よあけ

紙仲てとら

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本編

第227話

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 沈黙の先に行きついたかのように、彼は唇を開く。
「年齢が17歳も離れてるし……チカルさんからしたら俺は未熟で、頼りない存在に見えるんだと思う。俺の年齢がチカルさんと同じくらいだったらよかったのに」
「歳の差がなければ頼ってもらえたはずって言いたいの?」
 言葉の裏にある思いを察したアコが、棘のある声で刺すように言う。
 彼はまた唇を結んでじっと表情を固めている。沈黙が答えと受け取り、アコはアッシュトレイに灰を落としつつ続けた。
「バカみたい。前々から思ってたけど、あんたさ……そういう視野の狭い考え方しかできないから未熟なガキだと思われるんだよ」
 ここでタビトは初めて大きく息を吐く。そして、悲壮な顔を俯けたまま言った。
「チカルさんにとって価値のある男になりたい」
 無意識に握り込んだ拳が細かく震える。
「必要とされたいよ。俺にできることならなんでもしてあげたいと思ってる」
 それを聞いたアコは酸っぱいものでも食べたかのように唇をすぼめた。ややあって、盛大に溜息をつく。
「そういう気持ちはわからなくもないけど、過剰に尽くすのはやめときな。相手に見返りを求めてるならなおさらね」
 タビトは静かにかぶりを振る。
「見返りなんか求めてない」
「あ、そ」素っ気なく答えて車内に煙を吐き、「チカルさんも、献身的な態度で接してくれることを期待してあんたのそばにいるわけじゃないと思うよ」
 聞こえているのかいないのか――タビトは反応せず、昏い表情のまま眼前の虚空を見つめている。まばたきも忘れた黒い瞳は、なにも映していないように見える。
「タビト」
 呼びかけるも、微動だにしない。彼女はあきれ顔で肩を竦めると言葉を続ける。
「あんたんち、空いてる部屋あるじゃん?新しい住まいが見つかるまで貸してあげれば?」
 これは、チカルがネットカフェで暮らしていると聞いたときから考えていたことだった。ホズミが知れば激怒するだろう。アコは眉間に皺を寄せたまま、短くなった煙草をくゆらせる。
「事務所には内緒にしとくから、今度来てくれる日までにいろいろ用意しといてやんなよ。もう戻らないつもりで家を出たなら貴重品も持ち歩いてるだろうから、気も休まらないだろうし。あの辺の治安はそれほど悪くないけど、あんたのとこに身を寄せた方が圧倒的にあんぜ……」
 そこまで言ってしまってから、しまったと声を吞む。
 タビトはゆっくりと首を回らせ、表情の消えた顔をアコに向けた。
「チカルさんがどこにいるか知ってんの?」
 苦い顔をしたアコは、小さく舌打ちする。
「どこのネカフェにいんの?教えて」
「教えられない。今のあんたは、なにするかわかったもんじゃないからね」
「教えて」
 開け放ったままの車のドアに勢いよく近づくと、運転席のアコを狂気じみた目つきで見つめる。
「ったく……言い出したら聞かないんだから……」金髪の頭をばりばりと掻いて、「まあ……ああいう暮らししてるとトラブルに巻き込まれやすいのは確かだし、週3でチカルさんと会ってるあんたが知っといた方が安心は安心なんだけどさ……」
「こわ……なんで週3で来てるって知ってんの」
「酔ったチカルさんが教えてくれた。てか彼女、酒呑むとやばいね。警戒心ゼロになっちゃうみたいで、こっちの質問にぜんぶ答えてくれちゃうんだもん。表情もとろーんってしちゃってさ……かわいすぎたわ」
「――は?」
「ちょ……なに?顔こわいんですけど……」
「俺も知らないチカルさんの姿、勝手に見んのやめてくれる?」
「付き合ってもねえのに彼氏ヅラしてんじゃないよ」
「……。早く教えてよ」
 彼女は溜息をつき、
「どうしよっかなあ……これ以上勝手にしゃべったらチカルさんに嫌われちゃうかもしんないしぃ……」
「いっそ嫌われてほしい」
「うわー……あんた性格悪すぎない?」
 眉根を寄せ苦々しい顔をしながら、新しい煙草に火をともす。立ち昇る紫煙に目を細めながら、腕を組んだ。
「まじめな話さ、知ってどうするつもりなの」
「一緒に暮らすこと、断られるかもしれないし……チカルさんのことだから、俺に心配かけまいとして事情を詳しく話してくれない可能性だってあるでしょ。だから教えて……もしなにかあったらすぐ駆けつけてあげたい」
 彼女は煙草を銜えたまま唸っていたが、やがて目を上げ、タビトを睨み据えて言う。
「――いい?あくまでもチカルさんと急に連絡が取れなくなったりしたときのために教えるんだからね。万が一なにか起こったら、ホズミさんに彼女の拠点を知らせて対応を任せること。あんたは絶対にバカなことしないって約束しろ」
「わかった。約束する」
 頷くタビトを見届けたアコは、火をつけたばかりの煙草の先をアッシュトレイに擦りつけつつ告げた。
「ナヴィスカフェ池袋店」
 短く吐き捨てると、棒のように突っ立ったままのタビトから視線を逸らして腕時計に目を落とす。
「そろそろ戻ろ。いつまでも話し込んでるとなに言われるかわかったもんじゃ――」
 その言葉を最後まで聞く前に彼は紙袋をアコに押し付けるように渡すと、脱兎のごとく駆け出した。彼女は手の中の袋を助手席に放り投げ慌てて車を飛び降り、叫びながらその背中を追いかける。
「おい!タビトっ!」
 ちょうど駐車場を出ようとしていた車に阻まれ減速した彼の腕を掴んで引き留めると、アコは周囲を窺いつつひそめた声で続けた。
「バカなことしないって約束でしょうが!」
「迎えに行くことをバカなこととは思わない」感情に乏しい声で言葉を継ぐ。「手、離して」
「あんたねえ……!突然押しかけられる相手の身にもなれっての!それに、一緒にいるところをファンに見つかって炎上なんてことになったらどうすんだよ!」
 タビトは黒く燃える瞳でアコを肩越しに見つめた。
「問題が起こったときチカルさんはいつも、大丈夫って言う。でも、大丈夫だったことなんて一度もなかった」
 ビルの合間に顔を出した月はいま頭上にあり、彼をじっと見下ろしている。
「あのひとは簡単に弱音を吐いたりしない……なにがあったのか尋ねても、ひとりで抱え込んだまま大丈夫だって言い張る。傷つけられて苦しんでるってわかってるのに、俺はただ見てることしかできなかった」
「――タビト……」
「傍観者でいるのはもういやだ」
 制止する手を振り切り、タビトは柵をまたいで歩道に飛び出した。アコも弾かれたように一歩踏み出し、必死に走って駐車場の外に滑り出るも……その姿はすでに遠く小さくなっている。
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