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本編
第163話
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チカルは顔を上げた。
確かにあんな言い方をするなんて、らしくない。迷いがある証拠だと彼女は思った。
正規雇用してもらえれば、給料も安定し社会的信用も手に入る。だが、ひとつ手に入れるならば、もうひとつは捨てなければならない。
ナルカミの姿が脳裏に浮かぶ。ヤスケの後釜に座ることを望んでいる兄弟子の元で、これからも見えないプレッシャーと戦い続けるか、それとも……指導員という地位を辞し、経済力や信用力を取るか。二つに一つだ。
チカルは腹に力を入れて背筋を伸ばし、まっすぐに彼を見た。
「お話をいただき大変ありがたいのですが、辞退させていただきます。申し訳ございません」
今度は、はっきりとそう言った。
「そうか」彼は残念そうな顔になり、「差し支えなければ理由を教えてもらえるかな?」
「一番の理由は、合気道の指導員を続けたいからです。家事代行の仕事と同じく、私の生きがいのひとつですので」
「おや。一番だって?一番があるということは、二番目もあるね?」
彼はいたずらっぽく目を輝かせる。
「できれば、二番目の理由も聞かせてくれないか」
チカルは戸惑いの表情を浮かべた。
彼女の顔色が変わり、逡巡しているのを見て、彼はなにかを確信したようだった。先ほどまでの柔和な笑みが消え、真剣な顔になる。
「話そうかどうか迷っていたんだけどさ……。先週、あなたの恋人がここに来たんだ」
「え……」
「最初は、融資のセールスに来ただけだと思ってたんだよ。でも、いざ話をはじめたら営業そっちのけで那南城さんのことばっかり聞きたがるんで、ちょっと気になってさ。……彼、あなたの仕事ぶりを褒めちぎっていたよ。目は笑っていなかったけど」
あまりのことに愕然とし、チカルはまばたきすら忘れて彼を見つめた。
「那南城さんは昔から、ひとりで問題を抱え込みすぎるところがあるね」
静かな声で言うと、動揺を隠せない彼女にもうひとつモナカを差し出して微笑む。
彼女は受け取った菓子を手の中でいじりながら、すこしのあいだ沈黙を守っていたが……やがて深く息を吸い、話し始めた。
「――あの人……私に仕事を辞めてほしいみたいなんです」
つぶらな目を丸くしている社長から視線を外し、冷えた自分の両手に落とす。包みを開いてひとくち噛みつき、茶で流し込んでから続けた。
「自分が稼いで養うからもう働いて欲しくないと言われました。正社員になったと知られたら、修羅場になることは目に見えています。彼はとにかく、どんなことでも……自分の思い通りに物事を運びたがるので、なんとしてでも辞めさせようとするでしょう」
淡々と言葉を続けるチカルに真剣なまなざしを向けたまま、彼は短い腕を組んで唸る。
「ずいぶん支配欲の強い人とお付き合いしてるんだね……」
チカルは黙って、湯呑の中に浮かぶ細かい泡を見つめた。
「合気道のことがなかったとしても、今回のお話は辞退させていただいたと思います。もうこれ以上……彼の気持ちを逆撫でするようなことはしたくないんです」
「タビト君は、恋人にこの仕事を反対されていることを知っているのかい?」
「……いいえ。でも、彼がどんな男かは知っています……。すこし前、彼とトラブルがあったことを打ち明けたら、とても心配してくださって……」
やり切れない気持ちで答えたチカルの胸の奥、タビトが注ぎ込んだ熱い想いが揺れている。
これまで幾度も彼の言葉や行動に救われてきた。彼はいつでも、痛みにあえぐこの心を包み込んでくれた。自分のことのように苦しみ、あんなにも誠実に向き合ってくれる男を、チカルは他に知らない。
「彼は、本当に優しい方です」
ぽつりとつぶやいた。他に言うべき言葉があるとわかっていたが、口にはできなかった。
「確かにね。ウル・ラドのメンバーは全員いい子だけど、タビト君は特に優しくて接しやすいなあと僕も思うよ。ステージだと色気がすごいのに、素顔は純粋っていうか……子どもみたいに無邪気でしょ。あの子の笑ってる姿を見てると自然とこっちも笑顔になっちゃうんだ」
きゅっと目尻が上がる、あの愛らしい笑み。無邪気な彼を思い、チカルは顔をほころばせた。
「あの笑顔には敵いません」
「だよねえ……」彼はしみじみと言って、背もたれに身を預ける。「去年の年末、ムナカタさんとマネージャーさんとタビト君の4人で食事に行ったんだけど……そのとき、タビト君が仕事中にお気に入りの腕時計をなくしたっていう話をマネージャーさんがしててさ。いつも元気なタビト君がすごくしょんぼりしてるもんだから、かわいそうになっちゃって、食事の帰りに新しいやつを買ってあげちゃったんだ。ほんとに嬉しそうにお礼を言ってくれてね……あの笑顔はいまも忘れられない。笑顔ひとつで大金出しても惜しくないと思わせるなんて、アイドルってすごいなと思ったよ」
そのとき扉がノックされ、開いたその隙間から秘書と思しき女が彼に目配せする。
「すまないね。もうそろそろ時間みたいだ」彼はゆっくりと立ち上がり、「忙しいなか、時間を作ってくれてありがとう」
「正社員の候補に私を選んでくださったこと、本当にありがたく感謝しております」
チカルは頭を垂れると、
「これからもご利用者様のお役に立てるよう力を尽くします。恋人との問題は、なんとか解決しますので……今後ともよろしくお願いいたします」
「やだな、頭を下げるなんてやめてよ。正社員ってかたちで迎えたい気持ちはこれからも変わらないし、事態がいい方向に進んで考えが変わったらいつでも言ってちょうだいね」
あと、と彼は言葉を続ける。
「彼氏とのあいだになにか問題が起こったら、ひとりでなんとかしようなんて考えちゃいけないよ。僕でも他の誰かでもいいから、必ず助けを求めるんだ。約束してくれるかい?」
返事と共に頷いた彼女を見届けて満足そうに笑った彼は、ちいさな丸い体を揺すって扉の向こうに消えた。
サフェード本社を出て空を見上げれば、冷たい雨はみぞれに変わっている。
チカルは腕時計に目を落とした。午後4時。今ごろタビトは、新橋の街中でテレビ番組の収録をしているはずだ。
彼女は道端に立ち止まり、新橋方面を見遣った。そうしてしばらく見つめていたが、やがて虎ノ門駅の方に爪先を向けて歩き出す。
ずっと、タビトのことを考えている。なにをしていても頭から離れない。肌に触れてくる指の感触、耳の後ろを掠めた声、愛用している香水のかおり……すべて鮮明に覚えている。
シュンヤについてのことを社長に話しているあいだ、タビトとの契約を終了させてほしいと言うべきだと何度も思った。だが言えなかった。どうしても、言えなかった。なぜ口に出せなかったのか、彼女はすでに気付いている。
息が触れる距離まで近づくことを許してしまったあの日のことが、妙な生々しさをもってよみがえる。パーソナルスペースに大胆に踏み込まれたが、嫌悪感はまったくなかった。心地よくさえあった。もっともっと近づいて鼻先が触れたとしても、離れようとは考えなかっただろう。彼のぬくもりを肌で感じるとき、ふたつに分かれていたものが、ひとつになっていく気がする。安堵に満たされ、ずっと触れていたくなる。
恋の甘いときめきは、シュンヤが教えてくれた。若かりしころ彼に抱いた想いと同じものをタビトに感じることはないだろうと彼女は思う。愛とはなにかもわからぬまま恋に溺れ、シュンヤにならすべてを捧げてもいいと本気で思っていたあの青い時代は、すでに過ぎ去ったのだ。
タビトに対しては、若年者に対する慈愛と親心に似た庇護欲、深い友情と尊敬、美しさと若さへの純粋な憧れがあった。すべてが複雑に混ざり合ったこの想いをなんと呼んだらいいのか、チカルにはわからない。ただひとつ明確に感じているのは、彼の想いは芽吹いたばかりで荒々しく若い情熱に満ちているが、こちらの想いはすでに成熟し、凪いだ水面のように穏やかであるということだ。
恋とは激しい火柱を立てて燃えあがる刹那的なものである。燃え尽きたあとの灰のなかに愛が存在しているとは限らない。タビトの心を焼く狂おしい恋の炎もいつかは消える。静まり返ったそこに、形あるものはなにひとつ残っていないだろう。それを見て彼は我に返り、なぜ17も年上の女に恋したのだろうと首をひねるはずだ。
どうせなら、彼と同じく恋から始めて共に燃え尽きたかったとチカルは思う。いつか袂を分かつ日が訪れても、彼への思慕が灰となり風にさらわれてしまえば、きれいに忘れられるのに。
歩くペースを落とすと、彼女は地面に落としていた視線を上げた。人けのない道に並ぶ街路樹は雪まじりの雨に濡れ、色をなくしている。物悲しい絵画のような光景を静かな心で眺めて、湿った空気を吸い込んだ。
そのとき、背後から歓声があがる。弾かれたように振り返ると、10代と思しき少女が向かい側のビルに向かってスマホを構えながらはしゃいでいる。ほとんど無意識に彼女たちの視線の先を辿ってみて、驚いた。目に飛び込んできたのは、ウル・ラドのニューシングル発売を知らせる巨大なビル広告だ。
その迫力に圧倒され、チカルは息を詰めたままタビトを見つめる。
手入れの行き届いた豊かな黒髪。目元にかかる前髪の隙間に、黄昏時の儚い光を宿した瞳が輝いているのが見える。まっすぐに通った細い鼻梁は芸術的なまでに美しく、ほんのりと色づいた魅惑的な唇が彼のシャープな印象を和らげている。
ウル・ラドのタビト……チカルは口の中でつぶやく。彼は、アイドルになるために生まれてきたような男だ。
――いつのまにか、みぞれは止んでいた。
茫然と見上げたまま傘を畳んだ彼女はスマホを取り出し、広告にレンズを向けて一度だけシャッターを切る。そして、撮影したものを確認することなく再び歩き出した。
確かにあんな言い方をするなんて、らしくない。迷いがある証拠だと彼女は思った。
正規雇用してもらえれば、給料も安定し社会的信用も手に入る。だが、ひとつ手に入れるならば、もうひとつは捨てなければならない。
ナルカミの姿が脳裏に浮かぶ。ヤスケの後釜に座ることを望んでいる兄弟子の元で、これからも見えないプレッシャーと戦い続けるか、それとも……指導員という地位を辞し、経済力や信用力を取るか。二つに一つだ。
チカルは腹に力を入れて背筋を伸ばし、まっすぐに彼を見た。
「お話をいただき大変ありがたいのですが、辞退させていただきます。申し訳ございません」
今度は、はっきりとそう言った。
「そうか」彼は残念そうな顔になり、「差し支えなければ理由を教えてもらえるかな?」
「一番の理由は、合気道の指導員を続けたいからです。家事代行の仕事と同じく、私の生きがいのひとつですので」
「おや。一番だって?一番があるということは、二番目もあるね?」
彼はいたずらっぽく目を輝かせる。
「できれば、二番目の理由も聞かせてくれないか」
チカルは戸惑いの表情を浮かべた。
彼女の顔色が変わり、逡巡しているのを見て、彼はなにかを確信したようだった。先ほどまでの柔和な笑みが消え、真剣な顔になる。
「話そうかどうか迷っていたんだけどさ……。先週、あなたの恋人がここに来たんだ」
「え……」
「最初は、融資のセールスに来ただけだと思ってたんだよ。でも、いざ話をはじめたら営業そっちのけで那南城さんのことばっかり聞きたがるんで、ちょっと気になってさ。……彼、あなたの仕事ぶりを褒めちぎっていたよ。目は笑っていなかったけど」
あまりのことに愕然とし、チカルはまばたきすら忘れて彼を見つめた。
「那南城さんは昔から、ひとりで問題を抱え込みすぎるところがあるね」
静かな声で言うと、動揺を隠せない彼女にもうひとつモナカを差し出して微笑む。
彼女は受け取った菓子を手の中でいじりながら、すこしのあいだ沈黙を守っていたが……やがて深く息を吸い、話し始めた。
「――あの人……私に仕事を辞めてほしいみたいなんです」
つぶらな目を丸くしている社長から視線を外し、冷えた自分の両手に落とす。包みを開いてひとくち噛みつき、茶で流し込んでから続けた。
「自分が稼いで養うからもう働いて欲しくないと言われました。正社員になったと知られたら、修羅場になることは目に見えています。彼はとにかく、どんなことでも……自分の思い通りに物事を運びたがるので、なんとしてでも辞めさせようとするでしょう」
淡々と言葉を続けるチカルに真剣なまなざしを向けたまま、彼は短い腕を組んで唸る。
「ずいぶん支配欲の強い人とお付き合いしてるんだね……」
チカルは黙って、湯呑の中に浮かぶ細かい泡を見つめた。
「合気道のことがなかったとしても、今回のお話は辞退させていただいたと思います。もうこれ以上……彼の気持ちを逆撫でするようなことはしたくないんです」
「タビト君は、恋人にこの仕事を反対されていることを知っているのかい?」
「……いいえ。でも、彼がどんな男かは知っています……。すこし前、彼とトラブルがあったことを打ち明けたら、とても心配してくださって……」
やり切れない気持ちで答えたチカルの胸の奥、タビトが注ぎ込んだ熱い想いが揺れている。
これまで幾度も彼の言葉や行動に救われてきた。彼はいつでも、痛みにあえぐこの心を包み込んでくれた。自分のことのように苦しみ、あんなにも誠実に向き合ってくれる男を、チカルは他に知らない。
「彼は、本当に優しい方です」
ぽつりとつぶやいた。他に言うべき言葉があるとわかっていたが、口にはできなかった。
「確かにね。ウル・ラドのメンバーは全員いい子だけど、タビト君は特に優しくて接しやすいなあと僕も思うよ。ステージだと色気がすごいのに、素顔は純粋っていうか……子どもみたいに無邪気でしょ。あの子の笑ってる姿を見てると自然とこっちも笑顔になっちゃうんだ」
きゅっと目尻が上がる、あの愛らしい笑み。無邪気な彼を思い、チカルは顔をほころばせた。
「あの笑顔には敵いません」
「だよねえ……」彼はしみじみと言って、背もたれに身を預ける。「去年の年末、ムナカタさんとマネージャーさんとタビト君の4人で食事に行ったんだけど……そのとき、タビト君が仕事中にお気に入りの腕時計をなくしたっていう話をマネージャーさんがしててさ。いつも元気なタビト君がすごくしょんぼりしてるもんだから、かわいそうになっちゃって、食事の帰りに新しいやつを買ってあげちゃったんだ。ほんとに嬉しそうにお礼を言ってくれてね……あの笑顔はいまも忘れられない。笑顔ひとつで大金出しても惜しくないと思わせるなんて、アイドルってすごいなと思ったよ」
そのとき扉がノックされ、開いたその隙間から秘書と思しき女が彼に目配せする。
「すまないね。もうそろそろ時間みたいだ」彼はゆっくりと立ち上がり、「忙しいなか、時間を作ってくれてありがとう」
「正社員の候補に私を選んでくださったこと、本当にありがたく感謝しております」
チカルは頭を垂れると、
「これからもご利用者様のお役に立てるよう力を尽くします。恋人との問題は、なんとか解決しますので……今後ともよろしくお願いいたします」
「やだな、頭を下げるなんてやめてよ。正社員ってかたちで迎えたい気持ちはこれからも変わらないし、事態がいい方向に進んで考えが変わったらいつでも言ってちょうだいね」
あと、と彼は言葉を続ける。
「彼氏とのあいだになにか問題が起こったら、ひとりでなんとかしようなんて考えちゃいけないよ。僕でも他の誰かでもいいから、必ず助けを求めるんだ。約束してくれるかい?」
返事と共に頷いた彼女を見届けて満足そうに笑った彼は、ちいさな丸い体を揺すって扉の向こうに消えた。
サフェード本社を出て空を見上げれば、冷たい雨はみぞれに変わっている。
チカルは腕時計に目を落とした。午後4時。今ごろタビトは、新橋の街中でテレビ番組の収録をしているはずだ。
彼女は道端に立ち止まり、新橋方面を見遣った。そうしてしばらく見つめていたが、やがて虎ノ門駅の方に爪先を向けて歩き出す。
ずっと、タビトのことを考えている。なにをしていても頭から離れない。肌に触れてくる指の感触、耳の後ろを掠めた声、愛用している香水のかおり……すべて鮮明に覚えている。
シュンヤについてのことを社長に話しているあいだ、タビトとの契約を終了させてほしいと言うべきだと何度も思った。だが言えなかった。どうしても、言えなかった。なぜ口に出せなかったのか、彼女はすでに気付いている。
息が触れる距離まで近づくことを許してしまったあの日のことが、妙な生々しさをもってよみがえる。パーソナルスペースに大胆に踏み込まれたが、嫌悪感はまったくなかった。心地よくさえあった。もっともっと近づいて鼻先が触れたとしても、離れようとは考えなかっただろう。彼のぬくもりを肌で感じるとき、ふたつに分かれていたものが、ひとつになっていく気がする。安堵に満たされ、ずっと触れていたくなる。
恋の甘いときめきは、シュンヤが教えてくれた。若かりしころ彼に抱いた想いと同じものをタビトに感じることはないだろうと彼女は思う。愛とはなにかもわからぬまま恋に溺れ、シュンヤにならすべてを捧げてもいいと本気で思っていたあの青い時代は、すでに過ぎ去ったのだ。
タビトに対しては、若年者に対する慈愛と親心に似た庇護欲、深い友情と尊敬、美しさと若さへの純粋な憧れがあった。すべてが複雑に混ざり合ったこの想いをなんと呼んだらいいのか、チカルにはわからない。ただひとつ明確に感じているのは、彼の想いは芽吹いたばかりで荒々しく若い情熱に満ちているが、こちらの想いはすでに成熟し、凪いだ水面のように穏やかであるということだ。
恋とは激しい火柱を立てて燃えあがる刹那的なものである。燃え尽きたあとの灰のなかに愛が存在しているとは限らない。タビトの心を焼く狂おしい恋の炎もいつかは消える。静まり返ったそこに、形あるものはなにひとつ残っていないだろう。それを見て彼は我に返り、なぜ17も年上の女に恋したのだろうと首をひねるはずだ。
どうせなら、彼と同じく恋から始めて共に燃え尽きたかったとチカルは思う。いつか袂を分かつ日が訪れても、彼への思慕が灰となり風にさらわれてしまえば、きれいに忘れられるのに。
歩くペースを落とすと、彼女は地面に落としていた視線を上げた。人けのない道に並ぶ街路樹は雪まじりの雨に濡れ、色をなくしている。物悲しい絵画のような光景を静かな心で眺めて、湿った空気を吸い込んだ。
そのとき、背後から歓声があがる。弾かれたように振り返ると、10代と思しき少女が向かい側のビルに向かってスマホを構えながらはしゃいでいる。ほとんど無意識に彼女たちの視線の先を辿ってみて、驚いた。目に飛び込んできたのは、ウル・ラドのニューシングル発売を知らせる巨大なビル広告だ。
その迫力に圧倒され、チカルは息を詰めたままタビトを見つめる。
手入れの行き届いた豊かな黒髪。目元にかかる前髪の隙間に、黄昏時の儚い光を宿した瞳が輝いているのが見える。まっすぐに通った細い鼻梁は芸術的なまでに美しく、ほんのりと色づいた魅惑的な唇が彼のシャープな印象を和らげている。
ウル・ラドのタビト……チカルは口の中でつぶやく。彼は、アイドルになるために生まれてきたような男だ。
――いつのまにか、みぞれは止んでいた。
茫然と見上げたまま傘を畳んだ彼女はスマホを取り出し、広告にレンズを向けて一度だけシャッターを切る。そして、撮影したものを確認することなく再び歩き出した。
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