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「ハイウルフの群れが元気を成す夜か。ゼハルトさんは元気にしているだろうか」

 リビングの窓際で悟りを開いている模様。
 さすがに四年生の算数ドリルをやってみろと言うのは兄としていささか、やり過ぎてしまったかな。

 それにしても、ゼハルトさんか。
 よくそんな架空キャラクターの名前が出てくるよ。大方、ウルフ族の長とかそういう設定だろう。

 ……でも、狼が元気になる夜。
 と、すると……今夜は満月ってことかな?

 ビンゴっ。
 さっきのお詫びも兼ねて、お月見……なんていうのはどうだろうか。

 まだ十九時。
 駅前の団子屋はやってるな。よしっ!

 ◇◇◇
 
 ──帰宅。
 ついつい買い過ぎてしまった。
 カリンがお月見をしてくれるとも限らないのに。……はぁ。

 やっぱりな。もうリビングには居ないか。
 そりゃそうだよ。TVを観るわけでもないし。

 ここにはもう、カリンが長居をする理由なんてないんだ。

 自分の部屋で読書に耽る。それが今のカリンなんだ。……神話系の書物だけど。

 ◇

 トントンッ。

「カリン、ちょっといいか?」
「勝手にどうぞ~」

 扉を開けるとカリンは開いた窓から空を見ていた。その表情はどこか切なく、大人びている。

 満月に何かしらの想いがあるのだろうか。

 俺が部屋に入ってきたというのに、一切こちらを見る気配はない。ただ、夜空を眺めている。……兄としては切なさを擽るな。

「せっかくの満月だから、お月見なんてどうかなぁと思って、お団子持ってきたんだけど、食べるかカリン?」

 俺のお団子という言葉に反応して、鼻を二度クンクンした。
 そしてこちらを振り向くと、俺が手に持つトレイで目が止まる。

 〝シュタッ〟〝タッタッタッ〟

 ベッドから飛び降り、真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 そしてトレイを覗き込むと目をキラキラさせた。

「こ、これはみたらし団子! 甘くて美味しいやつ! 突然どうしたの? 何かめでたい事でもあった?」

 めでたいこと、か。
 冷蔵庫のものは勝手に食べていいよと言っているのだが、カリンは何も食べない。

 食器棚の三番目の扉はカリン専用お菓子棚になっているのだが、あの日以来ひとつも減らない。

 単に嫌いになったのかなとも思ったけど、食後にデザートを出すようにしてからは毎回美味しそうに食べる。

 本当は食べたいのに我慢しているんだ。

 きっと、学校を休んでいることに引け目を感じているのだろう。

 だからなるべく自然に、お月見のお誘いをする。じゃないときっと、「いい」って断られそうだから。

「めでたいことは特にないけど、満月の夜だからな。お月見をするって相場が決まってるんだ! 節分やひな祭りみたいなもんだぞ? ほら、一緒に食べよう?」

「……なら、食べる!」

 それは、カリンにしては珍しく元気な返事だった。俺は心の中でガッツポーズをした。

 カリンはニコニコと笑顔を見せながらみたらし団子を頬張った。

 満月の夜と言えばもうひとつ。

「こうやって、お月様の光をりんごジュースに反射させてっと」

「おお! これはなんとも、風流だな! そっかそっか。ゼハルトさんはこんなところにも」

 喜んでくれたみたいで良かった。
 そう思ったのも束の間。カリンの目は次第に切なさで溢れていった。

 そして、こんなことを口にした。

「さしづめ、りんごジュースに写りしお月様は、うたかたのように儚きもの、かな。ラグナロクは訪れないというのに。ゼハルトさん……」

 なんか難しいこと言いだしちゃった……。

 ラグナロクって終末だったかな。
 カリンの妄想上の世界ではラグナロクは訪れず、この世界に戻ってきたとかそういうシナリオなのだろう。うん。

「いいんじゃないか。ラグナロク、来なくても」

「またお兄ちゃんは馬鹿なこと言ってる」

「だってラグナロクが来たら、カリンはどこにも居ないってことだろう。それは、嫌だな」

「……バカ」

 俺はカリンの頭をぽんぽんして、撫でた。

 その小さな体でなにを背負い、なにを抱えているのか。少しでもカリンの支えになりたい。だから、できることをしよう。今の俺に、できることを。

「なぁ、カリン。どこか行きたいところあるか? お兄ちゃんもな、明日から少しだけ学校休もうかと思ってな」

「お兄ちゃんはお兄ちゃんの人生があるでしょ? 学校休む必要はないよ。何度も言わせないで」

 ほんと、九歳のくせして言うようになったよな。

「ぐぁぁ。急激にお兄ちゃんは風邪を引いてしまったぁ! これは明日から数日間、学校を休むしかないなぁ。も、もうだめだぁ」

「ガキだと思ってバカにしてるでしょ。最近のお兄ちゃん見てるとね、とても十八歳を相手にする態度とは思えない」

「カリンはどうしたってカリンなんだよ。十八歳ってことはわかってる。でも俺はどうしたってお兄ちゃんなんだよ」

「意味わからないし。……はぁ。どうせダメって言っても聞かないよね」

「もちろん。もう決めたからね」

「はぁ。行きたいところ……か」

 考えてはみたけれど、特になにも思い浮かばない。そんな様子がカリンから感じとれた。

「遊園地とか夢の国とかな。水族館でもどこでもいいんだぞ?」

「……なら、遊園地行きたい」

 お。おお!
 心の中で本日二度目のガッツポーズをした。

 殆ど駄目元だった。少しづつだけど、心を開いてくれている!

「じゃあ行こうか。明日。遊園地へ!」

「晴れるなら……ね。最後にお兄ちゃんと遊園地に行った時、午後から雨が降ってきたじゃない。あの日のこと、向こうでよく思い出してた。幸せな時間が、なんの前触れもなく唐突に……奪われる」

 なんだかすごい奥深しいことを言ってるな。

 終わるとか、終わりを告げるのではなく、奪われる。なんだよそれ。カリンの異世界はダークファンタジー系なのか……。

 でも、思い返してみると、カリンは雨女だったかもしれない。遠足の日も雨が降ってきたって泣いてたっけ。

 責任、感じて学校に行きたくないとか言ってるのか? いや、さすがに考え過ぎか。

「大丈夫。明日は一日晴天だぞ! 万が一、雨が降ってきた時はお兄ちゃんがカリンの傘になるよ。一滴もカリンに雨が掛からないようにするからな!」

「……バカ」

 少し厨二にツンデレが混じってるのかな。

 バカとは言うものの、カリンはとても嬉しそうな顔をしていたんだ。
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