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1章、人が生きる世こそ地獄ではないか

4話、許せぬ裏切り

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「賊を発見致しました! 閣下、ご命令を!」
 斥候の緊迫した声が陣内へ響くと、ローゼリア軍を率いる父上は鋭い眼光で前方を睨みつけ、即座に指示を飛ばしていく。

「全軍、横陣に展開せよ! 森があるゆえ効果は薄いだろうが、牽制に数射のち突撃に移れ。エイブラム、詳細な指揮は任せる。ただし、一人たりとも逃がすな!」
「ははっ!」
 父上の号令が響き渡ると、ローツェン街道を北に向かって縦列で進軍していたローゼリア軍は、まるで一つの生き物のように素早く横陣へと陣形を変えていく。兵士たちの表情は一瞬にして引き締まり、張り詰めた空気が辺りを支配し始める。

 戦場で初めて握る槍の柄にはじわりと汗が滲んで、まるで息をするのも憚られるような感覚に囚われる。

「父上、ここではよく見えません。少し前へ行ってもよいですか?」
 今日が初陣である僕は、後方から広く前方を見渡すような視点は慣れていなかった。それに、父上がいるこの場所は後方に過ぎ、戦況を把握するにはあまりにも遠すぎる。前線で何が起きているのか、この距離ではほとんど分からない。
 せっかく戦場まで来たんだ。ここで学ばなければ、何のために来たのか分からないじゃないか。
 戦況を詳しく観察し、戦術や指揮について学ぶために、少しでも前線に近い場所へ移動したいと願い出ると。
「気を付けて行きなさい。ただし前に出過ぎるなよ?」
 父上は僕を見ることなく、前線へ赴くことを許してくれた。

 同じ見ないでも、アルザスのとは意味合いが違う。刻一刻と変わる戦況を見逃すまいと、指揮官たる父上の気持ちの表れだと思われたし、領主の息子として見習わないといけない部分だよ。
 なら、僕はせめて父上の邪魔にだけはなるまいと、声を出さずにただ頷き、側近の従騎士たちを引き連れ本陣から前線の中ほどへと向かった。前線へ近づくほどに、そこにいる兵士たちの面持ちは緊張度を増していく。

 ほどなく、前線の中ほどにいるエイブラムの元へ到着するも、彼は前線の指揮に忙しく、僕たちへ言葉を発することはなかった。ただこちらを見て一瞬驚いたあと、手を数度動かして近くまで来るようにと促してくれる。
 エイブラムの傍らで指揮の様子を伺うという、またとない機会を得た僕は、固唾を飲んでその様子を見守る事にした。

「このまま徒歩にて前進、敵を射程に捉えたら弓を斉射三連せよ。騎馬隊は森ゆえ後方待機。ただし、いつでも出撃できるよう準備は怠るなッ」
 エイブラムの枯れた声が、戦場に響き渡る。
 その声には、長年の経験から培われた冷静さと同時に、絶対に敵を逃がさぬという強い意志が込められていたように思う。
「それから、くれぐれも矢を撃ちすぎるなよ? 距離があるうちに森へ逃げられるとかなわんからな」
 エイブラムは、若き弓兵たちに注意を促すことも忘れていなかった。
 彼は僕の剣術や槍術の師でもある。若者の指導はお手の物なんだろう。

 矢継ぎ早に号令を下すと、ローゼリア軍はまるで一つの生き物のように動き出す。主力である歩兵部隊は横一線に整然と隊列を組み、その光景はまさに圧巻の一言に尽きた。統制のとれた歩兵たちは、静かに、確実に前へと進み敵との距離を縮めていく。このまま互いに、正面からぶつかり合う、激しい戦闘が予想された。

「これが初陣か……」
 戦場が放つ独特の雰囲気に、嫌な汗が噴き出し、息が詰まりそうになる。
 僕の目の前で、今まさに戦いの幕が切って落とされようとしていたのだ。
 傍らには、僕付きの従騎士の中でも特に秀でた四人が周りを固めている。ヴァイスにオスヴァルト、アイリーンそしてホルガー。彼ら四人は、主君である僕を守るため周囲に気を配り、警戒の色を強めていく。
 
 そして、ついに戦いの火蓋が切られた。
 轟音と共に、兵士たちの怒号が戦場を満たし、生死を賭けた戦いが始まる。
 僕は、狂気と興奮が入り混じる戦場に身を置きながら、しっかりと前を見据え、自らの初陣に臨む。

 エイブラムは、敵兵との距離を測りつつ、弓斉射のタイミングを図っていた。
「弓隊構え、慌てるなよ? 歩兵隊は盾を忘れるな!」
 弓兵たちは指示に従い、緊張した面持ちで弓を強く引き絞る。
「よし、今だ! 斉射三連、放てーっ!」
 エイブラムの号令が轟くと、弓兵たちは番えた矢を次々に空へと放つ。
 ビュンビュン、ビュビュン、ビュビュッと、強く張られた弦が空気を引き裂く音と共に、数十本の黒い影が放物線を描きながら敵めがけて飛翔する。
 ローゼリア弓兵の矢の雨を浴びた敵兵は、バタバタと倒れその数を減らしていく。しかし、木々が盾となり、思ったほどの戦果が出ていないようにも見える。あるいは、エイブラムが言った通り、敵の森への退却を防ぐために、あえて攻撃を抑えているのかもしれない。その辺りの戦場の機微は今の僕にはまだわからなかった。

「ふむ、賊ゆえ弓の反撃も無しか、よし」
 敵弓兵による矢の応射は無い。
 そう判断したエイブラムは、主力である歩兵部隊へ突撃を命じる。
「歩兵隊突撃せよ! 騎兵隊は森から飛び出した敵小勢を討て! 賊を逃がすな!」
 オオオオオオオオォ
 数百人の歩兵が一斉に雄たけびを上げ、敵陣に向かって突撃を開始した。
 その光景は、まるで大地を揺るがす地鳴りのようだった。

「すごい迫力だな……」
 僕は初めて目にする戦場の光景に圧倒されながらも、興奮を抑えきれずにいた。

 馬というのは存外高いもので、騎乗していると意外と先がよく見える。
 数多の兵士たちの叫び声が交錯する中、両軍の前衛が激しく激突した。
 この戦いは領地軍対野盗の戦いであり、装備、練度共に充実した我々が有利なのは間違いなく、量も質も大きく劣る野盗に負けるはずがない。

 両軍が激突してから、そうときを置かずして、戦況はローゼリア軍へと傾き始める。
 訓練された動きと、統率の取れた連携に晒された野盗たちは、次々と討たれ、或いは傷を負い後退していく。
「敵が崩れ始めたぞ!」
 どこからともなく声が上がり、ローゼリア軍の士気はさらに高まる。
 敵軍は予想以上に脆く、衝突から僅かな時間で、統制を失ってバラバラと後退し始める。そして、まるで潮が引くように、森の中へと逃げ込んでいった。
 
「勝ちましたな、若」
 我が家の重鎮でもあるエイブラムの言葉に、僕の心はようやく安堵の時を迎える。
 ちらりと横目で見ると、アイリーンやオスヴァルトらも、緊張から解放されたような、安堵の笑みを浮かべていた。
 そう、僕が初陣であったように、彼ら彼女だって初陣だったのだ。
 見せなかっただけで、緊張に身をすり減らしていたのは間違い無い。

 勝ち戦の勢いに乗じた味方は敵を追い、今こそ殲滅せん。と森の中へ怒涛の追撃を見せる。木々が邪魔で視界の通りは悪いが、森のあちこちで戦闘が行われているのであろう。そこかしこで剣戟の音が鳴り響いていた。
 しかし、至極順調そうに見えた森への追撃戦も、徐々に勢いに陰りが見え始め、敵の反撃がその圧を強めているように見える。我が軍の主力である歩兵部隊は領都ローゼンハーフェンの守備兵達であり、数こそは少ないものの、戦いを生業としている者達だ。野盗や賊と言われる輩とは練度、武装とも大きく違うはずなのに……。

 じわじわと巻き返され始めるこの状況に、僕は理解が追いつかなかった。

「何かがおかしい……」
 一方的に優勢であったはずの我が軍の足が、まるで底なし沼に沈み込むかのように止まっていく。
「森の中に伏せてあった敵兵が、想定よりも遥かに多かったのか?」
 エイブラムもまた、戦場に漂い始めた不穏な空気を察知しているようだった。
 嫌な予感が、チリリと僕の胸を締め付ける。こういう時の勘は、残酷なほどによく当たるのだ。

「直接前で確認して参りますゆえ、若は念のため後ろにお下がりくだされ」
 エイブラムがそう告げ、馬に拍車をかけようとした矢先、後方から血相を変えた兵士が我らの近くに駆け込んできた。
「敵襲! 後ろから敵が!」
 混乱気味に叫ぶ兵士の声は、戦場により深刻な混乱の渦を巻き起こす。
「後ろにも敵だ!」
「うわあああああ」
「逃げろ! 逃げろーっ!」

「後方へ敵襲だと? そんな馬鹿な事があるか! どこの軍勢だと言うのだ。ええぃ落ち着け、敵の旗印を確認したのか!」
 エイブラムは必死に声を張り上げ、事態の収拾を図ろうと部下たちに指示を飛ばす。だが戦場は、現れるはずのない敵に、予期せぬ挟撃によって瞬く間に修羅と化していた。

 錯綜する情報が恐怖を増幅させ、兵士たちの士気を容赦なく削っていく。信じられないだろうが、恐怖は伝播していくのだ。

 戦場のただならぬ様子に、何かを感じたのか。
 ヴァイスが距離を詰めて、僕へと近づく。
「お近くでお守りします」
「ありがとうヴァイス」
 本当は……、血を分けた兄弟である、アルザスに疎まれていたのを知っていた。
 槍を振るえば力なく、剣を振っても訓練用の人形すら切れやしない。
 『なんだこれは』と蔑むように見る目でわかっていた。僕にだってそれくらいわかる。

 今でこそ威風堂々としているけれど、ヴァイスも昔は僕みたいだったんだ。信じられるかい? 気の合った僕らはいつも一緒にいた。父や母の手前、声に出して言えなかったけど、本当の兄弟のように育ったと思う。
 いつだったかな? ある夏の日、僕らは領主屋敷の庭でかくれんぼをしていたんだけど、僕が鬼の番で、ヴァイスが隠れる役だったと思う。頑張って探すんだけど、なかなかヴァイスが見つからない。日が暮れ始めて、僕は少し怖くなって来る。でも、ヴァイスを置いて帰るわけにはいかない。

「ヴァイス、もういいかい?」
 僕はべそをかきながら何度も呼んだ。すると、どこからともなく声が聞こえてくるんだけど、どうやらその声も涙交じりなんだ。なかなか見つけられない僕も、見つけてもらえないヴァイスも、寂しくてべそをかいた。
 今思い出せば何て恥ずかしいんだろう。
 でも、そんなエピソードは沢山ある。

 そんな彼がさ、僕を守ると言うんだ。
 恐怖と不安で押しつぶされそうだった僕の心は、嘘のように平静を取り戻した。
 
 しかし、改めて思うに、半島の根本部分から半島北部にかけて領を有する、我がローゼリア伯爵家のは北部にあたる。一体何処の軍勢がここまで来れると言うのだ? 途中には領都や、他の集落が多数点在しており、誰にも見つからずにここまで来る事など到底不可能なはず。

 では、野盗が伏兵を用い挟撃したのだろうか?
 いや、そんな事はありえない。野盗如きが扱う戦法でも無ければ、何より数が合わない。それだと多すぎる。
 どうにも信じられない僕は、状況を確認すべく、オスヴァルトに後方の確認をするよう命じる直前、戦場を駆け巡る驚愕の一報を耳にする。

「アルザス様、ご謀反!」
「フランツ様、お討ち死に!」
 アルザスが謀反? 
 父上が亡くなった?
 一体何を言っているんだ? 
 ちょっと待て、嘘だろ? 誰か嘘だと言ってくれ!
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