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──1年後。
金曜の定例会議が終わると参加者達は三々五々に別れて会議室からオフィスへと戻っていく。
こみ上げてくる欠伸を噛み殺しながら資料をファイルにしまっていると北村が静かに歩み寄ってきた。
「篠崎さん、お疲れ様でした。これ、さっき会議でご質問頂いた件の補足資料です」
「ありがとう。助かる」
受け取った資料の右下には、薄黄色の付箋が貼ってある。
『今日は部署の歓迎会があるので22時頃伺います』
その容貌と同じぐらい端正な字を見ると、いつも頬が熱くなる。場所と時間だけ書かれた内容を確認すると、付箋を素早く剥ぎ取った。
北村の肩をポンと叩いて「お疲れ様」と言うと、営業部のオフィスへと戻って行った。
19時半に外回り先から直帰し、スーパーに立ち寄って買い物を済ませて帰宅すると、20時を回っていた。
30度を超える炎天下の中歩き回った体は汗だくで、慌ててシャワーを浴び、念入りに身体を洗う。
髪を乾かしていると21時半にようやく北村が来た。
ホテルですることも多いが、大抵は俺の部屋でする。北村の家は会社から近すぎるからだ。
ドアに駆け寄りそうになるのをぐっと堪え、至って落ち着いた様子で出迎える。
「お疲れ。早かったな」
「幹事じゃないんで途中で抜けてきました」
「いいのかよ。女子が残念がるだろ」
花形部署の若きエースである北村は、最早フロア中の女子社員の憧れの的と言っても構わない程モテる。彼が参加する飲み会はいつも大人数だという噂だ。
「面倒なんでどうでもいいです」
「面倒って……」
呆れたように眉を寄せるが、その顔は冗談じゃなく本当に面倒そうだ。モテる男も色々と大変なのだろう。
内心で労いつつ部屋の中へと案内すると、北村が車のキーをスーツのポケットに閉まったのが目に入り、首を傾げた。
「……あれ? 車で来たのか?」
「はい」
「今日飲み会だったのに?」
「一滴も飲んでないんで。ソフトドリンクで粘りました」
「お前下戸じゃないよな?」
営業部の後輩に北村の同期の松倉というおしゃべり男がおり、こちらから聞かずとも社内の有名人のあらゆる噂を教えてくれる。
松倉いわく、北村は物凄く酒が強く、飲んでも表情が一切変わらないらしい。
「……違いますよ。でも、金曜日は呑まないって決めてるんです」
その言葉にドキッとする。
元恋人は酒癖が悪く、酔った状態でのセックスには色々と嫌な思い出が尽きない。
だから、セックスだけの関係でもこうして配慮してくれることは嬉しい。
(ほんと顔も中身もイケメンだよなぁ……仕事も出来るし)
女子が夢中になってしまうのも無理はないだろう。
もうすっかり恋愛する気力など失くしている俺でも時折、危うくなることがある。
自分達の間にあるのは身体の関係だけだが、北村とのセックスはひどく甘く、心地いい。
これまでの人生で付き合ったことがあるのは、自分を捨てた元恋人とだけだったが、正直セックスというのは痛みや苦しさが伴うものだと思っていた。
予め自分で潤滑ゼリーで慣らしておかないとひどい目に遭う。
男は受け入れる身体をしていないのだからそれが当然だと思っていた。
だから北村とセックスするときも、最初のうちは予め自分で準備をしていたが、ひどく驚かれた。
『俺がやるんで、自分でやらないでください』
とかなり真剣に言われたので戸惑った。
あんな場所を触るのは嫌だろう。元恋人は嫌がっていた。
自分でやるのがマナーではないかと思っていたから断ると、北村はとんでもないことを言い放った。
『分かりました。どうしても自分でやるっていうなら、俺の目の前でやってください』
満面の笑みで圧力をかけられ、さすがに折れて、準備を含めて全て北村に任せることにした。
「もういい」と訴えてもやめない程丹念に慣らしてくれるため、痛みは一切ない。苦しさもなく、ただひたすら心地よく満たされる。
ここ数カ月、俺はいつも北村のことばかりを考えている。
金曜日を待ち焦がれ、メモを受け取る度に土曜日の朝に落胆し、また来週の金曜日を待望する。
北村に早く会いたい。腕の中に抱かれたい。
そんな風に北村に意識を支配された毎日だ。
正直、女子社員達が北村に夢中になるのは誰よりも理解できるが、だからと言って北村を恋愛対象にはしたくなかった。
元恋人のことを思い出す度に思う。
恋愛というものは遅かれ早かれ気持ちが醒めるものらしい。そしてその年月には個人差がある。
相手は俺よりもずっと早くにその時期が来たが、俺はその時、まだまだ相手のことが好きだった。
俺はきっと恋をすると馬鹿になるタイプなのだろう。冷静さを失って変な事にも変だと気づけず騙されていた。
相手の気持ちが冷めていることに気付いた時俺の方から綺麗に別れていれば、こんな風にいつまでも心の傷として残るような恋ではなかったのかもしれない。
金を騙し取られたことよりも、気持ちを踏みにじられたことの方がずっと辛かった。
〝好きになった方が負け〟という言葉が、この一年ずっと頭から離れない。
それを思うと、今のこの北村との「セフレ」という関係は気楽で心地いい。
醒めたり飽きたり。恋愛には必ずそういう日が訪れるだろう。だが、セフレならそういう終わりはない。
出来れば一日でもこの関係を長く続けたかった。
だから俺は、絶対に北村を好きにならないように徹底して割り切った関係を続けている。
身体の関係以外は持たず、仕事の話や会社の話ぐらいはしても、極力プライベートの話はしない。
さっぱりとした関係でいればいるほど、この関係は長く続くはずだ。
さっさとシャワーを浴びてこいと促そうとすると、北村は俺の前に何かをズイッと差し出した。
──1年後。
金曜の定例会議が終わると参加者達は三々五々に別れて会議室からオフィスへと戻っていく。
こみ上げてくる欠伸を噛み殺しながら資料をファイルにしまっていると北村が静かに歩み寄ってきた。
「篠崎さん、お疲れ様でした。これ、さっき会議でご質問頂いた件の補足資料です」
「ありがとう。助かる」
受け取った資料の右下には、薄黄色の付箋が貼ってある。
『今日は部署の歓迎会があるので22時頃伺います』
その容貌と同じぐらい端正な字を見ると、いつも頬が熱くなる。場所と時間だけ書かれた内容を確認すると、付箋を素早く剥ぎ取った。
北村の肩をポンと叩いて「お疲れ様」と言うと、営業部のオフィスへと戻って行った。
19時半に外回り先から直帰し、スーパーに立ち寄って買い物を済ませて帰宅すると、20時を回っていた。
30度を超える炎天下の中歩き回った体は汗だくで、慌ててシャワーを浴び、念入りに身体を洗う。
髪を乾かしていると21時半にようやく北村が来た。
ホテルですることも多いが、大抵は俺の部屋でする。北村の家は会社から近すぎるからだ。
ドアに駆け寄りそうになるのをぐっと堪え、至って落ち着いた様子で出迎える。
「お疲れ。早かったな」
「幹事じゃないんで途中で抜けてきました」
「いいのかよ。女子が残念がるだろ」
花形部署の若きエースである北村は、最早フロア中の女子社員の憧れの的と言っても構わない程モテる。彼が参加する飲み会はいつも大人数だという噂だ。
「面倒なんでどうでもいいです」
「面倒って……」
呆れたように眉を寄せるが、その顔は冗談じゃなく本当に面倒そうだ。モテる男も色々と大変なのだろう。
内心で労いつつ部屋の中へと案内すると、北村が車のキーをスーツのポケットに閉まったのが目に入り、首を傾げた。
「……あれ? 車で来たのか?」
「はい」
「今日飲み会だったのに?」
「一滴も飲んでないんで。ソフトドリンクで粘りました」
「お前下戸じゃないよな?」
営業部の後輩に北村の同期の松倉というおしゃべり男がおり、こちらから聞かずとも社内の有名人のあらゆる噂を教えてくれる。
松倉いわく、北村は物凄く酒が強く、飲んでも表情が一切変わらないらしい。
「……違いますよ。でも、金曜日は呑まないって決めてるんです」
その言葉にドキッとする。
元恋人は酒癖が悪く、酔った状態でのセックスには色々と嫌な思い出が尽きない。
だから、セックスだけの関係でもこうして配慮してくれることは嬉しい。
(ほんと顔も中身もイケメンだよなぁ……仕事も出来るし)
女子が夢中になってしまうのも無理はないだろう。
もうすっかり恋愛する気力など失くしている俺でも時折、危うくなることがある。
自分達の間にあるのは身体の関係だけだが、北村とのセックスはひどく甘く、心地いい。
これまでの人生で付き合ったことがあるのは、自分を捨てた元恋人とだけだったが、正直セックスというのは痛みや苦しさが伴うものだと思っていた。
予め自分で潤滑ゼリーで慣らしておかないとひどい目に遭う。
男は受け入れる身体をしていないのだからそれが当然だと思っていた。
だから北村とセックスするときも、最初のうちは予め自分で準備をしていたが、ひどく驚かれた。
『俺がやるんで、自分でやらないでください』
とかなり真剣に言われたので戸惑った。
あんな場所を触るのは嫌だろう。元恋人は嫌がっていた。
自分でやるのがマナーではないかと思っていたから断ると、北村はとんでもないことを言い放った。
『分かりました。どうしても自分でやるっていうなら、俺の目の前でやってください』
満面の笑みで圧力をかけられ、さすがに折れて、準備を含めて全て北村に任せることにした。
「もういい」と訴えてもやめない程丹念に慣らしてくれるため、痛みは一切ない。苦しさもなく、ただひたすら心地よく満たされる。
ここ数カ月、俺はいつも北村のことばかりを考えている。
金曜日を待ち焦がれ、メモを受け取る度に土曜日の朝に落胆し、また来週の金曜日を待望する。
北村に早く会いたい。腕の中に抱かれたい。
そんな風に北村に意識を支配された毎日だ。
正直、女子社員達が北村に夢中になるのは誰よりも理解できるが、だからと言って北村を恋愛対象にはしたくなかった。
元恋人のことを思い出す度に思う。
恋愛というものは遅かれ早かれ気持ちが醒めるものらしい。そしてその年月には個人差がある。
相手は俺よりもずっと早くにその時期が来たが、俺はその時、まだまだ相手のことが好きだった。
俺はきっと恋をすると馬鹿になるタイプなのだろう。冷静さを失って変な事にも変だと気づけず騙されていた。
相手の気持ちが冷めていることに気付いた時俺の方から綺麗に別れていれば、こんな風にいつまでも心の傷として残るような恋ではなかったのかもしれない。
金を騙し取られたことよりも、気持ちを踏みにじられたことの方がずっと辛かった。
〝好きになった方が負け〟という言葉が、この一年ずっと頭から離れない。
それを思うと、今のこの北村との「セフレ」という関係は気楽で心地いい。
醒めたり飽きたり。恋愛には必ずそういう日が訪れるだろう。だが、セフレならそういう終わりはない。
出来れば一日でもこの関係を長く続けたかった。
だから俺は、絶対に北村を好きにならないように徹底して割り切った関係を続けている。
身体の関係以外は持たず、仕事の話や会社の話ぐらいはしても、極力プライベートの話はしない。
さっぱりとした関係でいればいるほど、この関係は長く続くはずだ。
さっさとシャワーを浴びてこいと促そうとすると、北村は俺の前に何かをズイッと差し出した。
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