約束の季節

篠原怜

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第3話

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「ファーストキスって、いつごろ? 相手って、どんな人」

 校門を出てから、つい、そんなことを聞いていた。
 空は茜色に染まり始めている。駅まで続く線路沿いの道を、奈央は佑樹と並んで歩いた。

「教えない」
「どうして」

 佑樹は少しだけ、寂しげな顔をしていた。

「奈央は俺のこと、信用してないだろ」
「それは……」

 足が止まりかける。佑樹はエナメルバッグを斜めがけにして、両手を制服のズボンのポケットに差し込み、ひょうひょうと前を歩いていた。

「だって、みんなが色々噂してるから」

 数歩先で立ち止まると、彼は振り返って、力が抜けたように笑った。

「人の意見に左右されるのか? 奈央は、自分の目で見て確かめないのか?」
「長峰くん……」

 奈央は急いで佑樹に追いついた。
 キスの余韻がまだ残っていて、まともに彼と目を合わせられない。胸の鼓動が一気に速くなる。

「ホストクラブにスカウトされたのは、本当。コンビニのバイトの帰りに、私服で駅前を歩いてたら、派手なスーツのお兄さんたちに声をかけられた。高校生には見えなかったと言われた」
「オッケーしたの?」
「まさか」
「ほかには? 女の子をとっかえひっかえしてるとか、年上の彼女と同棲してるとかは……」
「この2年くらいは、特定の彼女はいない。あと、俺は自宅でひとり暮らし」
「そう……」

 なぜだかほっとした。しかしひとり暮らしとは。

「おうちの人はいないの?」
「いない。いろいろと事情があってさ。卒業するまでは、ひとりなんだ」
「そういうことを、誰かに話した?」
「いや。言う必要ないだろう?」
「じゃあ、なぜあたしには教えてくれるの?」
「奈央には、ほんとの俺を知ってほしいから」

 ゆっくりと歩を進めながら、佑樹は風になびく奈央の髪を指にからめた。

「人の噂で判断せずに、奈央が自分の目で、俺がどういう男か見極めてほしいから。その結果、俺のことを信じられるようになったら、続きをやろう」
「続き? なんの?」
「さっきの続き。あんなのは、中学生レベル。年相応の熱いキスのやり方を」

 俺が教えるから……。さらりと彼は、そんなことを言ってのける。

「ダメ? 俺とじゃ、そんな気は起こらない?」

 呼吸が苦しくなってきた。
 ひょっとしたらひょっとして。

 佑樹は以前から自分に対して、好意を持ってくれていたのではと……。
 そんな考えで、奈央の頭の中はいっぱいになった。

「い……、いいけど」
「オッケー。約束な」

 佑樹は、奈央の頭をぽんぽんと撫でた。

 後ろから来た上り電車が、ゆっくりと減速しながらふたりを追い抜いて行く。駅は目の前。走れば電車に間に合いそうだが、奈央の足は佑樹の歩調に合わせて、ゆっくりのままだった。

 線路に沿うようにして、たくさんのコスモスが咲いている。
 そのコスモスを眺めながら、もう少しだけ彼の話に耳を傾けていたかったから。

 恋は突然舞い降りてくる。誰にでも平等に。
 本当の彼がどんな男なのか。これから時間をかけて自分の目で見極めていこうと……。
 その日、奈央は思った。


  *** *** ***


 彼氏いない歴18年は、こんな形で幕を下ろした。
 その後の劇の練習は、すんなりと進んだ。文化祭当日も、大入りの客の前で、ふたりして堂々と演じ切ることができた。もちろんキスシーンは、やっているふりで済ませたが。

 文化祭が終わると、奈央は佑樹と過ごす時間を増やした。受験生だというのに、彼は今でもアルバイトをしていた。親はどうしているのか、なぜアルバイトをする必要があるのか、彼は積極的には話したがらない。

 奈央も無理に聞き出そうとはしなかった。その代わりバイトのない日は一緒に図書館で勉強したり、模試を受けに行ったりした。佑樹は気さくで優しくて、会うたびキスはするけど、それより先に強引に進もうとはしなかった。

 ひとりではないクリスマス、誰かと一緒の初もうで。

 朝は駅で佑樹と待ち合わせて急ぎ足で登校し、帰りは同じ道をおしゃべりしながら帰る。奈央は人生初の喜びに、ひたっていた。
 受験勉強に追われる中、佑樹の存在は大きな励みとなっていた。

 けれどささいな出来事が、奈央の心に影を落とし始めた。

 佑樹の第一志望校が、東北の大学だと知ったのは、初もうでの帰り。もし受かれば、東北に引っ越すのだと彼は言った。奈央は自宅から通える大学を受ける予定だ。卒業してしまえば、必然的に離ればなれになる。
 そうなったとしても、いつだって会えるから心配ないと佑樹は言うが、不安だった。

 口に出せないまま、日々が過ぎて。

 事件が起こったのは、1月の末。

 学年末試験の終わった日、奈央は佑樹を探して進路指導室のドアを開けた。奥の書棚の陰で、抱き合うふたりの男女の姿が目に飛び込んでくる。
 女の子は2年生。奈央と違って小柄で、短いスカート丈と明るくカラーリングした髪が目立つ子だ。

 かわいらしい顔立ちのせいで、学年を問わず、男子には人気だった。
 その彼女が首にしがみつき、キスをせがむように顔を近づけていた相手が佑樹だった。

「奈央……」

 佑樹の顔が強張っていた。奈央は声も出せずに、その場に立ちつくした。そしてゆっくりと後ずさりした。

「待て、勘違いするな」

 女の子の腕を振り払うと、佑樹は奈央に駆け寄った。奈央はドアに手をかけていたが、佑樹の肩越しに、相手の子の顔に勝ち誇った笑みが浮かんでいたのを、見逃さなかった。

「奈央!」
「触らないで。自分の目で見極めろって、佑樹が言ったんじゃない。確かに見たわ。これがあんたの正体よ」

 奈央は部屋を飛び出した。
 これが、彼の本当の姿。みんなが噂していたことが、事実だったというだけ。

 見抜けなかった自分がバカだったのだ。












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