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7.推しの手料理
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世間一般の大学生というのは暇なイメージがあるが、それは学部や所属しているゼミや研究室にもよるだろう。大量のレポートを書くために図書館にカンヅメになって帰ってくると、もう八時を過ぎていた。
エレベーターを上がり、7階の自分の部屋へ向かおうと歩き出し、彼の姿に気づいて驚いた。隣人であり、狗飼が長年密かにファンを続けている三笠伊織だった。
「よう、学生」
彼はアイドルらしい天使のような笑顔で片手を上げて挨拶をした。ほんの少し、顔色が悪い気がするのは、廊下の明かりの具合のせいだろうか。
彼は手には買い物袋を提げていた。
「……今日はどうしました? また幽霊に襲われました?」
生配信中に幽霊に襲われたところを助けて以来、時折伊織は狗飼の部屋を訪ねてくるようになった。逆に招かれることもある。特に幽霊についての相談という訳でもなく、小一時間、狗飼の大学生活の近況を聞いたり、彼自身の最近の仕事の売れっぷりの自慢を聞いて終わるだけだ。
彼は長い間業界に頂け会ってとても話をするのが上手く、口数の少ない狗飼でも、質問されるとついあれこれと答えてしまう。キャンパスライフの話を楽しそうに聞く伊織の笑顔は眩しく、正直、とても幸せな時間だ。
が、一方で困ってもいた。
狗飼は、この先もずっと伊織の「ファン」でいたいと思っている。
彼の部屋の霊については調べるつもりだ。それに関する相談ならいくらでも乗る。
だが、プライベートにはこれ以上踏み込まず、一定の距離を保った付き合い方をしたいという複雑なファン心理があった。
何とも言えない複雑な顔で、部屋のキーを差し込むと、伊織は買い物袋を掲げた。
「荒れた食生活をしてる学生に、現役売れっ子タレント様が健康と美容に良い夕飯を作ってやろうと思ってさ」
「…………」
手料理までご馳走になる関係になったら、いよいよファンから友達になってしまうのではないかと思ったが、いずれにしろ今日はあの霊のことで伊織に話さなければならないことがある。
そんなことを考えながら逡巡していると、伊織はほんの一瞬、寂しそうな顔をして手にしていた袋を下げた。
「なんだよ~もう食ってきたのか? ったく。じゃあまた今度な」
そう言って去ろうとする伊織の細い肩に手をかけた。
「食ってないです。ご馳走になります。……話もあるんで」
彼はどこか安堵したような、そしてとても嬉しそうに「しょーがねーな」と笑った。
■
向こうから一方的に押しかけられたとはいえ、何もしないのもどうかと思い、(ラーメンぐらいしか作れないが)何か手伝おうかと聞いたが、「男子厨房に入るべからず」と訳の分からないことを言われて追い払われてしまった。
仕方なくシャワーを浴びてレポートの手直しをしていると、「おい飯だぞ!」と呼ばれてダイニングへと入り、息をのんだ。
伊織が、エプロン姿に両手にミトンを嵌めて、小さな土鍋を手にしている。
(なんだこれ、夢か……)
推しアイドルと突然新婚生活をしたらというドッキリ企画かと思ってしまうような幸せな光景だったが、「冷めるからボーッとしてねーでさっさと席につけ」という一喝で現実に引き戻された。
テーブルの上にずらりと並んだ彩りの良い食事を見て、驚いた。きのこの炊き込みご飯に豚の生姜焼きに味噌汁、サラダ、おひたしなど、数々が彩りよくずらっと並んでいた。土鍋の中には、炊き込みご飯が湯気を立てている。
「すごいですね」
思わず直な称賛が零れると、伊織はシンプルなエプロン姿のままひどく得意げに胸を張って言った。
「歌って踊れるだけじゃなくて、いざって言うときになんでもこなせるようにしておかないとな。業界で出来ませんは通用しないんだ」
「はは、大変っすね」
「芸は身を助けるんだぞ。覚えとけよ学生。……で、どーだ? 美味いか? 美味いだろ」
推しているアイドルの手料理を食べられる学生など、世界中を探しても自分しかいないと思う。内心激しく緊張し、箸を持つ手が震えていたが、その感動を味わう間もなく伊織が感想をせっついてくる。
美味いって言えと言わんばかりの笑顔の圧力に押されるように頷いたが、実際にそれはとても美味かった。
特別変わった味とか、凝った味とかそういう物ではないが、毎日食べたいと思わせる家庭の味だった。なぜか幼い頃、祖母が作ってくれた料理を思い出した。
あまりの美味さと感動で、さらなる称賛をしつこく求めてくる伊織を半ば無視しながら思わず一気に食べてお代わりまですると、伊織は少し驚いた顔をした後、少し顔を赤くして、「そんなに美味いかー」と嬉しそうに笑っていた。
「……クッキングバトルたまに見てましたけど、あれヤラセって噂出てましたがそうじゃなかったんですね」
クッキングバトルとは数年前に流行った料理上手な芸能人に料理を作らせる番組で、伊織はよくゲストで呼ばれていた。
単体だと飛鳥井ばかりがゲストに呼ばれていたが、その番組だけは伊織の方がよく呼ばれていた。
週刊誌では、芸能人が作っているように見せかけているだけで、実際はプロが作っているという噂があったが、狗飼としては伊織のエプロン姿が見えればそれだけで価値があると思える番組だった。
「あー……ヤラセっていうか、見栄えよくするためにプロが手を加えたりはしてたぞ。でも本当に出来ないと手つきでバレちゃうだろ。料理に限らずだけど。だからやっぱり、日ごろからどんなことでも出来るように特訓しておかないとな。……つーかお前、俺の出てる番組よく見てるな」
「え?」
「なんか、昔答えたインタビューとか、俺でも忘れてるようなこと知ってたりするからさぁー」
さては俺のファンだなーとふざけた口調で言われたので、内心ドキッとした。
「いや、違いますよ。記憶力がいいだけです」
「なんだそのスマートな自慢。ムカツク。嘘でもファンだって言っとけよそこは」
罰としてお代わりしろと、炊き込みご飯をよそわれ、ありがたく受け取りながら、内心ほっとしていた。これも複雑なファン心理だが、伊織には自分がファンだとバレたくなかった。隣人と隣人、アイドルとファン、この二つを交差させたくなかったのだ。
世間一般の大学生というのは暇なイメージがあるが、それは学部や所属しているゼミや研究室にもよるだろう。大量のレポートを書くために図書館にカンヅメになって帰ってくると、もう八時を過ぎていた。
エレベーターを上がり、7階の自分の部屋へ向かおうと歩き出し、彼の姿に気づいて驚いた。隣人であり、狗飼が長年密かにファンを続けている三笠伊織だった。
「よう、学生」
彼はアイドルらしい天使のような笑顔で片手を上げて挨拶をした。ほんの少し、顔色が悪い気がするのは、廊下の明かりの具合のせいだろうか。
彼は手には買い物袋を提げていた。
「……今日はどうしました? また幽霊に襲われました?」
生配信中に幽霊に襲われたところを助けて以来、時折伊織は狗飼の部屋を訪ねてくるようになった。逆に招かれることもある。特に幽霊についての相談という訳でもなく、小一時間、狗飼の大学生活の近況を聞いたり、彼自身の最近の仕事の売れっぷりの自慢を聞いて終わるだけだ。
彼は長い間業界に頂け会ってとても話をするのが上手く、口数の少ない狗飼でも、質問されるとついあれこれと答えてしまう。キャンパスライフの話を楽しそうに聞く伊織の笑顔は眩しく、正直、とても幸せな時間だ。
が、一方で困ってもいた。
狗飼は、この先もずっと伊織の「ファン」でいたいと思っている。
彼の部屋の霊については調べるつもりだ。それに関する相談ならいくらでも乗る。
だが、プライベートにはこれ以上踏み込まず、一定の距離を保った付き合い方をしたいという複雑なファン心理があった。
何とも言えない複雑な顔で、部屋のキーを差し込むと、伊織は買い物袋を掲げた。
「荒れた食生活をしてる学生に、現役売れっ子タレント様が健康と美容に良い夕飯を作ってやろうと思ってさ」
「…………」
手料理までご馳走になる関係になったら、いよいよファンから友達になってしまうのではないかと思ったが、いずれにしろ今日はあの霊のことで伊織に話さなければならないことがある。
そんなことを考えながら逡巡していると、伊織はほんの一瞬、寂しそうな顔をして手にしていた袋を下げた。
「なんだよ~もう食ってきたのか? ったく。じゃあまた今度な」
そう言って去ろうとする伊織の細い肩に手をかけた。
「食ってないです。ご馳走になります。……話もあるんで」
彼はどこか安堵したような、そしてとても嬉しそうに「しょーがねーな」と笑った。
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向こうから一方的に押しかけられたとはいえ、何もしないのもどうかと思い、(ラーメンぐらいしか作れないが)何か手伝おうかと聞いたが、「男子厨房に入るべからず」と訳の分からないことを言われて追い払われてしまった。
仕方なくシャワーを浴びてレポートの手直しをしていると、「おい飯だぞ!」と呼ばれてダイニングへと入り、息をのんだ。
伊織が、エプロン姿に両手にミトンを嵌めて、小さな土鍋を手にしている。
(なんだこれ、夢か……)
推しアイドルと突然新婚生活をしたらというドッキリ企画かと思ってしまうような幸せな光景だったが、「冷めるからボーッとしてねーでさっさと席につけ」という一喝で現実に引き戻された。
テーブルの上にずらりと並んだ彩りの良い食事を見て、驚いた。きのこの炊き込みご飯に豚の生姜焼きに味噌汁、サラダ、おひたしなど、数々が彩りよくずらっと並んでいた。土鍋の中には、炊き込みご飯が湯気を立てている。
「すごいですね」
思わず直な称賛が零れると、伊織はシンプルなエプロン姿のままひどく得意げに胸を張って言った。
「歌って踊れるだけじゃなくて、いざって言うときになんでもこなせるようにしておかないとな。業界で出来ませんは通用しないんだ」
「はは、大変っすね」
「芸は身を助けるんだぞ。覚えとけよ学生。……で、どーだ? 美味いか? 美味いだろ」
推しているアイドルの手料理を食べられる学生など、世界中を探しても自分しかいないと思う。内心激しく緊張し、箸を持つ手が震えていたが、その感動を味わう間もなく伊織が感想をせっついてくる。
美味いって言えと言わんばかりの笑顔の圧力に押されるように頷いたが、実際にそれはとても美味かった。
特別変わった味とか、凝った味とかそういう物ではないが、毎日食べたいと思わせる家庭の味だった。なぜか幼い頃、祖母が作ってくれた料理を思い出した。
あまりの美味さと感動で、さらなる称賛をしつこく求めてくる伊織を半ば無視しながら思わず一気に食べてお代わりまですると、伊織は少し驚いた顔をした後、少し顔を赤くして、「そんなに美味いかー」と嬉しそうに笑っていた。
「……クッキングバトルたまに見てましたけど、あれヤラセって噂出てましたがそうじゃなかったんですね」
クッキングバトルとは数年前に流行った料理上手な芸能人に料理を作らせる番組で、伊織はよくゲストで呼ばれていた。
単体だと飛鳥井ばかりがゲストに呼ばれていたが、その番組だけは伊織の方がよく呼ばれていた。
週刊誌では、芸能人が作っているように見せかけているだけで、実際はプロが作っているという噂があったが、狗飼としては伊織のエプロン姿が見えればそれだけで価値があると思える番組だった。
「あー……ヤラセっていうか、見栄えよくするためにプロが手を加えたりはしてたぞ。でも本当に出来ないと手つきでバレちゃうだろ。料理に限らずだけど。だからやっぱり、日ごろからどんなことでも出来るように特訓しておかないとな。……つーかお前、俺の出てる番組よく見てるな」
「え?」
「なんか、昔答えたインタビューとか、俺でも忘れてるようなこと知ってたりするからさぁー」
さては俺のファンだなーとふざけた口調で言われたので、内心ドキッとした。
「いや、違いますよ。記憶力がいいだけです」
「なんだそのスマートな自慢。ムカツク。嘘でもファンだって言っとけよそこは」
罰としてお代わりしろと、炊き込みご飯をよそわれ、ありがたく受け取りながら、内心ほっとしていた。これも複雑なファン心理だが、伊織には自分がファンだとバレたくなかった。隣人と隣人、アイドルとファン、この二つを交差させたくなかったのだ。
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