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十八 無私
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結局、俺は弁護士にはならなかったし、東大にも行かなかった。
地元の国立の理系の学部を卒業した。
弁護士になった場合(なれればの話だが)、あの遺伝上の父親の属する反社会的組織と対決する可能性がわずかだがあった。彼が俺と会おうとしないところを見ると、法廷でも会いたくはないはずだった。
それに理系の勉強や実験が俺には向いていた。大学院の前期課程を修了した後、最初に就職したのは企業の研究部門だった。
だが、ここで俺はつまずいた。簡単に言えば、女性問題だ。それまで男の多い学校にいて女に疎かった俺は同期の女子社員が自分に好意を持っていると勘違いしてしまった。それで頻繁にメールをしたり仕事の後に話しかけたりしたのだが、それが彼女にはストーカーに思われたらしい。俺は彼女の身体に指一本触れなかったし、半径一メートル以内に近づいたこともなかったのに。
まずいことに研究部門の事務に同じ町出身の男がいた。俺が小学生の頃に家族そろって町を出た上に年上なのでまったく気づかなかった。その男が、俺のことをならず者の一家の息子で家族そろってとんでもない連中だと教えたものだから、彼女はパニックになり、人事に訴えた。あの男は俺が父の実の子ではないと知っていたはずなのだが。
人事の調査が入り、明らかなストーカーとは認定されなかったものの、女性との距離の取り方に問題ありと見なされ、別の部門に異動となった。そうなると、なんとなく周囲との関係もうまくいかなくなり、俺は一年で退職した。
考えてみれば、俺が知っている身近な女は、不倫をしてしまった母、直情径行の姉、遊んでばかりいる妹くらいで、普通の女性の感性というのがわからなかったのだ。祖母や曾祖母となると、女には見えない。学校の先生も性別など気にしたことがなかった。
その癖、昔読んだ文庫本の小説のおかげで、妄想だけは人並み以上だった。実体験のない頭でっかちの俺のやったことはことごとく的外れだったのだと思う。
要するに俺は世間知らずの甘ちゃんだったのだ。こんな男が法曹界をめざさなくてよかったとつくづく思う。
加えて彼女に俺の家族のことを教えた男。
赤の他人の医者や看護師でさえ、まったく俺の家庭のことを洩らさなかったのに。
同郷だからといって信じられるわけではないと俺は思い知らされた。
そんな俺に声をかけたのが、同い年の和尚の息子だった。仏教系の学校で教鞭をとっていた彼は、俺のことを案じ就職先をあれこれ探してくれた。
そしてやっと見つけたのが今の職場だ。
俺の境遇や前の職場でのことがあるにもかかわらず、雇ってくれて、本当にありがたかった。
もう俺は女性とは関わらず、仕事一筋で生きようと思っている。
生徒? あれは女性ではない。
もう少し適切な言い回しはないかと思うが、商品には手を出すなと和尚の息子も言っている。
姓のことは成人式の前から考えていた。
父の一族の姓を名乗るということは、父の家業を背負ってこの先も生きていくということになるのではないか。
家業を背負う気持ちのない俺にとって父の姓は重過ぎた。前の職場でのこともあり邪魔でしかなかった。
母の姉の娘である従姉に相談した。今は彼女だけが唯一の身内だった。
すると、洞田の家を継いで欲しいと言われた。洞田家は母の兄夫婦もその子どもも亡くなり、姓を継ぐ者がいなくなっていた。母の姉の子どももこの従姉しかいない。
それならと俺は決めた。
洞田姓の人間のいない状況で戸籍の姓を変えるのは困難だが、通称ならばと。また墓所の管理もすると決めた。
従って、俺の姓は戸籍では父のものだが、通称は母方の姓「洞田」である。
最初の就職先では前例がないと言われたが、今の職場では俺の父がこういう人間でと事実を語っただけで事務方が了承した。
その名のおかげで、安積一族に見つかってしまったわけだが。
問題はこの先洞田姓を継ぐ人間がいなくなる恐れがあるということだ。女性と関わらずに結婚し子どもを持つなど不可能だからだ。
その時は従姉の子どもを養子にしようと思っている。
名まえといえば西郷隆盛。
この手紙にあるように本名は隆永だったのだ。
彼の立場なら名まえを後から訂正しようと思えばできたはずなのに、彼はしなかった。
細かいことにこだわらないおおらかな人だったのか。
あるいは、彼にとって己の名まえなどどうでもいいことだったのかもしれない。
彼は写真すら残していない。
己の姿かたちも名まえも、彼にとっては残す価値のないものだったのだろう。
彼が妻の糸子との間に授かった三人の子の名も現代人の目から見れば、いい加減に思えるかもしれない。
寅年生まれの寅太郎、午年生まれの午次郎、酉年生まれの酉三ときてる。
現代人の凝りに凝りまくった名まえとは正反対の付け方といえる。
だが、彼に子どもへの愛情がなかったということはないはずだ。
話を元に戻そう。
彼が残したかったものは何か。
恐らく、新しい国家だ。
だが、その新しい国家に己はもう必要とされないということを彼は知ってしまった。
外遊から戻ってきた同郷の大久保利通らとの対立した彼は辞表を出して野に下った。
やがて西日本各地で士族の反乱が起こる。これが火種となり日本中に広がれば、やがては外国が介入するかもしれない。
なんとか国を一つにまとめるにはどうすればいいのか。
反乱を起こす士族を一掃し、二度と起きないようにすればいい。
どうやって?
そんな時に私学校の生徒達が政府の火薬庫から武器・弾薬を大量に奪い取った。
大隅半島で狩りをしていたところへ一報がもたらされた時、西郷は何を思ったのか。軍人であった彼はこの先に起きることがわかってしまったのではなかろうか。
若く血気にはやる私学校の者や士族を止める術はないと。
ならば、せめて己が滅することによって反乱をこれ以上起こさぬようにすればよいと。そうすれば、新しい国家は残った者達で作ってくれるだろうと。
彼は約三万の軍勢を率い鹿児島を出て戦った。だが、官軍七万の前に敗れ去った。
西郷側は六七六五人、政府側は六四〇三人が戦死した。
明治十年(一八七七年)九月二十四日、彼は城山で自決した。
だが、人々は彼を忘れなかった。
姿かたちも名まえも残す価値はないと彼は思っていたかもしれないのに。
火星が大接近すると、その輝きの中に西郷隆盛の姿を人々は見た。
明治二十四年(一八九一年)ロシア皇太子ニコライが来日した時には西郷が皇太子とともに帰国するという噂まで出た。
明治三十一年(一八九八年)には上野公園に銅像が建立された。故郷にも昭和十二年(一九三七年)軍服姿の銅像が建立された。
他にも功績のあった明治の元勲は大勢いて写真も数多くあるのに、なぜか彼だけはいつまでも忘れられなかった。
写真一枚ない男が皮肉なことに銅像になるとは。
俺が思うに、恐らく、大きな穴が人々にも開いてしまったからだと思う。
彼は明治より前の何かとてつもなく大きなものもこの国から一緒に背負って行ってしまったのではないか。
人々はそれが何かわからぬまま、ただ大きな空虚なものを胸に抱えたのではないか。
それを埋めるために星に彼を見、異郷に逃げ延びたと思い、あるいは銅像を作ったのではないか。
彼がこの国から持ち去ってしまったものは何なのか。
俺は哲学も歴史もよくわからない。
だが、うっすらと感じるのだ。
穴は俺が父や兄弟姉妹を失った時から感じている穴と似ているように。
無論、破落戸一家と英雄を比較するのは烏滸がましい話だ。
けれど、英雄よりも破落戸の父たちのほうが俺のずっと近くにいたのだ。
だから、単純な比較くらい許して欲しい。
父も兄弟姉妹も日記など残さなかった。祖父母もだ。母は家計簿だけを残した。
家族のだれ一人インターネットもせず、ブログも書かなければSNSも利用しなかった。
何の意見も主義主張も残さなかった人々だった。
けれど、彼らの生き方は俺の甘い考えなどせせら笑うような力強いものだった。
彼らは欲望のままに生きていた。人からどう見られようと己の信じる欲望のままに。
だから、彼らの行動は決して彼ら自身の利益にならぬことも多かった。父は暴力ゆえに服役したし、姉は停学になった。兄も退学寸前までいった。妹は同級生から嫌われ、弟は自転車で無茶な乗り方をして骨折した。すべて自分がやりたいからやったことの結果で、その落とし前は自分でつけることになった。
そこまで潔い欲望を俺は知らない。
たぶん、俺には彼らのような生き方はできない。したいとも思わない。
なぜなら、俺は俺という存在が大事だからだ。他人から嫌われたくない、他人からどう思われるか気になる、他人と接して傷付きたくない……。俺は結局傷付きたくないだけの弱い男なのだ。
一つ言えるのは、父たちが他人の目を意識することなく自分の意思を最後まで貫いたことだ。
やりたいからやった。何か文句があるのか。そう父から問われたら、俺は何も言えない。
恐らく、西郷という人もまた、他者の目ではなく自分の心から欲することを行なった人なのだと思う。無論、凡人とは違い、彼の心から欲するものは高潔高邁なものであった。そのためには我が身を投げ出すことを彼は厭わなかったのだと思う。
我が身も名まえも残すことを望まず、ただ天から与えられた使命を生きる。
そんな男がこの世を去った後、その生き方に接した人々は忘れることができるだろうか。
父の姿を最後に見たのは俺の同級生だ。
『こんなとこでグズグズしてんじゃねえ、さっさと寺へ行け』
家から飛び出てあたふたしていた同級生の襟首をつかんだ父はそう言うと、近くの一人住まいの老人の家に向かって走って行ったと言う。
同級生は何も考えずに近所の人々と一緒にただただ寺へ向かった。石段を半分くらいまで登った時、背後から聞いたこともないようなうねる波音が近づいた。同級生は駆け上った。振り返らずに。
俺は返信をしたためるべく便箋を机の引き出しから出した。
地元の国立の理系の学部を卒業した。
弁護士になった場合(なれればの話だが)、あの遺伝上の父親の属する反社会的組織と対決する可能性がわずかだがあった。彼が俺と会おうとしないところを見ると、法廷でも会いたくはないはずだった。
それに理系の勉強や実験が俺には向いていた。大学院の前期課程を修了した後、最初に就職したのは企業の研究部門だった。
だが、ここで俺はつまずいた。簡単に言えば、女性問題だ。それまで男の多い学校にいて女に疎かった俺は同期の女子社員が自分に好意を持っていると勘違いしてしまった。それで頻繁にメールをしたり仕事の後に話しかけたりしたのだが、それが彼女にはストーカーに思われたらしい。俺は彼女の身体に指一本触れなかったし、半径一メートル以内に近づいたこともなかったのに。
まずいことに研究部門の事務に同じ町出身の男がいた。俺が小学生の頃に家族そろって町を出た上に年上なのでまったく気づかなかった。その男が、俺のことをならず者の一家の息子で家族そろってとんでもない連中だと教えたものだから、彼女はパニックになり、人事に訴えた。あの男は俺が父の実の子ではないと知っていたはずなのだが。
人事の調査が入り、明らかなストーカーとは認定されなかったものの、女性との距離の取り方に問題ありと見なされ、別の部門に異動となった。そうなると、なんとなく周囲との関係もうまくいかなくなり、俺は一年で退職した。
考えてみれば、俺が知っている身近な女は、不倫をしてしまった母、直情径行の姉、遊んでばかりいる妹くらいで、普通の女性の感性というのがわからなかったのだ。祖母や曾祖母となると、女には見えない。学校の先生も性別など気にしたことがなかった。
その癖、昔読んだ文庫本の小説のおかげで、妄想だけは人並み以上だった。実体験のない頭でっかちの俺のやったことはことごとく的外れだったのだと思う。
要するに俺は世間知らずの甘ちゃんだったのだ。こんな男が法曹界をめざさなくてよかったとつくづく思う。
加えて彼女に俺の家族のことを教えた男。
赤の他人の医者や看護師でさえ、まったく俺の家庭のことを洩らさなかったのに。
同郷だからといって信じられるわけではないと俺は思い知らされた。
そんな俺に声をかけたのが、同い年の和尚の息子だった。仏教系の学校で教鞭をとっていた彼は、俺のことを案じ就職先をあれこれ探してくれた。
そしてやっと見つけたのが今の職場だ。
俺の境遇や前の職場でのことがあるにもかかわらず、雇ってくれて、本当にありがたかった。
もう俺は女性とは関わらず、仕事一筋で生きようと思っている。
生徒? あれは女性ではない。
もう少し適切な言い回しはないかと思うが、商品には手を出すなと和尚の息子も言っている。
姓のことは成人式の前から考えていた。
父の一族の姓を名乗るということは、父の家業を背負ってこの先も生きていくということになるのではないか。
家業を背負う気持ちのない俺にとって父の姓は重過ぎた。前の職場でのこともあり邪魔でしかなかった。
母の姉の娘である従姉に相談した。今は彼女だけが唯一の身内だった。
すると、洞田の家を継いで欲しいと言われた。洞田家は母の兄夫婦もその子どもも亡くなり、姓を継ぐ者がいなくなっていた。母の姉の子どももこの従姉しかいない。
それならと俺は決めた。
洞田姓の人間のいない状況で戸籍の姓を変えるのは困難だが、通称ならばと。また墓所の管理もすると決めた。
従って、俺の姓は戸籍では父のものだが、通称は母方の姓「洞田」である。
最初の就職先では前例がないと言われたが、今の職場では俺の父がこういう人間でと事実を語っただけで事務方が了承した。
その名のおかげで、安積一族に見つかってしまったわけだが。
問題はこの先洞田姓を継ぐ人間がいなくなる恐れがあるということだ。女性と関わらずに結婚し子どもを持つなど不可能だからだ。
その時は従姉の子どもを養子にしようと思っている。
名まえといえば西郷隆盛。
この手紙にあるように本名は隆永だったのだ。
彼の立場なら名まえを後から訂正しようと思えばできたはずなのに、彼はしなかった。
細かいことにこだわらないおおらかな人だったのか。
あるいは、彼にとって己の名まえなどどうでもいいことだったのかもしれない。
彼は写真すら残していない。
己の姿かたちも名まえも、彼にとっては残す価値のないものだったのだろう。
彼が妻の糸子との間に授かった三人の子の名も現代人の目から見れば、いい加減に思えるかもしれない。
寅年生まれの寅太郎、午年生まれの午次郎、酉年生まれの酉三ときてる。
現代人の凝りに凝りまくった名まえとは正反対の付け方といえる。
だが、彼に子どもへの愛情がなかったということはないはずだ。
話を元に戻そう。
彼が残したかったものは何か。
恐らく、新しい国家だ。
だが、その新しい国家に己はもう必要とされないということを彼は知ってしまった。
外遊から戻ってきた同郷の大久保利通らとの対立した彼は辞表を出して野に下った。
やがて西日本各地で士族の反乱が起こる。これが火種となり日本中に広がれば、やがては外国が介入するかもしれない。
なんとか国を一つにまとめるにはどうすればいいのか。
反乱を起こす士族を一掃し、二度と起きないようにすればいい。
どうやって?
そんな時に私学校の生徒達が政府の火薬庫から武器・弾薬を大量に奪い取った。
大隅半島で狩りをしていたところへ一報がもたらされた時、西郷は何を思ったのか。軍人であった彼はこの先に起きることがわかってしまったのではなかろうか。
若く血気にはやる私学校の者や士族を止める術はないと。
ならば、せめて己が滅することによって反乱をこれ以上起こさぬようにすればよいと。そうすれば、新しい国家は残った者達で作ってくれるだろうと。
彼は約三万の軍勢を率い鹿児島を出て戦った。だが、官軍七万の前に敗れ去った。
西郷側は六七六五人、政府側は六四〇三人が戦死した。
明治十年(一八七七年)九月二十四日、彼は城山で自決した。
だが、人々は彼を忘れなかった。
姿かたちも名まえも残す価値はないと彼は思っていたかもしれないのに。
火星が大接近すると、その輝きの中に西郷隆盛の姿を人々は見た。
明治二十四年(一八九一年)ロシア皇太子ニコライが来日した時には西郷が皇太子とともに帰国するという噂まで出た。
明治三十一年(一八九八年)には上野公園に銅像が建立された。故郷にも昭和十二年(一九三七年)軍服姿の銅像が建立された。
他にも功績のあった明治の元勲は大勢いて写真も数多くあるのに、なぜか彼だけはいつまでも忘れられなかった。
写真一枚ない男が皮肉なことに銅像になるとは。
俺が思うに、恐らく、大きな穴が人々にも開いてしまったからだと思う。
彼は明治より前の何かとてつもなく大きなものもこの国から一緒に背負って行ってしまったのではないか。
人々はそれが何かわからぬまま、ただ大きな空虚なものを胸に抱えたのではないか。
それを埋めるために星に彼を見、異郷に逃げ延びたと思い、あるいは銅像を作ったのではないか。
彼がこの国から持ち去ってしまったものは何なのか。
俺は哲学も歴史もよくわからない。
だが、うっすらと感じるのだ。
穴は俺が父や兄弟姉妹を失った時から感じている穴と似ているように。
無論、破落戸一家と英雄を比較するのは烏滸がましい話だ。
けれど、英雄よりも破落戸の父たちのほうが俺のずっと近くにいたのだ。
だから、単純な比較くらい許して欲しい。
父も兄弟姉妹も日記など残さなかった。祖父母もだ。母は家計簿だけを残した。
家族のだれ一人インターネットもせず、ブログも書かなければSNSも利用しなかった。
何の意見も主義主張も残さなかった人々だった。
けれど、彼らの生き方は俺の甘い考えなどせせら笑うような力強いものだった。
彼らは欲望のままに生きていた。人からどう見られようと己の信じる欲望のままに。
だから、彼らの行動は決して彼ら自身の利益にならぬことも多かった。父は暴力ゆえに服役したし、姉は停学になった。兄も退学寸前までいった。妹は同級生から嫌われ、弟は自転車で無茶な乗り方をして骨折した。すべて自分がやりたいからやったことの結果で、その落とし前は自分でつけることになった。
そこまで潔い欲望を俺は知らない。
たぶん、俺には彼らのような生き方はできない。したいとも思わない。
なぜなら、俺は俺という存在が大事だからだ。他人から嫌われたくない、他人からどう思われるか気になる、他人と接して傷付きたくない……。俺は結局傷付きたくないだけの弱い男なのだ。
一つ言えるのは、父たちが他人の目を意識することなく自分の意思を最後まで貫いたことだ。
やりたいからやった。何か文句があるのか。そう父から問われたら、俺は何も言えない。
恐らく、西郷という人もまた、他者の目ではなく自分の心から欲することを行なった人なのだと思う。無論、凡人とは違い、彼の心から欲するものは高潔高邁なものであった。そのためには我が身を投げ出すことを彼は厭わなかったのだと思う。
我が身も名まえも残すことを望まず、ただ天から与えられた使命を生きる。
そんな男がこの世を去った後、その生き方に接した人々は忘れることができるだろうか。
父の姿を最後に見たのは俺の同級生だ。
『こんなとこでグズグズしてんじゃねえ、さっさと寺へ行け』
家から飛び出てあたふたしていた同級生の襟首をつかんだ父はそう言うと、近くの一人住まいの老人の家に向かって走って行ったと言う。
同級生は何も考えずに近所の人々と一緒にただただ寺へ向かった。石段を半分くらいまで登った時、背後から聞いたこともないようなうねる波音が近づいた。同級生は駆け上った。振り返らずに。
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