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知らぬ過去

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屋敷の庭園のガゼボで、可愛らしいティーセットを並べ、リアンと一緒に作ったお菓子達を綺麗にセットして。
「聖神子様、ディラン様がお戻りになりました。お客様もご一緒です!」
「はぁい!」
ヤーンの知らせに、私室で待機していたヒースヴェルトは庭園に出る。
本当は、実の母親を招くのに、この格好はそぐわないんじゃないかと思った。
でも。

聖神子として、見守る。


それを体現しているような、白の《神纏》に袖を通した。

「聖神子様、お連れいたしました。」
ディランが礼をして、セレイナをエスコートする。
「ヒラ…ヒースヴェルト。」
セレイナも、ヒースヴェルトという名前を初めて呼んでくれたことが嬉しくて、ヒースヴェルトは微笑む。
詰られ、貶され、虐待された日々を思い出させる、あの名前は嫌いだった。
最愛の母がくれた新しい名前に、どれだけ救われたことか。
「今日は、来てくれてありがとう!ゆっくりしていってね。」
「えぇ、本当に楽しみにしていたのよ。」
セレイナは、待ちに待った息子に会えて、嬉しそうな笑顔で席に着いた。
「このお菓子はね、ぼくがお友だちと一緒に作ったの。是非食べて欲しいな。」
「まぁっ!貴方が作ったの!?すごいわ、そんなことが出来るなんて…!」
「ふふっ。この庭園もね、いつもお手入れしてくれているから、美しいでしょう?」
ヒースヴェルトとセレイナは、それから穏やかな時間を過ごした。とりとめのない話を、一時間を過ぎるくらい心地よく交わす。でも、セレイナはどこか寂しそう。
「…ヒースヴェルト…は、今、幸せなのね…。」
言葉を裏返せば、自分は幸せではない、ということで。
「とても、大切な人たちがいてくれるからね。」
「私は、この十年…幸せを感じたことがなかったわ。ラーシュ様が死んだかもしれない、と人伝に聞かされたとき、本当に絶望したわ。教会に通って、祈って…。そんな日々を、過ごしていたわ。」
「…うん。お父さんは、確かに死んで、もうこの世にはいない。」
「…!!」
セレイナは、ラーシュが死んだ頃を正確には知らない。だから、こう思った。
(ラーシュ様は死んで、何故貴方は生き残ったの?)
「………。お母さん、ごめん、少し席を離れるね。庭園でも見ててね。ディラン、相手をお願いできる?」
「御意。(…エルシオン、ヒー様に付け)」
ヒースヴェルトはなにかを感じて、その場を離れた。
ヒースヴェルトが席を立つと同時に、エルシオンが空から降り立つ。
「お伴いたします、主。」
「……神殿の地下に行く。…ママが…呼んでる。狭間の世界から声だけ…。でも、力が弱くて創造神像に宿したみたい。緊急事態…かも。」
微弱すぎて、ヒースヴェルトにしか関知できないほどだという。
「急ぎましょう。」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


庭園に咲き誇る美しい花たちを眺めながら、セレイナはため息を吐く。
「あの子は、こんな美しく大きな屋敷に、沢山の従者たちに囲まれて、なに不自由なく生きてきたのね。…私を探さなかったわけだわ。今がこんなにも幸せなら…。」
生き別れてすぐに、ここに囲われたのかと勘違いしているようで、ディランは口出しをしないように努めていたが、たまらず言い返してしまった。
「勘違いなさっているようですが…この屋敷が完成したのは昨年です。」
「……え?」
「それまでのこの場所は、聖地と言えど廃墟も同然、四千年前に捨て置かれた遺跡だったのですから。」
「では…あの子は今まで…?」
「我々があの方を見つけたのは、二年前。ここ…当時は捨てられた遺跡の、祭壇の上だった。木の葉を敷き詰めた祭壇に、丸くなり眠っておられた。…薄汚れた襤褸を身に纏い、髪の毛は延び放題、身体は十歳にも満たないと思ったほど幼く、華奢でいらっしゃった。
…そして、人の言語を知らなかった…。忘れておられた。言葉の通じないあの方と、何とかコミュニケーションをとろうと、仲間同士でやり取りしているうち、ここが唯一創造神の顕現なさる聖地だと分かった。創造神様のお陰で、あの方はその命を繋げることができたんだ。
我々が助けたわけじゃない。…辛い思いをしていたのは、貴女だけではない。ラーシュ殿も、我が子を守れなかった苦悩があり、貴女に再会することなく殺された。
聖神子様も、親だと思っていた女に虐待され、身を寄せた村でも爪弾きにされ、挙げ句奴隷として死都市で売られそうになった。…結局は失敗に終わったが…。それを、幸せと呼べるか?」
「………っ。」
突然聞かされたヒースヴェルトの過去に、セレイナは驚愕する。
「我々があの方を見つけ、ディーテ神より警護を仰せつかったのが二年前。人々の暮らしをほんの少しだけでも、経験させて欲しいと…ディーテ神より命を受け、今がある。…貴女は衣食住を十分に与えられ、教会に通えるほど援助があったのだろう?…殴られたり蹴られたり…存在自体を否定され、罵声を浴びせられたことがあるか?…そんなあの方に、貴女の不幸自慢?笑わせるな。あの方は、自分の境遇について「悲しかった、辛かった」とは言われていたが、今の状況を不幸だと、一度も仰ったことがない。産まれて初めての馬車に乗り、柔らかいクッション一つで微笑まれ、言葉を教わる度に本気で感謝されるのだ。…そんな些細なことが、あの方には神の加護と同等に暖かくて素晴らしいものだと…ありがとう、と仰るのだ。そんな優しく高貴な御心をお持ちのあの方を、貴女は何だと思っている?」
「………っ、そんな、私…知らなくて…。」
「あの方も、貴女の十年のことは知らない。だが、一度でも責めたか?責めるべき相手と思って接したか?父親と自分を捨てて実家に帰った奴が…。命からがら亡命し、命を繋いできた二人に対して、あの夜の、あの物言いは何だ。」
「!」
従者の言葉を制した際に、「責めてはいけない。」と、確かにそう言ったことを覚えている。自分の十年は、それ程重たかったのだと、自惚れていた証拠だ。

自分だけが不幸だと思い込んでいた。

「私…あの子を傷つけてしまったの…?」
知らなかったとはいえ、我が子の過ごした十年を、全く考慮していなかった。
教会から帰った後、ユディが言っていたから。
《あのように高価な装飾品で身を飾り立てた方です。きっと恵まれた日々をお過ごしだったに違いない。セレイナ様のお心を思えば、そんなこと出来ようはずもないのだから》と。

「で、でも今は違うじゃない。こんな立派なお屋敷で、聖神子様と持て囃されて…」
『言葉を慎め!!!』
ディランの怒りが、神気を帯びた声になる。
「……あ…っ。」
「いくら産みの親でも、あの方の役目を軽んじた物言いは到底赦せぬ!」
ディランの金色の目が怒気を孕む。
セレイナはそれ以上何も言えなかった。

ディランの怒りと、息子の過去を目の当たりにして、セレイナはガゼボの椅子に座り込んだまま、顔色を青くしてうつむいてしまった。

ディランは、フォレンと話し合い、セレイナの思考は、あのユディという男に上手く誘導されてしまっている可能性を心配したが、案の定そのようだった。
元々染まりやすい、素直な女性だったのだろう。だが、心が弱くユディという伯爵の手先に操られようとしている。いや、操られているのか。
だが、洗脳ではない。
話し合えば、自らの考えをしっかりと述べることができる女性だと信じて、ディランはヒースヴェルトのことを話したのだ。
「一度、よくお考えください。本当に、ヒースヴェルト様は貴女から責められるような人生を歩まれたか。自分には全く非がなかったか。」
「………。」

ディランの言葉は、セレイナにちゃんと響いた。
それだけでも、ディランは安堵したのだった。


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