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原手合戦
原手合戦の終結
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その時、小田助右衛門は家臣らと尼子を倒す作戦を考えていた。
地形では明らかに不利だが、兵では僅かながらこちらが有利である。
とはいえ、山中鹿之介の兵は山陰最強と言われている強兵。
簡単には勝てないだろう。
それに最近毛利から離反した米原綱寛は山中鹿之介・立原久綱らとは離れたところに陣を張っており、アレが我が軍に攻めてくると我が軍は壊滅するだろう。
「助右衛門様!まず最初に離れた場所に陣を張っている米原綱寛から攻めた方が良いのではないでしょうか?」
小田助右衛門の側近は裏切り者の米原隊から潰した方が良いと思った。
だが、助右衛門はそれを認めなかった。
「確かに米原は我らを裏切った人間で今は尼子の味方をしている。だが、ここで尼子が不利になれば手のひらを返したかの様に我らの味方をするだろう。」
小田助右衛門には米原綱寛の考えが分かっていた。
俺達は毛利の家臣だが毛利の為に戦っているわけではない。
生きていくために強い方に属して戦っているだけだ。
忠誠を尽くすほど毛利に思い入れはない。
実際に大名が滅ぶときは家臣の離反が多発する時だ。
殆どの大名の家臣達は主君に忠義を尽くすというより、自分が生きていくために戦っている。
だから忠義よりも生きる道を取る武将が殆どなのである。
そう考えると戦国時代の謀反・離反は裏切りじゃなく生きる知恵とも取れる。
「では行くぞ。我らから山中鹿之介に攻撃を仕掛けてやろう。」
そう言い、助右衛門は全軍に伝達。
第一陣に山中鹿之介の部隊に攻撃命令を出した。
第一陣の部隊長は指示に従い鹿之介の部隊に攻撃をかけた。
先制攻撃を仕掛け、勝負を毛利のペースで動かすことが目的である。
だが、毛利軍の動きは鹿之介からはよく見えていた。
地形的な意味で鹿之介は勝っており、敵の第一陣の攻撃を事前に察知できていた。
察知できていたということは対策を練ることが出来るということだ。
このとき鹿之介は自身の軍を三隊に分け、そのうち二隊をあらかじめ左右に伏せさせておいた。
そして毛利軍が来ると、まず中央の部隊が敵に正面から当たり、敗走を装いながら後退した。
これは「釣り」であり、敵が追撃するために前進すると、左右両側から伏兵に襲わせた。
これが「野伏せ」であり、この敗走を装っていた中央の部隊が反転し逆襲に転じることで三面包囲が完成した。
これをいわゆる「釣り野伏せ」という戦法と言い、薩摩の戦国大名島津氏が考案した戦法である。
また大友配下の立花道雪も類似した戦法を用いていた。
この戦法の要点は敵を誘引する中央の囮部隊にある。
戦場での退却は容易に潰走へ陥りやすい上に、敵に警戒されないように自然な退却に見せかけなければならない。
この最も困難な軍事行動である「統制のとれた撤退」を行うためには、高い練度・士気を持つ兵と、戦術能力に優れ冷静に状況分析ができ、かつ兵と高い信頼関係にある指揮官が不可欠である。
何はともあれ、この釣り野伏せによって第一陣を壊滅させた鹿之介はこの勢いに乗り第二陣を切り崩しにいく。
勢いに乗った鹿之介の軍は第二陣の敵も壊滅させ敵本陣に向かう。
この勢いは釣り野伏せで第一陣を撃破した以外に山中軍の元々の地力があった。
鹿之介の部隊は尼子の精鋭と言われているだけあって徹底的に鍛え上げられている。
そして山中軍の全兵が何らかの功を立てており、皆自分に自信がある。
勝負の世界にこの様な台詞がある。
『自信とは楽観的勘違い』
山中軍が本当に一人一人が強いなんて関係ない。
激しい戦いで生き抜き、運良く手柄をたてた。
運良く立てた手柄が自分の力で勝ち取ったと勘違いしたって構わない。
これが自信になるのなら、むしろ好都合なのである。
『自信は勢いに変わる。勢いは力に変わる。』
この言葉の通り山中軍は物凄い勢いが有り、力があるように見えるのだ。
敵の本陣に向かった鹿之介は遠く離れた米原綱寛に合図の狼煙をあげた。
この狼煙は合戦の前に米原とのやり取りで伝えていた合図である。
鹿之介は米原が尼子が不利になったら毛利に再び付こうと考えていたのを見抜いていたのである。
だが、ここで小田助右衛門は壊滅の危機、ここらで尼子の戦いに参加しないとこれからの戦いで扱いが酷くなる恐れがある。
鹿之介のこの狼煙は言うならば米原の背中を押してあげたのである。
ここで小田助右衛門を討ち取り本格的に尼子の味方になれ…と。
米原は少し悩んだが、しばらくして総勢700の兵を率いて小田助右衛門の本陣に奇襲をかけた。
小田助右衛門の軍は尼子の精鋭部隊相手に奮戦していたが米原隊が小田の軍に横槍を入れ、小田軍は敗走していった。
小田助右衛門は乱戦の中で鹿之介の部隊に討ち取られた。
これにて原手合戦は幕を閉じた。
地形では明らかに不利だが、兵では僅かながらこちらが有利である。
とはいえ、山中鹿之介の兵は山陰最強と言われている強兵。
簡単には勝てないだろう。
それに最近毛利から離反した米原綱寛は山中鹿之介・立原久綱らとは離れたところに陣を張っており、アレが我が軍に攻めてくると我が軍は壊滅するだろう。
「助右衛門様!まず最初に離れた場所に陣を張っている米原綱寛から攻めた方が良いのではないでしょうか?」
小田助右衛門の側近は裏切り者の米原隊から潰した方が良いと思った。
だが、助右衛門はそれを認めなかった。
「確かに米原は我らを裏切った人間で今は尼子の味方をしている。だが、ここで尼子が不利になれば手のひらを返したかの様に我らの味方をするだろう。」
小田助右衛門には米原綱寛の考えが分かっていた。
俺達は毛利の家臣だが毛利の為に戦っているわけではない。
生きていくために強い方に属して戦っているだけだ。
忠誠を尽くすほど毛利に思い入れはない。
実際に大名が滅ぶときは家臣の離反が多発する時だ。
殆どの大名の家臣達は主君に忠義を尽くすというより、自分が生きていくために戦っている。
だから忠義よりも生きる道を取る武将が殆どなのである。
そう考えると戦国時代の謀反・離反は裏切りじゃなく生きる知恵とも取れる。
「では行くぞ。我らから山中鹿之介に攻撃を仕掛けてやろう。」
そう言い、助右衛門は全軍に伝達。
第一陣に山中鹿之介の部隊に攻撃命令を出した。
第一陣の部隊長は指示に従い鹿之介の部隊に攻撃をかけた。
先制攻撃を仕掛け、勝負を毛利のペースで動かすことが目的である。
だが、毛利軍の動きは鹿之介からはよく見えていた。
地形的な意味で鹿之介は勝っており、敵の第一陣の攻撃を事前に察知できていた。
察知できていたということは対策を練ることが出来るということだ。
このとき鹿之介は自身の軍を三隊に分け、そのうち二隊をあらかじめ左右に伏せさせておいた。
そして毛利軍が来ると、まず中央の部隊が敵に正面から当たり、敗走を装いながら後退した。
これは「釣り」であり、敵が追撃するために前進すると、左右両側から伏兵に襲わせた。
これが「野伏せ」であり、この敗走を装っていた中央の部隊が反転し逆襲に転じることで三面包囲が完成した。
これをいわゆる「釣り野伏せ」という戦法と言い、薩摩の戦国大名島津氏が考案した戦法である。
また大友配下の立花道雪も類似した戦法を用いていた。
この戦法の要点は敵を誘引する中央の囮部隊にある。
戦場での退却は容易に潰走へ陥りやすい上に、敵に警戒されないように自然な退却に見せかけなければならない。
この最も困難な軍事行動である「統制のとれた撤退」を行うためには、高い練度・士気を持つ兵と、戦術能力に優れ冷静に状況分析ができ、かつ兵と高い信頼関係にある指揮官が不可欠である。
何はともあれ、この釣り野伏せによって第一陣を壊滅させた鹿之介はこの勢いに乗り第二陣を切り崩しにいく。
勢いに乗った鹿之介の軍は第二陣の敵も壊滅させ敵本陣に向かう。
この勢いは釣り野伏せで第一陣を撃破した以外に山中軍の元々の地力があった。
鹿之介の部隊は尼子の精鋭と言われているだけあって徹底的に鍛え上げられている。
そして山中軍の全兵が何らかの功を立てており、皆自分に自信がある。
勝負の世界にこの様な台詞がある。
『自信とは楽観的勘違い』
山中軍が本当に一人一人が強いなんて関係ない。
激しい戦いで生き抜き、運良く手柄をたてた。
運良く立てた手柄が自分の力で勝ち取ったと勘違いしたって構わない。
これが自信になるのなら、むしろ好都合なのである。
『自信は勢いに変わる。勢いは力に変わる。』
この言葉の通り山中軍は物凄い勢いが有り、力があるように見えるのだ。
敵の本陣に向かった鹿之介は遠く離れた米原綱寛に合図の狼煙をあげた。
この狼煙は合戦の前に米原とのやり取りで伝えていた合図である。
鹿之介は米原が尼子が不利になったら毛利に再び付こうと考えていたのを見抜いていたのである。
だが、ここで小田助右衛門は壊滅の危機、ここらで尼子の戦いに参加しないとこれからの戦いで扱いが酷くなる恐れがある。
鹿之介のこの狼煙は言うならば米原の背中を押してあげたのである。
ここで小田助右衛門を討ち取り本格的に尼子の味方になれ…と。
米原は少し悩んだが、しばらくして総勢700の兵を率いて小田助右衛門の本陣に奇襲をかけた。
小田助右衛門の軍は尼子の精鋭部隊相手に奮戦していたが米原隊が小田の軍に横槍を入れ、小田軍は敗走していった。
小田助右衛門は乱戦の中で鹿之介の部隊に討ち取られた。
これにて原手合戦は幕を閉じた。
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