ナイフが朱に染まる

白河甚平@壺

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(最終話)僕はミネ子と地獄の果てまで堕ちる。そう決意したんだ。

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「父のあんな大雑把なメモでごめんね。道迷ったんじゃない?」
風で乱れた髪を掻き揚げてミネ子はカップに紅茶を注いでいた。
彼女は社長から僕が今日来ることを聞いていたらしく、
東京駅からの新幹線の時刻表を調べて、大体僕が昼前に着くことを予想してはりきって待ってくれていた。
彼女が顔を突き出した2階の窓は廊下側であり、
彼女の部屋は反対側にある海が見えるテラスつきだった。
いまさっきまでヒィヒィ言って来た獣道とは雲泥の差。
森の道が開けておりその真ん中には堂々とまるでエーゲ海のように煌びやかな海が広がっていた。
柵の周りには南国の葉っぱが両脇に植えられており、正に天国を間近で体験しているようかで息を飲むほどの絶景だった。
白いパラソルの下に真っ新な丸テーブルと背もたれに隙間のあいた粋な椅子が置かれていて僕たちは向かい合って座っている。
テーブルには花びらのような形をしたティーカップに夕焼け色の紅茶が注がれており、リボンのついたバスケットにはロシアンクッキーやココア色のタイルの形をしたクッキーがレースの上に上品に並んでいる。


「ミネ子ちゃん、このクッキー最高だよ。おいしい!
それにここはとても素敵な場所だね。
近所の目もないし大自然に囲まれて羨ましいよ」


景色に見惚れながら口にクッキーをもっていき音を立てて喋った。
バターの香ばしさが口中に広がりジャムの甘酸っぱい味と合わさって手作りしかできない食感と味だと思った。


「ええ。そうね。人がいない分、静かでとても居心地がいい」


さっきまで冗談をいって笑ってたミネ子が潮が引くように消えていく。
なんだか心から喜んでいない様子のミネ子だ。
精一杯明るく言ったつもりなのに、沈んだ声で返されて思わず狼狽えてしまった。
パラソルの影になっている彼女の顔は少し寂し気な表情を浮かべていた。

何を話しかけても彼女は上の空であり僕たちは静寂に包まれた。
すると、彼女が口火を切った。



「スケオくん。手術して入院したんでしょ。
わたしのせいでごめんね。
私が馬鹿なせいで背中にナイフを刺してしまった。
そして、マコトさんにもあんな酷いことをさせてしまってごめんなさい。
父を守りたかったとは言え、大半は私の行き過ぎた感情で殺人を犯してしまった。
こんな私、社会で生きてちゃダメよ」


ワンピースから露わになってる彼女の白い肩が震えだした。
寒いのかと最初は思ったが唇も震えていることに気が付き、
僕はミネ子のことがとても心配になってきた。
一口もつけていないティーカップに指をかけたまま俯いて一点を見つめる。
なにか言葉をかけようと思ったが、彼女は潤んだ目で口角をくいっとあげ首を振った。


「でも、父に良い弁護士をつけてくれたおかげで
懲役3年執行猶予5年で実刑からはなんとか免れたわ。
でも私は殺人者よ。責められてもおかしくない。
こんな所でのほほんと暮らしているのなんて卑怯よ。
お金なんかで……解決しないでちゃんと罪を償いたい。
父の顔にも……泥を……塗ったような……ものだわ」


彼女の言葉がとぎれとぎれになっている。
ミネ子は指で目を抑えた隙間からキラリと涙を零した。
僕は反射的に椅子をギーと後ろへずらし、シャンっと立ち上がった。


「そんなことない。
社長を殺そうと図った伊藤が間違いなく悪いよ。
ヤツが一番責められなくてはならないんだ。
今回はミネ子ちゃんは……たしかに殺してしまった。
でも、ミネ子ちゃんだって伊藤に脅迫されて無理やり犯されたんだ。
他の女子社員にも同じことをやってきた。
あんな奴は公正の余地なんかない。死んで当然だよ」


髪を振り乱し、つい、力(りき)んで言ってしまった。
ミネ子は手で隠そうともせずに真珠のネックレスがバラまいたように涙を零した。


「スケオくん。ありがとう。
でも私は伊藤を殺し、マコトさんを誘拐し、私の大事なスケオくんにも重傷を負わせた。どんなに庇ってくれても犯罪者は犯罪者よ……」


ミネ子は言葉を詰まらせ、顔を突っ伏して大声で泣きだした。
僕は彼女の後ろに回って優しく背中を撫でさする。


「なあ。僕もここに暮らしていいかい」

ミネ子は鼻を赤くさせ泣き腫らした顔をあげた。

「アハハ。冗談いわないで。
こんな森しかない何もないところなんか孤独になるだけよ」

「キミとなら孤独になんかならないよ」

僕は勢いよくズボンのポケットに手を突っ込んでハート型の小さな箱を取り出した。


「ミネ子ちゃん。僕と結婚してよ」


突風で僕の帽子が吹っ飛んだが、なりふり構わずに彼女の前で片膝をつけ、箱を開けて前に突き出して見せた。
僕の必死の頼みで社長から前借した給料で婚約指輪を買った。
箱の中には少し広がった深紅の薔薇を入れてあり、真ん中にダイヤモンドの指輪が見えるように僕なりに工夫をして見せた。
ミネ子は口を手で押えしばらく固まってた。


「どうして…どうしてよ。
だって私はナイフで殺す血も涙もない犯罪者よ。
怖くないのスケオくん」

首を横に振り続けてミネ子は狼狽える。


「そんなのは関係ない。僕の意思でもう決めたことなんだ。
後輩のマコトとはもう完全に別れた。
僕はもうキミしかいないんだ。
キミとこれからも鮮やかな暮らしをして生きたいんだ。
僕はずっと平社員で甲斐性がなく臆病でどうしようもない男だけど、こんな、こんな冴えない僕とどうか、結婚していただけませんでしょうか!」


いつもだったらこんな長い言葉なんか舌を噛んでまともに喋れないのだが、今日はなぜか一言も噛まずに喋れた。
僕は土下座する勢いで腰を低くし、ミネ子に目一杯婚約指輪を突き付ける。
すると、僕に柔らかい羽衣のようなものが覆い被さってきた。
顔を上げるとミネ子がしゃくり上げながら僕の肩に腕を回してくれている。


「ありがとうスケオくん。勿論OKよ。
でも後悔しないでね。妻が犯罪者でも」


ミネ子は喜び、腕を僕の腰に移して回し、天女のように抱きしめてきた。


「後悔なんかするものか。
天国でも地獄の底まで僕はミネ子ちゃんを離さないよ」


僕は彼女の冷えた肩を両手で掴んで真っすぐに見た。
目をパチパチとさせるミネ子のしっとりとした白い手を取り、
ゆっくりと薬指に指輪を嵌めた。



(完)
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