63 / 86
63
しおりを挟む
夕飯を食べてちょっとくらいは事情を聞こうと思ったのに、と加奈子は傍らで眠る裕貴を見つめて苦笑した。
「…そうはいっても、おそらくここまでつれて来てくれたのは、コイツだろうしなあ」
人の家だというのに、先程哀れに思って渡した枕を素早く分捕られ、我が家のように大の字になって眠る幼馴染には苦笑しか出ない。よほど疲れていたのだということはそういうことから嫌というほど伝わるが…気絶するように眠ったし、その前に発狂するようにまくし立てていたときは、恐ろしいほどの気迫だった。
それにしても、下着をみただとか襲わなかったからほめろだとか、そういう不穏な話はしっかり説明してほしかった。
じっくり話を聞こうとせっかくコーヒー二人分用意したのに…
せっかくだからと、加奈子は裕貴の寝顔をつまみにゆっくりとコーヒーの香りを愉しんだ。
高級ブランドを愛好するわけではない。安物にはやすものなりのよさがあり、愉しみ方があるのだというのが彼女の持論だ。
「限りある人生だから、ね…」
そして、そんな独りの夜は、彼女の癖が出てくる。
「…つっ…」
加奈子はふと訪れたこめかみの痛みに、眉をひそめた。独りでいることを好むのだと周りにはよく誤解されるのだが、加奈子は本来、一人を嫌う人間だった。
「あ~…こんな日は、良くないね…」
机に肩肘をつき、頭を抱え込む。昔から、長い間、共存して来た。いきなり、何も知らない空間に放り込まれ、知らない人間に家族だと言われ。沢山の人間に囲まれて、混乱したまま、何とか外側を整えて生きてきた。頼るものはなく、誰を信じてよいかわからないまま。自分は誰なのか、説明の不十分なまま。この自分でよいのか自問自答し続け、最終的に人との接触を避けるためにと人を寄せ付けない無愛想な人間でいることを選んだ。
自分は誰なんだ。何のために生まれたのか。それに答えるものは、おそらく自分の身の内に在るものの、常に嘆き悲しむその存在にそれを問うことはためらわれた。誰かに習うでもなく、彼女は自分で知る方法を遠まわしに会得していった。沢山の知識を身につけ、周りの発言からその真意を汲み取り。自分を取り巻く状況を推察し、それに応じて対応を変え、検証した。
その結果、どうやら自分は特定の人間には大事に思われているものの、多少範囲を広げると疎ましく思われている人間のほうが多いという結論に至る。そんな人間に自分の弱みを握られて居たくはないので、厳重に注意して渡り歩くすべを身につけた。
必死だった。そんな努力を続けていくにつれ、時々体の不調が出るようになった。頭痛や胃痛、時には耳鳴り、動悸。食欲不振も時折訪れたが、様々な理由をつけて体を休めて、不審に思われないようにやり過ごした。自分の家族には、どうも知られているような気もしたが、自分の意思を尊重してもらえているようだった。
長年『そうであると楽な自分』を演じ続けているけれど。
本当は、『 』なんだ。
本当は、もう、疲れているんだ。だから、交代、してほしい。
ねぇ、本当の『佐々木 加奈子』さん。 私は、ただの、『 』だから。
あなたのふりは、そろそろ、げんかい、よ…
夜のたびに行う呼びかけ。それは彼女にとって苦痛。今でも、自分は正統な『加奈子』ではないと思うから。
そうではあるけれど、今まで必死に生きてきた『加奈子』を否定することは、身を切り裂くような悲痛を伴うもので。
『加奈子』の精神は疲弊していた。
だれか、だれか。
わたしを、みとめて。わたしは、『みがわり』じゃない。
加奈子の心は自分自身をかきむしる。流れるはずのない血液が、加奈子の心の中ではいつでも流れ続けていた。
ああ。助けて。誰か。加奈子の精神の中で加奈子自身が自らを追い込んで蹲ったとき、ふと懐かしい声が彼女の中で響き渡った。
『お前はお前の好きにすればいいんだよ』
それは決して大きな声ではなかったけれど、彼女の心にしっかりと届いていた。
『俺は、お前に振り回されるのは嫌いじゃないぞ』
…ああ、ああ。
ふらふらと彼女は立ち上がる。真っ暗だった周りの暗闇が、少しずつ差し込む光で薄くなっていく。
「…わたしは、わたしでいても、きらわれないの…?」
どうか、きらわないで。そのさきを、教えて。
彼女は目を閉じ、差し込む光を体全体で浴びる。
心地良い。この人のそばは、――ほっとする。
願わくは、どうか――ただの私を、受け入れて。
そう願った加奈子の意識は、そのまま白く塗りつぶされた。
「…そうはいっても、おそらくここまでつれて来てくれたのは、コイツだろうしなあ」
人の家だというのに、先程哀れに思って渡した枕を素早く分捕られ、我が家のように大の字になって眠る幼馴染には苦笑しか出ない。よほど疲れていたのだということはそういうことから嫌というほど伝わるが…気絶するように眠ったし、その前に発狂するようにまくし立てていたときは、恐ろしいほどの気迫だった。
それにしても、下着をみただとか襲わなかったからほめろだとか、そういう不穏な話はしっかり説明してほしかった。
じっくり話を聞こうとせっかくコーヒー二人分用意したのに…
せっかくだからと、加奈子は裕貴の寝顔をつまみにゆっくりとコーヒーの香りを愉しんだ。
高級ブランドを愛好するわけではない。安物にはやすものなりのよさがあり、愉しみ方があるのだというのが彼女の持論だ。
「限りある人生だから、ね…」
そして、そんな独りの夜は、彼女の癖が出てくる。
「…つっ…」
加奈子はふと訪れたこめかみの痛みに、眉をひそめた。独りでいることを好むのだと周りにはよく誤解されるのだが、加奈子は本来、一人を嫌う人間だった。
「あ~…こんな日は、良くないね…」
机に肩肘をつき、頭を抱え込む。昔から、長い間、共存して来た。いきなり、何も知らない空間に放り込まれ、知らない人間に家族だと言われ。沢山の人間に囲まれて、混乱したまま、何とか外側を整えて生きてきた。頼るものはなく、誰を信じてよいかわからないまま。自分は誰なのか、説明の不十分なまま。この自分でよいのか自問自答し続け、最終的に人との接触を避けるためにと人を寄せ付けない無愛想な人間でいることを選んだ。
自分は誰なんだ。何のために生まれたのか。それに答えるものは、おそらく自分の身の内に在るものの、常に嘆き悲しむその存在にそれを問うことはためらわれた。誰かに習うでもなく、彼女は自分で知る方法を遠まわしに会得していった。沢山の知識を身につけ、周りの発言からその真意を汲み取り。自分を取り巻く状況を推察し、それに応じて対応を変え、検証した。
その結果、どうやら自分は特定の人間には大事に思われているものの、多少範囲を広げると疎ましく思われている人間のほうが多いという結論に至る。そんな人間に自分の弱みを握られて居たくはないので、厳重に注意して渡り歩くすべを身につけた。
必死だった。そんな努力を続けていくにつれ、時々体の不調が出るようになった。頭痛や胃痛、時には耳鳴り、動悸。食欲不振も時折訪れたが、様々な理由をつけて体を休めて、不審に思われないようにやり過ごした。自分の家族には、どうも知られているような気もしたが、自分の意思を尊重してもらえているようだった。
長年『そうであると楽な自分』を演じ続けているけれど。
本当は、『 』なんだ。
本当は、もう、疲れているんだ。だから、交代、してほしい。
ねぇ、本当の『佐々木 加奈子』さん。 私は、ただの、『 』だから。
あなたのふりは、そろそろ、げんかい、よ…
夜のたびに行う呼びかけ。それは彼女にとって苦痛。今でも、自分は正統な『加奈子』ではないと思うから。
そうではあるけれど、今まで必死に生きてきた『加奈子』を否定することは、身を切り裂くような悲痛を伴うもので。
『加奈子』の精神は疲弊していた。
だれか、だれか。
わたしを、みとめて。わたしは、『みがわり』じゃない。
加奈子の心は自分自身をかきむしる。流れるはずのない血液が、加奈子の心の中ではいつでも流れ続けていた。
ああ。助けて。誰か。加奈子の精神の中で加奈子自身が自らを追い込んで蹲ったとき、ふと懐かしい声が彼女の中で響き渡った。
『お前はお前の好きにすればいいんだよ』
それは決して大きな声ではなかったけれど、彼女の心にしっかりと届いていた。
『俺は、お前に振り回されるのは嫌いじゃないぞ』
…ああ、ああ。
ふらふらと彼女は立ち上がる。真っ暗だった周りの暗闇が、少しずつ差し込む光で薄くなっていく。
「…わたしは、わたしでいても、きらわれないの…?」
どうか、きらわないで。そのさきを、教えて。
彼女は目を閉じ、差し込む光を体全体で浴びる。
心地良い。この人のそばは、――ほっとする。
願わくは、どうか――ただの私を、受け入れて。
そう願った加奈子の意識は、そのまま白く塗りつぶされた。
0
お気に入りに追加
40
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
官能令嬢小説 大公妃は初夜で初恋夫と護衛騎士に乱される
絵夢子
恋愛
憧れの大公と大聖堂で挙式し大公妃となったローズ。大公は護衛騎士を初夜の寝室に招き入れる。
大公のためだけに守ってきたローズの柔肌は、護衛騎士の前で暴かれ、
大公は護衛騎士に自身の新妻への奉仕を命じる。
護衛騎士の目前で処女を奪われながらも、大公の言葉や行為に自分への情を感じ取るローズ。
大公カーライルの妻ローズへの思いとは。
恥辱の初夜から始まった夫婦の行先は?
~連載始めました~
【R-18】藤堂課長は逃げる地味女子を溺愛したい。~地味女子は推しを拒みたい。
~連載中~
【R-18有】皇太子の執着と義兄の献身
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる