モラトリアムの猫

青宮あんず

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嫌いな夜

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朔也くんの目元にクマができている。いや、濃くなっていると言った方が正しいのかもしれない。迎えに行った日もうっすらとクマが浮かんでいたから車の中で寝ていいとは言ったが寝ていなかった。
まだ家に来て3日なんだ。緊張していても仕方ない。上手く眠れないんだろう。部屋に敷いている布団は買い換えるつもりで安いものを買ったから寝心地が悪いのかもしれない。
「朔也くん、ちゃんと眠れてる?」
「ね、眠れてます」
「うーん、眠れてるならいいんだけど……」
朝食を食べながらそう聞くものの、焦ったように顔を逸らされてしまう。
「ほら、それより!今日はお仕事ですよね。頑張ってください」
「ありがとう。仕事っていっても家にいるからなんかあったら言ってね。あと、家事は昨日言った通り」
昨日は朔也くんのものをいろいろと買って帰ってからお願いする家事について説明した。といっても家にはいるから、時間が余ればなにか手伝うけど。
「ごちそうさま。じゃあ、これから部屋にいるから」
食べ終わった皿を簡単に洗ってから部屋に戻る。パソコンさえあればどこでも作業できるからリビングにいたっていいけど、そうしたら朔也くんはプレッシャーを感じてしまいそうだ。もし俺だったら作業しているところを見張られたくない。
いつも通りパソコンを起動して仕事に取り掛かった。

*****

そういえば明日は休みだ。ほとんど家で仕事をする俺からしたらいまいち実感はないが、一応土日は休みということにしている。
お風呂が沸いたことを知らせる機械音を聞いて頃合いだと思い部屋を出る。
「あ、お仕事お疲れ様です。ご飯、まだできてなくてごめんなさい」
「いや、美味しそうな匂いだね。先にお風呂行ってくる」
朔也くんは台所で夕飯を作っていた。美味しそうなシチューの香りに、自分が空腹だったことに気がつく。空腹を誤魔化してご飯ができるまで風呂に行くことにした。

時間に余裕のある日は映画を観る。面倒だから映画館には行かず、月額サービスを利用してテレビで観るだけだけど。明日は休みだから多少夜更かししてもいいだろう。朔也くんはどんな映画を観るのだろうか。できれば一緒に観たい。
さっさと風呂を出てご飯が食べたい。朔也くんと話したい。
「ただいま」
「伊吹さん!今ご飯できましたよ。シチューなんですが、ご飯とパンどっちがいいですか?」
「ご飯で食べる。作ってくれてありがとう。自分でよそっていい?」
「はい、どうぞ」
大きめの皿にご飯と出来たてのシチューを盛って席に着く。適度に野菜も入っていて美味しそうだ。朔也くんもシチューをよそって、俺の目の前の席に着いた。
「いただきます」
「いただきます。あの、不味かったら残してくださいね」
「まさか。ちゃんと美味しいから自信持っていいよ」
「んん……それならいいですが……」
美味しい。今までは外食で済ませることが多かったから、人の手料理なんて久しく食べていない。これからこれが食べられると考えるとかなり嬉しい。
「そうだ、映画は好き?」
「あまり見た事ないのでわからないです。でも、興味はあります」
「そっか。ご飯食べ終わって朔也くんが風呂から出てきたら観てみる?俺、映画観るの好きなんだ」
「観たい、です。おもしろそう……」
「うん、決まり。楽しみにしてて」
「はい!」
初日より明らかに増えた朔也くんの笑顔。ちょっとずつ慣れてきてるのか、俺と会話するのにも怯えている様子はない。明るい表情をみて愛しく感じる。本当は敬語もやめて欲しいけど、もっと気を許してくれたらそのうちやめるだろう。強制して怯えさせたくない。

風呂に行った朔也くんはすぐに戻ってきた。傷んだ黒髪がしっとりと濡れている。ちゃんとケアしたら綺麗になるだろうに。
「髪、まだ濡れてる。ちゃんと乾かした方がいいよ。そこ座ってて」
「っ、ごめんなさい」
仕方ない、俺が乾かしてあげよう。いや、本当は朔也くんを甘やかしたいだけ。詳しくは聞かないけど朔也くんのお父さんはいい人ではなかったようだし、その分ここでは俺が優しくしてあげられたら、なんて。
脱衣所の棚からドライヤーを取り出してリビングに戻る。
居心地悪そうに小さくなってソファに座っていた。
「脱衣所にドライヤー置いてあるから好きに使って。今日は俺がやってあげるから、そっち向きな」
「ぃ、いえ、自分でできます!そんなこと、伊吹さんにやらせるなんて……」
「うーん、髪触られるの嫌?」
「嫌じゃない、けど、でも……」
「嫌じゃないなら俺がする。嫌だったら途中でも逃げていいから」
近くのコンセントにプラグを刺す。
埒が明かないであろう会話を切って俺に背を向けさせた。甘やかしたいって素直に伝えたらどうするんだろう。さすがにそんなこと言ったら引かれそうだから言わない。
スイッチを入れて優しく撫でながら朔也くんの髪に風をあてていく。大まかに乾かしたあと、冷風モードにして仕上げた。乾かしただけでそこそこ手触りが良くなった気がする。
「はい、終わったよ。綺麗になったね」
「ん……ありがと、ございます」
「いいえ、じゃあドライヤー戻してくるから」
なんで恥ずかしそうにしてんの。顔が赤くなっている。
さっさとドライヤーを片付けてからリモコンを操作し、観たい映画を再生する。世界的に人気な海外映画で、日本語吹き替えもあるやつ。

俺は何度か見ているから内容はだいたいわかっているから、映画が流れる間朔也くんの反応をみる。序盤は楽しそうにしていたが、物語が進むにつれ眠そうな仕草が目立つようになった。クマが浮かぶほど眠れていないのだろうから眠くなっても仕方ない。
今はゆっくりと瞬きしている。
「眠いなら寝よう。映画は明日も観れるよ」
「んん……寝ない……」
眠さからか、どことなく幼い。明らかに眠りかけているのに抵抗するのは何故か。これまで抵抗することなかったのに。
「でももう眠いでしょ?ほら、目の下のクマ気になってたんだ」
「だめ……おれ、寝ちゃだめ、だから」
「うーん、じゃあこの映画が終わったら寝よう」
この様子ならどうせあとで眠りに落ちるだろうから、わざわざ部屋に運んでやるまでもない。なにより嫌がっていることはさせたくないから映画が終わったら、の期限をつける。
エンドロールが流れる頃には寝てしまったのか俯いて動かなくなっていた。いつもはエンドロールも見るが、今日はここでテレビを消す。
「よし、寝よう。映画終わったよ」
「っ、は、ぁ……ん、ぅ、寝ない、おきてる……」
肩をとんとんと叩くと、ハッとしたように目を覚ました。意識はいまいちハッキリとしていないようで、明らかに眠気が限界。
「ほら、部屋まで運んでいっちゃうよ。そんなに寝たくないの?」
「やだ……ねるのきらい……」
「嫌いでも寝なかったら辛いでしょ」
どこまで言葉が通じてるのかわからない。でもそこそこ会話になっている。寝るのが嫌いな人なんているんだなっていうのが驚きだ。
「ん、しっぱい、やだ。やっちゃうの、やぁ……」
今日の、いや、今の朔也くんはやだやだばっかりだ。予想だけど、ここでいう朔也くんの「失敗」っていうのは多分「おねしょ」のことな気がする。そういえば昨日の買い物のとき、おむつを見つめてたから「それも必要なら買おう」って言ったけど「必要ないです」の一言で終わった。そういえば初日だっておもらししてたわけで、もしかしたら膀胱が弱いのかな。
まあ、その話は明日起きてからってことで。
「大丈夫。嫌な夢見たら俺の部屋おいで、ね?部屋いこ」
手を取ってそういうと目を擦りながらふらふらと歩きだした。家の中なのに手を繋ぎながら部屋まで誘導する。
部屋の扉を開けて、驚いた。敷いていた布団には使用した形跡がない。そこそこ小綺麗に整えておいたが、多少なれど使用すれば崩れる。それがないということは、今まで布団で寝ていないということだ。そうまでして寝ないものか。本当に寝るのが嫌いなようだ。
そのまま布団まで手を引いて布団に入るのを見守る。
「おやすみ」
「ん、おやすみ、なさぃ……」
布団に潜った朔也くんはついに眠気に負けて、目を閉じた。
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