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呪いの真実

31冊目『四葉の異常性』

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 病院の廊下を、俺は早足で駆け抜けていく。

 パタパタと胸あたりで首から下げた面会証が揺れている。荒い息遣いで先を急ぐ俺に、すれ違う人たちの視線が張り付いた。
 四葉が目を覚ましたと連絡が来たのは、ちょうど補修が終わった頃のことだった。

「四葉……!」

 いっそ走り出してしまいたい。
 救急車を呼んだあの日から俺は四葉に会えていない。だからどうなったのか知らないし、何より、彼女の下半身がどんな状態なのか、後遺症が残るのかもわからない。

 それも心配だけどそれ以上に、今はただただ早く会いたい。

 おそらくここであろう病室に到着した。三回、四回と病室番号を再確認して、大きく深呼吸。よしと意気込んでドアノブに手をかける。

 そこに、彼女はいた。

 一般的な個室だ。揺れるカーテンの隙間から、紅の光が差し込んでいる。
 四葉はベッドの上半身あたりを少しだけ上げ、見慣れない病院服姿で寝転び外を眺めていた。体からいくつか点滴の管が伸びて、結ばれていない長い黒髪がベッドに広がっている。

「四葉」
「――!」

 呼び掛ければ彼女の方がピクンと跳ねた。ゆっくりと四葉は振り返り、いつものように笑みを浮かべる。

「――こんにちは、夏樹君」

 一瞬、呼吸が浅くなったのを感じた。
 口調はいつも通り。あの日みたいに苦しそうなわけでもない。表情もいつも通り。微かな、でも確かな笑みはそれだけで心が落ち着いてしまいそうになる。

 でも、明らかに弱っている。

 まず顔色が悪い。どこか痩せてしまったようにも見える。生気がないとでも言おうか。しかし動揺を悟られないよう、笑顔を作ってそれに応える。

「ああ、おはよう……じゃなくて、時間的にはこんばんはか?」
「そうね。でもついさっきまでずっと寝ていたのだから、おはようでも間違ってはいないけれど」
「まあそうか……その、どうだ? 具合は」
「とりあえず絶好調ではないわね、見ての通り」

 彼女は、そのまま溶けてしまいそうな儚い笑みを浮かべる。そりゃそうだと返して俺は四葉の元へと近づいた。

 すると四葉はこっちに向うとしているのか小さく身じろぎをした。それだけで重労働なのだろう。四葉はふぅと長い階段を上り切った後のような吐息を吐き出した。

「不便なものね、怪我をしてるって。何度も死んでいるのにおかしな話だけれど」

 俺は何も返さない。本来なら真っ先に言わないといけないこと。それを口にできないのは、きっと俺が臆病だからだ。

 ため息を口の中で噛み締める。情けない俺の代わりに口にしたのは、やはり四葉だった。

「…………救急車、呼んだのね」
「…………」

 来た、と唾を飲み込んだ。

「なぜキスしてくれなかったのかしら。なぜ、幸せにしてくれなかったのかしら」
「それは……」

 なんで、なんで。
 頭で考えて、ごめんと口にしそうになる。でもぐっと堪えた。正しいかどうかはわからないけど、俺が決断したことだから。

「リセットすればこの怪我だってなくなるのに」
「リセットしたからそうなってるんだろ」
「幸せにしてくれるって言ったでしょう?」
「幸せにするって言ったからだ」

 目を逸らさずそう言い切れば、彼女は少し顔をしかめて首を傾げた。まるでなにを言っているわからないとでも言うかのように。

「なあ四葉。もう状況が違うだろ」

 俺はは少し前のめりになって口を開く。
 この話をするには今しかない。

「前はリセットしたら全部なかったことになってたかもしれない。ちょっと前も跡が残るだけだったかもしれない。でももう違うじゃないか」
「……一緒よ、今までと。なにがあったとしても、幸せになれれば消える。たとえリセットがうまくいかなくても、それすらもね。今までもそうだったでしょう?」
「でもそれまで痛いだろ? 辛いだろ」

 絶対そうであるはずだ。実際四葉だって辛そうな顔をしていた。死ぬときだって、この前だって。

 でも四葉は首をまた傾げる。

「そうね、呪いは痛みを消してくれるわけじゃないもの。でもやっぱり、それも今まで通りでしょう? どちらにせよ死ぬ時は痛いのだから」
「そうだけど!! いや、そうなら余計に!!」

 呪いに関しては四葉の言ってることはチグハグだ。
 
 痛いけど消えるからいい。でも死ぬのは痛い。そして消えるためには死ぬしかない。

 じゃあなんのために四葉は死んでるんだ!

「痛いのは、幸せじゃないだろ……! 次リセットできなかったらどうするんだ……! 今度こそ本当に死んでしまうくらいの傷だったら! どうするんだ!」
「…………っ」

 一瞬、彼女の動きが止まった。何かを言おうとして、しかし飲み込むような仕草。

 やっぱりそうだ、四葉も辛いとは思ってる。あたりまえだ、たとえリセットされるとしても傷は傷。

 心の底では四葉も同じ気持ちだったんだ。少し心が浮き足立つ――が、それもすぐに打ち砕かれた。



「でも、幸せになれるでしょう?」



 彼女はそう、淡々と口にした。

「たとえ死にかけても、たとえ傷を負っても。何かに囚われることなく、素直に、心から、幸せって、そう思えるでしょう?」

 そう言いながら彼女は、いつも通り笑っていた。

「自分は不幸だと常に言い聞かせたり、もしかしたらって人を常に突き放したり、死因になりかねないあらゆるものに恐怖したり、何度も何度も自傷行為をしたり――そんなことをせずに、幸せって思えるでしょう?」

 黒真珠のような瞳を、微かに濁らせて。

「それのなにが、いけないことなのかしら」

 歪に彼女は、笑っていた。

 正直俺は今まで、四葉は普通の少女だと思っていた。
 呪いを受けながらも、それ以外はごく普通の女子高生だと。

 読書の甘いものが好きで、暗い場所や激しいものが苦手。勉強も運動もできるが、表情の変化が乏しかったりきっぱりとした性格のせいで教室では一人でいることが多い。でも実は人を揶揄うのが好きで、たまに浮かべる笑顔が可愛くて。

 そんな普通の彼女だと、そう思っていた。


 でも、違った。

 四葉は――普通じゃなかった。

 小学生の時から不幸を強いられ、何度も何度も死んでは生き返りを繰り返してきた彼女が、普通でいられるはずがなかった。

「ねえ、夏樹君。私、おかしいかしら」

 首を傾げながらそう尋ねる彼女と俺はきっと、根本的に何かが違うのだ。

 どんなに傷ついたとしても、たとえ死んだとしても、幸せを感じることの方が重要だと。
 そう言う彼女はきっと、俺とは相入れないのだろう。

 だから俺は、喉を一度鳴らし、彼女に問いかける。

「なあ、四葉。やっぱり呪いを解こう」

 でもだからこそ俺は、彼女を呪いから解放してあげたかった。

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