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第三話

他人に迷惑をかけない世界

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 《ドガっ!》
 「おらっ! どこに消えやがったっ! 出てきやがれっ! くそビッチっ!」
 その男は激怒しながら駅の改札機を蹴りつけた。
 上蓋がひしゃげ、ICカード読み取り部分が割れて男の頬に破片が刺さる。
 「いてぇ! なんだこのポンコツ! 俺に恨みでもあんのかっ!」
 機械相手に、しかも自分で壊しておきながら八つ当たりする程度の男だった。
 破片を抜いた頬からドクドクと血が流れる。手で押さえているが、止まる気配がない。
 「くそぉ~血が止まらねぇ。俺が何したってって言うんだ? 何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ?」
 《バコっ!》
 今度はひしゃげた上蓋を叩いた。
 磁気券を処理するローラーが外れ、シャフトが男の手に突き刺さった。
 「ぐあっぁぁぁぁぁぁ~」
 頬と違って、刺さってる所が見えるために痛さが倍増するのだろう。
 頬の時より大げさに痛がってみせる。
 「おおおおおお~、死ぬ死ぬ~」
 しかし、どんなに大声で叫んでみても、改札口どころか駅にも周辺にも誰一人として現れなかった。
 男は恨んだ。何故誰もこないのか? せめて駅員は様子を見に来るべきだろう。職務怠慢だ。
 「(後で裁判沙汰にして、賠償金をがっぽり請求してやる)」などと、自分の主張ばかりを考えていた。
 「だいたいさっきのくそビッチは何なんだよ。電車の中でも突き飛ばしてくるし、降りたら降りたで人にぶつかってくるし…」
 口に出して文句を言う。
 しかし、誰も現れない。
 次第にあの『くそビッチ』がわめいていた内容が思い出される。
 『お前はお前が何をやっちゃっているか、判っているでするか? みんなが電車に乗る邪魔ばかりしちゃってるでする。降りたらドアの前で立ち止まってゲームを続けちゃってるさ。存在自体がみんなの迷惑でするよ!」
 「何のことだ? 俺は他人に迷惑をかけたことなどないのに、なんで存在自体が迷惑だなんて言われなきゃいけないんだ?」
 車内ではドアを塞ぐ様に立ちはだかり、歩いている時もゲーム画面から目を離さず、右に左に蛇行する。
 急に立ち止まっては、後ろを歩いている歩行者にぶつからせておいて、暴行を受けたと大騒ぎする。
 およそ全ての行動が他人に迷惑かけているのだが、本人は全く善良な人畜無害な人間だと思い込んでいる。
 そんなモラルの無い男のわめき声だけが、空しく空っぽの駅構内に響いた。

 「駅員出て来いっ! 職務怠慢だぞっ! 怪我人がいるんだシカトしてんじゃないっ!」
 自分で勝手に怪我をしておいて、怪我人がいるなどと身勝手な事をほざく。
 この男は今までずっと、自分の理屈だけを強引に押し付けてきた。
 だから他人から疎まれ、罵声を浴びても、あいつは『非常識なヤツ』だとか、『名誉毀損で訴える』と応酬してきた。
 反省という言葉を知らない、『人』として最悪の性格なのだ。
 いわゆる『救い様のない生き物(人間ですらない)である。

 その男にもついに命運尽きる時がきた。

 その男が今いる場所は、直前まで大勢の通勤客や買い物客、駅員などが右往左往していたJR線と民鉄の乗換駅だ。
 スマホでゲームをしながら電車に乗って来て、終点のこの駅でJR線に乗換えるところだった。
 車内はそこそこ混んでいたので座れないから、ドアに寄りかかっていた。
 男が最初に「あのくそビッチ」と呼んだ少女に“突き飛ばされた”のは、一つ手前の駅だった。
 ドアが開いて、降りようとしたサラリーマンが男にぶつかってきた。
 ゲームのステージクリア寸前だったので、イラついてサラリーマンを手で払いのけた。
 サラリーマンが何かわめいたが、今度は少女が電車に乗ろうとして二人の間に入り込み、男を車内の奥に押し込もうとしたため、サラリーマンに仕返しができなかった。
 男は少女に『何突き飛ばしてんだよ。常識をしらねぇガキだな』と凄んだ。
 周りの乗客は見てみぬフリを決め込んでいる。
 少女は全く怯えず、逆に男に『入り口に立ってたからドアと間違えたでする。乗れないから押しただけでするよ』などと、ちょっと“足りない”しゃべり方だった。
 男は面子を潰されたと思い込み怒り狂った。
 「大人をからかうと痛い目見る事を教えてやる。次の駅で降りろや!」
 「次は終点なのでみんなおりまする。わざわざ教えて頂かなくてもみんな知ってるでするよ」
 車内には音にならない失笑が溢れた。男が周りに視線を巡らせると途端に静まり返る。
 ただこの状況は今までに経験のない不思議なものだった。それを警告としてそこでやめておけば…あるいは…。
 ホームに降りると男は少女の胸ぐらを掴みあげた。
 「あんまり派手にやると引っ込みがつかなくなるでするよ」
 「それはこっちのセリフだ。非常識なガキを教育してやってるんだ、誰も文句は言わねぇよ」
 …そんなことはあり得ないが、男の倫理観ではそういうことらしい。
 「お前は今まであまりにも身勝手に生きて来て、周りの人間の精神に救い様の無い悪影響を及ぼしてきたでする」
 「あん? 何言ってんだガキ、俺は誰にも迷惑をかけたことなんかない。みんなが常識の無いことばかりするから、俺が面倒見てやってるんだ。悪影響のわけないだろがっ!」
 男は自分こそが善人の鑑とでも言いたそうだ。
 「お前のことはもう調べがついてるでする。よって、『だるま落とし』の処分となったでする」
 「は? バカじゃね? だるまおと…? おいガキっ! どこに行った?」
 男が少女を愚弄する前に、少女の姿が忽然と消えた。
 それどころか…、
 「お? 今まであんなに大勢いた客が消えた?」
 ホーム上の降車客ばかりか、これから電車に乗ろうと並んでいた客の姿も一瞬にして消えた。
 「な、なんだこりゃ? おい! 誰かいないのかっ!」
 声が駅構内に反響している。動くものは何も無かった。
 「(おかしい…いくらなんでも、ついさっきまであれだけいた人間が一瞬に消えた?)」
 まるで手品か魔法の様な消え方だ。いくら軽い頭のこの男でも疑問を持てる異常さなのだ。
 「(駅員までいない。売店にも店員がいない。外のバスもタクシーも止まったままだ!)」
 男の視界にはもちろん、近くには全く人の気配がない。
 全ての時間が止まった様に静まり返っている。
 「なんだこりゃ。一体どうなってるんだ?」
 <バリッ!>
 後ずさって何かに踏みつけた。
 「ああっ! 俺のスマホがっ!」
 画面はひび割れ、血まみれになって中まで血が入ったらしく、全く起動しなかった。
 「くそっ! みんなあのくそビッチのせいだ!」
 『ビッチ違いまする。私の名は《デッド・エンド》でするの』
 クラッシュしたスマホからデッドの声が響いてきた。
 「何だ壊れて電源も入らないのに? お、お前はさっきのくそガキか?」
 『頭わるすぎでする。私の名は《デッド・エンド》っていってるでする』
 「何でも良い、お前かこんなふざけたマネしてんのはっ! 早く元に戻しやがれっ!」
 『もう元には戻れないんでするの。お前はこの世界で永遠に過ごすのでするよ。よかったでするねぇ~この世界はお前だけの世界でするよ。いわゆる世界征服でする』
 「今ならまだ許してやらない事も無い。早く元に戻せ。でないとぶっ殺すぞガキ」
 『人の話しには一切耳を貸さないさ。つまんないことだったり、大変な事は全て他人にやらせるのさ。自分の思い通りにならなきゃとすぐに暴力でいうことをきかせるさ。もうどこをとっても最低最悪な性格でするね』
 「ごたごた抜かしてんなっ! さっさとやれや!」
 『あ~もう聞いてなくても良いでするから、役目なんで言うだけ言ってやるでするよ!』
 そのあともデッドが懇切丁寧に経緯を話すものの、男はわめくだけで全く聞いていなかった。

 そもそもこの世界にデッドがいる理由は、最近精神世界に深刻な問題が発生したからだった。
 とはいえ、デッドたちいわゆる“神”がいるのは高次元と言われている『精神世界』を統べるアスカルド(北欧神話での呼び方)のである。
 本来“神”といわれるもの(個体ではないので実体は存在しない)は、人間世界には全く干渉しない。ただ、死後に精神体(魂)となった人間は、神が管理する精神世界において転生の為の浄化が行われる。
 人間界では“ニヴルヘイム(死者の国)”と呼ばれているが、日本では天国と地獄を合わせたものだ。そこで魂は浄化され、転生の準備を行う。
 精神体(魂)と呼ばれるものは、デッドたち神は108色で色分けしている。転生が行われるのはその中でも光度が高い“真白”のみであり、他の107色は真白になるべくニヴルヘイムにおいて浄化/研磨されるのだ。
 天国というのは人間界で付着した精神的汚濁が少なく、比較的浄化が早いものをいう。
 決して、“桃源郷”の様に人間界で言われている楽園ではない。
 逆に人間界で精神的汚濁が多ければ光度も低く、色も濃い為に浄化/研磨に時間と精神的苦痛を受ける。こびり付いた“汚濁”は簡単には取れないから、それだけ時間(精神的な経緯)がかかるのであった。
 人間界での犯罪件数や生活環境は関係なく、富豪であっても博識者であっても、他人の精神に悪影響を与える輩は“魂”の色も光度も限りなく落ちてしまうのだ。
 どんなに悪人(精神的な)でも、魂そのものが色分けできる精神体はまだ救われる。
 けれど、昨今急増してるのは、精神体そのものの色も光度もない“闇”が増えていること。そしてその“闇”魂は周囲の精神体に甚大な悪影響を及ぼす。
 精神世界にこれ以上の“闇”を入れないように防衛する必要があった。
 だがその闇は、精神的実体がないのに存在することが問題なのである。

 神はその闇を“虚無”と呼んだ。

 そして、精神世界に入り込む前に駆除するべく、人間界での大規模な排除を決定した。
 排除とは対象を殺さずに、現世人間界から排除して二度と戻れない様にする。
 そして有効な手段として用いられた方法の一つが、デッドの言った“だるま落とし”なのだ。
 現世人間界は、過去から未来に向けて真上に伸びる時間軸に沿って進んでいる。いくつもの可能性の別世界(パラレルワールド)とともに、だるま落としの台座が積み重なって行き、たまに可能性の別世界と入れ子になり、さらに上へと重なって行く。
 だるま落としは、その一瞬の世界のコピーを造り、対象の虚無だけを入れ、横方向に叩き出す。
 コピーされた世界なので他者には影響がないものの、そのままでは平行している可能性の世界(パラレルワールド)と融合する可能性がある。
 そこで、コピーした世界の時間の軸を横方向に変えることで、二度と他の世界に干渉出来ない様にした。
 現世人間界から見たら、コピー世界は過去の一瞬の時刻のまま止まっていることになる。
 けれど、コピー世界内では普通に時間が経過するのだ。
 コピーとはいえ、一部空間だけを切り取ったのではないから、行こうと思えば地球上どこにでも行かれる。ただし、他には人間がいないので文字通り“自力”で行く事になるのだが…。

 『あ、あとお前は死ぬ事ができないでするよ。身体が腐っても精神はその身体から出る事はできませんでするの。だからなるべく身体をいたわっておいた方がよいでするよ。身体が動かなくなったら、永久に同じ景色しか見られなくなるでするからね』
 「さっきからわけの判んない事言いやがって、大人をおちょくって無事でいられると思うなよ。今からてめぇをぶっ殺しに行くからな。せいぜい怯えてやがれくそガキが」
 男はまだ…というより、男の知識には自分の知らない事はあり得ない事としか考えていない。知らない事は男に対する侮辱であり、教えなかった事は悪意となるのだ。

 デッドは今回の任務がとっても気に入らなかった。
 ただでさえ関わりたくない人間に、イチイチ説明しなければならない事も苛立ちの原因だった。しかも大抵はこの男のように自己中野郎だ。次からはもっと簡略してさっさと処理してしまおうと考えた。
 《ごちぃ~~ん!》
 『ぎゃっ! あにするでするか?』
 精神的打撃がデッドの頭に炸裂した。
 <デッドっ! 真面目にやれ! さっさとやれ!>
 上司のニッチだった。精神的に繋がっているのは、こういう意味では不便でもある。
 『あ~、最後に一つ、この通信でお前が話しができる相手は永久にいなくなりまする。だって、その世界にはお前一人しか存在してないんでするの。これで本当のいみで“他人に迷惑をかけ(られ)ない世界”となりまする。そんじゃ身体を大切にするでするよ』
 「あ? おいいいかげんにしやがれっ! さっさと…」
 スマホは全くの無音になった。
 男はスマホを床に叩き付けた。今度はモニターのガラスが割れて、小さなガラスの破片が男の右目に突き刺さった。
 「うがっ!」
 男はきっと気付かないだろう。
 短気を起こす度に、どこかしら男の身体が傷付くように、デッドが一種の呪いをかけていたことに…。
 男はデッドを怒らせた報いを永遠に受け続けることになっていた。
    <第三話 終わり>
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