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 振り向けなかった。
 でも間違えるはずがない。
 何度も何度も聞いた声。
 どうして?なんで?今ここにいるの?
 頭が真っ白になって、心臓が早鐘のように脈打った。
 声は何度も聞けたけど、どんなに恋しく思っても、辿り着けなかった彼の香りがした。
「やっと会えた……っ」
 香りを感じると同時に、ぎゅっときつく抱き締められた。
 記憶より少し大きくなった体。だけどこの匂いと感触を忘れるはずがなかった。
「ずっと会いたかった……そんな顔して俺のポスターなんか見て……っ……アオイさん、やっぱまだ俺のこと好きなんじゃん……っ……好きだよね?」
 耳元で火傷しそうに熱い声。
 待って。待って。何にも考えられない。
 そう思ったとき。
「あれ……ねぇ、あの人……」
「わ。ホントだ。撮影?」
 少し離れたところから聞こえた幾つかの声に、俺の熱は一気に冷えた。そうだ。ここは東京のど真ん中だ。
「ちょ……こんなとこでダメだよ。離して……っ」
 こんなところで、草臥れたサラリーマンを誰もが知っているスターが抱き締めてなんていたら、きっとあっという間に噂になってしまう。そんなことになったら、彼の名前に傷が付く。
「俺の家でちゃんと話してくれるって約束してくれたら離すよ」
 彼の家で?
 そんなの無理に決まってる!
 俺の存在なんか、彼の汚点でしかないのだから、一緒に居ていいはずがない。
 あの頃よりもっと俺は彼のそばに居てはいけない存在になってしまったのだから、今は会えたとしても、またすぐに離れなくてはいけない。
 家になんか行ったりしたら、すぐにまた辛い別離を味わうことになる。
 あのときどんな思いで、どんな覚悟で離れたと思ってるんだよ。
 彼から離れる辛さなんて、もうこれ以上経験したくない。
「そんなこと、できな……」
「じゃあ叫ぶ」
 断ろうとした俺に被せるように彼は言った。
「え?」
「この人、俺の彼氏なんです!ってここで大声で叫ぶ」
「え、ええ?な……何言って……」
「アオイさん、俺の彼氏だよね? だって俺別れるなんて言ってないし、アオイさんも俺に別れるって言ってない。だから、俺達まだ恋人同士だよ」
 駄々っ子のように必死に言い募る彼。
 こんな必死な彼は見たことなくて、一緒に暮らしてた頃はもちろん、テレビで見る彼のイメージとも恐ろしいほど掛け離れてる。
「この人は……っ」
「わー!わかった!行く!お家で話す!」
 何も答えない俺に焦れた彼がいよいよ大きな声を出したので、俺も焦ってつい言ってしまった。
「よし。じゃあ、行こう」
 俺が答えるや否や、彼は俺を抱き締めていた腕をさっと解くと、今度は手を引いて、あっという間にすぐそばに用意していた車の後部座席に俺を押し込んだ。
 彼も手を繋いだまま、俺の隣に滑り込む。
「お待たせ。打ち合わせしたとおり、俺のマンションまでお願い」
 彼は後部座席に座ると、運転手にそう告げた。
 車は予定どおりとでも言うように、なめらかに滑り出した。
 彼の家に行くと言ってから、車が出るまで一分もかからなかったかもしれない。
 まるでしっかり準備されていたようなスムーズさで、俺達はそこを後にした。
    
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