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第9章 再来
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その夜、皆が寝静まるのを待って、雪千代は音を立てずに自室の障子を開けた。
今宵は新月で、廊下は漆黒の闇が落ちている。
あかりがあれば足もとは見えるが、燭台を持って歩けば、ほかの者に見つかってしまうだろう。
雪千代は手探りで、廊下を進みはじめた。
今夜を逃したら、あとはないと思った。
視界に頼れないため、床を這って進み、渡り廊下の向こうにある、客人が泊まっている棟を目指した。
正使は万見仙千代だが、彼はまだ前髪立ちの小姓である。
織田信長が万見を正使にしたのは、その美貌を見せびらかして社の神職を小馬鹿にするのが目的だと、雪千代は見抜いていた。
そこで、湯浅甚介の寝所を目指した。
「失礼いたします」
閉じられた障子に向かって、雪千代はひそめた声をかけた。
「誰だ?」
すぐにいらえがあった。
「私は神子でございます」
そう答えると、するりと障子は開いた。
障子の裏に、湯浅甚介が、抜身の太刀を手に立っていた。
「こなたは──」
湯浅は言いかけるが、雪千代はくちびるの前に指を立てて声をださないように求めると、急いで座敷の中にまろび入り、後ろ手で障子を閉める。
部屋の中では、襖を隔てて隣にある部屋で寝ているはずの万見仙千代が、勇ましく太刀を構えていた。
たとえ若かろうが、少女のような顔をしていようが、彼らは戦国時代を生きる武士だった。
「こんな夜分遅くに、押しかけてきた非礼をお詫びいたします。申し訳ありませぬ」
雪千代は深々と頭を下げた。
「神子どの、おもてを上げてくだされ」
湯浅の言葉に、雪千代はそろそろと顔を上げた。
万見は室内にあるすべての行灯に火を入れた。
明るい光の下、ふたりは雪千代の顔をまじまじと見て、この者は神子だと確信したようで、ようやく刀を鞘におさめた。
「神子どのは病と聞いていたが……なにかよんどころのない事情があるのだろう。話を聞かせてくれないか?」
湯浅の声には威厳があった。
「私は病などではありませぬ。この島を出て、織田さまの下へ参りとうございます」
雪千代の言葉に、湯浅と万見は目を見合わせた。
「神子などと言って崇められているのは表向き。裏では端女にも劣る扱いを受けておりまする。私の弟は過労がたたって病になり、死にました」
「こなたは武家の出か?」
「はい、志摩国の土豪、柳原一之助の長男、雪千代にございます」
「志摩国か……」
「もしも許されるのならば、岐阜へ参り、織田家にお仕えしとうございます。どうか、私の意向を、上さまにお伝えしてくださいませ」
「わかった、この旨、必ずや上さまに申し伝えよう」
湯浅はうなずいた。
「何卒、お願い申し上げまする」
雪千代は再度、深々とこうべを垂れた。
今宵は新月で、廊下は漆黒の闇が落ちている。
あかりがあれば足もとは見えるが、燭台を持って歩けば、ほかの者に見つかってしまうだろう。
雪千代は手探りで、廊下を進みはじめた。
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そこで、湯浅甚介の寝所を目指した。
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「誰だ?」
すぐにいらえがあった。
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そう答えると、するりと障子は開いた。
障子の裏に、湯浅甚介が、抜身の太刀を手に立っていた。
「こなたは──」
湯浅は言いかけるが、雪千代はくちびるの前に指を立てて声をださないように求めると、急いで座敷の中にまろび入り、後ろ手で障子を閉める。
部屋の中では、襖を隔てて隣にある部屋で寝ているはずの万見仙千代が、勇ましく太刀を構えていた。
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「こんな夜分遅くに、押しかけてきた非礼をお詫びいたします。申し訳ありませぬ」
雪千代は深々と頭を下げた。
「神子どの、おもてを上げてくだされ」
湯浅の言葉に、雪千代はそろそろと顔を上げた。
万見は室内にあるすべての行灯に火を入れた。
明るい光の下、ふたりは雪千代の顔をまじまじと見て、この者は神子だと確信したようで、ようやく刀を鞘におさめた。
「神子どのは病と聞いていたが……なにかよんどころのない事情があるのだろう。話を聞かせてくれないか?」
湯浅の声には威厳があった。
「私は病などではありませぬ。この島を出て、織田さまの下へ参りとうございます」
雪千代の言葉に、湯浅と万見は目を見合わせた。
「神子などと言って崇められているのは表向き。裏では端女にも劣る扱いを受けておりまする。私の弟は過労がたたって病になり、死にました」
「こなたは武家の出か?」
「はい、志摩国の土豪、柳原一之助の長男、雪千代にございます」
「志摩国か……」
「もしも許されるのならば、岐阜へ参り、織田家にお仕えしとうございます。どうか、私の意向を、上さまにお伝えしてくださいませ」
「わかった、この旨、必ずや上さまに申し伝えよう」
湯浅はうなずいた。
「何卒、お願い申し上げまする」
雪千代は再度、深々とこうべを垂れた。
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