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顔占い13 他人を見る目つきにゆがみの無い人は意志が強く穏やかな人です(視瞻平正 爲人剛介平心)
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顔占い・人相占いは中国語の原典で(神異賦{しんいふ})と呼ばれるものがあるのですが、
それを日本語に訳して、顔占いを学んだ私が現代人の感覚で内容をアレンジしたものを書いています。
人相術の古典の現代的な解説です。
(13 視瞻平正 爲人剛介平心)
「他者を見るときの眼の感じに歪みや偏りがない公平な人は
信念を曲げない意志の強い正直な人柄ですが
同時に静かで落ち着いた穏やかな心根を持つ人でもあります」
視瞻(シセン)とは、「見る・見まわす」という意味になります。
視は見るという意味があり、瞻も見るとか「仰ぎ見る」という意味です
ただ前後が入れ替わり、瞻視(センシ)とすると、「見る」「見守る」とか
「見るときの目つき」という意味があるようです。
平正(ヘイセイ)とは、「歪みや偏りがなくて公平で正しい」という意味だそうです
爲人(ヒトナリ)とは、ここでは「ひととなり」とか「人柄」を意味します
剛介(ゴウカイ)とは、剛直(ゴウチョク)という語と同じ意味があり
気性が強くて正直で真っすぐな性格であり
意志が固くて信念を曲げない性格のことを言うそうです
平心(ヘイシン)とは、静かで落ち着いた心や穏やかな心のことを言います
または、偏りのない冷静で公平な気持ちを現す場合もあります
それでは詩句の解釈をしていきます
まず上の句の「平正なる瞻視は」ですが
視瞻とは、見る・見まわすという意味であり、
それ以上に深い意味は無いようなのですが
言葉の前後を入れ換えて瞻視(センシ)とすると意味が少し違ってきます
「見る」、「見守ること」、「その目つき」という意味がでてきます
なので私はこの詩句を
「他者を見るときの眼の感じ」というふうに解釈することにしました
視瞻・瞻視という言葉の意味は、ただ見る・見まわすというよりも
もう少し意味が深いような感じがするからです
視瞻・瞻視という言葉を分解して一語づつ字句の意味を探っていくと
ただ単純に誰かや相手を見る、というのではなくて
相手の全体を観ようとしている意味があるように感じられるのです
なので、他者を見るときの眼の感じ、とういうふうに解釈しました
そして平正なのですが、意味は先ほど書いたように
「歪みや偏りが無くて整い公平で正しいこと」という意味です
この言葉の意味を持っている視瞻ということになります
なのでこれらの意味をつなぐと
「他者を見るときの眼差しとか眼の感じに歪みや偏りが無くて公平に
相手を見る人」
というふうに解釈できると思いますし、私はそう解釈します
これが上の句の解釈です
次に下の句ですが、「剛介にして平心の人為り」と言っています
爲人は意味が複数あるのですが、ここでは前後の言葉から意味を絞り込み
「ひととなり」とか「人柄」という意味で取ることにします
剛介(ゴウカイ)という言葉は現在の日本語で良く使われている「豪快」とは
意味が違うようです
剛介の言葉の意味を調べていくと「剛直(ゴウチョク)」という言葉と
同じ意味であるようなのでそれを採用します
気性が強くて正直で真っすぐな性格で意志が固くて
自分の信念を曲げない人のことを剛介というようです
次に平心の意味ですが
静かで落ち着いた心、とか、穏やかな心、という意味があり
他にも、偏りのない冷静で公平な心や気持ち、という意味があるようです
なのでこれらの言葉をつないで解釈をすると
人柄や人となりが、意志が固くて自分の信念を曲げない正直な性格であり
そして静かで落ち着いた穏やかな心を持っている人、という意味に
なるように思うのです
剛介の意味のなかの「気性が強くて」の部分については平心の意味が重なりますので
省くことにしました
これで上の句と下の句をつないで字の意味の解釈をすすめると
「他者を見るときの眼の感じに歪みや偏りがない公平な人は
信念を曲げない意志の強い正直な人柄ですが
同時に静かで落ち着いた穏やかな心根を持つ人でもあります」
という意味になるのではないかと私は思うのです
この詩句の解釈はこのような感じになります
そして私のこの詩句に対する感想ですが
おおむね詩句の述べている内容をそのまま受け取っても
良いのではないかと思います
眼の判断は難しいのですが、間違ったことを述べているとは思えないですし
眼の判断の難しさを教えてくれる良い詩句だと思います。
それで現代の日本の顔占い人相術の視点でこの詩句に関連することを
考えて述べるとすると
やっぱり眼と眼の周囲の感じや雰囲気はとても大事です、
というのは間違いなく言うことができます
人の顔を観るときに顔全体や身体全体を観るのは当然なのですが
最終的には眼を観てその人の判断を決定するからです
それぐらい眼の状態は重要ですし、
眼の状態や眼の周囲にはその人の性格や人間性はもちろんのこと
運勢の強弱や吉凶が現れる場合もあるからです
誰かを顔占い的に判断する時に本来は顔全体の雰囲気とかから
大づかみをして観ていき、それから顔のバランスとか
各部位の状態とか、顔のパーツの状態とかを細かく見ていって
最後に眼と眼の周囲をしっかりと観るのが本来の観ていく順番なのですが
たまに眼の状態とか、眼の周囲の状態に違和感があり過ぎて
本来の観ていく順番をすっ飛ばしてしまい
その相手の眼の辺りばかりに意識がいってしまって
通常の観方をすることができない人、という方も実際におられます
顔占いをするわけでもなくても、街中とか公共の施設の中とか
公共の交通機関の中で乗り合わせた、
たまたまそのときにその場で偶然行き会った人とかでも
こちらがビックリするぐらい
眼と眼の周囲に違和感がある人に出会う事もありますし
テレビを見ていてテレビに映っている人の眼と眼の周囲に
違和感を感じることもたまにあります
また、以前に会ったときまでは特別なにも感じていなかった知人に
ある日突然に違和感を感じるような場合もあるのです
こちらとしてはおそらく何か身辺か内面的に変化があったのかな、、、
と推測するのが精一杯の場合もあります
プライベート過ぎる問題とか、デリケートな問題の場合は
その問題が落ち着くまでは顔や人相の変化をこちらから告げても
具体的に答えてくれないとか、答えられないことも多いです
だいぶ時間が経ってからその時になにがあったのかを
知ることができたりします
また眼と眼の周囲にはその人の神気の状態が現れやすいです
神気とはその人の生命力や精神力を表現する顔占いの専門用語です
これは説明するのが難しいのですが
その人の元気さとか気持ちの強さとか、
性格や人格の良い、良くない、とか強い、強くない、とかが現れやすいですし
いま現在はどういう生き方をしているか、とかが現れる場合もあります
なので眼の状態、眼の光の状態ですね
眼の光が強いのか、弱いのか、とか、
正しい感じの眼をしているのか、正しくない感じの眼をしているのかとか
眼が濁っているのか、澄んだ綺麗な目をしているのかとか
眼が落ち着かなくてキョロキョロしているとか、
絶望して諦めきった眼をしているのかとか
ヤル気に燃えている生き生きしている眼をしているのか、などに注意して観ます
それと眼の周囲の雰囲気も同じように変化や違和感が現れやすいです
眼の周囲の状態としては、色とかツヤとかももちろんなのですが
雰囲気が変化することが多いので、
眼自体とあわせて意識して観るようにしてください
顔占い的な視点で誰かの顔を観たいと思うのであれば
眼と眼の周囲の感じについてはそれぐらいには観られるようになりたいと
皆さんは望まれると思います
ただ、ここまで細かく書いて言葉にすると逆に難しく思われてしまいそうですが
顔占いの知識など無くても
この記事を読んでいる皆さんは誰かと対面したときに無意識に
これと同じことをやっているのです
意識的にしているのか、無意識でやっているのかの違いがあるだけです
今回の詩句は、眼や眼の周囲を意識して観る必要があることを述べている
大事な詩句になります
顔占い的な視点で他者の顔を観たいと思っておられる方にとっては
とても参考になる詩句だと思います。
視瞻 見る・見まわす
平正 歪みが無く公平で正しい
爲人 ここでは「ひととなり・人柄」
剛介 意志固く己の信念曲げず正直
平心 静かで落ち着いた穏やかな心
(13視瞻平正 爲人剛介平心)
それを日本語に訳して、顔占いを学んだ私が現代人の感覚で内容をアレンジしたものを書いています。
人相術の古典の現代的な解説です。
(13 視瞻平正 爲人剛介平心)
「他者を見るときの眼の感じに歪みや偏りがない公平な人は
信念を曲げない意志の強い正直な人柄ですが
同時に静かで落ち着いた穏やかな心根を持つ人でもあります」
視瞻(シセン)とは、「見る・見まわす」という意味になります。
視は見るという意味があり、瞻も見るとか「仰ぎ見る」という意味です
ただ前後が入れ替わり、瞻視(センシ)とすると、「見る」「見守る」とか
「見るときの目つき」という意味があるようです。
平正(ヘイセイ)とは、「歪みや偏りがなくて公平で正しい」という意味だそうです
爲人(ヒトナリ)とは、ここでは「ひととなり」とか「人柄」を意味します
剛介(ゴウカイ)とは、剛直(ゴウチョク)という語と同じ意味があり
気性が強くて正直で真っすぐな性格であり
意志が固くて信念を曲げない性格のことを言うそうです
平心(ヘイシン)とは、静かで落ち着いた心や穏やかな心のことを言います
または、偏りのない冷静で公平な気持ちを現す場合もあります
それでは詩句の解釈をしていきます
まず上の句の「平正なる瞻視は」ですが
視瞻とは、見る・見まわすという意味であり、
それ以上に深い意味は無いようなのですが
言葉の前後を入れ換えて瞻視(センシ)とすると意味が少し違ってきます
「見る」、「見守ること」、「その目つき」という意味がでてきます
なので私はこの詩句を
「他者を見るときの眼の感じ」というふうに解釈することにしました
視瞻・瞻視という言葉の意味は、ただ見る・見まわすというよりも
もう少し意味が深いような感じがするからです
視瞻・瞻視という言葉を分解して一語づつ字句の意味を探っていくと
ただ単純に誰かや相手を見る、というのではなくて
相手の全体を観ようとしている意味があるように感じられるのです
なので、他者を見るときの眼の感じ、とういうふうに解釈しました
そして平正なのですが、意味は先ほど書いたように
「歪みや偏りが無くて整い公平で正しいこと」という意味です
この言葉の意味を持っている視瞻ということになります
なのでこれらの意味をつなぐと
「他者を見るときの眼差しとか眼の感じに歪みや偏りが無くて公平に
相手を見る人」
というふうに解釈できると思いますし、私はそう解釈します
これが上の句の解釈です
次に下の句ですが、「剛介にして平心の人為り」と言っています
爲人は意味が複数あるのですが、ここでは前後の言葉から意味を絞り込み
「ひととなり」とか「人柄」という意味で取ることにします
剛介(ゴウカイ)という言葉は現在の日本語で良く使われている「豪快」とは
意味が違うようです
剛介の言葉の意味を調べていくと「剛直(ゴウチョク)」という言葉と
同じ意味であるようなのでそれを採用します
気性が強くて正直で真っすぐな性格で意志が固くて
自分の信念を曲げない人のことを剛介というようです
次に平心の意味ですが
静かで落ち着いた心、とか、穏やかな心、という意味があり
他にも、偏りのない冷静で公平な心や気持ち、という意味があるようです
なのでこれらの言葉をつないで解釈をすると
人柄や人となりが、意志が固くて自分の信念を曲げない正直な性格であり
そして静かで落ち着いた穏やかな心を持っている人、という意味に
なるように思うのです
剛介の意味のなかの「気性が強くて」の部分については平心の意味が重なりますので
省くことにしました
これで上の句と下の句をつないで字の意味の解釈をすすめると
「他者を見るときの眼の感じに歪みや偏りがない公平な人は
信念を曲げない意志の強い正直な人柄ですが
同時に静かで落ち着いた穏やかな心根を持つ人でもあります」
という意味になるのではないかと私は思うのです
この詩句の解釈はこのような感じになります
そして私のこの詩句に対する感想ですが
おおむね詩句の述べている内容をそのまま受け取っても
良いのではないかと思います
眼の判断は難しいのですが、間違ったことを述べているとは思えないですし
眼の判断の難しさを教えてくれる良い詩句だと思います。
それで現代の日本の顔占い人相術の視点でこの詩句に関連することを
考えて述べるとすると
やっぱり眼と眼の周囲の感じや雰囲気はとても大事です、
というのは間違いなく言うことができます
人の顔を観るときに顔全体や身体全体を観るのは当然なのですが
最終的には眼を観てその人の判断を決定するからです
それぐらい眼の状態は重要ですし、
眼の状態や眼の周囲にはその人の性格や人間性はもちろんのこと
運勢の強弱や吉凶が現れる場合もあるからです
誰かを顔占い的に判断する時に本来は顔全体の雰囲気とかから
大づかみをして観ていき、それから顔のバランスとか
各部位の状態とか、顔のパーツの状態とかを細かく見ていって
最後に眼と眼の周囲をしっかりと観るのが本来の観ていく順番なのですが
たまに眼の状態とか、眼の周囲の状態に違和感があり過ぎて
本来の観ていく順番をすっ飛ばしてしまい
その相手の眼の辺りばかりに意識がいってしまって
通常の観方をすることができない人、という方も実際におられます
顔占いをするわけでもなくても、街中とか公共の施設の中とか
公共の交通機関の中で乗り合わせた、
たまたまそのときにその場で偶然行き会った人とかでも
こちらがビックリするぐらい
眼と眼の周囲に違和感がある人に出会う事もありますし
テレビを見ていてテレビに映っている人の眼と眼の周囲に
違和感を感じることもたまにあります
また、以前に会ったときまでは特別なにも感じていなかった知人に
ある日突然に違和感を感じるような場合もあるのです
こちらとしてはおそらく何か身辺か内面的に変化があったのかな、、、
と推測するのが精一杯の場合もあります
プライベート過ぎる問題とか、デリケートな問題の場合は
その問題が落ち着くまでは顔や人相の変化をこちらから告げても
具体的に答えてくれないとか、答えられないことも多いです
だいぶ時間が経ってからその時になにがあったのかを
知ることができたりします
また眼と眼の周囲にはその人の神気の状態が現れやすいです
神気とはその人の生命力や精神力を表現する顔占いの専門用語です
これは説明するのが難しいのですが
その人の元気さとか気持ちの強さとか、
性格や人格の良い、良くない、とか強い、強くない、とかが現れやすいですし
いま現在はどういう生き方をしているか、とかが現れる場合もあります
なので眼の状態、眼の光の状態ですね
眼の光が強いのか、弱いのか、とか、
正しい感じの眼をしているのか、正しくない感じの眼をしているのかとか
眼が濁っているのか、澄んだ綺麗な目をしているのかとか
眼が落ち着かなくてキョロキョロしているとか、
絶望して諦めきった眼をしているのかとか
ヤル気に燃えている生き生きしている眼をしているのか、などに注意して観ます
それと眼の周囲の雰囲気も同じように変化や違和感が現れやすいです
眼の周囲の状態としては、色とかツヤとかももちろんなのですが
雰囲気が変化することが多いので、
眼自体とあわせて意識して観るようにしてください
顔占い的な視点で誰かの顔を観たいと思うのであれば
眼と眼の周囲の感じについてはそれぐらいには観られるようになりたいと
皆さんは望まれると思います
ただ、ここまで細かく書いて言葉にすると逆に難しく思われてしまいそうですが
顔占いの知識など無くても
この記事を読んでいる皆さんは誰かと対面したときに無意識に
これと同じことをやっているのです
意識的にしているのか、無意識でやっているのかの違いがあるだけです
今回の詩句は、眼や眼の周囲を意識して観る必要があることを述べている
大事な詩句になります
顔占い的な視点で他者の顔を観たいと思っておられる方にとっては
とても参考になる詩句だと思います。
視瞻 見る・見まわす
平正 歪みが無く公平で正しい
爲人 ここでは「ひととなり・人柄」
剛介 意志固く己の信念曲げず正直
平心 静かで落ち着いた穏やかな心
(13視瞻平正 爲人剛介平心)
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