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川崎ハウス

川崎ハウス-エリちゃん

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 学生の頃、僕は一軒家を改造した川崎ハウスという安アパートで暮らしていた。川崎ハウスには部屋が四つあり、1階に二部屋と中2階と2階に一部屋ずつあった。1階の二部屋には専用の出入口が設置されていたが、中2階と2階は共同の玄関を使用することになっていた。大学の研究室に所属することになっていた僕にとって家は寝るだけなので、安ければどこでもいいという考えで選んだ。

 僕は2階に住んでいたのだが、中2階には背の高いかわいい女の子が住んでいた。大家の川崎婆さんの情報だと、その女の子の名はエリといい、看護学校に通っているそうだ。僕よりも4つ年下で、ショートヘアーをいつもきれいにセットしていた。僕は密かにそのエリちゃんと仲良くなりたいと願っていたが、親しく話しかける勇気もなく日々が過ぎていた。もし、エリちゃんから嫌われてこの安いアパートに住みづらくなっても困る。それに、大学の研究室に所属してからというもの、とても忙しくなり、夜遅く帰ることが多くなって、エリちゃんと出くわす機会はほとんどなかった。

 とかなんとか言いつつも、僕はエリちゃんと出会うと胸が高鳴った。時々、共同で使用しているシャワー室からエリちゃんが不意に出てくることがあった。そんなときにはシャンプーと石鹸のとてもいい香りが漂って興奮した。ただ、僕は興味ないふりをして「こんばんは」とそっけなくあいさつした。だって、エリちゃんにとって僕はただの川崎ハウスの住人であり、好意丸出しで調子よく声をかけられるのは迷惑に決まっている。変態と間違われてもいけない。程よい距離感を保つのが得策なのである。

 エリちゃんも普通に挨拶は返してくるが、それ以上関わる必要はないというような表情であった。決して笑顔ではなかった。作り笑いでもない。それが、僕と必要以上に仲良くする気はありませんよと言っているような気がして近づき難い雰囲気を醸し出していた。

 日曜日の朝、部屋でゴロゴロしていると、部屋に面した廊下に40代後半くらいの女性が布団を持って現れた。僕の部屋とその廊下との間にはすりガラスの戸がついているのだが、僕はそのガラス戸を普段から開けたままにしていたので、廊下から僕の部屋は丸見えだったし、僕の部屋からも廊下が丸見えだった。女性は僕の部屋の方をあまり見ないようにして、廊下からベランダに出て布団を干した。長いスカートをはいていて、足が悪いのか引きずりながらゆっくり歩いていた。その様子は実際の年齢よりも老けて見せているように感じた。顔立ちは綺麗で、長い黒髪だった。

 僕が不意を突かれて驚いていると、その女性はギシギシという音を立てて階段を下りていった。そして、中二階のエリちゃんの部屋に入った。恐らくエリちゃんのお母さんに違いない。どことなく似ていたし。

 その女性は時々現れて数日エリちゃんの部屋で過ごして行った。何となく影がありそうな雰囲気があり、僕はその女性について色々と想像を膨らませた。実はエリちゃんが心配で僕が変なことをしないか密かに監視しに来ているとか、旦那さんにDVを受けていて足を怪我しているとかそんな事を考えていた。

 エリちゃんは時々友達を家に連れてきていた。大抵は女友達が数人来ていたようだが、時々男友達も混じっていた。そんな時、僕は出来るだけエリちゃんの友達と出くわさないように部屋にこもって、一階にある共同トイレやシャワー、洗濯機などを使わないようにしていた。何だか変な男がそこにいたよとか思われるのが嫌だったからである。僕はそういう時は毛むくじゃらの雪男の気持ちがよくわかった。寂しく自分の居場所で息を潜めて見つからないようにしているのである。

 そんな風にして、川崎ハウスで暮らしていた僕だが、大学院の最後の年に関東の方に就職が決まり、あと半年で引っ越すことになった。そうなると、エリちゃんとこのまま離れてしまうのは嫌な気がした。僕はいつの間にかエリちゃんに好意を持っていたのだ。

 そうは言っても、これまでほとんど話をしたことも無いエリちゃんとの距離を縮めるにはどうしたら良いのか悩んだ。急に馴れ馴れしくするのも無理があるし、これまで作ってきた誠実で分別のある隣の住人像を崩したくはなかった。

 そこまで親しくもないのにいきなり自分の部屋に呼んで話をするのもおかしいし、彼女の部屋に押しかける訳にも行かないし、共同スペースで長話をする訳にもいかない。一階に住んでいる数学科と化学科の学生に話し声が筒抜けである。そんな状況でリラックスして話せるはずがない。

 とにかく、川崎ハウスから連れ出すしかないと結論づけた僕はエリちゃんをどこか食事に誘うことに決めた。
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