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 ぐぅ、と腹の鳴る音がすぐ隣から聞こえて、俺は目をまるめた。
 脱色のしすぎで髪は少々パサついているものの、3ヶ月前からこのコンビニのバイトに入った彼の顔は、びっくりするくらい整っていた。
 だから、その間抜けな腹の音は彼に全く似合っていなかったので、俺は少々驚いてしまったのだ。
「おなか、すいた?」
 終電に乗ってきた客が粗方片付いて、静かになった店内。
 俺はカウンター内で横に立つ彼に尋ねた。
「聞こえました?」
   高校をこの春に卒業したばかりの年齢の彼。
 歌手を目指して上京してきたらしい青年は美しい見た目だけではなく、とても美しい声も持ち合わせていた。とろりと低く響く声で青年は恥ずかしそうに聞き返してきた。
 耳のふちが赤くなっているのが鮮やかで、ついつい釘付けになってしまう。
「上がったらラーメンでも行く?」
 終電の客は1時半頃に途絶えるので、後は深夜番に任せて俺達は2時にバイトを上がる予定だった。
 上がりの時間まであと少し。
 俺は緊張で震えながらも、何でもないことのように、努めて然りげ無く誘った。
「行きたいんですけど、今日持ち合わせなくて」
 バイト上がりに俺らがよく行くラーメン屋は、ワンコインでお釣りがくる激安ラーメンなのに、それさえ払えないという彼。
「一杯だけなら奢ってあげるよ」
 押し付けがましくならないように、細心の注意を払いながら、出来るだけ軽く響くように言った。
「まじっすか……」
 鋭利な印象の彼の瞳が少しだけ丸くなった。
「うん。いいよ」
「……じゃあお言葉に甘えて」
 そう言ってパサついた少し長めの前髪から覗いた瞳が綺麗な宝石みたいで、馬鹿みたいに俺は見とれた。
*****

「え? 帰るとこないの?」
 深夜2時半。ラーメンを食べ終わって出た店の前。
 俺は思わず大きな声を出してしまった。
「いや。明後日25日だからそれまでってだけですよ。給料出ればネカフェに泊まれます」
「でも明後日だろ……それまで俺んち来る?」
 誘う声が掠れてしまった。
 僅かにある後ろめたい気持ちがそこから滲み出ていませんようにと願った。
「え?……いいんですか?」
 驚いて上げた彼の綺麗な瞳が俺を見て、少しだけ時を止めた。
 俺の欲が見抜れているのではないかと思うと、汗が背を伝った。
 家に泊めたからって襲おうとかなんて考えていない。
 美しい彼のそばにいたい。
 近くでもっと見ていたい。
 もう少しだけおしゃべりしたい。
 誓ってそれだけの欲望ではあったが、その下地に淡い恋心があるのは事実であった。
 あのとき、彼の明るい髪が夜空を背にすると、とても美しく見えたのだけれど、美しい彼に近付きたいと思った自分の中の欲望が今から思い返しても、とても恥ずかしい。
 恥ずかしさを隠すように俺はゆっくり瞬いた。
「だって、いくら夏だからって外で寝るのは辛すぎるだろ」
 掠れた声で俺は返した。
*****
 
 エレベーターもない、寂れたアパートの階段を昇って部屋の前に到着し、鍵を開けていると、隣人がちょうど出掛けるところだったのか、部屋から出てきた。
 生活時間帯が合うのか、よく会う隣人に会釈してから彼を促して部屋に入る。
「すごく狭くて恥ずかしいんだけど……どうしたの?」
 彼は隣人のオトコが気になったのか、その背を見ているようだった。
「……何でもないよ。あ……でもさすがアオイさん。綺麗にしてるんだね」
 彼はそう言ってはくれたが、当時の俺の家は中々古くあまり良い部屋とは言い難いものであった。
 六畳一間築30年超えのアパート。
 辛うじてトイレと一体型のバスルームがあるのが救いの部屋。
 エアコンなんてものは当然ない。
 学費は親が払ってくれているが、生活費は大学の授業の合間を縫って自分で稼がなくてはならず、勉強とバイトに追われる生活は大変であった。
「ベッド使っていいよ」
 慌ただしくシャワーを浴びたあと彼に言って、俺はバスタオル一枚持ってごろりと床に転がった。
 夏だから全然大丈夫だし。
 何でもないことのように言った。だけど彼は寝転がるおれの横に屈んで言った。
「体痛くなっちゃいますよ」
 美しい声が優しく告げた。
「大丈夫」
「大丈夫じゃないです。二人でベッド使えばいいじゃないですか」
「狭いしきっと暑いよ。夏だし気にしないで」
 一緒にベッドに入るなんてとんでもない。
 全部ばれてしまうじゃないか。
 嫌われたくなくて、俺は必死に首を振った。
「いいから……」
 それなのに、歌手を目指している彼の声はとても綺麗に低く、そして艶かしく俺の耳に響くから、俺は固まってしまった。
 固まってしまった俺を彼はくすりと笑うとそっと抱き上げた。
「ほら、やっぱりベッドの方が寝やすいでしょう?」
 ベッドの上に俺を下ろしたあと、彼の声が耳元で響く。
 そして、長い足が、俺の脚に、絡む。
 それだけで眩暈がしそうだったのに。
 大きくて熱いてのひらがTシャツの裾から忍び込んで、何かを期待して尖ってしまっていた胸の先に触れた。
「……っ」
 びりっと痺れるような快感に吃驚して、その手を遮るように掴む。
「……違った?」
 違わない。
 あってる。
 低い声に腹の奥まで溶けそうだった。
 薄く汚れた望みを見透かされていたことが恥ずかしい。
 帰る場所のない美しい青年を泊める代わりに、なんてひどくあさましい。
 そう思うのに、律儀に面白味も何にもない年上の男の体に触れてくれる優しい手をいらないなんて言えなかった。
 彼が見た目に反して優しいのは、コンビニにくる客への対応でわかっていた。
 そんな彼が今日食べるご飯や宿に困っていたことを利用するなんて、最低。
 そう思いながらも、彼の指先や吐息を拒むことなんて出来ようがなかった。

*****
「冷蔵庫のもの勝手に使ってごめんね」
 翌朝起きると小さなテーブルの上にスクランブルエッグとトーストの朝食。
 サービスのつもりだったのか3度……いや、4度だったかもう記憶が定かでないほどに抱かれた。
 もうだめ、できないって言ったのに、ささやかな抵抗をするプレイだと思われてしまったのか。
 俺の言葉は無視されて行為は続いた。抜かないまま何度か放った彼のものがずるりと抜かれて、ようやく終わると思ってほっと息をついたとき。
 悪戯な目をしてみせた彼が少し柔らかくなった穴に再びにゅるりとペニスを押し込んできた。 
 そのとき、目の裏が白むような快感に襲われて、俺はとんでもない声を上げてしまった。
 驚いたのか、少し目を見開いて慌てたような彼に口をてのひらで塞がれた。
 その上、うっすら点いていた電気をぱちりと消された。
 うん。
 こうしていれば男のみっともない姿も声も耳にしなくても済むもんね。
 美しい彼の姿が見えないのは残念だけど、彼が俺なんかで萎えないでくれたらそれでいい。
 暗闇だと、あさましく彼を望む姿が露わにならずにほっとした。

「体、大丈夫?」
 昨夜のことに思いを馳せていた俺の前に珈琲を置きながら、顔を覗き込んで言われて、俺はぼんっと火がついたように頬が赤くなった。
「ふふ。あんなすごいことしたのに、ちょっと聞かれただけで恥ずかしいんだ」
 そう言ってくしゃりと俺の頭を撫でた。
 こんな一夜限りの相手にまで優しくなんてしないで。
 本気で好きになっちゃうから。

 
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