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25話
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棺が安置されているのは離れの地下。メイヴィス家の使用人に案内されながら、リネットはちらりと屋敷を見上げる。
ひびひとつない壁に、綺麗に塗られた青い屋根。一点のくもりすら許さない様は、メイヴィス伯そのものを表しているようで、昔から苦手だった。
それはしばらく離れていた今も変わらないようで、無意識のうちに体がこわばる。
誰かに見つかったらどうしようと思いながら、顔を俯けてフードがずれないように整える。
神官見習いは神官服の上にローブを着るのが習わしだ。それは神官との差が周囲の者にもわかるようにというのと、見習いは見習いでしかないのだと――個ではなく集団に属するのだということを示すために。
だからリネットだけでなく、ほかの神官見習いも顔を隠すようなフードを被っている。だからすぐに気づかれることはないとわかっていても、どうしても緊張してしまう。
かつかつと石でできた階段を降りて、重々しい扉が開かれる。
「こちらです」
聞こえてきた使用人の言葉に、部屋の中を見回す。広い部屋を照らすのは、壁にかけられたいくつかのランタンの明かり。中央には台座があり、そのうえにひとつ、棺が置かれている。
「案内ありがとうございます。それでは、我々は準備に取り掛からせていただきますので、時間になりましたらまたお呼びください」
ローレンスの丁寧な物腰に使用人が小さく頭を下げて、部屋を出る。
大切な家族ならともかく、シゼルは妻という座を与えられているだけにすぎなかった。そんな相手が眠る場所に長居したくはなかったのだろう。
渋る様子もなく閉められた扉にほっと胸を撫でおろす。
「……それではリネット。別れの挨拶を」
そっと背を押され、棺の前に立つ。そのなかには、眠るように横たわるシゼル。
固く閉ざされた瞼は、いつも眠っているときと変わりない。だがその頬を撫でると、ひんやりとした冷たさを感じた。
冷却魔法がかけられているからというのはわかっている。だが、血の通わない――かつてあった温もりが失われていることを改めて思い知らされる。
「お母さま」
シゼルに会ったとき、何を言うかをずっと考えていた。それなのに彼女を呼ぶ声が震える。
言葉が返ってこないのは、この二年で何度もあじわった。だが本当にこれで最後なのだと思うと、考えていたことがすべて消し飛んでしまう。
「……ごめんなさい」
これまで優しくしてくれて守ってくれたお礼を言おうと思っていたのに、出てきたのは謝罪の言葉。
もっと早く異変に気付いていれば、なんとかできたかもしれない。
もっと早く一緒に逃げようと言えていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
――それこそ、リネットが生まれてこなければ、シゼルがこんな目に遭うことはなかった。
男でなかったことが、魔力がなかったことが、シゼルを苛めた。
「……でも、私は……」
だがリネットはシゼルに大切にされて、幸せだった。
ほかの誰も味方がいなくても、シゼルがいてくれるだけでよかった。優しい言葉と撫でて、抱きしめてくれる手があるだけで嬉しかった。
「……ごめんなさい」
リネットがいなければ、シゼルが不幸に陥ることはなかっただろう。
それなのに、幸せを感じていたことが申し訳なくて、それ以外の言葉が見つからない。
愛する母を不幸にしてしまったことに、自分のせいで鞭打たれていたことに、自分がいなければ起きなかったであろう扱いに、物置のような部屋に押し込められたことに、誰にも看取られなかったことに、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す。
ごめんなさい、とただ繰り返される言葉が静かな部屋のなかに響いた。
ひびひとつない壁に、綺麗に塗られた青い屋根。一点のくもりすら許さない様は、メイヴィス伯そのものを表しているようで、昔から苦手だった。
それはしばらく離れていた今も変わらないようで、無意識のうちに体がこわばる。
誰かに見つかったらどうしようと思いながら、顔を俯けてフードがずれないように整える。
神官見習いは神官服の上にローブを着るのが習わしだ。それは神官との差が周囲の者にもわかるようにというのと、見習いは見習いでしかないのだと――個ではなく集団に属するのだということを示すために。
だからリネットだけでなく、ほかの神官見習いも顔を隠すようなフードを被っている。だからすぐに気づかれることはないとわかっていても、どうしても緊張してしまう。
かつかつと石でできた階段を降りて、重々しい扉が開かれる。
「こちらです」
聞こえてきた使用人の言葉に、部屋の中を見回す。広い部屋を照らすのは、壁にかけられたいくつかのランタンの明かり。中央には台座があり、そのうえにひとつ、棺が置かれている。
「案内ありがとうございます。それでは、我々は準備に取り掛からせていただきますので、時間になりましたらまたお呼びください」
ローレンスの丁寧な物腰に使用人が小さく頭を下げて、部屋を出る。
大切な家族ならともかく、シゼルは妻という座を与えられているだけにすぎなかった。そんな相手が眠る場所に長居したくはなかったのだろう。
渋る様子もなく閉められた扉にほっと胸を撫でおろす。
「……それではリネット。別れの挨拶を」
そっと背を押され、棺の前に立つ。そのなかには、眠るように横たわるシゼル。
固く閉ざされた瞼は、いつも眠っているときと変わりない。だがその頬を撫でると、ひんやりとした冷たさを感じた。
冷却魔法がかけられているからというのはわかっている。だが、血の通わない――かつてあった温もりが失われていることを改めて思い知らされる。
「お母さま」
シゼルに会ったとき、何を言うかをずっと考えていた。それなのに彼女を呼ぶ声が震える。
言葉が返ってこないのは、この二年で何度もあじわった。だが本当にこれで最後なのだと思うと、考えていたことがすべて消し飛んでしまう。
「……ごめんなさい」
これまで優しくしてくれて守ってくれたお礼を言おうと思っていたのに、出てきたのは謝罪の言葉。
もっと早く異変に気付いていれば、なんとかできたかもしれない。
もっと早く一緒に逃げようと言えていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
――それこそ、リネットが生まれてこなければ、シゼルがこんな目に遭うことはなかった。
男でなかったことが、魔力がなかったことが、シゼルを苛めた。
「……でも、私は……」
だがリネットはシゼルに大切にされて、幸せだった。
ほかの誰も味方がいなくても、シゼルがいてくれるだけでよかった。優しい言葉と撫でて、抱きしめてくれる手があるだけで嬉しかった。
「……ごめんなさい」
リネットがいなければ、シゼルが不幸に陥ることはなかっただろう。
それなのに、幸せを感じていたことが申し訳なくて、それ以外の言葉が見つからない。
愛する母を不幸にしてしまったことに、自分のせいで鞭打たれていたことに、自分がいなければ起きなかったであろう扱いに、物置のような部屋に押し込められたことに、誰にも看取られなかったことに、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す。
ごめんなさい、とただ繰り返される言葉が静かな部屋のなかに響いた。
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