君を愛さず、君に恋する

clover

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1章

1話 わたしという存在

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   キーンコーンカーンコーン

   
  世界の果てまでも飛んでいきそうな音は、たしかにオレンジ色をしている。暖かくて綺麗で、全てを包み込んでくれそう。その光を眺めているだけで転寝してしまいそうになる。


 時刻は18時過ぎ。
 わたしの部屋を照らす太陽も真赤に染まっている。それは告白や青春の汗にはぴったりの色だ。多分そう感じさせるのはチャイムも影響している。学校に家が近いせいか、いつも学校にいる気分だ。

  けれど、今日はいつも以上に夕日が明るくわたしを照らしていた。
     わたしには熱すぎて、うっとうしい。わたしではなくもっと苦労して生きてそうな人に贈るべき光だ。
 そう思いながら、掛け布団で強い光を遮る。ベッドの質感とバラみたいな香りを感じながら柔らかな掛け布団がわたしに密着してくる。


 しばらくして酸素が薄くなると、布団から顔だけを出して静かなこの部屋に一つだけある音を見る。
 

 時刻は18時過ぎ。
 そろそろ夕食に呼ばれるころだ。
 早くリビングに下りないと、またお母さんにうるさく言われる。
 ……と思うものの、体は言うことを聞かない。そういえばお母さんは合いびき肉を買い忘れたとかなんかで買い物に行っていたんだった。ならもう少しくらいベッドにいてもいいよね。
    俯せになって顔を枕に押し付ける。

 じっとしてるのもだんだん嫌になってきて、また時計を見やる。

 時刻は18時過ぎ.
 何度目だろう。
   時計を見ては適当に思考して、自堕落に自分のベッドに横たわる。ただ、思いつくなにかを考えるだけ。どんな下らないことでもいいから、適当なことを考えていたい。自分勝手に思い込んでしまう性格が導いた末路。思いついたことを意味も分からずに口にするよりはずっといい気がするけれど、考えすぎる癖は直したい。

  時刻は……
  もう、飽きた。

  「また考え事?」

  ふいに声が飛んできて、わたしの潜考を遮った。

 この部屋にはわたししかいない。あたりまえだ。今日はいつもより早帰りができたから、家で勉強しようと思ってずっと独りきりだった。お母さんもさっき買い物にいった。こんな時間にわたしを呼ぶ声があるはずがない。

 起き上がって確認するのも面倒だから、まくらに顔をくぐもらせていう。

 「だれえぇ……?」
 「すごい声ね、おばけにそっくり」

 うふふ、と笑声が聞こえる。声からして女の子だろう。可愛い声だ。

 大人気ルビおとなげのある声に反して150cmくらいの小柄な体をしていそうだ。服は低身長を気にして大人っぽく見せるワンピース。丈は膝上くらい。首元を露出させて、純白のワンピースをイエローコットンカーディガンで包む。バックは小さめ。髪の毛はセミロングの黒髪と前髪をピンでとめる。顔立ちは少し丸めの骨格はしっかりしていて、たれ目気味の唇はチョンと添えられる。眉毛は細め。鼻は高い……いや低い……? 耳は……そこまでは分からない。スタイルはやや痩せ気味で全体的に超絶かわいい。ええと、あとは……もういいや。

 妄想に飽きたころに、ごそっとバックを置く音とミシミシっと古い椅子の畝り声がした。わたしの問いかけに答える音はしていない。

  「勉強、あんまりできていないのね。成績大丈夫なの?」

 その子は再び質問をした。
 そういえば、教科書類を机に広げたまま、机に突っ伏して結局何も手をつけられなかった。指摘されても動く気にもなれない。これならまだ、うさぎとかめのうさぎのほうがよっぽど働き者だ。

 「今日一日中だらけていたの?」

 ずっとこうだったわけじゃないよ。
 トイレにはいったし、飲み物とおやつを取りにもいった。でも、それ以外は出ていない。どうしても、何かをしようという気にはなれなかったんだ。

 「いい加減なにか言ったらどうなの?」

  そういわれて思いついたことはたった一つの質問。

 「あなたはだれですか」

   あいかわらずくぐもった声をしている。

 「え、わすれたの?」
 「わすれてないよ。しらないだけ。そんなかわいい声と恰好をしている人、私の部屋にいるわけないし」
 「か、かわいい……って、あなた顔あげてないじゃない? わたしのいまの格好にかわいげなんて一ミリもないわよ……」

  そう言って、照れくさいとでも言うような雰囲気が醸されていた。

  そんなことない。
  そうやって誤魔化す人に限って完璧なファッションと青春のコーディネートをしているものなのよ。ほらその証拠に――――

  「あれ……?」

 普段はいるはずのない子が目の前にいて、一瞬頭が真っ白になる。
 目に映ったのは同じクラスの女の子だ。確かに最近話すようになった子だけど、今日も学校で話したばっかりだから間違えるなんて思わなかった。
 声とは裏腹に、ダサいことで有名な制服を着ていた。胸の刺繍には『古川とより』とフルネームが入っていた。たしか、うちの学年には古川さんが3名ほどいるからだとかなんとか、彩音が言っていた。
 でも、なんだって彼女が私の部屋に……?

  「目、覚めた?」

  目が覚めたというか、頭が覚めた。だるさも吹き飛んでしまった。
 
  「あのさ、あまり見つめられるとさすがに恥ずかしんだけど……」

 だってしょうがないじゃない。
 あまりにも信じようがなくて、かなり裏切られた気分……。勝手な話だけど。


 「そういえば、なんで私の家にいるの?」
 
 唐突にわたしが問うと、古川さんは少し驚きを見せ、足元にあるカバンを手に取った。その中から見覚えのないノートが出てくる。
 すると、そのノートを片手に、ノートに挟まっていたプリントも広げてわたしに見せてくる。

 「このプリントにあるのは今日の課題についてで、このノートはあなたの忘れ物だって」

 短い文をずいぶんとあたふたしながら話していた。片方ずつもって話せばいいのに。

 それにしても、忘れ物なんてあったっけ。
 ……ううん、あるわけない。なにせすべておいてきてる。自信もっていえる。
 とすると、古川さんが持ってきてくれたノートは誰かが私のと間違えたのだろう。

 古川さんはあわただしく、プリントとノートを茶封筒に入れて渡してきた。
 封筒わざわざ用意してくれたのかな、なんて思ったら古川さんのまっすぐなやさしさをもどかしく感じてしまう。

 「あ、ありがとう」
 「どういたしまして」

 ……なんて言葉足らず会話。
 なんていえばいいかわからない。
 窓から入る夕日はさっきよりうっとうしく光っている。

 古川さんからその物を受け取る。たぶん、かなりぎこちない受け取り方だったと思う。
 けれど、古川さんはなにかを悟ったかのように微笑んで、大きなバックを背負って部屋を出ようとする。

  「あ、あの……!」

   ……あ、あれ?  なに、考えてるのわたし。こんなところで古川さんを止める必要なんてないじゃない。せっかく課題を持ってきてくれたのに、こんなところで止めたらもっと迷惑をかけてしまう。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないのに。

  「利子倉とねくらさん……?」

 わたしの名前を呼んで、胡乱な目で見つめられる。その顔の裏には、一途にわたしの脳内を探ろうとしている姿が見えた。

 無邪気に輝いている古川さんの目はくらい群青をしている。その目にわたしの焦燥感は煽られていた。
 だんだんと、煮えかえりそうな激情がお腹の底から沸々と湧き上がってくる。どれだけ指向を指しても遮ることはできず、古川さんを止めた理由だけを脳内で模索する。

 ――――すごい。

 ようやくしっくりきた言葉は、すごく単純な響きだった。

 わたしにここまで優しくする人っていたんだ……。

 たった高校時代。
 たった三年間。
 人生のちっぽけな一部分。

 そんな雷のような時間に、彼女はこんなにも優しくなってくれる。あの微笑みこそが私の欲しかったものなのかもしれない。

  「あの、帰ってもいい?」
  「あっ……ごめんなさい、なんでもないんです。おくってくよ」

 わたしのよくわからない感情は、古川さんのやさしさよりも不遜だった。古川さんはただ単純に、わたしに忘れ物を届けに来ただけなのに。
 再び古川さんはわたしに微笑んで、お願いします、と返事をする。怪訝そうな顔は無かった。

 「ねえ、古川さん」

 尋ねると、玄関先でローファーを履きながら『なんでしょう? 』と返された。

 「なんで、うちがわかったの?」

 ローファーにかかとまでしっかりと足を入れ、立ち上がる。

 「彩音ちゃんに聞いたの。『利子倉さんの家知ってる?』って聞いたらすぐに教えてくれたよ」

 彩音が……
 また余計なことして。
 いたずらに微笑む彩音の顔が簡単に想像できる。

 「じゃあそろそろ、いくね」

 古川さんが玄関のドアを静かに開けると、オレンジ色がドアの隙間から零れ落ちてきた。

 「おじゃましました」

 恭しく礼をした。
 わたしは何も言わなかった。
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