上 下
44 / 53
第9章 再来

しおりを挟む
 その夜、皆が寝静まるのを待って、雪千代は音を立てずに自室の障子を開けた。

 今宵は新月で、廊下は漆黒の闇が落ちている。

 あかりがあれば足もとは見えるが、燭台を持って歩けば、ほかの者に見つかってしまうだろう。

 雪千代は手探りで、廊下を進みはじめた。

 今夜を逃したら、あとはないと思った。

 視界に頼れないため、床を這って進み、渡り廊下の向こうにある、客人が泊まっている棟を目指した。

 正使は万見仙千代だが、彼はまだ前髪立ちの小姓である。

 織田信長が万見を正使にしたのは、その美貌を見せびらかして社の神職を小馬鹿にするのが目的だと、雪千代は見抜いていた。

 そこで、湯浅甚介の寝所を目指した。

「失礼いたします」

 閉じられた障子に向かって、雪千代はひそめた声をかけた。

「誰だ?」

 すぐにいらえがあった。

「私は神子でございます」

 そう答えると、するりと障子は開いた。

 障子の裏に、湯浅甚介が、抜身の太刀を手に立っていた。

「こなたは──」

 湯浅は言いかけるが、雪千代はくちびるの前に指を立てて声をださないように求めると、急いで座敷の中にまろび入り、後ろ手で障子を閉める。

 部屋の中では、襖を隔てて隣にある部屋で寝ているはずの万見仙千代が、勇ましく太刀を構えていた。

 たとえ若かろうが、少女のような顔をしていようが、彼らは戦国時代を生きる武士だった。

「こんな夜分遅くに、押しかけてきた非礼をお詫びいたします。申し訳ありませぬ」

 雪千代は深々と頭を下げた。

「神子どの、おもてを上げてくだされ」

 湯浅の言葉に、雪千代はそろそろと顔を上げた。

 万見は室内にあるすべての行灯に火を入れた。

 明るい光の下、ふたりは雪千代の顔をまじまじと見て、この者は神子だと確信したようで、ようやく刀を鞘におさめた。

「神子どのは病と聞いていたが……なにかよんどころのない事情があるのだろう。話を聞かせてくれないか?」

 湯浅の声には威厳があった。

「私は病などではありませぬ。この島を出て、織田さまの下へ参りとうございます」

 雪千代の言葉に、湯浅と万見は目を見合わせた。

「神子などと言って崇められているのは表向き。裏では端女にも劣る扱いを受けておりまする。私の弟は過労がたたって病になり、死にました」

「こなたは武家の出か?」

「はい、志摩国の土豪、柳原一之助の長男、雪千代にございます」

「志摩国か……」

「もしも許されるのならば、岐阜へ参り、織田家にお仕えしとうございます。どうか、私の意向を、上さまにお伝えしてくださいませ」

「わかった、この旨、必ずや上さまに申し伝えよう」

 湯浅はうなずいた。

「何卒、お願い申し上げまする」

 雪千代は再度、深々とこうべを垂れた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵様と婚約したと自慢する幼馴染にうんざりしていたら、幸せが舞い込んできた。

和泉鷹央
恋愛
「私、ロアン侯爵様と婚約したのよ。貴方のような無能で下賤な女にはこんな良縁来ないわよね、残念ー!」  同じ十七歳。もう、結婚をしていい年齢だった。  幼馴染のユーリアはそう言ってアグネスのことを蔑み、憐れみを込めた目で見下して自分の婚約を報告してきた。  外見の良さにプロポーションの対比も、それぞれの実家の爵位も天と地ほどの差があってユーリアには、いくつもの高得点が挙げられる。  しかし、中身の汚さ、性格の悪さときたらそれは正反対になるかもしれない。  人間、似た物同士が夫婦になるという。   その通り、ユーリアとオランは似た物同士だった。その家族や親せきも。  ただ一つ違うところといえば、彼の従兄弟になるレスターは外見よりも中身を愛する人だったということだ。  そして、外見にばかりこだわるユーリアたちは転落人生を迎えることになる。  一方、アグネスにはレスターとの婚約という幸せが舞い込んでくるのだった。  他の投稿サイトにも掲載しています。

お尻たたき収容所レポート

鞭尻
大衆娯楽
最低でも月に一度はお尻を叩かれないといけない「お尻たたき収容所」。 「お尻たたきのある生活」を望んで収容生となった紗良は、収容生活をレポートする記者としてお尻たたき願望と不安に揺れ動く日々を送る。 ぎりぎりあるかもしれない(?)日常系スパンキング小説です。

ある日仕事帰りに神様の手違いがあったが無事に転移させて貰いました。

いくみ
ファンタジー
寝てたら起こされて目を開けたら知らない場所で神様??が、君は死んだと告げられる。そして神様が、管理する世界(マジョル)に転生か転移しないかと提案され、キターファンタジーとガッツポーズする。 成宮暁彦は独身、サラリーマンだった アラサー間近パットしない容姿で、プチオタ、完全独り身爆走中。そんな暁彦が神様に願ったのは、あり得ない位のチートの数々、神様に無理難題を言い困らせ スキルやらetcを貰い転移し、冒険しながらスローライフを目指して楽しく暮らす場を探すお話になると?思います。 なにぶん、素人が書くお話なので 疑問やら、文章が読みにくいかも知れませんが、暖かい目でお読み頂けたらと思います。 あと、とりあえずR15指定にさせて頂きます。

「私が愛するのは王妃のみだ、君を愛することはない」私だって会ったばかりの人を愛したりしませんけど。

下菊みこと
恋愛
このヒロイン、実は…結構逞しい性格を持ち合わせている。 レティシアは貧乏な男爵家の長女。実家の男爵家に少しでも貢献するために、国王陛下の側妃となる。しかし国王陛下は王妃殿下を溺愛しており、レティシアに失礼な態度をとってきた!レティシアはそれに対して、一言言い返す。それに対する国王陛下の反応は? 小説家になろう様でも投稿しています。

石女を理由に離縁されましたが、実家に出戻って幸せになりました

お好み焼き
恋愛
ゼネラル侯爵家に嫁いで三年、私は子が出来ないことを理由に冷遇されていて、とうとう離縁されてしまいました。なのにその後、ゼネラル家に嫁として戻って来いと手紙と書類が届きました。息子は種無しだったと、だから石女として私に叩き付けた離縁状は無効だと。 その他にも色々ありましたが、今となっては心は落ち着いています。私には優しい弟がいて、頼れるお祖父様がいて、可愛い妹もいるのですから。

お嬢様の身代わりで冷酷公爵閣下とのお見合いに参加した僕だけど、公爵閣下は僕を離しません

八神紫音
BL
 やりたい放題のわがままお嬢様。そんなお嬢様の付き人……いや、下僕をしている僕は、毎日お嬢様に虐げられる日々。  そんなお嬢様のために、旦那様は王族である公爵閣下との縁談を持ってくるが、それは初めから叶わない縁談。それに気付いたプライドの高いお嬢様は、振られるくらいなら、と僕に女装をしてお嬢様の代わりを果たすよう命令を下す。

クーヤちゃん ~Legend of Shota~ このかわいい召喚士は、地球からアイテムを召喚してしまったみたいです

ほむらさん
ファンタジー
 どうやら、人は死ぬと【転生ルーレット】で来世を決めるらしい。  知ったのはもちろん自分が死んで最後の大勝負を挑むことになったからだ。  虫や動物で埋め尽くされた非常に危険なルーレット。  その一発勝負で、幸運にも『ショタ召喚士』を的中させることに成功する。  ―――しかし問題はその後だった。  あの野郎、5歳児を原っぱにポイ捨てしやがった!  召喚士うんぬんの前に、まずは一人で異世界を生き抜かねばならなくなったのです。  異世界言語翻訳?そんなもん無い!!  召喚魔法?誰も使い方を教えてくれないからさっぱりわからん!  でも絶体絶命な状況の中、召喚魔法を使うことに成功する。  ・・・うん。この召喚魔法の使い方って、たぶん普通と違うよね? ※この物語は基本的にほのぼのしていますが、いきなり激しい戦闘が始まったりもします。 ※主人公は自分のことを『慎重な男』と思ってるみたいですが、かなり無茶するタイプです。 ※なぜか異世界で家庭用ゲーム機『ファミファミ』で遊んだりもします。 ※誤字・脱字、あとルビをミスっていたら、報告してもらえるとすごく助かります。 ※登場人物紹介は別ページにあります。『ほむらさん』をクリック! ※毎日が明るくて楽しくてほっこりしたい方向けです。是非読んでみてください! クーヤ「かわいい召喚獣をいっぱい集めるよ!」 @カクヨム・なろう・ノベルアップ+にも投稿してます。 ☆祝・100万文字(400話)達成! 皆様に心よりの感謝を!  

王妃ですけど、側妃しか愛せない貴方を愛しませんよ!?

天災
恋愛
 私の夫、つまり、国王は側妃しか愛さない。

処理中です...