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②
しおりを挟む「おばちゃん酒くれー!」
レオンはお店に入るとカウンター席に着くであろうその足で開口一番にお酒を注文した。
一秒でも早くお酒が飲みたい。そんな様子が見て取れた。
わたしはというと、お店には入らず窓の隅から眺めることにした。本当はもっと近くに、それこそレオンの隣に座りたいけど、ぐっと堪えた。
きっと、我慢できなくなるから。
時間が許す限り膝枕をして頭を撫でたというのに、全然足らなかった。
もっと、レオンがほしい。
もっともっとレオンに触れたい。
もっともっともっと……たくさん、ずっと──。
愛する人の変わり果てた、飲んだくれの姿をみると、その想いが強く込み上げてくる。
でも、…………それはだめ。
認識阻害の首飾りがあると言えど、起きている相手に触れれば気付かれるかもしれない。
だからここから。この距離で。
これが今の、わたしとレオンの埋めてはいけない距離なんだ。
◇ ◇
ここにはレオンに連れられて何度か来たことがあった。
おばちゃんは眉間にしわを寄せると、カウンター席に座るレオンのことを食い入るようにみた。
「あんた、ジョッキはどうしたんだい?」
「おばちゃん! 酒だよ! 酒! 酒! 早く酒くれー! ジョッキをココに! 早く!!」
そう言うとレオンはテーブルの上をバンバンッと叩いた。ジョッキという言葉にのみ反応したようだった。
「はぁ……。まったくもう。しょうがない子だよ」
その様子を悟ってか、おばちゃんはそれ以上追求しなかった。その姿はどこか優しく、温かいものだった。
そしてレオンの元へとお酒が運ばれると、目を輝かせながら勢い良くジョッキを口へと運び、
「プハァ! うめぇ! これだよこれこれ! よっしゃ! おばちゃんおかわりいっちゃおー! 二杯目いくぞー!」
「あんた! バカ言うんじゃないよ! まだひと口飲んだだけだろう!」
「……あ。本当だ。ごめんおばちゃん」
全てが衝撃的だった。
レオンが酒場に来店して数分。
わたしが思っている以上に、愛した男は飲んだくれのボロボロだった。
でも……。
いまのわたしには……。
手を差し伸べる資格はない。
ただ、窓の外から、レオンが飲み終わるまでずっとみていた──。
みていることしか、できなかった──。
◇ ◇ ◇
結局レオンは夜が更けるまで、酒場が閉店するまでカウンター席で飲み続けた。わたしはそれを遠くからずっと、眺めていた。
「もう、店じまいなのかぁ! まだまだ、飲み足りないぞぉ……。金なら、あるぞぉ……」
「なに馬鹿なこと言ってんだい! とっとと帰っておくれ。後片付けの邪魔までされたらたまったもんじゃないよ。それにあんた! 今日も一晩中居たくせに二杯目も飲み残してるじゃないか!」
「二杯目……?」
そう言いながら不思議そうな顔をするレオンは本気でわかっていない様子だった。
ずっとカウンター席に座り、ちびちびと飲んでいるような素振りをしていたけど、その実、二杯しか注文していなかったんだ。
当たり前だ。
レオンはお酒なんてやらない。
今日初めて、飲んでいる姿をみたくらいだ。
飲めないくせに、飲んでいるんだ……。そう思うとレオンの心境が痛いほどに伝わってくる。
それでも、わたしは……ただ、見ていることしかできない。
おばちゃんは帰りたがらないレオンの背中を叩き半ば強制的に退店をうながすと、それを察してか重い腰を上げるようにカウンター席から立ち上がった。
「……あはは。ごめん。また明日来るよ。おやすみおばちゃん」
「はいよ。あったかくして寝るんだよ」
「ありがとう。おばちゃんもな。……じゃあ、また……」
酔いが覚めたように肩を落とすと、レオンは酒場を後にした。
おぼつかない足取りで家路へと向かう。
廃れた簡素な住宅街の一本道。
レオンの家は街の外れにある。
月夜に照らされるその姿は哀愁が漂っており、酒に溺れた人間の一日の終わりを映し出しているようだった。
よろつき、何度も転びそうになりながらもゆっくりと確実に前へ進む。
転びそうになるたび、出ていきそうになる気持ちをぐっと堪えながら後をつけた。
そして、ついに。そのときは訪れてしまう。
レオンは石に躓き、顔から真っ直ぐに地面へと転んでしまったんだ。
「レオン……!」
思わず声が漏れてしまった。
ほとんど無意識に、反射的に。
「エリ……シア?」
そう言うとレオンは辺りをキョロキョロしだした。
レオン、私はここだよ。ずっとここにいるよ。
心の中で答えるのが精一杯で、手を差し伸べることは叶わない。
わたしがいないことを悟ってか、レオンは大きなため息をひとつ吐いた。
するとそのまま地べたに大の字に寝転がり、突如として大声で叫びだした。
「バカヤローー! ふざけんなぁ!! ふざけんじゃ……ねぇよ!!!!」
寝転がったその体でドンッと握った拳を地面に叩きつけた。
ドンッ! ドンッ! と、立て続けに何度も……。
「ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな……ふざ、けんな…………うああああああ」
誰よりも真面目で、誰よりも前向きで。
いろいろなことを我慢して、ひたむきに夢だけを追いかけてきた。
そんなレオンが目の前で泣いていた。
それは、初めてみる涙だった。
その瞬間、私の中で大切ななにかが切れる音がした。
プツン。と、頑なに張り詰めていた意地や体裁、その全てを繋ぎ止めていたなにかが切れるような、そんな音。
もう、止まれなかった。
全部自分のせいだとわかっていても、あまりにも都合の良すぎることだとわかっていても……止まることなんてできなかった。
そして、超えてはならない一線を、大きな一歩を踏み出したときだった。
「…………えっ?」
わたしの体は踏み出した方向とは真逆に、倒れ込むように仰け反った。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
力強く腕を引っ張られた……?
…………誰?
振り返ると、そこに居たのは……………ウィングさんだった──。
「やめておきなさい。ここで手を差し伸べれば、君はきっと後悔する」
理解が追いつかなかった。
どうしてここにウィングさんが……?
その身体は闇夜に紛れるように、高度な闇魔法を纏っている。
いつから、居たの?
そう思うもそんな疑問は二の次だった。
目の前で泣き叫ぶレオンのことをもうこれ以上、放ってはおけない。
だからわたしは、その手を振り払う。
今、わたしが取るべき行動はそれだけ。
「放してッ! 後悔したっていい!」
「いいや、離さない。ここで離してしまうほど、俺は君のことを見てこなかったわけじゃない」
「いやだ。やだ……放して……」
どんなに振り払っても、その手は離れてくれない。
強く、とても強くわたしの腕を握って離れない。
お金を渡してきたり追放を言い渡したり会いに行けって言ったり。それでどうして今度は……。
「わかんない。もう、わかんないですよ……」
「本当にわからないのか? それがわからない君じゃないだろう?」
ウィングさんは少し困り顔で切なさを帯びた表情だった。
…………本当はわかってるんだ。
今ここで、レオンに手を差し伸べることの意味を。
だけど、愛した男の泣き叫ぶ姿を前にしたら……もう、止まれない。
通したい維持もプライドも体裁もなにもかも、捨ててしまってもいい。
あの日から今日までのわたしの気持ちが全て無駄になったっていい。
こんな意地、レオンの涙と比べたら通す価値もないのだから。
「嫌だ! わたしはレオンの元に帰る。だから放して。ウィングさん……お願いします……」
やっと素直になれた気持ちはどうしょうもなく間違ったタイミングで、それを抑えることはできない。
気持ちだけがただ、先行してしまう。
やっと素直になれた、はずなのに……。
そんなわたしのことを見透かすように、ウィングさんは強い口調で再度、言葉にした。
「いいや離さない。絶対にだ」
力ではどうすることもできない現実に、諦めが芽生えていた。ウィングさんはこの手を放してくれない。言うとおり絶対に。
こうしてる間もレオンは地べたで泣き崩れている。
こんなにも近くにも居るのに、届かない。
いつの間にか、こんなにも遠くなってしまった。
ううん。元からきっと、この距離だったんだ。
いつだって素直になれない。
言葉と気持ちが真逆になる。
レオンとはそういう付き合い方をずっとしてきた。だからあの日、レオンの頬を叩いてアジトを飛び出した。
そうして、こんなことになってしまった。
その元凶であるわたしが、今、レオンに手を差し伸べるなんて間違っている。
わかっているからこそ、ずっと我慢してきた。
我慢、してきたんだ…………。
もう、無茶苦茶だった。
ここまでわかっているのに、気持ちがそれを許してくれない。
自分で自分のことがわからなくなる。
ただ、ウィングさんが邪魔するせいでレオンに手を差し伸べることができない。
このことだけはハッキリしている。
およそ間違ったことだとわかっていても、
気付いたときには、ウィングさんの胸の中で泣いていた。
そして…………、
「バカ! バカ! ウィングさんのバカ!」
ぐーの手でウィングさんの胸を叩きながらこんなことを口にしていた。
「バカ! バカ! バカーッ!」
何度叩いたのかわからない。
何度バカと言ったのかもわからない。
そんなわたしをウィングさんは受け止めてくれた。
それは初めて、ウィングさんに気を許した瞬間だった。
◇ ◇
「……悪かったねエリシアちゃん。レオン君がこんなことになっているとは、まさかにも思っていなかった。辛い思いをさせてしまったね」
止めどない思いが溢れてくる。
ウィングさんはなにも悪くない。それなのにわたしは…………。
散々バカと言い放ち叩いてしまった。
……どうしたらいいのかわからない。
そんなわたしの心境すらも見透かしたのか、ウィングさんは続けた。
「帰ろうかエリシアちゃん。彼に手を差し伸べるのは今じゃない。さぁ、パパと一緒に帰ろう!」
その言葉を聞いてふいに笑みがこぼれた。
「もうなんで……どうして……ウィングさんの、バカッ! パパじゃないし!」
「ははは。君がなんと言おうと俺はとっくにパパ宣言しているからなぁ! わっはっは!」
本当にふざけた人……。
いつだってすぐにおちゃらけて冗談に変えてしまう。
でもだから、素直になれる。……間違わずに済む。
重たい空気は何処へと。
和んだところでウィングさんも安心したのか、安堵な表情を見せるとこんなことを言い出した。
「ふぅ。でも間に合って本当に良かった。帰りがあまりに遅いからね。ギルド総出で君を探していたんだ。認識阻害の首飾りは伊達じゃないな。女の子ひとり探すのにここまで手こずるとはな。わはは!」
「……はい?」
ギルド……総出? ……まさか、ね?
あたりを見渡すと、闇夜に紛れながらもギルドのみんながいたるところの物陰に潜んでいた。
「え…………?」
みんな、どうして…………。
「過保護だと笑うか? でもみんな、エリシアちゃんのことが好きなんだ」
こんなにも多くの人に心配をかけてしまったのだと思うと、胸がはち切れそうになった。
「いいえ。そんな……。心配かけてすみませんでした」
「おぉっと! 謝ることじゃないだろ! 君は少し遠慮しがちなところがある。娘はな、わがまま言ってパパに甘えるものだ。ほら、パパはここだぞ!」
「そーいうのはいりませんッ!」
もぉ。本当にこの人は……。
「ははは。いつかパパと呼ばせてみせるからな! おっと、彼はもう大丈夫そうだな」
そう言うとウィングさんはレオンに視線を向けた。
先ほどまで確かに聞こえていたであろう、レオンの泣き叫ぶ声はいつの間にか止んでいた。
レ……オ……ン?
「ちょっとあんた! 何時だと思ってるんだい!」
「あ、おばちゃん。おはよ」
そこに居たのは酒場のおばちゃんだった。
「バカタレ! おはようじゃないよ! 近所迷惑だよ!」
「あれ、俺何してたかな。寝ちゃってた……みたい?」
泣いていたときの記憶がすっぽり抜け落ちているようだった。
弱い自分を受け入れられないのか、生存本能がそうさせているのかはわからない。
でも、目の前に映るレオンはとても落ち着いた表情をしていた。
「まったくもう。しょうがない子だよ。明日のランチの仕込みもあるっていうのに。家まで送っててくよ。ほら立てるかい?」
「ははは。大丈夫。一人で帰れるから」
「帰れなかったからこうなってるんだろう。ほら行くよ」
「……ありがとう。おばちゃん。俺……」
「何も言わなくていいよ。言っとくけどね、今日が初めてじゃないよ。昨日もその前もあんたは! どうせ明日になったら忘れてるのだろうさ。まったくもう。二杯目も満足に飲めないくせに一丁前に酔っ払ってるんじゃないよ! バカタレが!」
「……いつも悪いなおばちゃん。そうだ、これ取っときなよ。お礼」
そう言うとレオンはポケットから小銭を取り出しおばちゃんに差し出した。
「いらないよ。いつも言ってるだろう」
「でも、これくらいしか、俺……」
「これくらいもヘチマもないんだよ。明日もちゃんとお店に来な。元気な顔を見せにくるだけでいいんだ。約束できるね?」
その言葉を聞いて、レオンは静かに頷いた。
そうしておばちゃんの肩を借りながらゆっくりと歩きだした。
一歩一歩、確実に。ゆっくりと。
その後ろ姿は、明日もレオンは生きていると思えるだけの背中だった。
戦ってるんだ。レオンはまだ諦めてない。
ふわっとどこかに消えてしまいそうな危うさがあった。それを感じたからわたしは居ても立ってもいられなくなった。
でも、大丈夫なんだ。……まだ。
二人の姿が見えなくなるまで、わたしとウィングさんは黙って眺めていた。
そうして完全に見えなくなると、わたしの頭をポンッとした。
「彼は一人じゃない。必要なときに必要な人間が居る。世の中、そういう風に出来ているんだ。俺たちの前に君が現れたように。そして今日、君の前に俺たちが現れたように、な!」
「ウィングさん……わたし……」
途中まで言いかけて、続く言葉が出てこない。
「大丈夫だよエリシアちゃん。なにも気に止むことはない」
言葉にしなくても伝わってしまう。
でも、これは……言わないとだめなこと。
近い将来、ウィングさんの前から居なくなる。
そのことをまだ、はっきりとは話していない。
そこに少なからずの、後ろめたさをずっと感じいた。
それでも、いざ言葉にしようと思うと詰まる……。
暫しの沈黙のあと、ウィングさんは優しく微笑んだ。
「大丈夫。わかってるさ。だから、最後の日まで、俺たちは君の笑顔を守りたい。離れたあともずっと君が、笑顔でいられるように」
にぱぁと笑うとウィングさんは続けた。
「さぁ、帰ろう。たとえ別れが近くとも、今の君が帰る場所は『銀翼の宴』だ!」
その優しさに思わず涙がこぼれ落ちそうになった。先ほどまでとは違う、別の涙が。
でも、それを流すのはきっと今じゃない。
わたしはそれを堪えるように、ひと言だけ返事をした。
「……はい」
ひとこと返すだけで、精一杯だった。
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