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第二章 辺境伯家の家訓‐宣戦布告と愛の言葉は堂々と‐

02 舞踏会

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 王女のお国入りから一か月後、初夏の風がさわやかに吹くよく晴れた日、エドガー王子の結婚式が王都の大聖堂で厳かに行われた。結婚により王子はガーフィールド公爵に叙された。テオドラ王女はガーフィールド公爵夫人と称されることになった。
 続いて王宮で内外の賓客を招いての披露宴が行われた。
 披露宴の後、夜は御成婚記念の大舞踏会が王宮の広間で貴族や平民の代表らを招いて行われる。
 ロバートは舞踏会が行なわれる二時間前から会場で待機していた。近衛騎士団員や辺境伯騎士団員も会場のあちらこちらで警備の配置についていた。
 バートリイ公爵家の馬車が宮殿の門に入って来たら伝令が来ることになっている。ロバートは待っていた。やがて陸軍幼年学校の生徒が走って来た。

「辺境伯閣下、バートリイ公爵家の馬車が到着しました」

 声変わり前の高い声は緊張で震えていた。

「わかった。配置に戻れ」

 生徒は駆け足で戻って行く。今日の警備には国防大学の学生から幼年学校の生徒までもが交代で駆り出されていた。別に公爵家令嬢のせいではない。最後の戦争から五十年経っても隣国にいまだ良い感情を持っていない国民もいるのである。これまで何も大きな事件が起こっていないからこの先何も起きないという保証はないのだ。
 実際、王女のお国入りの後も地方では規模は小さいが結婚反対運動が起きていた。いずれも領主が首謀者を逮捕し国外追放すると運動は弱体化した。どうやら運動は領民の草の根から生まれたものではなく、外部の人間の扇動で起きたもののようだった。王家の放った間諜が運動が起きる前兆を察知、大きくなる前に芽を摘んだので、やがて運動は下火になった。一方で宮内省は王女の人となりを書いた文書を王都で発行されている新聞の記者に記事として提供、少しでも国民に親しみを感じさせるような手立てをうった。その結果、成婚は多くの国民に好意的に受け止められるようになっていた。それでも五十年前の戦争の記憶を持つ人々は不満を感じているらしく、この日の王都には厳戒態勢が敷かれていた。





 開場時間となり来客たちが広間に入って来た。貴族だけでなく平民出身の大臣、議会の議長、大学の教授、商工会の幹部らも招待されており、いつもと少しだけ違う空気が流れていた。
 ロバートは待っていた。怪力の持ち主らしい公爵家の末娘、ビクトリアを。
 なにしろ、調査対象の令嬢はほとんどタウンハウスから出て来ない。社交界の住人で会ったことがあるのは祖母の友人である老婦人ばかりである。彼女達は大概目が悪く耳も遠い。彼女達の証言では正確な容姿はわからない。ただ体格のいい老女を抱きかかえて運ぶ腕力の持ち主であるということがわかっただけである。そんな女ならきっと体格も普通の令嬢とは違うはずである。
 無論、辺境伯家も公爵家との交際がないわけではない。父のエドワードが生きている頃、王都に出るたびに母のグレイスは公爵夫人の茶会に招かれていた。未亡人となり領地に閉じこもりがちになってからはそういうこともなくなった。令嬢のことを調べるために、母を利用しようかと考えたこともあったが、好奇心旺盛な姉のリーズにかぎつけられ、あちこちに話を広められても困るので断念した。
 また、令嬢の次兄パトリックは同じパブリックスクールの二年上だった。卒業後彼はカレッジに入りずっと王都暮らしなので没交渉だった。高等遊民の次男坊と武辺者の近衛騎士団員には接点はなかった。ビクトリアの容姿を彼にきいてみようかと思ったが、変な勘ぐりをされると面倒だったので連絡しなかった。なにしろ、ランバート辺境伯は今や行き遅れになりそうな娘達の救世主なのだ。そんな男が妹に関心を見せたとなれば、パトリックは大喜びだろう。彼自身次男で爵位を持たず決まった仕事にも就いていない。妹を通じて辺境伯とのつながりができればおいしい仕事にありつけるかもしれないのだから。
 無論、バートリイ公爵家の奉公人や出入りの商人にも近衛騎士を接近させて調査させたが、彼らは皆口が堅かった。
 一か月の間に得た少ない情報からロバートは令嬢を南の国にいるというゴリラという巨大な猿のような女だと推定するしかなかった。
 令嬢を入場と同時に監視し、ダンスが始まったら声をかけ、できるだけガーフィールド公爵夫妻のいる場所から遠ざけなければならない。ゴリラのような女なら、男達は誰も声を掛けるはずがないからうまくゆくはずである。
 王立楽団の演奏が始まると、次から次へと来客が入場する。
 
「海軍大臣アームストロング元帥夫妻入場」
「ギルモア伯爵夫妻入場」
「カニンガム伯爵夫妻入場」

 来客の名を呼ぶ声がするたびにホールにさざ波のようにささやきが広がっていく。

「バートリイ公爵夫妻、並びにビクトリア嬢、パトリック卿入場」

 来た。パトリック卿はは独身なので、妹をエスコートしているらしい。
 ロバートは先ほどより増えて来た人込みをかき分けて公爵一家の姿を目で追った。彼の目の前に若い女性の大きく空いた夜会服の背中が見えた。
 見事な僧帽筋だった。真紅のドレスに縁どられた背中に盛り上がる筋肉は思わず手を伸ばしたくなるほどだった。これはきっと腕の筋肉もと思ったが、それはふんわりと膨らんだ袖に隠されて見えなかった。
 アデルの背中ももしかしたらこうだったのかもしれないと想像し、ロバートは赤面した。彼女の背中を見る機会があったらといまだに想像してしまう自分が恥ずかしかった。

「辺境伯様、こちらだったのですか」

 背筋に鳥肌が立った。最近パーティで事あるごとに話しかけてくるイーストン子爵令嬢の声だった。気付かぬふりをして離れようと足を速めた。だが、敵もさるもの、凄い速度で追いかけて来る。歩きにくいヒールの高い靴を履いているはずなのに。

「探していましたのよ」

 なんと前方から娘によく似た子爵夫人が現われた。挟み撃ちである。
 しつこい母娘だと思っていたが、御成婚記念大舞踏会という公的な場でここまであつかましい態度をとられると、さすがに腹も立つ。

「申し訳ありません。公務中ですので、あなた方と話したり踊ったりする暇はありません」

 はっきり言わないとわからないのでそう言って、無理矢理振り切った。
 二人から離れ、公爵一家を探した。見失ってしまったのは失態だった。幸い、ビクトリア嬢のドレスは目立つ色だった。色を頼りにロバートは公爵一家を探した。恐らく同格の公爵、あるいは侯爵の近くにいるはずである。
 国王の妹夫妻の近くで公爵夫妻はすぐに見つかった。だが、パトリック卿とビクトリア嬢の姿はない。
 おかしいと思って見回していると、色とりどりのドレスの中に真紅のドレスが垣間見えた。ロバートは急いでそちらへ向かった。ダンスが始まる前に誘っても不自然と思われぬ位置にいなければならない。
 よしここならと思って立ったのは彼らにほど近い壁際である。僧帽筋の発達した背中と赤いドレスで間違いない。パトリック卿もそばにいる。パトリック卿は若い女性に囲まれていた。彼はさわやかな笑顔で若い女性に人気があった。残念なことに次男であるがために、結婚まで至らぬようである。
 と、そのパトリック卿が振り返った。背後にいるからわからぬと思ったのだが。

「バート、ここだったのか」

 思いもかけぬことだった。パトリック卿は人懐こい、人によっては馴れ馴れしいと感じる笑顔で近づいて来た。妹のビクトリア嬢も兄を追った。

「え!?」

 ロバートはわけがわからなかった。ここは王宮の大広間である。辺境伯領からも公爵領からも遠く離れている。それなのに、なぜ?

「裏方仕事が忙しいと聞いていたけれど、ここにおいでだったとは」

 さわやかに微笑んだパトリックは妹に言った。

「この方がランバート辺境伯ロバート・アルバート・マカダムだ」

 ビクトリア嬢は美しい仕草でカーテシーをした。高位の貴族女性らしい気高い微笑をわずかに浮かべて。

「これは妹のビクトリアだ。パブリックスクールの夏休みにうちに来た時に会っただろう。といっても覚えてないだろうけれど。妹も四つだったからね」

 ロバートは言葉を失っていた。何と言えばいいのだろうか。この事態は何なのだ。目の前にいる女性は何者なのだ。

「妹……」

 これがパトリックの妹? 
 エドガーに害をもたらすかもしれぬゴリラのようなビクトリア嬢?
 違う。ロバートの記憶ではこの顔は……。
 さらにロバートに混乱をもたらしたのは、ビクトリア嬢の髪に飾られた赤いバラの飾りだった。
 これはアデルに贈ったもの。母上が作ったもの。
 どういうことだ。なぜアデルと同じ顔、同じ髪の色、同じ瞳の色をした女が母上の作った髪飾りをしているのだ。しかも、公爵の末娘とは。
 ロバートの頭は冷静ではない状態でようやく一つの考えを導き出した。
 この女はアデルの腹違いの姉妹ではないか。愛妻家と言われる公爵が何かの間違いで身分の低い女性との間に生したのがアデルではないのか。
 姉妹だと考えれば辻褄が合う。姉妹だから顔も似ているし、背丈も似ている、筋肉も同じように付きやすいのだろう。アデルはゴリラのビクトリアに虐げられているのかもしれない。公爵領に戻ったアデルから女は無情にも髪飾りを奪ったのではないか。
 筋肉をアデルは菓子作りに用いたが、ゴリラ、いやビクトリアはエドガーへの復讐に利用するのではないか。エドガーに害をなすかもしれないという噂はあながち間違いではないのかもしれない。
 ロバートの中で様々な疑念が膨らんでいった。 

「どうしたんだ、怖い顔をして」

 パトリックの不審げな表情に気付き、ロバートはしまったと思った。ゴリラに自分の思惑を知られてはならない。

「すまない。いろいろと心配があったもので」
「そうだろうね。僕には君のような仕事は絶対にできないよ。隣国と交渉なんて胃がおかしくなりそうだ。でも今夜は舞踏会だ。これまでの憂さを忘れて楽しめばいいさ。僕も妹にそう言ってるんだ。もっと楽しまなくてはね。噂を気にして家に籠っていても楽しいことはないからね」

 噂のことを家族も知っているらしい。だったらそんな面倒な妹を連れてくるなとロバートは言いたかった。だが、一方ではアデルの今の様子も知りたかった。パトリックは王都にいるから知らないかもしれないが、公爵領から出て来たビクトリアなら知っているかもしれなかった。

「そうだ。ダンスを頼むよ。妹はこういう場には不慣れでね」

 まさかビクトリアの兄から頼まれるとは思ってもいなかった。どうやらパトリックには別のお目当ての女性がいるらしい。

「いいのか」
「近衛騎士団一の伊達男ダンディが踊れないってことはないだろ。妹はタフだから、振り回されないようにしろよ」

 そう言うとパトリックは先ほどまで自分を囲んでいた女性達の元へ戻って行った。
 残されたのはビクトリア嬢だった。
 ロバートは改めてビクトリアを上から下まで見た。
 流行の髪型に結った髪の色、目の色が同じ。顔はアデルに瓜二つ。髪飾りは母の作ったもの。真紅の夜会服は上質の絹とレースがふんだんに使われている。腕は袖に覆われて太さがわからない。体格もドレスに隠されてわからない。ドレスの裾からちらりと見える靴は上質な革が使われているようだった。
 まるでアデルが上流貴族の女性の装いをしたかのようだった。
 
「辺境伯様、お願いします」

 声も同じだった。ロバートはアデルではないと思い込みたかった。だが、ここまで似ているとゴリラのビクトリアとは思えなくなってくる。
 それになぜか胸の動悸が激しくなってきた。さっきの子爵令嬢に追いかけられていた時の動悸とは明らかに違う。
 今は公務中だとロバートは心の中で繰り返した。

「私でよろしければお相手します」

 ロバートができるだけ私情を交えぬように言った時だった。ファンファーレが鳴った。

「ガーフィールド公爵御夫妻ご入場」

 人々の視線が広間の上座に向けられた。ビクトリアもそちらを見たのでロバートも目を向けた。 
 それは美しい一幅の絵のようであった。金色の巻き毛に凛々しい顔のエドガーと濃いブルネットの長い髪を高く結い上げた涼やかな表情のテオドラは神話の神々のように高貴かつ美しかった。
 続いてハロルド第一王子夫妻、国王夫妻が入場した。
 国王の開会の言葉と同時にフロアの中央にエドガーとテオドラが進んだ。人垣が左右にさっと割れ、新しい公爵夫妻のまわりの空間が広がった。
 王立楽団が三拍子の舞曲を奏で始めた。二人は手を取って初めてのステップを踏んだ。人々の口からため息がもれるほどに二人は美しかった。
 ビクトリアは姿勢を一切崩さず二人を見ていた。ロバートは身体の芯の筋肉が鍛えられているのだと思った。
 曲が終わると一斉に拍手が巻き起こった。ロバートはビクトリアの手を見た。拍手をしている手はアデルのように大きかった。
 次の曲が始まったら、手をとってできるだけガーフィールド公爵夫妻から離れよう。
 ロバートはビクトリアにそっと近づいた。

「行きましょう」

 公爵夫妻を中心に広がったダンスフロアにビクトリアを誘った。ビクトリアは小さくうなずき、ロバートとともに広間の中央に向かった。すでに大勢の男女が公爵夫妻を取り囲むように集まっていた。
 ロバートはできるだけ公爵夫妻から離れた場所に位置を定めると、ビクトリアの腕をとった。
 太い。もしかするとアデルと同じような腕をしているのだろうか。
 演奏が始まった。先ほどよりも軽快な曲だった。ロバートにも一応ダンスの心得はある。ビクトリアをリードして手をつなぎ、ステップを踏んだ。ビクトリアはまったく動きに遅れることなく、曲に乗っていた。パトリックが言ってたようにタフらしい。息を乱すことなくビクトリアは踊った。ロバートは踊りながら、公爵夫妻から離れるようにステップを踏んだ。曲が終わった時には、一番遠い位置に二人はいた。これでいいとロバートは思った。
 が、思いがけないことが起きた。踊らずに見ていた人々の中から声が聞こえた。

「辺境伯様、踊られるんですね」

 声を発したのは先ほどのイーストン子爵夫人だった。横には口を尖らせている令嬢がいた。
 面倒な奴らだとロバートは思った。ビクトリアは少しも表情を変えていない。さすがは公爵令嬢である。
 その時次の曲が始まった。パートナーチェンジをしなければならないのだが、構わずロバートはビクトリアの腕をとって、子爵母娘から離れた。
 それを見た婦人達はさあ大変と顔を見合わせた。

「あれはどちらの」
「たぶんバートリイ公爵家の末の」
「え! あの」
「そうよ。あの方よ」
「辺境伯と……」
「これは事件よ」

 ざわめきとともに、淑女たち、紳士たちの間にガーフィールド公爵の結婚以上に衝撃的な話が広まっていく。
 ロバートはそんなことになっているとは思わず、ビクトリアとできるだけ目立たない場所に踊りながら移動した。不作法だが、面倒くさい女達に追われて任務が遂行できなくなるよりはましだった。
 ビクトリアはそんなロバートに驚く様子もなく、踊りながらついていく。
 どうにか踊りの輪を抜けて誰もいないバルコニーまで出たロバートは安堵のため息をもらした。周囲には誰もいない。バルコニーに灯りはなく月の光だけが二人を照らしていた。

「辺境伯様、もうおしまいですの」

 アデルと同じ声にロバートは振り返った。

「疲れませんか」
「いいえ。これくらい何でもありません。兄の申したようにタフですので」

 小さな笑い声が聞こえた。これもアデルと同じだった。気味が悪いほどそっくりだった。
 異母姉妹ではなく双子かもしれない。だが、双子の片割れが菓子職人とはありえない。仮にも公爵家の令嬢なのだ。では一体ここにいるビクトリアは何者なのだ。
 ロバートはこんなわけのわからない状態をそのままにしておくのに耐えられなくなっていた。連日の緊張状態で疲れがたまっていたせいかもしれない。これがランバートにいる時なら、この女の正体を探るために自分の真意を隠してもっと長く接することができたかもしれない。
 ビクトリアに向かって正面を向くと、ロバートは尋ねた。

「あなたは本当にビクトリア嬢ですか」
「ええ。バートリイ公爵エイブラハム・ガブリエル・ホークの四女です」

 真っ直ぐに見つめられ、ロバートはまたも胸の動悸が激しくなるのを感じた。いけない。彼女は警戒監視対象だ。

「アデルという娘を知っていますか。去年の十月まで辺境伯領で菓子職人をしていました。十一月になって突然店を辞めて故郷の公爵領に帰ってしまった。私と母の命の恩人で、何もまだ恩を返していないのに」

 話しているうちに、鼻の奥がつんとしてきた。

「あなたはあまりに彼女に似ている。まるで、アデルが公爵令嬢に仮装したかのようだ」

 ビクトリアはロバートの割れ顎を見つめた。

「仮装したら逮捕ですか。10月31日ではないのに」



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