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本編
第181話
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「ひさしぶり」
頭上から降ってきた声に驚いたジーマが振り返ると、ユウが立っている。彼らの身長差は約20センチだ。
「ユウちゃん!びっくりしたあ……ていうかデカッ」頭ひとつぶん大きいユウを見上げて、彼は眉をひそめる。「――もしかしてまた身長伸びた?」
「187になった」
「クソーッ!なんでみんなそんなにデカくなんだよもぉー!俺を見下ろすんじゃねー!」
ぐいぐいと腕を引いてかがませようとする。されるがままのユウがめずらしく歯を見せて笑っているのを見て、やっとタビトの口角に笑みが刻まれる。
「おーい!なに寄り道してんだよジーマ」
廊下から声がかかる。ミュトスのリーダー、レノだ。彼は豪快な笑みを浮かべて、室内を行き交うスタッフを避けながらのしのしと歩んでくる。
「ほらみろ!おまえがいつまでも居座るから面倒なヤツがきちまったじゃねえか」
ジーマに非難の目を向けたヤヒロが苛立ったように膝を揺さぶる。ただでさえ密度が高い楽屋が、レノの登場によって更に圧迫される。
「おいレノ……テメーまで入ってくんな!関係者以外立ち入り禁止だっつの」
「なんだ今更。俺たち友達だろ!」
「はァ?!ダチだなんて思ったことねえけど?!」
「騒ぐなうるせえ!」
ヤヒロとアコの怒号が飛び交うなか、楽屋に駆け込んできた番組スタッフが叫ぶ。
「ウル・ラドさん!そろそろCM明けます!」
この数分後、すまし顔でスタジオの雛段に座り、司会者にミュトスについて話を振られても穏やかに笑って答えているのだからヤヒロもさすがプロである。
曲と曲のあいだに他愛ないトークを挟みながら、番組は和やかに進行していく。
ウル・ラドは他のアーティストらと共にミュトスのステージをスタジオのモニターから観たわけだが――非常に複雑な心境だった。豪華なステージと演出がもったいないと感じるほど、楽曲もパフォーマンスもクオリティが低すぎる。そう感じていたのはもちろん彼らだけではなく、スタジオに閉じ込められモニターを見つめていた者たちのほとんどが同じようなことを思っていた。
ミュトスの新曲「キラメキ☆Sunshine」。海辺で戯れる恋人たちの熱い想いを歌った曲だというが、前作と同じようなリズムと歌詞で構成されている。
似ているのは今回に限ったことではない。彼らはウル・ラドよりも3枚多くシングルをリリースしているが、ファーストシングルを除いてどれも似たり寄ったりだ。しかし、それでも売れる。売れて売れて売れまくる。
ステージパフォーマンスもお遊戯会レベルでありウル・ラドには遠く及ばないものの、ファンは幻滅したりしない。一体感に欠けたダンスも、明らかにタイミングがズレているリップシンクも許容範囲内でありたいした問題ではないのだ。
血のにじむような練習を重ね、寝る間も惜しんで楽曲制作をしたとしても結果がついてこなければただの自己満足に終わるだけ。どれほど才能があろうとどれほど努力しようとも、ネームバリューがありマーケティング戦略に長けている側が勝者となる世界である。
改めて現実を目の当たりにしたタビトは、あの日タクシーの中で交わしたセナとの会話を思い出していた。
エンディングテーマが流れるなか司会者が締めの挨拶をしているのを、チカルはぼんやりと聞いている。照明を落とした寒々しいリビングにはテレビからの賑やかな光が溢れ、またたいている。
次の番組の予告のあとにコマーシャルが流れ始め、彼女はテレビを消した。自室に戻り、着古したガウンを脱いでベッドに横たわる。
静寂に耳を澄ませていると、漠然とした哀しみが胸に迫り来る。寝返りを打ち、枕に深く頭を埋めてかたく目を閉じるも、テレビ画面の中で歌い踊るタビトがまぶたのうら鮮明によみがえり、いつまでも寝かせてくれない。
ウル・ラドのステージを初めて観たが、あの空間はタビトに支配され、完全に彼だけのものだった。
雑誌で観るのとも、ミュージックビデオで観るのとも印象が違う。彼の新たな一面を発見するたびに、チカルはうろたえてしまう。テレビの画面を通して伝わってくる熱と気迫。挑発的な瞳が孕む色気に圧倒され、魅せられて、彼女は抜け出せない罠に嵌ってしまったような恐怖と心細さを覚えた。そして同時に、言葉にしがたい哀しみが込み上げてきたのであった。
目を閉じているのも苦痛で、彼女は薄闇越しに部屋の輪郭をなぞる。
ベッド、ドレッサー、ローテーブル、ほとんど空っぽの本棚とチェスト。クローゼットの中やドレッサーの引き出しにはシュンヤから贈られたものが入っているが、あれは彼がチカルを自分好みにカスタムするため与えたものだ。それに気付いている彼女は、大量にある洋服やアクセサリーを自分のものとしてカウントすることができずにいる。
生活に彩りを加えるインテリア小物もなく、卓上カレンダーだけがチェストの上にぽつりと置かれているだけの、極端に生活感のない空間――ここはいつまでも他人の部屋のようだった。
小さなボストンバッグひとつで逃げるように実家を出て、最初にシュンヤと暮らしたアパートでも、私物はほとんど増えなかった。いや、増やさなかったという方が正しいかもしれない。心のどこかで、一か所に深々と根を張ることを恐れてきた。ボストンバッグ一個分以上のものを持つことが不安だった。
室内を満たす黒い粒子の中に上体を起こした彼女は、手を伸ばして大窓のカーテンを開く。ルーフバルコニーの手すりの向こうに鏡のような月が浮かんでいる。
風が強い。濃紺の雲が淡い光を覆い隠しては足早に過ぎ去っていくのをぼんやりと見つめていると、玄関の施錠が解かれる音が耳に届いた。
シュンヤだ、そう思った瞬間、体が緊張に強張る。彼女は急いでカーテンを閉めて月を隠し、再び暗闇に戻った部屋で息をひそめた。乱暴にシューズラックを閉める音がする。続けて、床に鍵が落ちる音。壁にぶつかりでもしたのか、振動が響いてくる。かなり酔っているようだ。
深酒したシュンヤは苦手だ。顔を合わせれば面倒なことになる。
彼女は掛け布団を頭から被って体を丸めた。胸元に抱え込んだ膝が、心臓が大きく拍動しているのを伝えてくる。
スリッパを引きずる音が遠く聞こえる。洗面台で水を流す音が続き、やがて静かになった。風呂に入ったのだろうか?何も聞こえない、わからない。緊張感に苦しくなりながら耳をそばだてていると、突然自室のドアが開く音がして思わず呼吸を止めた。
頭上から降ってきた声に驚いたジーマが振り返ると、ユウが立っている。彼らの身長差は約20センチだ。
「ユウちゃん!びっくりしたあ……ていうかデカッ」頭ひとつぶん大きいユウを見上げて、彼は眉をひそめる。「――もしかしてまた身長伸びた?」
「187になった」
「クソーッ!なんでみんなそんなにデカくなんだよもぉー!俺を見下ろすんじゃねー!」
ぐいぐいと腕を引いてかがませようとする。されるがままのユウがめずらしく歯を見せて笑っているのを見て、やっとタビトの口角に笑みが刻まれる。
「おーい!なに寄り道してんだよジーマ」
廊下から声がかかる。ミュトスのリーダー、レノだ。彼は豪快な笑みを浮かべて、室内を行き交うスタッフを避けながらのしのしと歩んでくる。
「ほらみろ!おまえがいつまでも居座るから面倒なヤツがきちまったじゃねえか」
ジーマに非難の目を向けたヤヒロが苛立ったように膝を揺さぶる。ただでさえ密度が高い楽屋が、レノの登場によって更に圧迫される。
「おいレノ……テメーまで入ってくんな!関係者以外立ち入り禁止だっつの」
「なんだ今更。俺たち友達だろ!」
「はァ?!ダチだなんて思ったことねえけど?!」
「騒ぐなうるせえ!」
ヤヒロとアコの怒号が飛び交うなか、楽屋に駆け込んできた番組スタッフが叫ぶ。
「ウル・ラドさん!そろそろCM明けます!」
この数分後、すまし顔でスタジオの雛段に座り、司会者にミュトスについて話を振られても穏やかに笑って答えているのだからヤヒロもさすがプロである。
曲と曲のあいだに他愛ないトークを挟みながら、番組は和やかに進行していく。
ウル・ラドは他のアーティストらと共にミュトスのステージをスタジオのモニターから観たわけだが――非常に複雑な心境だった。豪華なステージと演出がもったいないと感じるほど、楽曲もパフォーマンスもクオリティが低すぎる。そう感じていたのはもちろん彼らだけではなく、スタジオに閉じ込められモニターを見つめていた者たちのほとんどが同じようなことを思っていた。
ミュトスの新曲「キラメキ☆Sunshine」。海辺で戯れる恋人たちの熱い想いを歌った曲だというが、前作と同じようなリズムと歌詞で構成されている。
似ているのは今回に限ったことではない。彼らはウル・ラドよりも3枚多くシングルをリリースしているが、ファーストシングルを除いてどれも似たり寄ったりだ。しかし、それでも売れる。売れて売れて売れまくる。
ステージパフォーマンスもお遊戯会レベルでありウル・ラドには遠く及ばないものの、ファンは幻滅したりしない。一体感に欠けたダンスも、明らかにタイミングがズレているリップシンクも許容範囲内でありたいした問題ではないのだ。
血のにじむような練習を重ね、寝る間も惜しんで楽曲制作をしたとしても結果がついてこなければただの自己満足に終わるだけ。どれほど才能があろうとどれほど努力しようとも、ネームバリューがありマーケティング戦略に長けている側が勝者となる世界である。
改めて現実を目の当たりにしたタビトは、あの日タクシーの中で交わしたセナとの会話を思い出していた。
エンディングテーマが流れるなか司会者が締めの挨拶をしているのを、チカルはぼんやりと聞いている。照明を落とした寒々しいリビングにはテレビからの賑やかな光が溢れ、またたいている。
次の番組の予告のあとにコマーシャルが流れ始め、彼女はテレビを消した。自室に戻り、着古したガウンを脱いでベッドに横たわる。
静寂に耳を澄ませていると、漠然とした哀しみが胸に迫り来る。寝返りを打ち、枕に深く頭を埋めてかたく目を閉じるも、テレビ画面の中で歌い踊るタビトがまぶたのうら鮮明によみがえり、いつまでも寝かせてくれない。
ウル・ラドのステージを初めて観たが、あの空間はタビトに支配され、完全に彼だけのものだった。
雑誌で観るのとも、ミュージックビデオで観るのとも印象が違う。彼の新たな一面を発見するたびに、チカルはうろたえてしまう。テレビの画面を通して伝わってくる熱と気迫。挑発的な瞳が孕む色気に圧倒され、魅せられて、彼女は抜け出せない罠に嵌ってしまったような恐怖と心細さを覚えた。そして同時に、言葉にしがたい哀しみが込み上げてきたのであった。
目を閉じているのも苦痛で、彼女は薄闇越しに部屋の輪郭をなぞる。
ベッド、ドレッサー、ローテーブル、ほとんど空っぽの本棚とチェスト。クローゼットの中やドレッサーの引き出しにはシュンヤから贈られたものが入っているが、あれは彼がチカルを自分好みにカスタムするため与えたものだ。それに気付いている彼女は、大量にある洋服やアクセサリーを自分のものとしてカウントすることができずにいる。
生活に彩りを加えるインテリア小物もなく、卓上カレンダーだけがチェストの上にぽつりと置かれているだけの、極端に生活感のない空間――ここはいつまでも他人の部屋のようだった。
小さなボストンバッグひとつで逃げるように実家を出て、最初にシュンヤと暮らしたアパートでも、私物はほとんど増えなかった。いや、増やさなかったという方が正しいかもしれない。心のどこかで、一か所に深々と根を張ることを恐れてきた。ボストンバッグ一個分以上のものを持つことが不安だった。
室内を満たす黒い粒子の中に上体を起こした彼女は、手を伸ばして大窓のカーテンを開く。ルーフバルコニーの手すりの向こうに鏡のような月が浮かんでいる。
風が強い。濃紺の雲が淡い光を覆い隠しては足早に過ぎ去っていくのをぼんやりと見つめていると、玄関の施錠が解かれる音が耳に届いた。
シュンヤだ、そう思った瞬間、体が緊張に強張る。彼女は急いでカーテンを閉めて月を隠し、再び暗闇に戻った部屋で息をひそめた。乱暴にシューズラックを閉める音がする。続けて、床に鍵が落ちる音。壁にぶつかりでもしたのか、振動が響いてくる。かなり酔っているようだ。
深酒したシュンヤは苦手だ。顔を合わせれば面倒なことになる。
彼女は掛け布団を頭から被って体を丸めた。胸元に抱え込んだ膝が、心臓が大きく拍動しているのを伝えてくる。
スリッパを引きずる音が遠く聞こえる。洗面台で水を流す音が続き、やがて静かになった。風呂に入ったのだろうか?何も聞こえない、わからない。緊張感に苦しくなりながら耳をそばだてていると、突然自室のドアが開く音がして思わず呼吸を止めた。
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