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2章

始業式

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仮面舞踏会の翌日である今日は始業式。
入学式は明日になるので、一年生はまだいない。
二年生以上の在校生で創立当時から残る講堂で始業式が執り行われるのは毎年のことで、いい加減慣れたものだった。
高学年の教室棟から講堂のある本校舎に向かう渡り廊下は始業式に向かう生徒達でごった返していた。
「ほんっとうに、昨日は心配したんだからね」
ユノは渡り廊下の大きな窓から見える壮大なシュルトバルツ山と湖畔を眺めながら歩いていると、傍らに歩いていたサランが昨日から何度聞いたか分からない愚痴を口にした。
「ごめん。あの後サランのところに戻ろうと思ったんだけど、わかんなくなっちゃって」
視線を窓の外の風景から、サランに戻してユノは謝る。
「無事に部屋に戻ってきていたんだから、そんなに責めるなって」
昨夜サランと一緒にいたジェイコブはそっとユノを庇ってくれた。
「いやだって! 僕達のところに戻れなかったからって知らない男と過ごしたんでしょ?」
サランは唇を尖らせてユノのローブの袖をくいくいと引っ張った。
「え? そうなの?!」
「うわっ」
ぎゅいん、と音がしそうな勢いで陽気なトミーがユノを振り返り肩を掴んだ。
昨夜の青い髪ではなく、いつもの黒髪でなんだかほっとする。
「ちょっと、トミー。ユノに触んないで。僕は早起きして話をちゃんと聞いたの」
「俺たちにも詳しく聞かせてよ」
トミーの隣でジェイコブが興味津々と言った体で尋ねる。
「助けてくれた人にお礼を言うために追いかけたら、ユノは僕らと逸れちゃったのかもって話は昨夜したでしょ。その助けてくれた男といたんだって」
ユノではなく、サランが答えた。
「俺らが知らないやつ?」
ジェイコブがさらに問いかける。
「わかるわけないじゃんね。仮面舞踏会なんだからさ。音楽一緒に聴いただけなんだよね? 昨夜ユノが好きな曲ばっか流れてたもんね」
呆れたようにジェイコブに言った後、ユノの目を覗き込んで確認するようにサランは言った。
「う……うん。音楽聴いてご飯ちょっと食べたあと、その人用事あるみたいだったから俺はトラブルに巻き込まれないようすぐに帰ってきたよ」
「無事に帰ってきたならよかったけど、本当に変なことはされてない?」
ジェイコブが確認するように言う。
ほんの少しだけ言っていない、言えるわけがないことがあるから皆の顔がまっすぐに見られずに、少し視線をずらしたときだった。
(あれ……?)
誰かの強い視線を感じて、思わず顔を上げた。
「あ……会長と副会長じゃん」
サランはユノの視線の先を追って言った。
「うわぁ。さすが目立つな」
サランの言葉どおり、プラチナの髪を持つキリヤとゴールドの髪を持つシュリは光り輝いていたし、すらりと背の高く美しい二人は物語の中からそのまま出てきてしまったようであった。
視線を感じたのだが、ユノが顔を上げた時には誰の視線もこちらを向いてはおらず、キリヤとシュリは何やら真剣な顔をして話し合っている様子だった。
始業式で生徒会長と副会長は壇上に上がるため、その相談だと思われる。
渡り廊下の先にいたキリヤとシュリとユノの距離が少しずつ縮み、徐々に近くなる。
すれ違うときユノ達は彼らに会釈したが、二人はユノの存在などないように話を続けていた。
すぐ近くでキリヤの瞳をちらりと見たが、それは恐ろしく冷たくて昨夜の仮面の男の青とは全く違うような気がした。
「ちょっと。会釈くらい返してくれてもよくない? ユノは同じ生徒会の役員だし、ジェイコブは副会長の昔からの知り合いでしょ」
サランは憤慨して言った。
ジェイコブの家は昔からフィザード家に仕えている侍従魔法使いの家系だ。
「気付かなかっただけじゃないかな」
ユノが思わず言った。自分がそう思いたいからかもしれなかった。
「そうかもしれないけど知り合いと言ってもうちは侍従だし、シュリ様に挨拶を返してもらおうだなんて畏れ多いよ」
ジェイコブもこのような対応は慣れているらしく、サランをなだめる様に言った。
廊下を渡りきると講堂のロビーで、ユノの二倍はある高さの荘厳な扉が開き、生徒たちが入るのを待ち構えていた。
人の波に乗って講堂に入ってしまうと、もうすでに先生方は前方のステージの上に揃っていた。
パイプオルガンの美しい音色が講堂の高い天井に高らかに響いていたので、私語をするのは憚られるため、口を噤んだ。
そしてユノ達は自分たちのクラスのエリアの長椅子に、そのまま並んで腰掛けた。
座ってからそう経たないうちに、始業式は始まった。
女性でありながら男子しか在学しない魔法使い学園の長に昨年度より就任したアンリ学園長の話は、いつもどおり大変面白かった。
だが、神経質を絵に描いたような風紀担当の教諭の話はひどく退屈だった。
それらが終わると、生徒会長による『新年度の宣誓』だ。
壇上に並ぶキリヤとシュリは先程渡り廊下の端で見かけたよりも更に神々しく見えた。
幼いときに読んだ本に出てきた森の騎士と妖精のように二人は絵になっていた。
風紀担当の教諭の話が終わり、キリヤが宣誓をするときとなった。
演台に向かうキリヤのローブの袖をシュリがつい、と引くと、キリヤはシュリに顔を寄せた。
その耳元に何ごとかシュリが囁いたのか、キリヤは一度頷きシュリに微笑んで見せた。
(うわ……)
その瞬間、講堂の気温が上昇したのではないかと思えるほどの二人の空気。
そこかしこで息を呑んでいるような気配が感じられ、この講堂にいる多くの者が気持ちを奪われているのがわかった。
キリヤとシュリは対に創られたように似合っている。
そして、キリヤは再び前を向き、演台の前に立った。
彼が前を見据えたとき、講堂の空気はぴん、と張り詰めた。
彼はその視線一つで、これだけ多くの人がいる講堂の空気をがらりと変えて見せるのだ。
これが、王家の血筋なのだ。
キリヤはすっ、と『魔法の教典』の上に美しい手を置いた。
宣誓は全ての魔法使いへの心得と魔法の基本が書かれているこの経典に誓うことになっているからだ。
そして、彼は軽く息を吸いこんだのち、ゆっくりと口を開いた。
「宣誓。本日より、新しい学年が始まります。各々、前学年よりいっそう大きな魔法の力の使い方を学びますが、私たちシュトレイン王立魔法学園の生徒一同はその力を、国のため、民のために使い、私利私欲のためには決して使わないことをここに誓います」
低学年の学生にもわかりやすい言葉で伝えているにも関わらず、その声、その佇まいで、思わず感嘆するほどに人を惹きつける。
講堂の二階席をぐるりと取り囲む窓から差し込む光を纏うように話す彼は、神々しくさえもあった。
その神々しい姿を見てユノは思わず俯いた。
なぜなら、昨日の仮面舞踏会の彼の青い瞳がキリヤと似ているように思えていたのだが、その考えがひどく恥ずかしいように思えた。
(あんな人が、もしかして昨日の彼かもしれないなんて万が一にも思うなんて、妄想もいいところだ。馬鹿すぎて恥ずかしい……俺なんかに彼があんなことするわけないじゃないか……)
宣誓を終えた彼はさっと身を翻して演台から離れた。
代わりに各学年の教諭からの挨拶に移っても、プラチナ色が目の奥に残っていつまでも離れない。
(会長は昨日の彼ではない。でもこの講堂のどこかにやっぱり昨日の彼はいるはずなんだ)
記憶を手繰ると、鮮やかに仮面を付けた男が瞼の裏に蘇る。
昨日の男も壇上の彼と負けず劣らず魅力的に思えたが。
(記憶って美しく改ざんされるからな……)
そう思いながらユノは昨夜の熱がまだ残る自身の唇にそっと触れた。


「ユーノ? ユノ? おーい、ユノ?」
「ふぇ?」
突然右隣に座っていたサランに腕を引っ張られる。
「ユノ?」
「うわっ」
左隣にいたジェイコブもユノの顔を覗き込んだ。
「考えごとでもしてたのか? 始業式終わったぞ」
「あ……いや、何でもないよ」
心配そうな二人に首を振って笑って見せる。
「そう? あ、もしかして、来週から始まる錬金術の受業のこと考えてたんじゃないの? 『守護神の石』のレシピ覚えたら、村に作って送りたいって一年生の頃からずっと言ってたもんね」
サランの言葉にユノは顔を上げた。
そうだ。来週からは実際に村の役に立てそうな授業が次々と始まるのだ。
これまでと違って生徒会役員としても活動するのに、ぽやぽやなんてしていられない。
目が覚める思いだった。
「『守護神の石』を作るにはかなりの技術と入手困難な材料が必要だからね。頑張らないと」
ユノは戦争で働き手が減ってしまった年寄と子供ばかりの生まれ故郷、クルリ村。それとクルリ村の隣にありながらも隣国であるギーク村。この二つの村の期待を背負ってこの学園に来ているのだ。
精度の高い『守護神の石』を作って持ち帰り、国境付近の村が二度と戦争の被害を受けないようにすることは、ユノの大切な使命の一つであった。
「あんまり根詰めすぎるなよ。頑張りすぎると、熱出して倒れちゃうでしょ、ユノは」
ぽんぽん、とサランが頭を軽く叩いた。
「あれ? ユノ。口、どしたの?」
サランが自分の唇に人差し指を当てて問う。
「え? あ……」
サランに指摘されて、ユノはまだ自分が唇に触れていたことに気が付いた。
「怪我とかしているわけじゃない?」
サランがそっとユノの唇に親指で触れた。
「うわっ……! 大丈夫だよ。ちょ……ちょっと荒れちゃったかな」
サランは人との距離が近いのだが、ずっと同室のユノには特に近い。
たまにびっくりするようなスキンシップをしてくる。
「そうなの? じゃあ僕のリップ塗ってあげるよ。去年の薬草学の授業でもらったゴブリン山のハーブから抽出したオイル調合したから、すぐに良くなるよ」
「っぶ」
ローブの隠しポケットから、スティック状のリップクリームを取り出したサランは、返事も聞かずにユノの唇に塗りたくった。
「おい。サラン。それお前が散々自分の口に塗ったやつだろうが。そんなもんユノに塗るなよ」
「僕たちはそんなの気にする間柄じゃないもんね」
ジェイコブとトミーが眉を顰めて言ったが、気にもかけないどころか、ユノに塗りつけたリップクリームをサランは自分に塗ってみせた。
「おい! サラン!」
「みんな、ここまだ講堂だよ。静かにしないと。それに食堂、早く行かないと混んじゃうから、行こうよ」
始業式は終わったものの、大きな声で話すような雰囲気ではないので、ユノは慌てて友人たちを止めて食堂に誘った。
「そうだよね。ユノは午後から生徒会だからお昼ごはん早く食べなきゃだったよね」
サランがユノの予定を思い出してくれたことにほっと息を吐く。
講堂の出口にクラスメイトと向かいながら、ユノはまた自分の唇にそっと触れた。
勉強のことを考えても、サランに散々触れられても、昨夜の彼の唇の感触は無くならず、まだ甘く疼いていた。
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