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八
side朔太郎――パチン留の帯留
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確かに三つの幼児の証言……拙い彼の言葉を誰がまともに聞いただろうか。朔太郎に尋ねられなければ、あの子はあの光景を、ずっと心に仕舞ったままでいただろう。
あの子はツツジの植栽の陰で、大好きな半玉が厠へ入って行くのを見ていた。
――「かわやのね、おいちゃん、真っ赤。まめちおといっちょ」
出てきたら声をかけようと待ち構えていたのに。厠の扉の隙間から見えたのは、怖ろしい光景だった。
「僕は初め、菱屋さんも共犯だと思っていたんだよね。……でも違った」
今日の昼前、藤田は菱屋惣兵衛を任意で警視庁に連行した。すでに春木屋の亭主が警官によって殺されたことを知らされていた菱屋は、なぜか怯え切っていて、藤田の尋問にも素直に答えたのだという。
「菱屋さんはまさか君が小林さんを殺したとは思っていなかったらしい。菱屋さんが言うには、小林さんにおミネさんを襲わせる計画だったらしいじゃないか。小林さんは昔の花魁殺しをネタに、おミネさんから何度も金を無心されている。だから小林さんを焚きつければおミネさんを殺してくれんじゃないかと考えていたんだよね」
――菱屋の亭主が口を割った。
その現実に観念したらしい豆千代が、顔を天井に向け目を瞑った。
顔を戻し、朔太郎の方を見て気丈にも口角を上げ笑おうとしたが、失敗して情けない表情になってしまった。
「…………そうよ」
彼女の歪んだ口から、とうとう真実が吐き出された。
「解放令で売れっ子の太夫を手放してしまった春木屋は、少しずつ傾いて、そのうちやり手婆のおミネが店を仕切るようになった。あの女はね、大昔の恩を着せて、菱屋さんへも無理な仕事をねじ込んだり押し借りのようなまねをしたり。だからうちが菱屋さんを助けてやろうと思っただけよ。だって!」
だが言い訳を口にしかけ、言葉を止める。ぐっと押し黙ってしまった豆千代を見て、朔太郎は静かに話の矛先を変えた。今度はおミネ殺しの方向へと。
「ずっと気になっていたんだよ。おミネさんが首を吊った帯締のこと」
「え?」
「うん、だってね、茶々を探しに菱屋へ行った時、たまたまおミネさんとすれ違っていてね、あの時はパチン留の洒落た帯留をしていたんだよね、確かに。あの彼女の帯留……」
帳場机に乗せていた手をわずかに動かし、おもむろに豆千代の帯を指した。
それは簡素な普段着には不似合いな、趣のある金具がついた帯留だった。
「それ、おミネさんから取り返したのかい」
素早く豆千代の手が、自分の腹の上を飾っている金具に触れた。
「よほど思い入れがあるのか、昨日も着けていたよね。半玉の可憐な衣装にはちょっと大人びて見えたんだ。僕はそのパチン留にね、佐々木巡査長に入っていた蟲と同じ色が見えたんだよ」
「むし?」
「そう、〈魂の蟲〉だ。それでようやく合点がいったのさ」
「何のことなの、それこそ意味が解らないわ」
ちらりと店の外を見る。
まだ三四郎が帰って来る気配はない。それでもきっと、彼が間に合うことを信じて、朔太郎は事件の核心である人物の名前を出した。
「そして、この調書だ。これで〈鈴乃さん〉と大石が、生前繋がっていたという絵がはっきりと見えたのさ。結局、ずいぶんと回りくどいことをしたけれど、君はただ鈴乃さんの仇を討ちたかっただけじゃないのかな」
豆千代の歪んだ口角が、ヒクと痙攣したように動いた。
「は? すずの? 大石? 今度は誰のことを言っているのか、さっぱりわからない」
芝居がかった言い回しは、彼女が嘘を口にしている証だ。
「とにかく、うちは菱屋さんに力を貸しただけよ! うちにあんな強い人を殺せるはずないじゃない、ばっかじゃないの」
朔太郎は畳の上の調書を孫の手でたぐり寄せると、折皺にそって畳み直した。
「よく言う。君の方こそ菱屋さんを利用しただけじゃないか。菱屋さんがおミネさんに困らされているのを知って、これ幸いと小林殺しに利用したんだろ」
豆千代の唇が震えているのを見ながら、日没までの時間を掛け時計で確認していた。
(そろそろ帰って来てもいい頃なんだが。どうせ、女将さんのおしゃべりにつかまっているんだろうけれど)
まだ役者が揃うには時間がかかりそうだ。けれどもう、これ以上引っ張れそうにはなかった。
豆千代は落ち着きなく、指摘された帯留のパチン飾りを指でいじりまわしていた。
「小林さんを言いくるめて小林さんにおミネさんを殺させる。――それが初めの計画だったはず。それなのに小林さんが殺されていた。そりゃあ、色んな念が見えたはずだよ。だって、菱屋さんには小林さんに対する殺意がないもの。そうそう、気の毒な菱屋さんだけれどね、あの人は君が殺したとは思っていなくて、本気でおミネさんが小林さんを殺めたと思っていたらしいよ。わざわざ、茶々探しを装って、おミネを焚きつけると入れ知恵したのは君なのにさ。おめでたいね」
ゆらり、豆千代の体が揺れた気がした。
「でも、だからその後のおミネ殺しに協力をする決心をしたんだよ。彼はきっとおミネさんを消す良い機会だと思ったんだろうね。そこで僕に厠から出て来たかんざしの持ち主を特定させて、おミネさんを小林殺しの罪人だと導かせたかったのだろう。まあ、その目論見は外れたけれど」
それでも朔太郎は豆千代を睨みつけて言った。
「そうだろ、『もも』さん。小林さんはどうやって殺したのかな」
『もも』という名で呼ばれると、豆千代は目を見開き、自分の頭に差してあったかんざしを抜いた。
「ああ、可哀そうな惣兵衛さんは今、春木屋が殺されたことを知って、次は自分が狙われるんじゃないかと怯えているらしいよ。だから、おミネ殺しを吐いたんだってさ。なにしろ、あの時、小林が殺した花魁の遺体を始末したのは、当時番頭だった惣兵衛さんだからさ。惣兵衛さんは一連の殺しは全て、あの巡査長の仕業だと信じているみたいだ。あの巡査長が、実は鈴乃さんの元情人だったんじゃないかってね」
豆千代の眼に、殺意が宿った。
あの子はツツジの植栽の陰で、大好きな半玉が厠へ入って行くのを見ていた。
――「かわやのね、おいちゃん、真っ赤。まめちおといっちょ」
出てきたら声をかけようと待ち構えていたのに。厠の扉の隙間から見えたのは、怖ろしい光景だった。
「僕は初め、菱屋さんも共犯だと思っていたんだよね。……でも違った」
今日の昼前、藤田は菱屋惣兵衛を任意で警視庁に連行した。すでに春木屋の亭主が警官によって殺されたことを知らされていた菱屋は、なぜか怯え切っていて、藤田の尋問にも素直に答えたのだという。
「菱屋さんはまさか君が小林さんを殺したとは思っていなかったらしい。菱屋さんが言うには、小林さんにおミネさんを襲わせる計画だったらしいじゃないか。小林さんは昔の花魁殺しをネタに、おミネさんから何度も金を無心されている。だから小林さんを焚きつければおミネさんを殺してくれんじゃないかと考えていたんだよね」
――菱屋の亭主が口を割った。
その現実に観念したらしい豆千代が、顔を天井に向け目を瞑った。
顔を戻し、朔太郎の方を見て気丈にも口角を上げ笑おうとしたが、失敗して情けない表情になってしまった。
「…………そうよ」
彼女の歪んだ口から、とうとう真実が吐き出された。
「解放令で売れっ子の太夫を手放してしまった春木屋は、少しずつ傾いて、そのうちやり手婆のおミネが店を仕切るようになった。あの女はね、大昔の恩を着せて、菱屋さんへも無理な仕事をねじ込んだり押し借りのようなまねをしたり。だからうちが菱屋さんを助けてやろうと思っただけよ。だって!」
だが言い訳を口にしかけ、言葉を止める。ぐっと押し黙ってしまった豆千代を見て、朔太郎は静かに話の矛先を変えた。今度はおミネ殺しの方向へと。
「ずっと気になっていたんだよ。おミネさんが首を吊った帯締のこと」
「え?」
「うん、だってね、茶々を探しに菱屋へ行った時、たまたまおミネさんとすれ違っていてね、あの時はパチン留の洒落た帯留をしていたんだよね、確かに。あの彼女の帯留……」
帳場机に乗せていた手をわずかに動かし、おもむろに豆千代の帯を指した。
それは簡素な普段着には不似合いな、趣のある金具がついた帯留だった。
「それ、おミネさんから取り返したのかい」
素早く豆千代の手が、自分の腹の上を飾っている金具に触れた。
「よほど思い入れがあるのか、昨日も着けていたよね。半玉の可憐な衣装にはちょっと大人びて見えたんだ。僕はそのパチン留にね、佐々木巡査長に入っていた蟲と同じ色が見えたんだよ」
「むし?」
「そう、〈魂の蟲〉だ。それでようやく合点がいったのさ」
「何のことなの、それこそ意味が解らないわ」
ちらりと店の外を見る。
まだ三四郎が帰って来る気配はない。それでもきっと、彼が間に合うことを信じて、朔太郎は事件の核心である人物の名前を出した。
「そして、この調書だ。これで〈鈴乃さん〉と大石が、生前繋がっていたという絵がはっきりと見えたのさ。結局、ずいぶんと回りくどいことをしたけれど、君はただ鈴乃さんの仇を討ちたかっただけじゃないのかな」
豆千代の歪んだ口角が、ヒクと痙攣したように動いた。
「は? すずの? 大石? 今度は誰のことを言っているのか、さっぱりわからない」
芝居がかった言い回しは、彼女が嘘を口にしている証だ。
「とにかく、うちは菱屋さんに力を貸しただけよ! うちにあんな強い人を殺せるはずないじゃない、ばっかじゃないの」
朔太郎は畳の上の調書を孫の手でたぐり寄せると、折皺にそって畳み直した。
「よく言う。君の方こそ菱屋さんを利用しただけじゃないか。菱屋さんがおミネさんに困らされているのを知って、これ幸いと小林殺しに利用したんだろ」
豆千代の唇が震えているのを見ながら、日没までの時間を掛け時計で確認していた。
(そろそろ帰って来てもいい頃なんだが。どうせ、女将さんのおしゃべりにつかまっているんだろうけれど)
まだ役者が揃うには時間がかかりそうだ。けれどもう、これ以上引っ張れそうにはなかった。
豆千代は落ち着きなく、指摘された帯留のパチン飾りを指でいじりまわしていた。
「小林さんを言いくるめて小林さんにおミネさんを殺させる。――それが初めの計画だったはず。それなのに小林さんが殺されていた。そりゃあ、色んな念が見えたはずだよ。だって、菱屋さんには小林さんに対する殺意がないもの。そうそう、気の毒な菱屋さんだけれどね、あの人は君が殺したとは思っていなくて、本気でおミネさんが小林さんを殺めたと思っていたらしいよ。わざわざ、茶々探しを装って、おミネを焚きつけると入れ知恵したのは君なのにさ。おめでたいね」
ゆらり、豆千代の体が揺れた気がした。
「でも、だからその後のおミネ殺しに協力をする決心をしたんだよ。彼はきっとおミネさんを消す良い機会だと思ったんだろうね。そこで僕に厠から出て来たかんざしの持ち主を特定させて、おミネさんを小林殺しの罪人だと導かせたかったのだろう。まあ、その目論見は外れたけれど」
それでも朔太郎は豆千代を睨みつけて言った。
「そうだろ、『もも』さん。小林さんはどうやって殺したのかな」
『もも』という名で呼ばれると、豆千代は目を見開き、自分の頭に差してあったかんざしを抜いた。
「ああ、可哀そうな惣兵衛さんは今、春木屋が殺されたことを知って、次は自分が狙われるんじゃないかと怯えているらしいよ。だから、おミネ殺しを吐いたんだってさ。なにしろ、あの時、小林が殺した花魁の遺体を始末したのは、当時番頭だった惣兵衛さんだからさ。惣兵衛さんは一連の殺しは全て、あの巡査長の仕業だと信じているみたいだ。あの巡査長が、実は鈴乃さんの元情人だったんじゃないかってね」
豆千代の眼に、殺意が宿った。
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