鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第95話 永別

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 空間支配、因果律操作、存在否定とサンドマンが世界樹自身から奪い取った異常な力が、ひたすら標的を目指して前進を続ける雪兎を襲う。 

 大きかろうが小さかろうが雑魚だろうが神話級だろうが、最早害獣では現在のドラグリヲ相手には戦うどころか付近に存在することすらままならず、遂には最奥で引き籠もっているサンドマン自身が世界樹の胎内回廊全体を使って抵抗を行わなければならない事態に陥っていた。

「この化け物が! 何故だ何故死なない!? お前はもうとっくに死んでなきゃいけないんだぞ!!!」
「お前の一方的で理不尽な言い草なんて知らないよ。 僕はお前をこの地上から滅するまで死ぬ予定はない」
「薄汚い猿共のラジコンの分際で減らず口を!!!」
「その玩具の命すら一向に奪えないお前は、一体何なんだろうな?」
「ほざくなと言ったはずだぞ使い捨てのゴミがああああ!!!!」

 樹木のトンネル内をサンドマンの醜い喚き声が反響する度、雪兎は峻烈な憎しみと侮蔑を募らせながら拳を握る。 

 この程度で死んでやれるほどヤワではないと言わんばかりに。

 もっとも、精神は兎も角肉体は決して無事では済まない。 雪兎の体内で渦巻く制御不能の膨大なエネルギーが死の運命を遠ざける都度に、雪兎の身体はこの世界に存在してはならない何かへと確実に変質していく。

 外見こそ雪兎自身の見た目を維持しているが、既に雪兎の肉体を構成する物質の中には人間由来の脆弱なものなど残されてはいない。 

 それでも雪兎を人たらしめるのは、どれだけ踏みにじられても滅することは無かった優しい性根と、くだらない戯れに巻き込まれて死んでいった全ての命の復讐を果たさんとする妄執を超えた執念に他ならない。

『ユーザー……』
「心配するな、この程度じゃ僕は死にはしない」

 雪兎の突然の喀血を目撃して以降、カルマはしばしば雪兎の様子を直に確認するようになった。

 それで雪兎の体調が改善することがないと分かっていながらも、どこか心細いのか何度も雪兎のそばに現れては消えてを繰り返す。 

 戦闘から気を逸らすような危険行為だが、雪兎も別にそれを咎めない。

 不安げに横顔を見上げるカルマの頭を時折撫でてやりながらも、殺意と苦痛に濁った瞳に映るのはサンドマンの下へ至る道筋のみ。

『そろそろ胎内回廊を抜ける。 恐らく激烈な抵抗が待っていると考えて間違いないけど準備はいいかい?』
「奴の頚を刎ね飛ばす準備なら、とうの昔に終わってる」

 身体を蝕む痛みにこの瞬間も耐えているのか、グレイスの呼びかけに対して雪兎が返す言葉は弱々しく掠れている。 

 それでも、何度も深呼吸を繰り返して意識を保ちながらドラグリヲを地下深くへ飛ばし続け、遂には途轍もなく広大な地下空洞へと到達する。

 そこに築かれていたのは、世界樹自身の手によって創造された地球進化促進機構の制御区画。

 世界樹が根付いた場所のさらに地下深くから産出された星の熱量を、世界中に張り巡らされた地下茎から進化因子と共に放出し循環させた後、また回収しては星に還す。 

 かつて人の為の神として崇め奉られた世界樹は、地球に息づくすべての生命を更なる段階に引き上げるため、自らの意志で星の成長を促していた。

 だが、自己愛に溺れたアジテーターに乗っ取られたことを皮切りにそれらの重要機構は総じて機能を失い、代わりに生み出されたのは、サンドマンの小さすぎるプライドと命を護るために幾重にも渡って堅牢に築かれた不格好に巨大な要塞。 

 その中心には、この世界に現れた全ての超常的存在の起源となったもの。 

 この次元の外より来訪した者の肉が変質を遂げて生まれた世界樹の核を取り込み、醜く膨張した紙魚の化け物“サンドマン”の姿があった。

 この星に息づく全ての命の敵たるそれは、ドラグリヲの姿を確認した瞬間に膨大な量の凝縮質量生体弾をばらまいて、雪兎をミンチ肉にしようと行動を開始する。 

 この世為らざる物体の影響により小さな弾の一発一発が中性子星並みの重さを持つに至った狂った弾幕は、世界樹が苦労して積み上げてきた環境を滅茶苦茶に破壊しながらドラグリヲに迫るが、今の雪兎には綿埃が舞うのと同程度の脅威としてしか認識されず、易々と弾かれ続ける。

「随分な……お出迎えだな……」
「やかましいぞ死に損ない! 折角の俺のサンドボックスを台無しにしやがって! さっさとこの地上から消滅しろ! 汚らしい嬲られたがりのマゾ野郎が!!!」

 眩く輝く奇跡の物体から奪い取った力を膨大なエネルギーを秘めた光線と、万物を腐食させる毒性触手として還元し滅茶苦茶に振り回して、要塞から放たれる砲火と共に全力で抵抗を続けるサンドマン。 

 もっとも今さらそんなものに当たってやるほど雪兎も迂闊ではないが、身体の中から外側へ拡散しようと暴れ続けるエネルギーの奔流を御することがやっとで、普段なら即刻殺せるはずの相手の懐に飛び込むことも出来ない。

「あんな近くの的をどうして……!」

 自らの情けなさに歯噛みしつつ、雪兎は少しでも確実に標的へ接近しようと思案を巡らせるが、斬り落とした蔦状の触手から噴出した体液の成分をドラグリヲの感覚器官を通して認識した瞬間、瞠目した。

 頭の中に知らない誰かの過去が突如投影され、集中を乱した僅かな間、ドラグリヲの回避機動が目に見えて荒くいい加減になる。

 だが、今の雪兎の興味は眼前のゲス野郎には無く、頭の中に流れてくる古くさい口調ながらも溌剌と若々しい声と、それに都度都度ツッコミを入れる神経質な男の声の方へ夢中になっていた。 

 何故このアタシがこんな木工細工の幼稚な絡繰りに乗らなければならないのかという憤慨の声と、それを諫める終始冷静な男の冷静なフォロー。 

 それらの対話を聞き終えた瞬間、雪兎は彼らの正体に勘付いた。

「これはまさか……若い頃の首領と爺さんの記憶……?」

 決して見えず聞こえないはずの、今はいなくなってしまった人々の魂の痕跡。

 それは雪兎が粛々と戦闘を続ける合間にも確かに意識下へ注ぎ込まれてくる。

 害獣に対抗する術の実験台としてノブリスオブリージュを体現するも、暴走した民草に家族を奪われた政治家。

 命からがらユーラシアから逃げ帰りながらも、母国を目の前にして自称上位者に舟ごと沈められた軍人。

 贄として捧げられる為、人類への憎しみを有りっ丈注がれた落とし子。

 あらゆる絶望の未来を見せ付けられ、ある程度マシなルートを自ら選ばされ続けた神父。

 自分一人だけを置いて耄碌し衰えていく伴侶を、ただ見ていることしか出来なかった英雄。

 蠱毒に参加することを条件に不妊治療を約束され、知らぬ間に子供を兵器化させられる運命を負わされた夫婦。

 そして、サンドマンの介入によって消えていった数多の生命の記憶が、アルフレドの力の断片を通して雪兎の心に深く刻み込まれていった。 

 最先端の研究を担った科学者から、現場で優れた功績を残し続けた労働者まで、貧富も思想も信仰も関係なく、人間だった頃のサンドマンが民衆を煽って殺させた理由はたったひとつ。

 “自分が気に食わなかったから”

 一方的に自分より下等だと思い込んでいた連中が成果を上げることが気に入らず、舌先三寸と小細工を使って自らの手を決して汚さず赤ん坊から老人に至るまで殺し続けた外道の所業。 

 殺されていった人々の悲しみと怒りと苦しみが雪兎の背中をより一層強く推した。

「ああ……、やはり僕は……」
「よっしゃ鈍ったあ!!! 死ね!!!」

 雪兎の内側で起こった変化などつゆ知らず、相対するサンドマンはドラグリヲの動きが止まった瞬間を見計らって、世界樹のコアから生成した有りっ丈の光迅をぶつけて気が早すぎる勝利宣言を行う。

 絶対に死んだ、確実に死んだ、これだけの熱量に晒されて無事で居られる物質など存在しないと嘯き下品な笑いを響かせ続けた。 

 たった今殺したはずの相手が、今も無意味に垂れ流し続ける光線の中を凄まじい勢いで遡って来るのにも気付かずに。

「そうだな、これからお前は死ぬんだ」
「なっ……なんだと!!!!!!!!!?」

 サンドマンの汚らしい口から嘔吐物のように吐き出されるエネルギーの間欠泉を引き裂いて、ドラグリヲが天高く爪を振り翳して光線と外へと躍り出た。 

 ……瞬間、呆気にとられて硬直するサンドマンの身体が頭部から深々と切り裂かれ、無様に大量の脳漿と鮮血を噴出させた。

 溢れる血潮は雪兎のものとは違う深い緑色。 元は人間である者が畜生以下の存在になり果てたことを証明するものがダクダクとサンドマンの身体から滴り落ち、絶叫させた。

「ああああああああああ! まだだ! まだ俺は死んじゃあいねえええ!!!」

 普通の生き物なら既に死んでいるような傷を負わされながらも、サンドマンは取り込んだ世界樹の力を用いて必死に生にしがみつきながら、懸命にドラグリヲを爪の射程から弾き飛ばすと、今度は光迅の標的を地球そのものへと向けた。 

 その狂った瞳の中に躊躇いの光は一切無い。

「な……、お前まさか……」
「世界樹そのものとなった俺さえ生きていれば世界なんぞ幾らでも作り直せる! 俺の創造するユートピアの礎となって、この星ごと消えてなくなれ悪魔共!!!!!!」
「テメェ以上の悪魔が、この星にいるかああああ!!!」

 サンドマンの凶行を止めるべく、雪兎はいつ自己崩壊が起こってもおかしくない身体に鞭を打ってフォース・メンブレンをあらん限り大きく展開しながらサンドマンの前に立ちはだかると、恒星の爆発に匹敵する極太の光をドラグリヲの全身を使って受け止めた。

「ぬぐううううおおおおおおお!!!」

 今すぐにでも押し潰されそうな圧力を、機体内に張り巡らせたアイトゥング・アイゼンを使って無理矢理に支えながら、雪兎は光線の向こうで下卑た笑みを浮かべるサンドマンの敵意を意識し続ける。 

 無論、無意味に星を庇い立てた訳では無い。 

 耐え続ける雪兎のすぐそばで黙々と作業を続ける二つの意志が、この行為に意味があることを主へ示し続ける。

『吸収エネルギー変換開始/外殻装甲溶融』
『多次元ライフリング展開/機動翼部消失』
『反動熱変換器待機状態へ/腕部兵装全損』
『口腔内主砲オンライン/再生ジェル生成停止』
『事象アンカー投下完了/基幹フレーム大破』
『最終安全装置解除/最終安全装置解除』

 甚大なダメージを受けたことを知らせる警告音が高らかに響き渡る中、唯一鮮明な映像を保ち続けたメインモニターの中を主砲のインジケータとレティクルが躍ると、雪兎は己だけが確かに感じる悪意の源へ狙いを定める。

『今です!撃って!/今しかない!撃つんだ!』
「うおおおおおおおおおおあああああああああ!!!」

 カルマとグレイス。 二人から合図が響くと同時に、雪兎は有りっ丈の力を込めてトリガーを引き絞った。

 ――刹那、サンドマンから向けられた攻撃を転用して生み出されたブレスが、サンドマンが吐き続けていた光迅をそのまま押し返して源をまでを呑み込むと、射線上にあった樹木の天井、地盤、そして氷の大地を次々と貫いて瞬く間に宇宙へと到達し、やがて星屑のような粒子となって消えていった。

「やった……やったぞ……ついに……」

 サンドマンから奪い取ったエネルギーを吐き尽くし、先程までゲス野郎が存在した空間を睨むように立ち尽くすドラグリヲ。 

 その中で雪兎は自分に向けられ続けた悪意が消失したことを感じ取ると、全身を蝕む痛みを誤魔化すように荒い息を吐きながらシートに身を横たえた。

 残されたのは、巨大な紙魚の怪物の腸から転がり出て地面に突き刺さった世界樹のコアのみ。 

 しかし休む間もなく、カルマの悲鳴のような警告が雪兎の鼓膜を揺らす。

『待って下さい! アイツはまだ生きてます!』
「……なんだと!?」

 限界を超えて壊れつつある身体に鞭を打って雪兎が再び顔を上げると共に、凄まじい衝撃波が広大な地下空洞を走り抜ける。

「死んでたまるか……、俺は神に……誰よりも偉くなるんだ……!」

 解放されたはずのコアから声を響かせたのは、内部に僅かに残されていたサンドマンの脳の欠片と生体電流。 

 身の丈に合わない夢を抱いた邪悪なる意志は最後の力を振り絞ってマントルに繋がる大穴を開通させると、その中へ自ら身を沈めていった。

「なんだ……何故あいつ自分から……」
『違う! 奴め、世界樹のコアと共に地球と一体化して星自体の制御権を得ようとしている! このままでは地上に存在するあらゆるものが天変地異に晒されて滅されてしまうぞ!!!』
『追いましょうユーザー、恐らくこれが奴を完全に始末出来る最初で最後の好機です』

 絶望するグレイスへの反応もそこそこに、カルマはコックピット内に実体として現れて雪兎の手を取ると、自らの胸の前で抱き留めるように握り締める。 

 今こそ兵器として最期の使命を果たすときだと見た目こそ気丈に振る舞っているものの、その瞳は不規則に色彩を変えつつ大きく揺らいでおり、内心強い不安に襲われているのだと雪兎は瞬時に悟った。 

「……そうだな、だが一つその前にやらなきゃならんことがある」

 まるで本物の幼子のように健気でいじらしい姿を見せ付けられ、雪兎は思わず感じ入りながら微笑むと、親が子にしてやるようにカルマの身体を深々と優しく抱き締めてやる。

 そして、今までひた隠しにしていた決意と覚悟を確固たるものにした。

 この娘だけは、絶対に“絶対に死なせない”と。

『ほあ……、ユーザー?』
「今まで本当にありがとう。 ……お別れだ」
『え?』

 雪兎の紡いだ言葉の意味を理解出来ずカルマが真意を問い質そうとした瞬間、彼女の背後に音もなく現れたグレイスが、制御用カチューシャをカルマの小さな頭に接続し無力化する。

『何をするんです! やめて下さい!』
「汚れ役を押し付けて悪かったなグレイス。 この娘のことを頼んだぞ」
『……武運を祈ってるよ、兄ちゃん』

 限りなく重々しい願いを託されて、グレイスはしっかりと頷いてからカルマを抱え上げると、彼女を脱出機構内へ自分の身体ごと押し込み、強制排出させた。 

 そこにカルマの意志が介在する余地は一切無く、共に排出されたグレイスに制されながらも、彼女は必死になって通信を送りつける。

『そんな……そんな……!!! どうして!?』
「悪いなカルマ、最初からこのつもりだった。 たとえ僕がどうなろうとお前だけは生かすつもりだった。 何せお前は使い捨ての兵器の僕と違って、この世に必要とされる存在だ。 あんなカス野郎と一緒に死んじゃいけない」
『だからって貴方はどうするんです!!! 貴方だって死にたくないでしょう!?』

 ゆっくりとドラグリヲを歩かせる雪兎の背中に、カルマはあらん限りの大声で呼びかけるが雪兎の心は今さら小揺るぎもしなかった。

「きっとこうなる運命だったんだ。 親父と母さんが蠱毒の実験台にされたあの日から」
『この馬鹿! アホ! 間抜け! 甲斐性無し! そんな惨い運命がある訳がないじゃないですか! お願いだから私も一緒に行かせて下さい!!! お願いだから私の目の前から消えないで!!!!』

 まるで年相応の少女の様に、思いつく限りの悪口を言ってなんとか気を惹こうと稚拙な考えに辿り着くも、本心を誤魔化すことは出来ず結局は目を潤ませながら懇願するに至る。 

 そんなカルマの姿を雪兎はしっかりと目に焼き付けると、カルマのメインカメラと直接回線を繋いで初めて出会ったときの様に眦を緩めた。

「……元気でな」

 年相応の青年らしい屈託のない笑みを投げかけて、限りない感謝と情愛の念を短い言葉に詰め込んで贈り出したのを最期に、雪兎は一切振り返ることなくドラグリヲを熔岩の海へと飛び込ませる。

 その瞬間、回線と共に今まで雪兎とカルマを深く結びつけていた物が永遠に断ち切られた。

『ああ……あああ……!!!』

 雪兎がカルマのユーザーとして権利を放棄したことに伴って、情報漏洩防止の為に今の今まで封じられてきたものが、大粒の涙と共にカルマの中に溢れ出した。 

 呼びたくても、決して口に出すことを許されなかった言の葉が。

『“雪兎”おにいちゃあああああああああん!!!!』

 もう決して届くことはないと分かっていながらも、カルマはその名を叫ばずにはいられなかった。
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