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伊織の秘密

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 哲太は足元がおぼつかない伊織に肩を貸してあてがわれた部屋まで歩いた。伊織は下戸だったのだ。哲太はぼやきながら伊織に言った。

「おい、伊織。酒が飲めないなら最初から言えよ。お前って、カッコウつけているわりには抜けてるよな?」
「ウルセェ、俺は、請け負った仕事はかんぺきに、こなすんだよ」

 伊織はろれつの回らない口で何か言っているが良く聞き取れない。哲太は無視して部屋に入った。部屋には布団の用意がされてあり、そのかたわらには、戦人形のコングと花雪がいた。

 哲太は、コングはワゴン車の中に入っていてもらおうとしたのだが、伊織がコングだけ一人なのは可哀想だというので部屋に入れてもらったのだ。

 伊織の操りの能力に触れたためか、コングと花雪は、伊織の命令がないのに動き出した。コングは哲太から伊織を受け取ると、丁寧に抱き上げた。

 哲太がかけ布団をめくると、コングは伊織のジャケットを脱がせ、ゆっくりと布団に寝かせた。花雪は伊織の側に近寄ると、小さな手でネクタイをゆるめてやっていた。

 コングと花雪は、心から伊織が好きなのだ。哲太は何だか見ていられなくなり、蛭間邸の風呂を借りる事にした。

 風呂から出て部屋に戻ると、伊織は寝入ったままだった。

「ゆき、・・・、はな」

 ふと、伊織が何かをつぶやいた。どうやら寝言らしい。哲太が耳をそばだててみると、人の名前のようだ。最初は戦人形の花雪を呼んでいるのかと思ったが、よくよく聞いてみると、ゆきえ、はな。と聞こえる。

 もしかしたら伊織の家族の名前かもしれない。伊織は独身のやもめ男にしては家庭的だった。限られた生活費でやりくりするし、ゴミの分別にも口うるさい。

 家族のいる伊織が何故家族と暮らさないのか。もしかすると家族が伊織に愛想をつかして出て行ったのかもしれない。

 だが哲太は、伊織は家族と死別しているのではないかと考えていた。哲太が伊織の作ったオムライスを美味しいと言った時、伊織は何とも言えないこわばった顔をして、そうかと答えた。

 その時に、哲太は感じたのだ。伊織には、伊織の手料理を喜んでくれる家族がいた。だがもうその家族はいないのだと。

 そこまで考えて哲太は考える事をやめた。他人の秘密を詮索する事は無粋な行為だ。

 哲太は心配そうに伊織の寝顔を見ているコングと花雪に、もう寝るようにと言葉をかけて、自分も布団の中に入った。

 
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