26 / 41
第3話 婚約者ができました?
ep.25
しおりを挟む目が覚めると、隣にエリクの姿はなかった。
一緒のベッドで寝たのは幻? もしくは夢? どちらにせよ、なんてものを見てしまったんだろうと思うけれど。
ふぁ、と欠伸をして、ごしごしと目を擦る。
やっぱりエリクの姿はない。一緒に寝たのは夢だったんだ。もしかしたら、エリクはわたしに遠慮してソファで寝たのかもしれない。
……エリクがわたしに遠慮するなんて想像もできないのだけど。
一緒の部屋なのも夢だったのかも、と淡い期待を抱き、寝惚けた頭でドアを開ける。
すると、その期待は一瞬で壊され、もうすでに着替えて支度を終えたエリクが優雅に足を組んで本を読んでいた。
エリクはわたしに気づくと、思い切り顔を顰めた。
どうして朝からそんな顔をされなければならないのだろう。腹立つな。
「おふぁよ、エリク」
もにゃもにゃと欠伸を堪えながら挨拶をすると、エリクは素っ気なく「……おはよう」と言う。
そして、少し乱雑に本を閉じて、じっとわたしを見る。
「あのさ……いくらぼくの前だからといっても、もう少し慎みってやつを覚えなよ」
「ふぁ?」
は? と言いたかったのだけど、また欠伸が出て上手く発音できなかった。
なに言ってるの? 慎み? なんの?
訝しげにエリクを見るわたしに、エリクは深く息を吐く。
「今、自分がどんな格好しているのか、自覚ある?」
エリクの発言にわたしは首を傾げた。
そして、今の自分の格好を見て、「ひゃああああっ」と情けない悲鳴をあげた。
厚めの生地でできた夜着はだらしなくずれ下がり、わたしのささやかな胸が見えそうなくらいに乱れていた。
わたしは慌てて胸元を隠して蹲る。
いやだっ! こんな……こんな格好を見られてしまうなんて……! わたしもうお嫁にいけない……!
顔を真っ赤にして、涙目になっているわたしをエリクは困ったように見た。
そして立ち上がると、可愛いメイドに扮したユーグを連れてきた。
「なになに、どうしたの? まさか王子サマ、リディに手を……?」
「そんなわけないでしょ。早くリディの支度を手伝ってあげて」
「はぁい」
ユーグは可愛らしく返事をすると、手に持っていた毛布をわたしに巻き付けた。
「朝から災難だったねぇ。不幸な事故だと思って忘れた方がいいよ」
「ゆーぐぅ……」
よしよし、と頭を撫でるユーグの優しさが胸に沁みる。
だけどね、忘れたいことほど、簡単に忘れられないことをわたしは知っている。
「ユーグ、エリクの記憶を消してぇ……」
「そんな無茶な……」
「ユーグならできる! ごつんって一発ぶん殴って、エリクの記憶を消しちゃって!」
「えぇ……ボクは嫌だよ……やるならリディ一人でやりなよ……」
「わたしの力じゃ記憶消せないの!」
「きみたちね……」
文句を言いたげにエリクが口を開く。
そんなエリクをわたしはギロリと睨む。
「……なによ。わたしの胸、見たくせに」
「見てない。ギリギリ見えなかった」
「見た! ポロリしてたもん! 絶対見た!」
「……見てないって。大体、リディがきちんと身だしなみ整えてなかったのが悪いんだよ。ぼくは被害者だ」
「わたしの胸見たくせに、被害者だって言うの!? 横暴だわ! この傍若無人! 鬼畜! 傲岸不遜!」
「……うるさいなぁ……ユーグ、早く連れてって」
うんざりしたように言うエリクに、わたしはムカッとする。
なによ! わたしの胸見たんだから、動揺してみせなさいよ! それともなにか! わたしの胸は動揺するに足らないほど小さいと! そう言いたいのかエリクこの野郎!!
心の中でエリクを罵っていると、ユーグが苦笑して「はいはい、リディは着替えようねー」とわたしを寝室に押し込める。
「ユーグ! あなたはどっちの味方なの!?」
「えぇ……?」
ユーグの顔には面倒くさいとでかでかと書かれていた。わたしの周りの男どもは、どうしてこうも失礼なの!
「わたしはユーグの雇い主! わたしの味方をするでしょ、ユーグ!?」
「うーん……それとこれとは話が別なような……とりあえず、リディは着替えて一旦落ち着いたら? ほら、これ今日着るやつ」
そう言ってユーグはベッドの上に着替えを並べて、にこりと笑う。
「リディがちゃんと着替えたら話聞くから。早く着替えてね」
そう言うなり寝室のドアをパタンと閉める。
寝室に一人取り残されたわたしは呆然としてドアを見つめ、ユーグに裏切られたと地たたらを踏んだ。
ふんっとドアから顔を背け、ユーグの用意した服を着る。今日はドレスじゃなくて、ワンピースでいいみたいだ。淡い水色のワンピースで、これなら一人で切れる。
すぽっとペチコートを着て、その上にワンピースを着込む。このワンピースは胸元もあまり開いていないのが安心できた。
靴下と編み上げブーツを履くと、少し冷静になった。
……うん、さっきのは完全な八つ当たりだった。エリクにとっても、わたしにとっても不幸な事故だった。そうだ、そう思おう。
明らかにわたしが悪い気がしてならないけれど、あの剣幕で怒ってしまった以上、今さら引き下がることもできない。それに素直に謝ったところで、あのエリクがすんなり受け入れるとも思えないし。
はあ、とため息を一つ吐いて、わたしは寝室のドアを開けた。
本当はこのまま閉じこもっていたいけれど、まあそんなわけにもいかない。そんなことをするのは子どものすることだろう。
「落ち着いた?」
のそりと出てきたわたしに、ユーグがニコニコとして声をかけてくる。それにわたしは、渋々といったふうに頷いた。
「そっかぁ。じゃ、顔作って、髪の毛ちゃんとしようね」
顔作るって言い方、やめてほしい。まるでわたしに顔がないみたいじゃないか。目も鼻も口もちゃんもついている。
むすっとするわたしを気にもとめず、ユーグは鏡のある台のところまでわたしの肩を押していき、座らせる。そして、楽しそうに弄り出す。
そんなユーグの姿と、ユーグによって作られていくわたしの顔をぼんやりと眺める。
「はい、できた。やっぱり可愛いなぁ……さすがボク。いい仕事してる」
自画自賛するのもやめてほしい。いろいろ台無しだから。
「ほら、これで王子サマのとこ行って、謝ってきなよ」
「どうしてわたしが……」
「今日のはリディが悪いよ。それはリディもわかっているんでしょ?」
ぐっと言葉に詰まる。
だけど、わたしはすごい剣幕でなにも悪くないエリクを詰ってしまった。そんなわたしを、エリクは許してくれるだろうか。さっきもすごく呆れていたし、今頃腹を立てているかも。
「だいじょーぶだって! 可愛くなったリディが上目遣いで少し目を潤ませて『ごめんなさい』って言えばイチコロだから!」
イチコロって……殺すのはまずいと思うのだけど。
「いいから、早く謝ってすっきりしてきな」
そう言ってエリクはわたしの背中を押す。
転びそうになりながら、わたしはとぼとぼ歩き、エリクを探す。
エリクはソファに座って、さっきの本の続きを読んでいるようだった。
わたしが近づいても顔を上げず、そのまま本を読み続ける。それはうちの庭でよく見るいつものエリクだった。
「あの……エリク……」
「……なに」
素っ気ないエリクに怯みそうになる。
わたしはエリクに謝ったことがあまりない。いつも一人で怒って、翌日にはころっと忘れてしまうから、謝る機会というものがなかった。
いつもは怒ったらさっさと自分の部屋に戻ってふて寝すれば、怒りもころりと忘れられたけれど、ここにはそんな逃げ場もない。
「あの、ね……さっきのこと、なんだけど……」
エリクは本から顔を上げないし、相槌も打たない。
怒っているのかな、と気になってエリクの顔を見るのが怖くて、俯いた。
許さないって、言われたらどうしよう。
怖くなって、目頭が熱くなる。
……情けない。わたしが悪いのは間違いないのだから、泣いてはだめだ。ちゃんと、謝らないと。
「八つ当たりして、ごめんなさい……」
ぎゅっとワンピースの裾を掴んで謝る。
ユーグに見られたら皺になるって怒られそうだな、とどうでもいいことを思う。
エリクははぁ、と息を吐いた。
やっぱり呆れているんだ。それはそうだろう。わたしにエリクを責める資格なんてない。
「……別に、リディが理不尽なのはいつものことだし」
ぼそぼそと言ったエリクの言葉に顔を上げる。
エリクは罰の悪そうな顔をして、わたしからわずかに視線を逸らして言う。
「だから、別に気にしていない」
「エリク……」
「それより、お腹空いたんじゃない? 朝食を用意してもらおうか」
話題を変えるように言ったエリクに、わたしはほっとするのと同時に、少しむしゃくしゃした。
わたしの胸を見て、なにも感じないの? それはそれで腹立たしい。でも、それを掘り返す気にもならなくて、わたしは素直に頷いた。
エリクはユーグに声をかけ、朝食を用意するように頼むと、また本に視線を向ける。
そんなエリクをじっと見ていると、エリクが顔をあげた。しかし、すぐに視線を逸らされる。
いつもと違うエリクの様子に首を傾げ、エリクの隣に座ると、エリクはわたしから距離を置いて座り直す。
「エリク?」
許してくれたのではなかったのだろうか。
不安になってエリクをじっと見ると、エリクはわたしから視線を外したまま、顔を顰めた。
「……あまり近寄らないで」
「どうして? わたしのこと、嫌いになった……?」
恐る恐る尋ねたわたしに、エリクは「そうじゃない」と答える。
「じゃあ、どうして?」
「……思い出しちゃうから」
思い出す? なにを?
と、わたしの頭は疑問でいっぱいになったけれど、すぐにさっきのわたしのあられない姿のことだと思い当たり、顔を赤くした。
よくよくエリクを見ると、エリクの顔も赤い。
……そっか、エリクはなにも思わなかったわけじゃないんだ。
そう思うと嬉しいような、恥ずかしいような、よくわからない気持ちになって、わたしはエリクから距離を置いて座り直した。
わたしとエリクはその微妙な空気のまま、用意された朝食を食べた。
0
お気に入りに追加
832
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
逃した番は他国に嫁ぐ
基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」
婚約者との茶会。
和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。
獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。
だから、グリシアも頷いた。
「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」
グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。
こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。
浮気くらいで騒ぐなとおっしゃるなら、そのとおり従ってあげましょう。
Hibah
恋愛
私の夫エルキュールは、王位継承権がある王子ではないものの、その勇敢さと知性で知られた高貴な男性でした。貴族社会では珍しいことに、私たちは婚約の段階で互いに恋に落ち、幸せな結婚生活へと進みました。しかし、ある日を境に、夫は私以外の女性を部屋に連れ込むようになります。そして「男なら誰でもやっている」と、浮気を肯定し、開き直ってしまいます。私は夫のその態度に心から苦しみました。夫を愛していないわけではなく、愛し続けているからこそ、辛いのです。しかし、夫は変わってしまいました。もうどうしようもないので、私も変わることにします。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる