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25.狂気の舞台
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■
──三笠伊織、10歳です。特技は、算数と歌を歌うことです。
幼い頃の自分の声がどこからともなく聞こえてきて、伊織は目を覚ました。
辺りは薄暗く、手足は拘束されていないようだが、体が鉛のように重く怠く、手を少し動かすのがやっとだった。必死に立ち上がろうとしても、三半規管がおかしくなったのか平衡感覚がつかめずにすぐに倒れ込んでしまう。
天井が高いのだろうか。倒れ込んだ音がやけに遠くまで響いた。
後方に光を感じて振り返ると大きなスクリーンに、伊織の幼少期の映像が流れている。
(なんだ…これ……)
四ノ宮はどこにいるのだろう。近くにはいなそうだ。
今の内に逃げようと、重い体を叱咤して、夢中で這っていると、遠くの方からカツーン、カツーンと靴音が響いてきた。同時に、光が灯され、伊織はその強烈な眩しさに目を細めた。
「伊織、目覚めた?」
四ノ宮の声だ。
伊織は強烈な光にしばらく瞬きを繰り返していたが、やがてそこが劇場の舞台の上であることに気づいた。
だが、床や壁の傷み具合から言って、おそらく現在は使われておらず、廃墟になっているのだろう。
荒れ果ててはいるが、なんとなく、見覚えがあるから、かつて使ったことのある劇場かもしれない。
舞台の奥にはスクリーンがかかっていて、そこに伊織の子役時代の映像が延々と映されている。
中央に視線を向けると絞首台のように輪っかになったロープが垂れ下がっている。それを見て、伊織は全身から血の気が引くのを感じた。
足音から逃げるように、後ずさると、四ノ宮は楽しそうに笑ってこちらに近づいて来た。
「……全部、お前の仕業だったのか?」
目眩を堪えて震える声で呟くと、四ノ宮は頷く代わりに目を細め、伊織の前に数十枚の紙束を投げた。表紙は黒く、白抜き文字で「住むと死にたくなる部屋・企画書」と書かれていた。
恐る恐るそれを捲ると、中には、幽霊の仕業に見せかけてあの部屋に棲みつき、伊織を追い詰めて心を病ませ、芸能界を引退に追い込む計画が事細かに書かれていた。
もちろん、正式な企画書ではなく、四ノ宮が独自に作った物だろう。
最後のページには、心を病んだ伊織が、子役時代に初めて立った舞台の劇場で首を吊って死ぬという終わり方になっている。
あまりにおぞましい内容に伊織は嘔気を堪え、企画書を放り投げた。
「本当は、あの部屋で上映会をして、死んでもらうつもりだったけど……あそこは〝視えない住人〟の邪魔が入るからね。伊織の元ファンなら、僕に共感してくれると思ったんだけどなぁ」
忌々しそうに、四ノ宮が言った。
彼はいつの間にか伊織のすぐ目の前に立っていて、スクリーンに流れている子供の伊織を恍惚とした目で見つめた。
「可愛いなあ、伊織。こんなに可愛い子は、後にも先にも会ったことがない。僕は本当に、この頃の伊織が好きだったんだ。世界中の誰よりも、君のファンだった。将来、絶対自分がプロデュースするんだって楽しみにしていた。……でも、今はもう」
四ノ宮は伊織の顎下を靴先で持ち上げ、ひどく汚らわしいものを見るように伊織を見た。その顔は、恐ろしいほどの怒りに歪んでいた。
「日に日に醜くなっていく君を、これ以上見てられない。君は恥知らずで、厚顔無恥で、目立ちたがりで…引き際をまるで分かってないね。君のファンが今の君にどれだけ失望しているか、わかってるのか?!」
四ノ宮は不意に激昂し、伊織の頭を思い切り踏みつけた。床に強く顔が押し付けられ、頬がズキズキと痛む。
「頼む、もうやめてくれ……分かった。芸能界はもうやめる。明日にでも、いや、今すぐ引退発表してやるよ。もうやめるから……それで、いいだろ」
気づいたら、泣いていた。恐怖よりも何よりも、一度は信じた人にここまで今の自分を踏み躙られたことが、ただただ悲しかった。
「それじゃダメなんだ。完璧に、この世界から消さない限り、僕は君を探して見てしまう。見てしまったら、その存在を認めざるを得なくなるだろう。幽霊と一緒だ」
「……こんなところで俺を殺したら、お前、すぐ捕まるぞ」
「違う。伊織は自分で死ぬんだよ」
「……俺は死なない。お前みたいな奴に、負けるつもりはない」
頬に幾筋も涙を伝わせたまま、睨みつけると、四ノ宮は言った。
「大丈夫。死にたくなるように手伝ってあげるから。伊織はもう、あと一歩のところまで来ているだろう」
伊織はゆらゆらと揺れる視界と、ぐちゃぐちゃになった思考の中で拳を握りしめた。冷たい汗が、じわりと染み出す。
「伊織、あの番組降りたがってたよね。リタイアじゃなく、綺麗な形で終わらせて欲しいってマネージャーに頼んでた。これがそのエンディングだ」
そう言って彼は劇場奥のスクリーンに、何かを映した。
眩しさに何度も瞬きしながら、伊織はそれを見つめ、思わず呻いた。
暗闇の中、ベッドの上に、まだ二次性徴も間もない伊織が裸で横たわっている。あの夜の映像だ。
「なんでこれが……」
衛士は、映像は撮られてなかったと言っていた。
「あの夜、本当は何があったのか、伊織は知らないだろう。飛鳥井君が、全部消し去ったからね」
──何もない。伊織はなにもされてない。撮られてもいない。間一髪で俺が助けてやったんだ。
衛士の声が何重にもなって聞こえる。
「何も無かった! あの夜は、何も無かっただろ!!」
思わず悲鳴のような声が上がった。その映像の先を、見たくなかった。
「真相は全部、僕と飛鳥井君と……映像だけが知っているよ。……ああ、でも、今はもう〝映像だけ〟だね」
「? どういう、ことだ」
靄がかった思考の中でも、何か引っ掛かりを感じた。
嫌な予感がする。それも、ひどく。
だが四ノ宮はそれに答えず、機材を操作し、動画の音量を上げた。
「今からあの夜の全てを見せてあげよう。僕の最高傑作だ」
まるで絞首台に向けて背中を押すように、彼は言った。
──三笠伊織、10歳です。特技は、算数と歌を歌うことです。
幼い頃の自分の声がどこからともなく聞こえてきて、伊織は目を覚ました。
辺りは薄暗く、手足は拘束されていないようだが、体が鉛のように重く怠く、手を少し動かすのがやっとだった。必死に立ち上がろうとしても、三半規管がおかしくなったのか平衡感覚がつかめずにすぐに倒れ込んでしまう。
天井が高いのだろうか。倒れ込んだ音がやけに遠くまで響いた。
後方に光を感じて振り返ると大きなスクリーンに、伊織の幼少期の映像が流れている。
(なんだ…これ……)
四ノ宮はどこにいるのだろう。近くにはいなそうだ。
今の内に逃げようと、重い体を叱咤して、夢中で這っていると、遠くの方からカツーン、カツーンと靴音が響いてきた。同時に、光が灯され、伊織はその強烈な眩しさに目を細めた。
「伊織、目覚めた?」
四ノ宮の声だ。
伊織は強烈な光にしばらく瞬きを繰り返していたが、やがてそこが劇場の舞台の上であることに気づいた。
だが、床や壁の傷み具合から言って、おそらく現在は使われておらず、廃墟になっているのだろう。
荒れ果ててはいるが、なんとなく、見覚えがあるから、かつて使ったことのある劇場かもしれない。
舞台の奥にはスクリーンがかかっていて、そこに伊織の子役時代の映像が延々と映されている。
中央に視線を向けると絞首台のように輪っかになったロープが垂れ下がっている。それを見て、伊織は全身から血の気が引くのを感じた。
足音から逃げるように、後ずさると、四ノ宮は楽しそうに笑ってこちらに近づいて来た。
「……全部、お前の仕業だったのか?」
目眩を堪えて震える声で呟くと、四ノ宮は頷く代わりに目を細め、伊織の前に数十枚の紙束を投げた。表紙は黒く、白抜き文字で「住むと死にたくなる部屋・企画書」と書かれていた。
恐る恐るそれを捲ると、中には、幽霊の仕業に見せかけてあの部屋に棲みつき、伊織を追い詰めて心を病ませ、芸能界を引退に追い込む計画が事細かに書かれていた。
もちろん、正式な企画書ではなく、四ノ宮が独自に作った物だろう。
最後のページには、心を病んだ伊織が、子役時代に初めて立った舞台の劇場で首を吊って死ぬという終わり方になっている。
あまりにおぞましい内容に伊織は嘔気を堪え、企画書を放り投げた。
「本当は、あの部屋で上映会をして、死んでもらうつもりだったけど……あそこは〝視えない住人〟の邪魔が入るからね。伊織の元ファンなら、僕に共感してくれると思ったんだけどなぁ」
忌々しそうに、四ノ宮が言った。
彼はいつの間にか伊織のすぐ目の前に立っていて、スクリーンに流れている子供の伊織を恍惚とした目で見つめた。
「可愛いなあ、伊織。こんなに可愛い子は、後にも先にも会ったことがない。僕は本当に、この頃の伊織が好きだったんだ。世界中の誰よりも、君のファンだった。将来、絶対自分がプロデュースするんだって楽しみにしていた。……でも、今はもう」
四ノ宮は伊織の顎下を靴先で持ち上げ、ひどく汚らわしいものを見るように伊織を見た。その顔は、恐ろしいほどの怒りに歪んでいた。
「日に日に醜くなっていく君を、これ以上見てられない。君は恥知らずで、厚顔無恥で、目立ちたがりで…引き際をまるで分かってないね。君のファンが今の君にどれだけ失望しているか、わかってるのか?!」
四ノ宮は不意に激昂し、伊織の頭を思い切り踏みつけた。床に強く顔が押し付けられ、頬がズキズキと痛む。
「頼む、もうやめてくれ……分かった。芸能界はもうやめる。明日にでも、いや、今すぐ引退発表してやるよ。もうやめるから……それで、いいだろ」
気づいたら、泣いていた。恐怖よりも何よりも、一度は信じた人にここまで今の自分を踏み躙られたことが、ただただ悲しかった。
「それじゃダメなんだ。完璧に、この世界から消さない限り、僕は君を探して見てしまう。見てしまったら、その存在を認めざるを得なくなるだろう。幽霊と一緒だ」
「……こんなところで俺を殺したら、お前、すぐ捕まるぞ」
「違う。伊織は自分で死ぬんだよ」
「……俺は死なない。お前みたいな奴に、負けるつもりはない」
頬に幾筋も涙を伝わせたまま、睨みつけると、四ノ宮は言った。
「大丈夫。死にたくなるように手伝ってあげるから。伊織はもう、あと一歩のところまで来ているだろう」
伊織はゆらゆらと揺れる視界と、ぐちゃぐちゃになった思考の中で拳を握りしめた。冷たい汗が、じわりと染み出す。
「伊織、あの番組降りたがってたよね。リタイアじゃなく、綺麗な形で終わらせて欲しいってマネージャーに頼んでた。これがそのエンディングだ」
そう言って彼は劇場奥のスクリーンに、何かを映した。
眩しさに何度も瞬きしながら、伊織はそれを見つめ、思わず呻いた。
暗闇の中、ベッドの上に、まだ二次性徴も間もない伊織が裸で横たわっている。あの夜の映像だ。
「なんでこれが……」
衛士は、映像は撮られてなかったと言っていた。
「あの夜、本当は何があったのか、伊織は知らないだろう。飛鳥井君が、全部消し去ったからね」
──何もない。伊織はなにもされてない。撮られてもいない。間一髪で俺が助けてやったんだ。
衛士の声が何重にもなって聞こえる。
「何も無かった! あの夜は、何も無かっただろ!!」
思わず悲鳴のような声が上がった。その映像の先を、見たくなかった。
「真相は全部、僕と飛鳥井君と……映像だけが知っているよ。……ああ、でも、今はもう〝映像だけ〟だね」
「? どういう、ことだ」
靄がかった思考の中でも、何か引っ掛かりを感じた。
嫌な予感がする。それも、ひどく。
だが四ノ宮はそれに答えず、機材を操作し、動画の音量を上げた。
「今からあの夜の全てを見せてあげよう。僕の最高傑作だ」
まるで絞首台に向けて背中を押すように、彼は言った。
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