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第一部 戦争の火種

第三章 シルア・クロームホーク 逆襲

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 狩人は密かに怯える。獲物の力強さに。
 狩人は微かに震える。獲物のしなやかさに。
 狩人は僅かに恐れる。獲物の瞳の奥に潜む深い闇に。
 されど狩人はそれらを振り捨て獲物と対峙する。
 それが愚者の選択とも知らずに...
 〔センターワールドの旧き伝承の一節〕






 シルア・クロームホークは襲撃者へと一気に接近した。自分が気付かれるとは最初から思っていなかったのか、いきなりの事に襲撃者は全く反応出来ていない。その隙に弓の射程範囲内どころか最早近過ぎて弓では対応出来ない距離まで詰め寄る。ようやく事態を少しは飲み込めたのか、そいつは潔く弓と矢筒を捨てナイフを抜こうとした。
 が、
 (遅いっ!)
 シルアにドラゴンナックルで腹部を殴られる。普通の人間ならばここで倒れるが、そいつは腹を押さえ痛そうに呻きこそ上げたが、気絶さえすることなく跳んだ。
 いや、跳んだのでは無かった。そいつは飛んでいる。と言うよりむしろ滞空している。その背から生えた翼で、だ。
 (翼・・・、まさか、天使だと・・・!?)
 シルアも話には聞いていた。このセンターワールドの未来の時間軸に位置する並行世界ーパラレルワールドーの存在を。
 (エンジェルワールド、とか言ったか)
 新人類である天使が住んでいる世界、だったはずだ。確か天使は人間の十数倍の戦闘能力と知能を保持した進化した人類だ。彼女の記憶が正しければ。
 そいつは痛みに顔を歪めながらも、ナイフを抜いた。そして地上にいるままのこちらに向かって猛スピードで飛んでくる。シルアを刺し殺す気だろう。
 それに対し、シルアは全く微動だにせず、しかし脚の筋肉に力を込めた。
 襲撃者のナイフがシルアに突き刺さる瞬間、シルアはとても軽く人1人分くらいだけ跳んだ。眼下でナイフを今は何もいない空間に突きつける襲撃者に向かい、ドラゴンナックルを両手で組んで振り下ろす。そのままそいつを叩き伏せた。
 そいつは気絶して倒れる。いつもならばシルアはそいつを縄で縛り付けて放置したり相当の悪人の場合殺したりするのだが、あいにく今の彼女にその時間は無かった。
 他の4人が彼女に向かって来たからだ。特に一番速い短槍を持った男。そいつはシルアのすぐ近くに迫っていた。
 再び跳ぶ。今度は空高くへだ。彼女の場合、普通に跳ぶと余裕で木の中ほどくらいまでは跳べる。魔法の補助無しで、だ。もちろん。
 そこへ短槍を持った襲撃者其の2が迫る。蹴りでその手から短槍を落とすと、シルアはドラゴンナックルの顎を開き、中にある自分の手でそいつの頭を掴んだ。すぐにドラゴンナックルの顎を閉じる。頭のひしゃげた襲撃者其の2を地面に放ると着地する。
 それと同時に、シルアは両手を前に突きだしつつドラゴンナックルの顎を開いた。手から無数の火球ーファイアボールが発射され、襲撃者其の3と襲撃者其の4をまとめて焼き尽くす。森の木々にも燃え移り森が業火に包まれ始めたが彼女には大して関係無い。そこでファイアボールの発射を止め、ドラゴンナックルを四次元の空間に戻した。
 最後に現れた襲撃者其の5を視界に捉えると、シルアは四次元より長い魔槍を召喚する。
 それを振るうとそこから発生した電撃が、襲撃者其の5を一瞬で焦がした。
 魔槍を四次元に戻し、彼女は戦闘の末に地獄と化したそこを後にする。ちなみに、火は消しておいた。今では森の大半が焦土だ。
 後には4つの死体と灰になった木々と1人のみ生きたままの大天使が残された。



 「自分以外は全員が奴に殺されてしまいました・・・。自分もこのような無惨な姿となってしまっております。不覚でした。まさかあそこまでの強さとは・・・。最早間違いありますまい。奴こそが戦争の火種であることは。」
 エンジェルワールドに1人のみ生還を果たした大天使はそう告げた。
 ここは大神殿である。
 彼は続ける。
 「奴はマナを固定する魔法をいつの間にか使っていたようです。最初から気付かれていたのでしょう。魔法が使えればあるいは・・・。」
 しかし彼にも嫌と言うほど分かっていた。あの女と自分達の間には最初から決定的な力の差があった事を。
 むしろ、あの女は本気を出していないようにさえ感じられた。
 「うむ、仕方無い。ご苦労であった。しっかり休め。魔法が使えないとならばメルティオスに向かわせるしかあるまい。」
 そう言ったのは大長老セルモン・アークエンジェルだ。
 「メルティオス、ですか・・・。確かにあいつは元々魔法が使えないのでいつもと変わりなく戦えますね。それにあいつはエンジェルワールドで一番の近接戦闘の猛者。良い勝負になる可能性もありますが、しかし・・・」
 そう言葉を濁し、彼は続けようとした。が、代わりにセルモン・アークエンジェルがそれを続ける。
 「あいつはエンジェルワールド内の反乱分子との実戦経験さえないのだし、大天使でも無い。あいつが果たして勝てるのだろうか、だろう?」
 大天使は驚いた。心の内をそっくりそのまま読まれていたからだ。
 「確かにそれは尤もだ。だが、魔法が使えず最初から接近戦闘に持ち込まれる以上、この仕事はメルティオス・レイス以外には務まらんよ。」
 暗い面持ちでセルモンは言う。ですね、と大天使は同意した。



 かくして運命は必然的に決定された。
 もうここからは事件がフルスピードで進んで行くのみだ。
 遂にメルティオス・レイスとシルア・クロームホークは出会ってしまうのだから。
 だが、その果てに何が待っているのかはこの時点では誰も知る由も無かった...
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