君想う、故に我あり

篠原怜

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2章-千秋

千秋ー2

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「脇田さん、どうしたの……」
「帰りましょう。ここから先はあなたが行くような場所ではない」


 千秋の問いには答えず、蓮は冷ややかに言い放った。普段と違い開襟の涼しげなシャツに、細身のパンツという姿。髪が夜風にさらさらと靡いて、休日を画廊めぐりをして過ごしているビジネスマンのような印象を受けた。
 圭はわざとらしく千秋の肩に手を回すと、蓮に向かって冷めた視線を投げかけた。

「こいつ誰? 千秋ちゃんの知り合い?」
「うん、あの……お付き合いしてる人」
「彼氏? へえー、こういう堅そうなのが好みなの?」

 それまで控え目な口調で紳士的に振舞っていた圭。うって変わったような彼の態度に千秋は驚いたが、それ以上に千秋の胸を逆なでしたのは蓮の次の言葉だった。

「ごたくはいい。その手を放してとっとと失せろ。ホストならホストらしく、遊び慣れた女に手を出すんだな」
「わ、脇田さん、それって水上君に失礼よ。謝って」

 たまらず食って掛かる。幾らなんでも今のはいい過ぎだ。だが脇田はひるむどころか、素早く歩み寄ると千秋の肩に置かれた圭の手を払いのけた。

「行きましょう。この男はあなたには相応しくない。こんな男にかかったら、あなたのような世間知らずはいい様にされてしまいますよ」
「ひどい……、脇田さん!」

 蓮は千秋の腕をつかみ、無理やりその場を離れた。すぐさま圭が二人の行く手に飛び出してくる。

「待てよ。ずいぶんと好き勝手言ってくれるじゃないの。彼氏だか何だか知らないけどさ、彼女は自分の意思で俺と一緒に行くって言ってんだよ。ひっこんでな!」

 圭が蓮のむなぐらをつかみ、千秋から引き離そうとする。蓮はその手を払うと逆に圭の上着の襟をつかみ、自分よりやや背の高い圭を吊るし上げた。
 もめ事だろうかと、行き交う人々がちらちらと視線を投げかけてきたが男たちは収まらない。

「お前の目的はお見通しだ。金づるが欲しいなら他の女を当たれ。警告を無視するなら二度と東京でホストができないようにしてやる。これでもこの界隈には顔が利く。俺にとっては容易いことだ」
「わ、脇田さん……」
「行きましょう」

 少しあと戻りしたところに蓮の車が停車していた。半ば引きずられるようにして千秋は、ハザードを点滅させたままの車のそばに連れて行かれる。

「ひどいわ、こんなこと……。水上君はただの同級生で、久しぶりに会ったから話が弾んだだけよ。わたしを金づるにするなんて言い過ぎだわ」

 無理やり助手席に押し込められてから千秋は猛然と抗議した。それには答えず、蓮は千秋のシートベルトを締めるとすぐに車をスタートさせた。

「仮に下心がなかったにせよ、ホスト遊びなんかやめたほうがいい。似合わない。あなたにあなたの意思があるように、私は私の意思であなたの火遊びを阻止する。誰にも文句は言わせない」

 今まで見せたことの無い、蓮の傲慢な態度に呆然となる。
 車は混雑し始めた都心の道路をすり抜けるように走り、やがて首都高に入った。

「どこへ行くんですか?」
「箱根へ。そこに私の別荘があります」
「箱根? 待ってください、今からそんなところに行ったら帰りが何時になるか……」

 それ以降、千秋が何を言っても蓮は答えなかった。この時になって初めて千秋は、蓮という男を怖いと思った。さっきの圭に向けた冷ややかな表情。そしてその奥に秘めた激しい一面。あの時もし、圭が蓮に手を上げていたら、きっと蓮もやり返していただろう。

 誠実そうに見えて実は、それが自分を欺くための仮面だったら? 
 圭がそうだったように蓮も、陰山グループの令嬢としての自分に興味があるのだとしたら?

 千秋の不安をよそに車は東名高速を厚木で降りて、小田原厚木道路に入る。途中から国道を進み、箱根の温泉街に出た。時折登山鉄道の線路と交差しながら、さらに山肌に沿ってくねくねとした道を上ってゆく。
 新宿を出てからノンストップで車は走り続けた。時計が夜の八時を指す頃、周囲を木立で囲まれた別荘の前で、ようやく車は停止する。
  


■□■□


 遅い時間ではあったが、管理人らしき初老の夫婦が蓮と千秋のために食事の用意をしてくれていた。軽井沢や山中湖によくあるようなログハウス風の別荘ではなく、切り妻屋根のどちらかというと和風な趣のある一戸建てに見えた。広いリビング兼ダイニングルームには暖炉があり、壁には動物の剥製が掛かっている。新しい建物では無さそうだが、掃除の行き届いた感がある。

 千秋は食事をする気になどなれなかった。でも自分達のためにサラダや前菜を給仕してくれる夫婦に申し訳なく思い、少しだけ料理を口にした。どこのレストランで修行したのか知らないが、スープもオードブルもとても美味しい。やがてメインのフィレ肉のステーキが運ばれて来ると、蓮が夫婦に声をかけた。

「デザートとコーヒーは俺がやります。今夜はもうこれで結構ですから」
 丁寧な蓮の言葉に夫婦は微笑んで、お休みなさいませと言って帰っていった。二人が乗った車のエンジン音が遠ざかるのを聞いてから、千秋は蓮を問い詰めた。

「説明して下さい。どうしてこんなことをなさるの?」
「何を説明しろと?」
「そうじゃなくて、だから……。いきなり現れてわたしの友達を侮辱して、こんなところに連れてきたのは何のため?」

 言って聞かせるのが悲しくなってくる。蓮はこんなに横柄な男だったろうか? 

「なんのためと言われたら、そうですね。私とあなたの関係をはっきりとさせるためかな」

 空になった皿を押しやって、開き直ったように蓮は答えた。

「わたしたちの関係って、それは……、それはあの……」
「ただの友達ではない。あなたは私と結婚するんです。あなたのご両親の了解も得ています」
「違うわ。確かにあなたは縁談の目的で、母が連れてきた方かもしれません。でも、お互いの気持ちが合意したらという前提であって、わたしはまだあなたのことを何も知らないし……」
「なら分かり合えばいい。子供じゃないんだし、結婚前にセックスの相性を確かめ合うのは悪くない提案でしょう」

 千秋は急に立ち上がった。蓮の瞳に危険な色を感じ取ったから。
 顔が熱い。でも足が震えた。どうかしてる。こんな時間にこんな山奥で、男と二人。
 帰らなくちゃ――。
 少し歩いて広い道路に出たら、タクシーでも呼べばいい。
 バッグを掴み、ドアに向かおうとした。素早く蓮が立ち上がり前をふさぐ。

「どこへ行くんですか?」
「帰ります。あなたはどうかしてるわ、こんな人だとは思わなかった!」

 泣きそうな声で言ってみた。だが蓮は千秋の両腕を掴んで、強引に自分のほうを向かせた。

「そうはさせない」
 聞いたこともないような、低くて乾いた声だった。蓮は嫌がる千秋を無理やり抱きしめると、恐怖で目を見開く千秋の顔に唇を落とした。

「いや……!」

 突然のキスだった。顔を背けようとしても、後頭部をしっかりと押さえつけられて逃げようが無い。千秋のはかない抵抗は難なく蓮に打ち破られる。唇がこじ開けられ、舌が執ように自分を求めてくる。激しい口づけを繰り返しながら、蓮は千秋の意識の抵抗をも押さえ込もうとしていた。




(-続く)

 



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