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猜疑心

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 猪熊は、人形使いの高梨伊織と別れた後、伊織の言っていた事件について調べてみる事にした。

 資料室で放火事件の報告書に目を通し、担当した刑事の名を見て小さく声をあげた。猪熊の同期の中本だったからだ。

 猪熊は空いた時間に中本に声をかけた。中本は笑顔で手をあげた。猪熊と中本は同期であると同時に、喫煙者仲間だった。だがついに細君の軍門にくだり、中本は禁煙をした。

 猪熊が例の火災焼死事件の事を聞きたいというと、おだやかだった中本の表情がこわばった。

「おい、喫煙所行くぞ」

 中本は怖い顔を崩さず、猪熊をうながした。署の喫煙所は屋外で、裏手のすみにある。冬場は特につらい。

 せっかく喫煙所に来たので、猪熊はポケットからタバコを取り出し、一本を口にくわえた。中本が猪熊に手を差し出す。彼の行動の意味がわからず、動きを止めていると、中本が低い声で言った。

「俺にも一本くれ」
「何だ?禁煙していたんじゃないのか?」
「そうだったが、嫌な事件の話しをする前に一服させろ」

 猪熊は中本に一本タバコを渡し、自身のライターで火をつけてやった。中本はゆっくりとタバコの煙を肺いっぱいに吸い込むと、満足そうに吐き出した。猪熊は心配になって中本に聞いた。

「いいのか?奥さんにバレたらまずいんじゃないか?」
「ああ、バレるだろうな。なんせ女房の鼻は警察犬なみに鋭いからな」

 中本は美味そうにタバコを吸ってから、口を開いた。

「奥さんと娘が焼死した。若い亭主は放火だってゆずらねぇんだ。俺に、事件を調べてくれって。もちろん裏どりはしたさ。すればするほど不可解だ。近所での若い夫婦の評判は良かった。奥さんは喫煙はしていなはずだ。それに飲酒や薬物もな。それなのに、奥さんと子供は逃げもせず焼け死んだ。まるでドアに細工がされて開かなかったみたいに」

 中本はそこで口をつぐんだ。猪熊が質問した。

「中本。何故おかしいと思ったのに、詳しく調べなかったんだ?」

 中本の目が厳しくなった。中本は猪熊の肩を組んで、耳元で小声で言った。

「猪熊、悪い事は言わねぇ。この件深入りすんな」
「?。何故だ」

 中本はチッと舌打ちしてから言葉を続けた。

「俺は若い亭主のためにも調べようとしたさ。だが横やりがはいった」
「?。どこから?」

 中本は黙って人差し指を空に向けた。猪熊がわからないという顔をすると、中本は低い声で言った。

「俺は上司にこの件を調べるなとクギをさされた。俺は何故かと食ってかかった。渋る上司が言ったよ。警察庁からだって」
「はぁ?何で」
「・・・。この事件、警察庁長官の所に天賀家という人形使いの家から申し出があったそうだ」

 また人形使いときた。猪熊は渋い顔をした。
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