よあけ

紙仲てとら

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本編

第31話

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 銀座駅近くのコインパーキングに停めて、タビトとホズミは電飾に彩られた夜の街を行く。
 目的の焼肉店は雑居ビルの一角にあり、狭い店内は客で賑わっていた。
 案内されたのはカーテンで仕切られた半個室。ホズミはジャケットを脱ぎながら、メニューを見ることもなく飲み物と数種類の肉を注文する。彼に倣いタビトも上着を脱いで壁のフックに掛け、掘り炬燵に足を入れた。
「ねえ、ホズミさん香水つけてるでしょ」
「においがキツすぎるか?すまん」
「ううん。ジャケットを脱いだときにだけいい匂いするから、どこにつけてるのかなって気になってたんだ」
「腰だよ。ここだと自然に香るって聞いたから」
「へえ……。今度まねしよっと」
 それを聞いたホズミが笑うので、タビトは軽く彼を睨む。 
「なんで笑うの」
「いや、成長したなと思ってさ。候補生のころはメンズ香水の存在も知らなかったのに」
「だって……歌とダンスにしか興味なかったから……」
「とんでもない美形なのに活かしきれてなかったもんな。髪型にも服装にも無頓着で」
「あの頃は自分の容姿を売りにするつもりなんてなかったんだよ。ミュージカル俳優になるために必要なのは美しい顔じゃなくて実力とか才能でしょ?」
 今やアイドルとして絶大な人気を誇り、多くの人々を魅了しているタビトだが――彼のかつての夢はミュージカル俳優になることだった。
 彼は人前で歌をうたったり踊ったりすることが大好きな子どもで、その光景は彼の家族を大いに楽しませた。クリスマスには兄弟を巻き込んで自作の歌とダンスを披露し、両親や祖父母を笑顔にした。誰かの誕生日には母の弾くピアノに合わせてバースデーソングを歌い、家全体の空気が沈んでいるときには喜劇の役者になって皆の顔に光を灯した。
 もちろんこういった平和なエピソードだけではない。彼の情熱が招いた悲劇もある――雨が降りしきるなか歌い踊るシーンが有名な某ミュージカル映画を真似て家の中で傘を振り回し、誤って母お気に入りの花瓶を割った。怪我はしなかったものの、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。
 初めて舞台に立ったのは4歳の頃。通っていた幼稚園のお遊戯会で彼は、大きなステージから人々を見渡した。“大きなステージ”というのは決して誇張ではない。園は毎年市民ホールを借り切ってこの行事を開催しており、園児500名の親や祖父母が子の成長を目に焼き付けようと一堂に会する。観客は総勢1000人以上、なかなかの規模である。
 演目は「うらしまたろう」。ステージから見る薄暗い観客席、そこに並ぶ無数の笑顔は、幼い彼の心の深層に強烈な印象を残した。
 演技終了後にはわずかな撮影タイムがもうけられており、カーテンコールさながら演者全員が横一列に並ぶ。このときの様子を収めた映像には、万雷の拍手が鳴りやまぬなかきょとんとしているクラスメイトに挟まれて、ひとり満足げな顔のタビト少年が映っている。ちなみに割り当てられた役は“鯛その1”であった。
 その後もミュージカルへの熱は衰えなかった。小学校6年生のときに児童演劇団に所属し、その才能で数多の賞の獲得に貢献したものの、15歳までしか在籍できなかったため中学卒業を期に退団。そこからは大学進学を見据えて学業と部活に情熱を注ぎ、独学で歌唱力とダンススキルの底上げに努めた。
 そして大学に進学後、ミュージカル俳優を目指しオフィスウイルドが運営する養成所の候補生となる。当時18歳だった彼の美貌と才能は事務所内でたちまち有名になり、演劇界のホープだと誰もが期待した。
「入所したときはアイドルになる未来が待ってるなんて思ってもみなかったな……」
 タビトは頬肘をつき、ぼんやりとつぶやく。
「歌とダンスは最高レベル。演技力も申し分ないし、ミュージカル界で成功を手にする未来も十分あっただろう。でも……ヤヒロがおまえに惚れ込んじまってな」
「なにそれ……初耳なんだけど」
「――ヤヒロがアキラと同期で、バンドとしてデビューすることを目指してたのは知ってるよな。あのふたりは候補生のなかでも才能が突出してた。作詞作曲ができるうえに、アキラはピアノ、ヤヒロはギターが弾けたからな。バンドを組んだ中学生のときから精力的に活動してたからすでにたくさんのファンがついてたし、演者として場数も踏んでる。曲のストックだって十分あった」
 ホズミは乾いた唇を指でさすり、当時を思い出すように宙を見つめて続ける。
「要するにいつでもデビューできる状態だったってことだ。でも、ボーカルがなかなか見つからなくてね。最悪、ベースとかドラムはサポートメンバーを入れればどうにかなるが、ボーカルとなるとそうはいかないだろ」
「バンドごと事務所にスカウトされたんじゃなかったんだ?」
「うちのスカウトマンがアキラとヤヒロにだけ声をかけたらしい。どうやらそれが原因で、他のメンバーとひと悶着あったらしくてな……事務所に入る前にバンドは解散してる」
 そうだったのか……初めて知る事実に、タビトは顔に憂色を浮かべる。
 必要な人材だけを引き入れたいという事務所の考えは理解するが、なんとも遣る瀬無い思いだ。彼らにとってはつらい経験だったことだろう。
「ふたりは一刻も早くメンバーを集めてバンド活動を再開させようと躍起になってたけど、社長はバンドじゃなくてアイドルとしてデビューさせることを目論んでいたらしい。……あいつらの容姿を見ればそう考えるのもわかるだろ?」
「まあね……」
「デビューに関しては一介の候補生がどうこうできる話じゃないし、決定権は社長にある。メンバーとしてセナとユウが選ばれて、アイドルグループ結成がいよいよ現実的なものになってきても、ふたりはなかなか首を縦には振らなかった。話がこじれて契約終了の話まで出ていたとき、おまえが養成所に入ってきたんだ」
 飲み物が運ばれてきた。タビトは冷えたジョッキに注がれた烏龍茶。ホズミはノンアルコールのビール。乾杯してお互いに一口含む。
 お通しに手をつける前に次々と肉が運ばれてきた。ホズミは手際よく肉を網にのせながら言葉を続ける。
「初めてうちの舞台オーディションを受けた日のこと、覚えてるか?社長に急ぎの電話があって入室したら偶然、おまえの順番が回ってきたところでさ……。――あの迫力は、いま思い出しても鳥肌が立つよ」
「落ちたけどね……」
 タビトはサラダを咀嚼しつつ自嘲する。
 このオーディションには、200名ほどの応募があった。一次審査は書類選考、そこで大多数が振り落とされる。二次審査は動画選考で、指定された歌とダンス、演技を収録した撮影データを事務所に送って結果を待つ。三次審査で初めてオフィスウイルドの事務所に招かれ、演出家や舞台監督らの前で面接・実技審査を行うのだ。タビトは三次審査まできたものの落選という結果だった。
「おまえが参加したのは脇役のオーディションだったろ?演出家が『主人公に据えたかった』って裏で嘆いてたぞ。主人公の引き立て役にはふさわしくなかった、それだけの話だ」
 彼は信じていないのか、訝し気な目をして片頬を上げる。
「圧倒されたのは俺や演出家だけじゃない。おまえが動画選考のために事務所に送ってくれた歌唱とダンスの映像……あれを偶然見たヤヒロが社長に、タビトをメンバーにするならアイドルとしてデビューすると言ったんだ。それが叶わないなら退所すると。あいつもおまえの歌声とダンスに惚れたひとりなんだよ」
 口元で箸を止めたまま、タビトは驚きのあまり固まっている。
「退所なんてまさか本気で言っているわけがないと俺も周りのスタッフも思っていたが……社長は万が一のことを警戒した。もし本当にヤヒロが去れば、アキラもそれに続くだろう。ふたりの才能が他の事務所に渡れば――特に業界最大手のストルムミュージックなんかに取られたら、大きな脅威になる。だから社長はおまえに頭を下げたってわけだ」
 ミュージカル俳優として舞台で輝いているアイドルは多くいる。名が売れればその道も必ず開ける――タビトはそう説得され、有名になるための手段としてアイドルの道を選んだ。
 だがそんなチャンスをものにできる人間は一握りだ。芸能界の厳しさを知った今なら、社長の詭弁だとわかる。
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