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赤い石

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「……時は過ぎ、主君をいさめる家臣を失った殿様は、いつしか乱行を重ねるに到り、ついには主上おかみから罰せられて、蟄居謹慎ちっきょきんしん悶絶憤死もんぜつふんし
 空いてしまったツォイク大公の座は、それまで十戸の村すら領していなかった、冷や飯食いのあの殿下に回ってきた。
 ……といった具合に、ルイ・ワンの予言は皮肉なことにぴたりと当たってしまった……って訳ですよ」

 寂れた町の怪しげな骨董屋の胡散臭うさんくさい女店主が、満面に笑みをみなぎらせた。……シワの中に埋もれた瞳だけは、まるで笑っていなかったけれども。
 しかし、いくら商人うりてが熱心になっても、客である二人の剣士達は、まるで話を聞いていない。店主の語る民間伝承フォークロアには興味が無いのだろう。

 大柄な一人は、百年前の安楽椅子……と、銘打たれた売り物……にどっぷりと座って、天井で鬼ごっこに興じる蜘蛛の子を眺めながら、節くれ立った指で頭を掻いている。
 名はブライト・ソードマンという。骨太の大柄だが、背が高いのですらりとした細身に見える。
 猛禽のような熱い眼光と、浮浪者じみただらしない無精ひげ、という見事なコントラストが、彼の実年齢を隠蔽していた。
 それでも、どちらかというと二枚目の部類ではあるだろう。
 ひねくれた所見で勘ぐれば、育んだ知性を酔狂にも放棄した……といった風体にも見えないことはない。

 小柄なもう一人は、目の前に出された薄汚く黒ずんだ宝石箱に施された、壁に張り付いた蔦の根っこのような飾りを目で追いながら、その中身……貴婦人の握り拳ぐらいの大きさの、真紅の宝珠……を、細い指先でつついている。
 エル=クレール・ノアールと名乗るハイティーンは、小柄で華奢な体つきをしていた。
 大人びた翡翠色の瞳と、童子のような柔らかな頬が、ブライトとは別の意味で年齢を判らなくさせていた。
 彼との最大の違いは、悩む必要性のまるでない美しさだ。
 素直な視点でうがてば、やんごとなきご身分を致し方なく放棄したのでは……と思わせる風姿をしている。

「で、ですね……」

 客が話を聞いていようがいまいが、どうやら女将の方には関係ないと見える。

「殿下はお国入りするとすぐに、ルイ・ワンが転じた宝珠を探させまして……政変のどさくさで行き方知れずになってましてね……どうにか見つけて、公都の大聖堂に納めた。今でもそれは祀られている……ンですが」

 にたり、と笑う。

「それは、偽物、なんですよ」

「ほぉ」

 刺々しい嘆息は、ブライトの口から発せられた。

「酒ですか、博打ですか、それとも商売女ですかね? 坊さんがお寺の至宝に手ぇ付けた理由は」

「いやいや、最初から、偽物だったンですよ。殿下が探し当てたそれが、そもそも偽物だったンです」

「へぇ」

 乾いた感嘆は、エル=クレールのものだった。
 途端、古物売りのシワの中の瞳に、商魂が燃え上がった。
 女将はエルが執心する宝石箱を取り上げ、繻子の切れ端で中の紅色の珠を摘み出す。
 そうして、それをエルのほっそりと通った鼻先へ、至極大仰に掲げ上げた。

「本物は、あたしのご先祖が拾ったンです。以来、代々伝わって、こうして店先を飾り続けてるンですよ」

「いくら、です?」

 クレールは、空になった宝石箱を持ち上げて、にっこりと笑った。
 古道具屋は顔全体をシワの中に埋没させて、上気した声を出した。

「若旦那、それだけは勘弁してくださいよ。ええ、売れません。家宝ですから」

「そう。残念ですね」

 クレールは眉をしかめた。小さく首をすくめるとプラチナ色の前髪が揺れ、同じ色の柳眉を覆った。
 骨董漁りには駆け引きがいるのだ。
 どうしても欲しい物でも、わざと要らないそぶりをしてみせるのが、コツらしい。
 仕草は諦め。
 声音は切望。
 女将はここぞとばかりに、声を裏返らせた。

「まあ若旦那のような色男が、ギュネイ金貨を百枚も積もうっておっしゃるのなら、考えもします。ええ、事と次第によっては、どーんとおまけだって致しますよぉ」

 頬が紅潮しているのは、どうやら商売がうまくいきそうな事への興奮からばかりではない様子だ。ニンマリと笑い、舌なめずりしながら、エルにすり寄ってゆく。

「はっ、吹っ掛けるなよ。一ギュネ金貨が一枚あれば、四半年は慎ましやかに暮らせるご時世だぜ!?」

 大声を上げたのはブライトだった。彼は乱暴に立ち上がり、出口に向かう。弟子であり相棒である若者が、その後ろについてくると信じていた。
 ところが、クレールは品物を諦めるどころか、腰袋の中をまさぐっているではないか。大男は慌てて取って返した。

「おまえさん、冗談はその綺麗なツラだけにしておけ。ンな石ッころにゃ一ギュネの価値だってあるものか。例えその万分の一、セギュネ銅貨一枚だって言われても、俺なら御免被るぜ。
 第一、お前さんが百ギュネなんて現生を持ってるのか!?」

「持ってやしません。ギュネイの金貨は、ね」

 クレールは微笑みながら、華麗な文様を彫り込まれた大振りな金貨……と、言うより小振りな金塊……を取り出した。

「二十年の昔に滅した前王朝、ハーン帝国の『大判』です」

 女将の目に強欲な光が宿った。
 同時に、ブライトの顔から血の気が引いた。

『莫迦野郎!』

 その言葉を、だが、彼は飲み込んだ……エル=クレールが、自信に満ちたウインクを彼に投げかけたが為に。

「ギュネイ金貨は、混ぜ物が多い……聞いたところによると、その純度は八金に満たぬとか」

 クレールの問いかけに、女将は生返事で応じた。
 花びらのような柔らかなカーブを描く唇が吐き出すのは、美しい真実。蠱惑の言葉。

「『ハーン大判』は二十四金、つまり純粋な金です。それ故、かつての権勢家達は、これを額面の十倍以上で取り引きしていたのです。しかし現在では、鋳潰せばギュネイ金貨を十枚ほど造れる金地、でしかありません……表向きは、ね」

 エル=クレール・ノアールの微笑みには、ぞっとするような艶があった。
 さながら、命を得た大理石の彫刻か、白磁の人形か。何であるにせよ、人のモノとは思えない。
 脂の抜けきった壮年の女将が、頬を紅に染め、エルと巨大な金貨とを見比べている。
 エルは、良く通る澄んだ声をわざと低く抑え込んだ。

「ですが、好事家達はこれをただの金地だとは思っていません。……造詣深いマダムなら、当然、ご承知でしょうけれど……」

 最後の一言が決定打になったようだ。
 女将は、純金の固まりを奪うように受け取り、赤い宝珠と古い入れ物とを客に押し付けた。

「またのお越しを!」

 晴れ晴れしくも粘っこい女の声を背に受けて、二人の剣士は店を出た。

 黒い雲の間から赤い陽光が仄暗く揺れる、夕暮れ。
 
 元より人口密度の高くないツォイクとはいえ、公都の目抜き通りであるというのに、人影がまるでない。
 町中に、何かにおびえる逃亡者がそこかしこで物陰に潜んでいるような、重い空気が満ちていた。
 湿った空気は街の中央、忠臣ルイ記念大聖堂を中心に渦巻いている。
 古い時代の角張った装飾の中に、比較的新しい曲線を多用する装飾が介入する、豪華で半端な大理石の固まりは、幾星霜もの時の果てに、陰鬱の具象と化していた。
 二人の剣士は、香と花と涙の匂いを発する門扉の前に立った。

「要りますか?」

 まるでリンゴでも勧めるように、エル=クレールは赤い宝珠をブライトの眼前に差し出した。
 彼は不機嫌丸出しでにらむ。

「はっ、そんな『高価』な物!」

「これはそんなに高い物ではありませんよ」

「なにぬかしやがるか、この箱入り世間知らずがっ」

 箱入りでない叩き上げの中年が、一ダースと三つばかり年下の相棒を怒鳴りつけた。

「いいか? 『ハーン大判』の相場は五,六十ギュネだぜ。お前がいま持っているそいつは……どうやら紅玉髄《カーネリアン》のようだが、それでもせいぜい……」

「高く見積もって五,六ギュネ……でしょうね」

 クレールは、剣の師の役も兼ねるパートナーの言葉尻を、あっさりとさらって、微笑んだ。
 それも、晴れやかに、にっこりと。
 世間知らず故の失敗を諭してやろうと意気込んだ、その鼻っ柱を折られた形のブライトが眉をしかめる。

「……分かってるなら、なんでこんなモンに大枚叩いちまったンだ?」

「私は、こんなものを買うほど、莫迦じゃありません」

 再度、にっこり。

「ほぇ?」

「大体、私が何時『この珠が欲しい』なんて言いました?」

 三度、にっこり。

「そりゃ『欲しい』とは言っちゃいなかったが、値段を訊ねて……」

「私は、これの値を訊いたんですよ」

 エルは古くさい宝石箱につもった埃を、愛おしそうに払った。
 そうして、微笑みながら宣うに曰く、

「前王朝第七代セリメーヌ女帝は、『群青と銀色』の組み合わせが大層お好きで、ドレスも家具調度も、その色合いで御揃えになった。中でも、瑠璃《ラピスラズリ》に白金《プラチナ》を象嵌した品がお気に入りで、臣民への下賜の品も、同様の細工の小物箱が多かったといいます」

 白い指が、宝石箱の底を指した。
 二百年昔の女皇帝のイニシャルが、深海色の貴石に刻まれている。
 ブライトは息を呑んだ。

「汚れはしても壊れてはいません。磨き上げてから解る人の前に出せば、五,六百ギュネの値が付くはずです」

 更に、にっこり。
 感心するやら呆れるやら。

「何と阿漕あこぎな」

 ブライトがさっき呑み込んだ息を吐き出すと、エルは薔薇色の頬を膨らませた。

「暴利を貪るつもりはありません。差額は儲けではなく、名誉毀損の慰謝料です」

「慰謝……?」

「あのご婦人、私に向かって何と呼び掛けました?」

「さぁて、お前さんを怒らせるような事を、言ったっけか?」

 クレールは唇を曲げた。

「『色男』と」

 相棒の立腹顔をしげしげと見たブライトは、

「ソレがどうした? あの婆さんには、お前さんがむしゃぶりつきたくなるようないい男に見えたって事だろうよ。褒めて貰ったんだ。有難く思え」

 エル=クレールは益々口を尖らせる。

「褒められた気分になどなりません。あなたには私が破廉恥な好色漢に見えますか?」

「好色漢だって!?」

 ブライトは叫ぶように言うと、文字通り腹を抱えて下品なほど大げさに大笑した。
 クレール本人は、己を生真面目な若者と信じている。
 白金色の髪の絹のような艶やかさも、瞳が放つ翡翠玉の様にぬらぬらとした光も、唇の桜桃のような濡れた紅さも、頬の薔薇のような輝きも、見た者の男女を問わず、心を騒がせる美しさであることに、全く気付いていない。
 その無頓着さというか無知加減が、可笑しくてならないし、また愛おしくてならない。

「そのように嗤うことですか?」

 エル=クレール・ノアールは憤然として、右前合わせの上着に包まれた丸く豊かな胸を憤然と張り、前窓付きのズボンをはいた柔らかく細い腰に両拳を当てて仁王立ちした。
 ブライト・ソードマンは、目尻に浮かんだ涙と、口角を濡らした涎を乱暴に拭いた。

「たまらんね。おまえさんのその身形みなりがすでに猥褻物わいせつ物だ」

「物騒な世の中だから、男の服を着て男のように振る舞え、と忠告してくださったのは、あなたでしょう?」

 エル=クレールはあくまでも己の肉体そのものに「原因」があるとは思い至らないらしい。
 ブライトはニタリと笑った。

「ああ、そんな服を着てりゃぁ、誰だって……」

 ブライトは素早く相棒の背後に回り込み、男物の上着の下に隠された、柔らかな双丘を鷲掴んだ。

「こーでもしなきゃ、男じゃないって判りゃしないからな」
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