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29話
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門を抜け、手配されていた馬車に向かう。葬儀のためとはいえ、神官が出入りするのを公の目にさらしたくはないからか、来るときも帰るときも裏手にある門を指定された。
それが当たり前なのだろう。ローレンスはこれといって気にしていないような涼しい顔をしている。
(私って本当に……教会について知らないことが多いのね)
九年も教会に通っていたのだから、ある程度知っていると自負していた。実際に、客の立ち入りが許される範囲であればどこに何があるのか、どこの屋根に鳥が巣をつくっているのか、ネズミの巣穴やクモの巣の場所まで把握している。
だがそれ以外――貴族や周囲の人から見た教会というものに対する知識が欠落していたことを、実感してしまう。
どうして何も知らないのか、という疑問の答えはすぐに出た。メイヴィス伯がリネットの教育課程にそういったことを含めなかったからだ。
教会がどのような場所なのか、貴族にどう思われているかを知れば、助けを求めると考えたのかもしれない。
あるいは、必要のない知識と考えて切り捨てただけかもしれない。余計な教育に費やす金はないからと。
(ないというよりは……もったいない、と言うほうが正確かしら)
メイヴィス伯は必要最低限のものしかリネットに与えなかった。ドレスのほとんどはアメリアのおさがりで――彼女はそれを、妹から気に入ったから奪われたのだと社交界で嘆いていたようだが――王家が主催したパーティーとかなら新調してくれたこともあるが、数えるほどしかない。
だから教会に関する知識といった、あってもなくても構わない知識のために教育係を雇わなかったと考えるのは、自然なことだった。
「ね、ねえ、あなたたち!」
ローレンスの手を借りて馬車に乗ろうとした寸前、草を踏む音と女性の声が聞こえてきた。
するりと自然な動作でリュイとリュカがリネットの前に立ち、声をあげた女性を見る。リネットも上げかけた足を下ろして、そちらに目をやった。
「シゼルの葬儀で来たのよね? もしよければ、私を中にいれてくれないかしら」
乱れた髪に、泥で汚れた服。とうてい弔問客には見えない出で立ちに、リネットはぱちくりと目をまばたかせ、続いて女性の紫色の瞳に目を見開いた。
「あなたは?」
そう聞いたのは、ローレンス。リネットの手を取った状態のまま、馬車から降りて女性に向けて首を傾げている。
「私はシゼルの姉で……クレアと言うの。それなのにあの人たち……だから、ちょっと忘れものをしたとでも言って、私を連れて中に戻ってちょうだい。妹に最後のお別れを言いたいのよ」
ちらりとローレンスの顔を仰ぎ見る。
家族と最後の別れがしたい。そう思う気持ちはリネットにもわかる。
だがシゼルの姉クレアは、これまでに一度もメイヴィス家を訪ねてきたことはなかった。そしてシゼルは自分の家族について語ろうとはしなかった。
生家が没落し、消息を絶っているとリネットに教えたのは、シゼルが嫁いでくる前からメイヴィス家で働く使用人。
行く宛てがないから、どんな扱いをされても縋りついて哀れなものだと、そう語っていた。
「そうなのですね。でも申し訳ありません。客人を招くのは我々の役目ではないため、ほかの者に頼むことをお勧めします」
「な、なら、シゼルの……シゼルの娘を呼んできてくれるだけでいいわ」
縋るようなクレアの物言いに、ローレンスが小さく首を傾ける。穏やかな笑みはそのままだが、わずかな動作から、どうしてなのかと聞かれたように感じたのだろう。
クレアは姪の様子を知りたいのは当然だとか、シゼルが最後何を言っていたのかを知りたいとか、そんなことを口々に喋りはじめた。
(……どうして今になって……?)
シゼルが心身を壊したことも、リネットの名前も知らないということは、手紙のやり取りも何もしていなかったということだ。
メイヴィス伯が手紙を出すことを禁じたのだとしても、気になるのであれば十数年の間に一度ぐらいは訪ねてきていてもおかしくはない。
それなのにどうして今になって――シゼルが死んでからようやく姿を現したのか。
(それに、本当に……伯母なのかしら)
紫色の瞳はシゼルと同じ。だが目の色だけで血縁関係を認めるのもおかしな話だ。
ぎゅっと繋いでいた手を握ると、ローレンスがちらりとリネットを見下ろし、続いてクレアに視線を向けた。
「そうなのですね。でしたら是非、教会までいらしてください。詳しい話はそちらでお聞きしましょう」
「そこまでしなくていいわ。ここに呼んできてくれるだけでいいのよ」
ローレンスに――神官にここまで縋るのは、ほかに宛てがないからだろう。
没落したとはいえ、シゼルの生家は貴族。神官の評判は、知っているはずだ。エイベルや従者、それにメイヴィス伯の様子からして、貴族が神官にここまで頼みこむのは珍しいはず。
「我々はすでにこちらに立ち入る権限を失っております。長居することも許されてはいないのですよ。そのため、我々の力を借りたいのでしたら、教会までいらしてください。神に救いを求める方を我々は無下にはいたしません」
「……それならそうと、先に言いなさいよ」
時間を無駄にした、とばかりにクレアは苛々とした足取りで背を向ける。
次は誰に頼むつもりなのか。弔問客が帰るまで粘るつもりなのかもしれないが、いくら頼もうとリネットに会うことはできないだろう。なにしろ、リネットはここにいる。
「……ラルフ」
クレアの姿が見えなくなってから、ローレンスが小さく神官見習いの名前を呼ぶ。
「彼女を追ってください」
「はい、わかりました」
頷いくラルフにリネットは小さく首を傾げてローレンスを見上げる。
どうして彼女を追う必要があるのかと疑問に思ったからだ。
「神に救いを求める方の憂いを払うのも我々の務めですから」
そんな疑問に答えるように、ローレンスはいつもと同じ、柔らかな笑みを浮かべた。
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