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本編
第186話
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体を念入りに洗っている途中、着替えを持ってきていないことに気付いた。ユウを呼ぼうかと思ったがやめて、腰にタオルを巻いただけの半裸状態でリビングに戻る。
彼はソファに長く寝そべって、テレビのリモコンをぽちぽちやっていた。震えながら戻ってきたセナを一瞥したが、特になんのリアクションも見せない。
取り込んだままの洗濯物の山の中から下着とパーカー、ジーンズを引っ張り出す。先週穿いたときよりもウエストがきつい。腹をへこませてボタンをはめた。
「ちょっと。座れないじゃん!起きてよ」
ソファに転がっているユウの額をぺちっと叩きつつ言う。
「そこに座れば」
痩せた指でスツールを指差す。
「ふてぶてしいヤツ……」
動こうとしない彼に根負けして、結局それに座る。ぶつぶつ文句を言っている彼の姿を目で追って、ユウは訊ねた。
「無断欠勤から3日くらい?だっけ?」
「……それがなに」
「人って3日でそこまで太れるんだなって」
言い返す言葉が見つからず、ウエスト部分が腹に食い込んでいるのを感じながら奥歯を割れんばかりに噛み締める。
「今までの努力が台無しじゃん」
「――いいの。もう、がんばるのやめた」
「なんで?」
責めるでもなく問いかける。前髪の隙間からのぞく三白眼が、静かに彼を見つめた。
「とにかく……やめたんだよ。いいでしょ別に……」
「ふーん……」
手の中のリモコンを肘掛に置き、床に落ちていたクッションを拾って抱きかかえる。セナはどことなく落ち着かない様子で、膝をしきりに揺すりながら尋ねた。
「ここに来てること、みんな知ってんの?」
「言ってない」彼はスマホを確認し、「まだバレてない」
「仕事勝手に抜け出してきちゃダメじゃん……アキラに怒られるよ?」
「待機中だからヘーキ。いまアキラとヤヒロが舞台監督と話し込んでんの。あれ、いつも長くなるじゃん」
沈黙が落ちる。セナは居心地悪そうにスツールに座り直すと、ひとつ咳払いして問うた。
「ずっと聞きそびれてたけどアキラとの生活どうなの」
「んー、まあまあ」
「まあまあって……ふたりでいるときなにしてんの?」
「ゲーム。品薄になってるゲーム機、アキラが持ってたからびっくりした。ソロプレイ派だったけど、誰かと一緒にやるのもけっこう楽しーのな」
「へー……」
「あとは……曲の作り方とか教えてもらってる。描いた絵とか外で撮ってきた写真について意見もらったりとか。勉強になる」
ユウはウル・ラドのアートワークを担当している。絵も写真も独学だというが、センスがずば抜けているのは素人目にもわかるほどだ。
「アキラもヤヒロも、――ユウもさ……アイドルってよりアーティストだよね」
消え入りそうな声で、セナが言う。
「タビトだって、歌とダンスがすっごく上手だし……才能も個性もないの僕だけじゃん……」
無気力な黒い瞳と目が合い、セナは気まずそうな顔になる。深い洞のようなユウの目から視線を逸らした彼はローテーブルに置いてあったエナジードリンクの缶を取ると、中身を呷った。乱暴に口元を拭って言葉を続ける。
「誰かが作った曲をただ歌って、教えられたパフォーマンスをこなして……そういうアイドルになりたかったよ。みんなが褒めてくれるこの顔以外なんの取り柄もない無個性な僕だけど……活躍できるはずって考えてたのが、間違いだったのかな」
「才能ある連中に囲まれてる無能なボク、みじめ……ってうじうじしてるわけ?くだらねー……」
「はあー……。そういう言い方しちゃうんだ?冷たい男だよおまえはさあ……」
セナは首を振り振り、皺の寄った眉間を揉む。
「才能あるなしでお互いを見てないと思うけど。俺も含めて」
「それは、わかってる。でもなんか……みんながどんどん先に行っちゃうみたいで、怖いんだよ」
「アキラとヤヒロは上昇志向すげーからまだしもさ……タビトと俺はマイペースだし、のんびりやってんじゃん。セナ君はあれこれ複雑に考えすぎ。テキトーでいいんだよテキトーで……」
間延びした声で言う彼を睨むように見て、セナはぶんぶんと首を横に振る。
「おまえはそうかもしんないけど……タビトはずいぶん変わったよ。最近は自分からいろいろ行動してるし」
「そう?」
「メンバー間のいざこざを解決しようとしたり、他にもグループのためにいろいろやってるじゃん」
「あー……、ライブグッズのデザイナー探してきたのもタビトだっけ」
「アキラとヤヒロだけにウル・ラドを背負わせないって決めたみたいなんだ。楽曲とパフォーマンスにこだわるふたりの考え方に賛同してるみたいだし、足並み揃えていくつもりなんだと思う……」
「セナ君はどうなん?」
問われた彼は長く黙っていた。
「……ユウは?」
「しらねー。仲間とか情熱とか努力とか……暑苦しいの苦手。チームを背負うとかなんとかなんて考えたこともねーし。存在が必要とされてるうちはマジメにやるだけ」
「そんなこと言ってるけど、ユウもそのうちタビトみたいに変わっちゃうよ。どうせ僕だけ取り残されるんだ」
「被害妄想はげしくね?めんどくせー……」
セナは曇った眼鏡の奥の目を細め自嘲する。
「……もういいよ。誰も僕の気持ちなんかわかんないもん」
「んー。そだね。わからん」
気だるそうに言葉を返してセナの手から缶を奪う。からっぽになった手を握りしめた彼の唇から深い溜息がこぼれた。
「なんなんだよもー……」
突然セナが髪を激しく掻きむしり始めたのを見て、ユウは目を丸くする。
「なに。急にどしたん」
「優しくしてほしいだけなの、僕は!」
叫ぶように言うと背中を丸めて、両手の中に顔を埋める。
ちいさく息を吐いたユウは彼の髪に片手を伸ばすと、わしゃわしゃと乱暴に掻き混ぜた。まだ生乾きだ。ブロンドのカーリーヘアをこうしていると、雨に濡れた犬を撫でているような気持ちになる。
「ほんとめんどくせーな……。俺、救世主の弱音なんて聞きたくねーんだけど」
その言葉に驚いて、手のひらに埋めていた顔を上げる。いつのまにか起き上がっていたユウが、自分をまっすぐ見つめていた。
「は……?救世主?」
「セナ君のことだよ」
彼はソファの上であぐらをかくと、あまり抑揚のない、いつもの話し方で言葉を続ける。
「セナ君が俺にアイドルやろって声かけてくれなかったら、あのまま母さんの言いなりになってた。今ごろ腐ってる。てか、死んでたかも」
「救世主なんて、おおげさすぎ……」
乾いた声で笑い、つぶやいた。そんなセナの髪を今度は両手で掻き混ぜて、ユウは相変わらずの無表情で言った。
「いち抜けた、は許さないから。そっちが誘ったんだから最後までいっしょにいて」
セナは苦悶の表情を浮かべ黙って俯く。薄いレースのカーテンを通して差し込んでくる光がまぶしくて、まぶたを固く閉じた。
彼はソファに長く寝そべって、テレビのリモコンをぽちぽちやっていた。震えながら戻ってきたセナを一瞥したが、特になんのリアクションも見せない。
取り込んだままの洗濯物の山の中から下着とパーカー、ジーンズを引っ張り出す。先週穿いたときよりもウエストがきつい。腹をへこませてボタンをはめた。
「ちょっと。座れないじゃん!起きてよ」
ソファに転がっているユウの額をぺちっと叩きつつ言う。
「そこに座れば」
痩せた指でスツールを指差す。
「ふてぶてしいヤツ……」
動こうとしない彼に根負けして、結局それに座る。ぶつぶつ文句を言っている彼の姿を目で追って、ユウは訊ねた。
「無断欠勤から3日くらい?だっけ?」
「……それがなに」
「人って3日でそこまで太れるんだなって」
言い返す言葉が見つからず、ウエスト部分が腹に食い込んでいるのを感じながら奥歯を割れんばかりに噛み締める。
「今までの努力が台無しじゃん」
「――いいの。もう、がんばるのやめた」
「なんで?」
責めるでもなく問いかける。前髪の隙間からのぞく三白眼が、静かに彼を見つめた。
「とにかく……やめたんだよ。いいでしょ別に……」
「ふーん……」
手の中のリモコンを肘掛に置き、床に落ちていたクッションを拾って抱きかかえる。セナはどことなく落ち着かない様子で、膝をしきりに揺すりながら尋ねた。
「ここに来てること、みんな知ってんの?」
「言ってない」彼はスマホを確認し、「まだバレてない」
「仕事勝手に抜け出してきちゃダメじゃん……アキラに怒られるよ?」
「待機中だからヘーキ。いまアキラとヤヒロが舞台監督と話し込んでんの。あれ、いつも長くなるじゃん」
沈黙が落ちる。セナは居心地悪そうにスツールに座り直すと、ひとつ咳払いして問うた。
「ずっと聞きそびれてたけどアキラとの生活どうなの」
「んー、まあまあ」
「まあまあって……ふたりでいるときなにしてんの?」
「ゲーム。品薄になってるゲーム機、アキラが持ってたからびっくりした。ソロプレイ派だったけど、誰かと一緒にやるのもけっこう楽しーのな」
「へー……」
「あとは……曲の作り方とか教えてもらってる。描いた絵とか外で撮ってきた写真について意見もらったりとか。勉強になる」
ユウはウル・ラドのアートワークを担当している。絵も写真も独学だというが、センスがずば抜けているのは素人目にもわかるほどだ。
「アキラもヤヒロも、――ユウもさ……アイドルってよりアーティストだよね」
消え入りそうな声で、セナが言う。
「タビトだって、歌とダンスがすっごく上手だし……才能も個性もないの僕だけじゃん……」
無気力な黒い瞳と目が合い、セナは気まずそうな顔になる。深い洞のようなユウの目から視線を逸らした彼はローテーブルに置いてあったエナジードリンクの缶を取ると、中身を呷った。乱暴に口元を拭って言葉を続ける。
「誰かが作った曲をただ歌って、教えられたパフォーマンスをこなして……そういうアイドルになりたかったよ。みんなが褒めてくれるこの顔以外なんの取り柄もない無個性な僕だけど……活躍できるはずって考えてたのが、間違いだったのかな」
「才能ある連中に囲まれてる無能なボク、みじめ……ってうじうじしてるわけ?くだらねー……」
「はあー……。そういう言い方しちゃうんだ?冷たい男だよおまえはさあ……」
セナは首を振り振り、皺の寄った眉間を揉む。
「才能あるなしでお互いを見てないと思うけど。俺も含めて」
「それは、わかってる。でもなんか……みんながどんどん先に行っちゃうみたいで、怖いんだよ」
「アキラとヤヒロは上昇志向すげーからまだしもさ……タビトと俺はマイペースだし、のんびりやってんじゃん。セナ君はあれこれ複雑に考えすぎ。テキトーでいいんだよテキトーで……」
間延びした声で言う彼を睨むように見て、セナはぶんぶんと首を横に振る。
「おまえはそうかもしんないけど……タビトはずいぶん変わったよ。最近は自分からいろいろ行動してるし」
「そう?」
「メンバー間のいざこざを解決しようとしたり、他にもグループのためにいろいろやってるじゃん」
「あー……、ライブグッズのデザイナー探してきたのもタビトだっけ」
「アキラとヤヒロだけにウル・ラドを背負わせないって決めたみたいなんだ。楽曲とパフォーマンスにこだわるふたりの考え方に賛同してるみたいだし、足並み揃えていくつもりなんだと思う……」
「セナ君はどうなん?」
問われた彼は長く黙っていた。
「……ユウは?」
「しらねー。仲間とか情熱とか努力とか……暑苦しいの苦手。チームを背負うとかなんとかなんて考えたこともねーし。存在が必要とされてるうちはマジメにやるだけ」
「そんなこと言ってるけど、ユウもそのうちタビトみたいに変わっちゃうよ。どうせ僕だけ取り残されるんだ」
「被害妄想はげしくね?めんどくせー……」
セナは曇った眼鏡の奥の目を細め自嘲する。
「……もういいよ。誰も僕の気持ちなんかわかんないもん」
「んー。そだね。わからん」
気だるそうに言葉を返してセナの手から缶を奪う。からっぽになった手を握りしめた彼の唇から深い溜息がこぼれた。
「なんなんだよもー……」
突然セナが髪を激しく掻きむしり始めたのを見て、ユウは目を丸くする。
「なに。急にどしたん」
「優しくしてほしいだけなの、僕は!」
叫ぶように言うと背中を丸めて、両手の中に顔を埋める。
ちいさく息を吐いたユウは彼の髪に片手を伸ばすと、わしゃわしゃと乱暴に掻き混ぜた。まだ生乾きだ。ブロンドのカーリーヘアをこうしていると、雨に濡れた犬を撫でているような気持ちになる。
「ほんとめんどくせーな……。俺、救世主の弱音なんて聞きたくねーんだけど」
その言葉に驚いて、手のひらに埋めていた顔を上げる。いつのまにか起き上がっていたユウが、自分をまっすぐ見つめていた。
「は……?救世主?」
「セナ君のことだよ」
彼はソファの上であぐらをかくと、あまり抑揚のない、いつもの話し方で言葉を続ける。
「セナ君が俺にアイドルやろって声かけてくれなかったら、あのまま母さんの言いなりになってた。今ごろ腐ってる。てか、死んでたかも」
「救世主なんて、おおげさすぎ……」
乾いた声で笑い、つぶやいた。そんなセナの髪を今度は両手で掻き混ぜて、ユウは相変わらずの無表情で言った。
「いち抜けた、は許さないから。そっちが誘ったんだから最後までいっしょにいて」
セナは苦悶の表情を浮かべ黙って俯く。薄いレースのカーテンを通して差し込んでくる光がまぶしくて、まぶたを固く閉じた。
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