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十七 かしこ

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 去年の暮れ頃、今年三月に中学を卒業する哲子が別の高校を受験したいと言い出しました。
 哲子は私立の中高一貫の女子校に通っており、そのままちゃんと勉強していれば系列の女子大まで厳しい受験をせずに進学できるはずです。それなのに外部の学校を受験したいとは一体どういうことなのか。その理由を問いただしたところ、哲子は初めて驚くような話を私どもや両親に話したのでございます。
 理由はいじめでした。
 盛和も嫁も全く気付いておりませんでした。
 哲子はじっと我慢していたのです。
 我が家では昔ながらの躾で子どもに高額な小遣いは与えず、学用品などが必要な時に必要な金額を母親に要求するという形で金銭を管理させておりました。
 門限も子どもだけの時は六時と決めておりました。
 中学生ですから、子どもの身を守る責任が親にはあります。それくらいは当然のことでしょう。
 ですが、哲子のクラスメートはそうでない子が多かったのです。放課後はお茶やお花のお稽古事がありますから、お友達と遊びに行くこともあまりなく、スマートフォンでのアプリでのやりとりにも参加することのなかった哲子はクラスの中では変わり者と思われていたようです。
 本人の知らない間に、インターネットの中で哲子はいじめられていたのです。
 私たちにはまったくわけのわからない話でした。普通いじめというのは持ち物を隠されたり、暴言を浴びせられたり、暴力を振るわれるもののはずです。
 ところが、そうではないのです。インターネットの上で陰口を言われ、不審なサイトに書き込みをされ、知らない人から口にするのも憚られるような内容の電話やメールが来る。そういう恐怖を哲子は二年余り味わっていたのです。
 親に相談すればかえって親に心配をかけたり、逆恨みされたりするのではないかと不安でずっと言えなかったというのです。
 それに自分の周囲のことについて不平不満を言ってはならないと子どもの頃から躾けられておりましたので、それもあってますます何も言えなくなってしまったようです。
 さすがに三年になり、もうこれ以上は我慢できないと、受験をしたいとやっとの思いで家族に話したのです。
 その気持ちに気付くことができなかったことを私どもは恥じました。仕事や家事の忙しさにかまけ、大事な孫娘の傷ついた心に気付くことができなかったとは、なんということでしょうか。
 しかもそういう事態が起きるような学校に孫を任せていたとは。



 思えば私どもの祖先たちは動乱の中、なんとか国をまとめよう守ろうと血を流しながら戦って参りました。最初に書いた西南の役で流れた血で士族の反乱はほとんどなくなり、日清日露の戦いで欧米列強の進出にも負けぬ国となり、日中、太平洋の戦争では大勢の人々の死も空しく国は破れました。それでも人々は必死の思いでそこから這い上がり、平和な国を作ろうとして参りました。
 でも、その結果の社会がこのありさまです。真面目に中学生として生きている少女を苛めて恥じない人間のいる社会。そしてそれに気付けなかった大人の私たち。
 先人が命を懸けて守った国の今のありさまを見たらどう思われることでしょうか。
 話が少しそれてしまいました。元に戻ります。



 盛和はすぐにクラスの担任に相談し、外部の高校を受験させることを決めました。担任と一度話しただけで、これでは駄目だと思ったと言っておりました。どういうやりとりがあったのかは言いませんでしたが、そう思わせる何かがあったのでしょう。
 出版社に勤める次男の盛明が学校の評判に詳しかったので、相談したところ、都内の私立の高校をいくつか勧められました。
 その中で哲子の性格や当家の教育方針と合う学校を選び受験させました。真面目な哲子は中学三年間、こつこつと勉強しておりましたので、特に受験勉強といって夜中まで勉強することなく、高校に合格しました。



 さて、受験に合格し、入学説明会も終わったある日、哲子が一年の副担任の先生の中に洞田先生という先生がいたと申しました。「洞田」という名は我が家では決しておろそかにはできない名、日露の戦で戦った盛之翁の命の恩人として語られておりましたので、気にかかりました。とはいえ面識のない私どもが面と向かって、出身地や祖父母の名をお尋ねするわけにも参りません。



 学校が始まり通学距離が伸びたにも関わらず哲子は毎日楽しそうに学校に行くようになりました。中学の時とは大違いです。祖母としてこんなに嬉しいことはありません。
 ですが洞田先生のことが気にかかります。
 私たちは再びT夫人の力を借りることにしました。
 T夫人は快く応じてくださいました。
 あなた様には何の断りもせずに私どもがあなた様のことを調べたこと、どうかお許しください。
 ですが、もし洞田貞吉の関係者でなかった場合、あなた様に大変に気を遣わせることになりそうでしたので、そうするしかなかったのです。
 今この手紙で謝罪をするのもお恥ずかしい話なのでございますが。



 さて、T夫人の調査で判明したことに私どもは驚きを禁じえませんでした。
 あなた様は洞田貞吉さんの孫のトミノさんの次女の明子さんの息子さんだったのですね。お母様の旧姓の洞田を名乗っていたのは、やはりお父様の姓を慮ってのことだったのでしょうか。
 あなた様のお父様の評判を知り連絡をためらっていたことを、私どもは改めて恥ずかしく思いました。


 
 あなた様はX家の次男としてお生まれになったのですね。
 五人きょうだいの真ん中で兄と姉と妹と弟に囲まれ、さぞにぎやかな中でお育ちになったのでしょう。ご両親、父方のおじいさま、おばあさま、ひいおばあさま、お兄様の奥様とそのお子さんと、大家族の中で育ち、今はそのすべての方と幽冥境を異にしていることを思うと、その悲しみを想像するだけで私は悔しくてなりません。
 あなた様が一番助けを必要としたかもしれない時に、何も知らず、何もしなかったのですから。
 それだのに、あなたという方は、誰を恨むこともなく一生懸命勉学に励み、卒業後は故郷を遠く離れた場所で就職し、今を生きていらっしゃる。



 先日、PTA総会に伺いました折、実際に顔を見て、この話をいつ切り出そうかと考えておりました。
 その日、あなた様の顔を見て、大丈夫だと私は思いました。
 そこで総会終了後、話をごくごく簡単に切り出しました。そして確信しました。やはりこの人は洞田貞吉の子孫だと。穏やかに微笑んだ顔が、言い伝え通りだと思ったのです。
 恐らく洞田貞吉はあなたと同じような顔で安積盛之に『おめえは長生きするだ。』と言い、それを信じ、盛之はその通りに八十三年という当時の平均余命よりも長い人生を送れたのだと思います。
 本当に貞吉様には安積家一同、感謝の念を禁じえません。安積家が今あるのは、すべて貞吉様のおかげにございます。
 そして、その血を受け継ぐあなた様が生きていて本当によかった。
 私たちはあなたに何もできませんでした。自分たちのことで手一杯でというのは言い訳にしかなりません。調べようと思ったら調べることができたかもしれないのですから。 
 本当に申し訳ありません。



 この手紙を書き出し、はや五日。読み返すと、自慢めいたくだりや言い訳のような文面もございますが、書き直して、読みやすくしても、かえってあざとくなってしまいそうで、これで切り上げることにいたします。
 私ども一家で今年のうちに洞田家の墓参をしたいと思っております。場所をお教え願えれば幸いです。



 最後になりますが、孫娘に楽しい学校生活を授けてくださりありがとうございます。
 図々しい話かもしれませんが、安積家を親戚と思って今後はお付き合いくださいませ。私も夫も息子一家もあなたにできるだけのことをしたいと思っております。 
 これからもよろしくお願いします。
 あなた様の幸いを祈って筆を擱きたいと思います。

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