすらに彷徨い、目を開けると、うつむくマイが、
「ごめんなさい。このことは忘れて……でも一枚だけ……」
カメラを手渡しながら言うのだった。
――シャッターの音。
思い出せば、その音は、僕の耳に何度もこだまする。僕は、その時の感情を思い出す。素早く服を着て早足で歩いて行ったマイを追いかけて、リビングに、丁度ベランダから戻って来たエマに鉢合わせて、言おうと思った言葉を飲み込んでしまった時の事。
僕はマイに向かって伸ばしかけた手を引っ込めてしまい、そのまま何事も無かったかのようにしている。マイの笑い顔を直視できないまま、またソファーに座り、そのままエマの引力の中に入って行く自分。
——僕はため息をついた。
ああ、僕はここまで思い出したのだった。ならば、もうすぐに、——思い出したくないことまで、全て思い出すのかもしれなかった。
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