モラトリアムの猫

青宮あんず

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初日に、1

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冬空の下、自宅の扉の前で小さく蹲って寒さを凌ぐのは何年ぶりか。
義父によって売りに出された俺はどこかの物好きに買われたらしく、その人が俺を引取りに来るのを待っている。可愛らしい少年少女を買うなら理解できるものの、なんで俺みたいな成人済みの男を買うのか。
寒いのは辛いけど昔はよくあったことだし、風呂上がりじゃないだけマシ。なんて考えながらひたすら待つ。
どれだけ外で震えていただろうか、傍らに見掛けない車が止まり、中からは見知らぬ男の人が出てきた。小走りで寄ってきて、俺の目の前に立つ。耳元ではピアスが光っている。鋭い目付きで見下ろされ萎縮する。
「……話は聞いてるでしょ。うちに帰るから車乗って」
「は、はい……」
真面目に返事したつもりだが、声の多くは白い吐息になってしまった。
「車の中暖めてる。おいで」
「っ、ん……」
ゆっくりと立ち上がり車に向かう。男が開けた助手席のドアを無言の指示だと受け取り乗り込む。男は後部座席でなにかを探したあと、運転席に乗り込んで探していたブランケットを俺に渡した。
「これ、使って」
「はい。ぁ、の、よろしくお願いします」
「ん、」
男の人はそう返事をしたあと、シートベルトを締めたことを確認して車を出した。

*****

車内には沈黙が続いている。それがなんとなく気まずくて、チラチラと運転席の顔色を伺う。
俺の視線に気付いたのか、それとも前から気付いていてしつこく感じたのか、お兄さんが話しかけてきた。
「……なに、まだ寒い?」
「ぃ、いえ、大丈夫です……っ」
「あー、寝てていいよ。うちまで結構時間かかるし、もう夜遅い」
「だ、大丈夫です……運転してもらってる立場なので、ぁ、いや、迷惑だったら、寝ますけど……」
「別にいい、迷惑じゃないから」
心配するほど機嫌を損ねてはいないようで安心する。
今の時間は夜十時。俺は余裕で起きていられる時間だ。なにより、今寝たら確実に失敗・・してしまう。そんなことしたら、また捨てられる。売られた俺にはもう行く場所がない。
いい子で、迷惑かけないようにしなければいけない。
「あの、家でのルールってありますか……?」
「ルール……特に決めてないけど、なんで?」
「迷惑、かけたくないので……なにか失敗したらこういう罰とか……」
「うん、特にない。……まあ、もしなんか失敗したことがあったらちゃんと報告して、繰り返さないならそれでいい」
「わかりました……」
繰り返さない、ってできるかな。もちろん寝ないようにするとか、気を付けるけど、人間だから限界はある。一度は許されても二度目はない。
「そういえば、なんで外で待ってたの?」
「っ、お義父とうさんに、帰ってきてすぐ追い出されたので……」
「なるほど。だから荷物もそれだけなんだ」
「ぁ、ごめんなさい……」
「別に怒ってない。明日にでも買い物に行こう。それまでは着てない服あげるから」
俺の荷物はスマホと中身の少ない財布だけ。住処を変えるための荷物にしては少なすぎる。
何故かお兄さんは全く怒らない。機嫌を悪くした様子もない。ただ淡々と質問に答えて、解決策を提示してくれる。
人間を買うような人だから、もっと雑に扱われると思っていたのに予想外だ。痛いこともされず、酷いことも言われない。家に着いてから、なにかされるのかな。
緊張と恐怖で身体が固まり、静かに俯く。
「……ねぇ、お腹すいてない?」
「ぇ、?」
「コンビニかどっかでなんか買って帰ろうかと思って」
「俺は……大丈夫です」
気を使わせてしまったのだろうか。信号待ちの間にこちらに目を向けていたお兄さんと目が合った。
嘘をついた。お腹すいた。今日は何も食べていないし、最後に食べたのは昨日の朝。と言ってもゼリー飲料と菓子パンだけだった。なにか食べたいけど、お金がないからどうしようもない。明日生活に必要なものを買いに行くならなおさら。
「んー、じゃあ一応コンビニ行くから、食べたいのあったら買おう」
「はい」
俺がそう答えると合わせたように信号の色が変わり、車がまた走り出す。ちょっと進んですぐのコンビニに車を停めた。シートベルト外して車から降り、お兄さんに続いて店内に入る。お兄さんはカゴを手に取って、おにぎりコーナーに向かった。
「俺はこれと、あと飲み物買う。やっぱり何もいらない?」
お兄さんの手には2つのおにぎり。美味しそう、というか、今の俺には食べ物が全部美味しそうに見える。
「ぁ、う、えっと……」
「うん、なにがいい?」
「今、あんまりお金なくて、立て替えてもらえませんか……?絶対に返すので……」
ダメ元のお願いだ。反応が怖くて俯く。本当はちゃんと顔を見てお願いするべきだってわかってるけど、怒ってたら怖い。
しかしそんな心配は杞憂だったらしい。お兄さんは小さく笑った。
「それで食べないつもりだったんだ。俺が連れてきたんだから俺が払うのに」
「ぇ、いや、でも、」
「遠慮しないで、好きなのいくらでも買っていいよ」
「あの、ありがとうございます」
「ん」
お兄さんの返事を聞いて、棚に目を移した。
鮭とツナマヨで迷う。値段は一緒だからなおさら決められない。
「なに、迷ってる?」
「これと、これ、どっちも美味しそうだなって」
「どっちも買っちゃえばいいじゃん。飲み物はどうする?」
「あ……ごめ、なさい。飲み物は、お茶買っていいですか?」
「ん、いーよ。そうだ、歯ブラシも買っておこう」
飲み物コーナーに移動するお兄さんについていく。お兄さんは炭酸とレモンのジュースを迷わずカゴに入れた。俺は安いお茶を選んで手に取る。それからお兄さんは俺の歯ブラシをカゴに入れて、レジで会計をしてもらい、また車に戻る。お兄さんは当たり前のように袋を持ったまま助手席側にまわりドアを開けてくれた。
「ほら、乗って」
「はい」
お兄さんは運転席に座ったあと俺に荷物を渡してすぐにエンジンをかけ、車は発進した。
「買ったの食べていいよ。お腹すいてたでしょ」
「ほんとに、ありがとうございます。いただきます」
「ん、どーぞ」
お兄さんが柔らかい声音で微笑んでいるのがわかった。
おにぎりの包装を解いて口に運ぶ。優しいお兄さんがいるからだろうか、いつもよりずっと美味しい。
お茶を飲みながらおにぎり2つを食べ終えて、ちょっとした違和感に気がついた。トイレ、行きたいかもしれない。
膝にかけたブランケットの下で、ソワソワと足を擦り合わせた。
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