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第3話 婚約者ができました?

ep.25

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 目が覚めると、隣にエリクの姿はなかった。
 一緒のベッドで寝たのは幻? もしくは夢? どちらにせよ、なんてものを見てしまったんだろうと思うけれど。

 ふぁ、と欠伸をして、ごしごしと目を擦る。
 やっぱりエリクの姿はない。一緒に寝たのは夢だったんだ。もしかしたら、エリクはわたしに遠慮してソファで寝たのかもしれない。

 ……エリクがわたしに遠慮するなんて想像もできないのだけど。

 一緒の部屋なのも夢だったのかも、と淡い期待を抱き、寝惚けた頭でドアを開ける。
 すると、その期待は一瞬で壊され、もうすでに着替えて支度を終えたエリクが優雅に足を組んで本を読んでいた。

 エリクはわたしに気づくと、思い切り顔を顰めた。
 どうして朝からそんな顔をされなければならないのだろう。腹立つな。

「おふぁよ、エリク」

 もにゃもにゃと欠伸を堪えながら挨拶をすると、エリクは素っ気なく「……おはよう」と言う。
 そして、少し乱雑に本を閉じて、じっとわたしを見る。

「あのさ……いくらぼくの前だからといっても、もう少し慎みってやつを覚えなよ」
「ふぁ?」

 は? と言いたかったのだけど、また欠伸が出て上手く発音できなかった。
 なに言ってるの? 慎み? なんの?
 訝しげにエリクを見るわたしに、エリクは深く息を吐く。

「今、自分がどんな格好しているのか、自覚ある?」

 エリクの発言にわたしは首を傾げた。
 そして、今の自分の格好を見て、「ひゃああああっ」と情けない悲鳴をあげた。

 厚めの生地でできた夜着はだらしなくずれ下がり、わたしのささやかな胸が見えそうなくらいに乱れていた。

 わたしは慌てて胸元を隠して蹲る。
 いやだっ! こんな……こんな格好を見られてしまうなんて……! わたしもうお嫁にいけない……!

 顔を真っ赤にして、涙目になっているわたしをエリクは困ったように見た。
 そして立ち上がると、可愛いメイドに扮したユーグを連れてきた。

「なになに、どうしたの? まさか王子サマ、リディに手を……?」
「そんなわけないでしょ。早くリディの支度を手伝ってあげて」
「はぁい」

 ユーグは可愛らしく返事をすると、手に持っていた毛布をわたしに巻き付けた。

「朝から災難だったねぇ。不幸な事故だと思って忘れた方がいいよ」
「ゆーぐぅ……」

 よしよし、と頭を撫でるユーグの優しさが胸に沁みる。
 だけどね、忘れたいことほど、簡単に忘れられないことをわたしは知っている。

「ユーグ、エリクの記憶を消してぇ……」
「そんな無茶な……」
「ユーグならできる! ごつんって一発ぶん殴って、エリクの記憶を消しちゃって!」
「えぇ……ボクは嫌だよ……やるならリディ一人でやりなよ……」
「わたしの力じゃ記憶消せないの!」

「きみたちね……」

 文句を言いたげにエリクが口を開く。
 そんなエリクをわたしはギロリと睨む。

「……なによ。わたしの胸、見たくせに」
「見てない。ギリギリ見えなかった」
「見た! ポロリしてたもん! 絶対見た!」
「……見てないって。大体、リディがきちんと身だしなみ整えてなかったのが悪いんだよ。ぼくは被害者だ」
「わたしの胸見たくせに、被害者だって言うの!? 横暴だわ! この傍若無人! 鬼畜! 傲岸不遜!」
「……うるさいなぁ……ユーグ、早く連れてって」

 うんざりしたように言うエリクに、わたしはムカッとする。
 なによ! わたしの胸見たんだから、動揺してみせなさいよ! それともなにか! わたしの胸は動揺するに足らないほど小さいと! そう言いたいのかエリクこの野郎!!

 心の中でエリクを罵っていると、ユーグが苦笑して「はいはい、リディは着替えようねー」とわたしを寝室に押し込める。

「ユーグ! あなたはどっちの味方なの!?」
「えぇ……?」

 ユーグの顔には面倒くさいとでかでかと書かれていた。わたしの周りの男どもは、どうしてこうも失礼なの!

「わたしはユーグの雇い主! わたしの味方をするでしょ、ユーグ!?」
「うーん……それとこれとは話が別なような……とりあえず、リディは着替えて一旦落ち着いたら? ほら、これ今日着るやつ」

 そう言ってユーグはベッドの上に着替えを並べて、にこりと笑う。

「リディがちゃんと着替えたら話聞くから。早く着替えてね」

 そう言うなり寝室のドアをパタンと閉める。
 寝室に一人取り残されたわたしは呆然としてドアを見つめ、ユーグに裏切られたと地たたらを踏んだ。

 ふんっとドアから顔を背け、ユーグの用意した服を着る。今日はドレスじゃなくて、ワンピースでいいみたいだ。淡い水色のワンピースで、これなら一人で切れる。

 すぽっとペチコートを着て、その上にワンピースを着込む。このワンピースは胸元もあまり開いていないのが安心できた。
 靴下と編み上げブーツを履くと、少し冷静になった。

 ……うん、さっきのは完全な八つ当たりだった。エリクにとっても、わたしにとっても不幸な事故だった。そうだ、そう思おう。

 明らかにわたしが悪い気がしてならないけれど、あの剣幕で怒ってしまった以上、今さら引き下がることもできない。それに素直に謝ったところで、あのエリクがすんなり受け入れるとも思えないし。

 はあ、とため息を一つ吐いて、わたしは寝室のドアを開けた。
 本当はこのまま閉じこもっていたいけれど、まあそんなわけにもいかない。そんなことをするのは子どものすることだろう。

「落ち着いた?」

 のそりと出てきたわたしに、ユーグがニコニコとして声をかけてくる。それにわたしは、渋々といったふうに頷いた。

「そっかぁ。じゃ、顔作って、髪の毛ちゃんとしようね」

 顔作るって言い方、やめてほしい。まるでわたしに顔がないみたいじゃないか。目も鼻も口もちゃんもついている。
 むすっとするわたしを気にもとめず、ユーグは鏡のある台のところまでわたしの肩を押していき、座らせる。そして、楽しそうに弄り出す。
 そんなユーグの姿と、ユーグによって作られていくわたしの顔をぼんやりと眺める。

「はい、できた。やっぱり可愛いなぁ……さすがボク。いい仕事してる」

 自画自賛するのもやめてほしい。いろいろ台無しだから。

「ほら、これで王子サマのとこ行って、謝ってきなよ」
「どうしてわたしが……」
「今日のはリディが悪いよ。それはリディもわかっているんでしょ?」

 ぐっと言葉に詰まる。
 だけど、わたしはすごい剣幕でなにも悪くないエリクを詰ってしまった。そんなわたしを、エリクは許してくれるだろうか。さっきもすごく呆れていたし、今頃腹を立てているかも。

「だいじょーぶだって! 可愛くなったリディが上目遣いで少し目を潤ませて『ごめんなさい』って言えばイチコロだから!」

 イチコロって……殺すのはまずいと思うのだけど。

「いいから、早く謝ってすっきりしてきな」

 そう言ってエリクはわたしの背中を押す。
 転びそうになりながら、わたしはとぼとぼ歩き、エリクを探す。
 エリクはソファに座って、さっきの本の続きを読んでいるようだった。
 わたしが近づいても顔を上げず、そのまま本を読み続ける。それはうちの庭でよく見るいつものエリクだった。

「あの……エリク……」
「……なに」

 素っ気ないエリクに怯みそうになる。
 わたしはエリクに謝ったことがあまりない。いつも一人で怒って、翌日にはころっと忘れてしまうから、謝る機会というものがなかった。
 いつもは怒ったらさっさと自分の部屋に戻ってふて寝すれば、怒りもころりと忘れられたけれど、ここにはそんな逃げ場もない。

「あの、ね……さっきのこと、なんだけど……」

 エリクは本から顔を上げないし、相槌も打たない。
 怒っているのかな、と気になってエリクの顔を見るのが怖くて、俯いた。

 許さないって、言われたらどうしよう。
 怖くなって、目頭が熱くなる。
 ……情けない。わたしが悪いのは間違いないのだから、泣いてはだめだ。ちゃんと、謝らないと。

「八つ当たりして、ごめんなさい……」

 ぎゅっとワンピースの裾を掴んで謝る。
 ユーグに見られたら皺になるって怒られそうだな、とどうでもいいことを思う。

 エリクははぁ、と息を吐いた。
 やっぱり呆れているんだ。それはそうだろう。わたしにエリクを責める資格なんてない。

「……別に、リディが理不尽なのはいつものことだし」

 ぼそぼそと言ったエリクの言葉に顔を上げる。
 エリクは罰の悪そうな顔をして、わたしからわずかに視線を逸らして言う。

「だから、別に気にしていない」
「エリク……」
「それより、お腹空いたんじゃない? 朝食を用意してもらおうか」

 話題を変えるように言ったエリクに、わたしはほっとするのと同時に、少しむしゃくしゃした。
 わたしの胸を見て、なにも感じないの? それはそれで腹立たしい。でも、それを掘り返す気にもならなくて、わたしは素直に頷いた。

 エリクはユーグに声をかけ、朝食を用意するように頼むと、また本に視線を向ける。
 そんなエリクをじっと見ていると、エリクが顔をあげた。しかし、すぐに視線を逸らされる。

 いつもと違うエリクの様子に首を傾げ、エリクの隣に座ると、エリクはわたしから距離を置いて座り直す。

「エリク?」

 許してくれたのではなかったのだろうか。
 不安になってエリクをじっと見ると、エリクはわたしから視線を外したまま、顔を顰めた。

「……あまり近寄らないで」
「どうして? わたしのこと、嫌いになった……?」

 恐る恐る尋ねたわたしに、エリクは「そうじゃない」と答える。

「じゃあ、どうして?」
「……思い出しちゃうから」

 思い出す? なにを?
 と、わたしの頭は疑問でいっぱいになったけれど、すぐにさっきのわたしのあられない姿のことだと思い当たり、顔を赤くした。
 よくよくエリクを見ると、エリクの顔も赤い。

 ……そっか、エリクはなにも思わなかったわけじゃないんだ。
 そう思うと嬉しいような、恥ずかしいような、よくわからない気持ちになって、わたしはエリクから距離を置いて座り直した。

 わたしとエリクはその微妙な空気のまま、用意された朝食を食べた。
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