抱えきれない思い出と共に…

文月

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義高様と大冒険[1]

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クシャクシャ、パサパサ。
馬が枯葉を踏む音がする。
タカタカ、パカパカ。
馬が土を蹴る音がする。
その音に合わせて、馬上の姫もフラフラ揺れる。
でも平気。
落ちたりしないのよ。
だって馬を操っているのは、義高様で。
まるで姫を守るみたいに両側に義高様の腕があって、しっかりと手綱を引いている。
後ろにひっくり返っても、背中には義高様がいて。
だから、姫は怖くなくて、むしろ…
「なぁ、おい。」
耳のすぐ側から聞こえてくる義高様の声。
それに嬉しくなって、姫はパァっと、自然に笑顔を浮かべて振り返った。
「はい。何ですか? 義高様っ。」
すると義高様は、「何がそんなに嬉しいのかわからない」って不可解そうな顔をされたまま、
「本っっっっっっっ当ーーに、大丈夫なのか? 夜明けに馬二頭を勝手に持ち出したりして?」
さっきと全く同じ質問をされた。
それが可笑しくて、楽しくて、
姫も同じように答えた。
「はいっ! 大丈夫です!! お父様にもお母様にも馬舎人さんにも、ちゃんと手紙を置いて来ましたから。」
それでも、やっぱり義高様は不安そうな顔をされていた。
どうしてそんなに心配するんだろう?
姫は義高様と一緒で、こんなにも嬉しいのに。
すると、やっぱり姫と同じように思ったのか、
「まぁまぁ、いいじゃないですか。 たまと遠出くらい。
  義高様には息抜きも必要ですよ。」
もう一頭の馬で後をついてきていた倖氏さんも、そう口添えしてくれた。
だけど、こっそり覗き仰いだ義高様のお顔は相変わらず不安気で、
「でもなぁ…。俺は人質で、姫は頼朝様の子供なんだぞ?」
そんな事はもう姫にも分ってるわ。
それがどうしたのだろう、と思っていると、
倖氏さんがカラカラ笑いがなら、言葉の後を継いだ。
「まぁそうですよねぇ。普通に考えれば、義高様が姫を人質に、馬を二頭盗んで逃亡ってとこですね。」
え゛?!
なんでそうなるの?
「だろ? やっぱりそうなるよな?」
驚く姫をよそに、倖氏さんに義高様も同意されて……
ってことは、
どうしてかは分らないけど、そうなるらしい。
「それは、めちゃくちゃマズイだろ?」
マズイわ。
めちゃくちゃに、究極に、非常に、甚だマズイわ!
姫のお父様と義高様のお父様がケンカを始めてしまうわ!!
そこで、義高様は、自分を見が得てくる姫の視線に気づかれて、
その顔に映す、不安と困惑の色を読みとられて、
「な? だから戻ろうぜ? 今ならまだきっと、そんな騒ぎにはならないって。」
そうおっしゃった。
それはもっともだけど、
そうれはそうなのだけれど、
それは…少し残念で。悲しくて。
だって、せっかく姫野とっておきの場所へ義高様といけると思ったのに。
それで思わず、ションボリとなっていたら、
義高様が困ったように馬を止めたまま、
クシャクシャと頭をかいて、どう声をかけたものか悩み始めてしまって、
それが姫をもっと悲しくさせた。
姫のせいで、また義高様を困らせてるって。
きっと、あの歓迎の宴を抜け出すような無理をさせていしまってるんだって気付いてしまったから。
だから頑張って笑顔で「帰りましょう」と言おうとしたら、
「大丈夫です。」
クスクスと笑いを含んだしっかりとした声とともに、姫の頭をポンポンと軽く撫でる手があって、
手を辿ると、それは、いつの間にか馬を止めた笑顔の倖氏さんで、
「大丈夫ですよ、大姫様。そんなに心配なさらなくても。」
そうキッパリ断言した。
でも、
「でもさっきマズイって義高様がっ、義高様が誘拐犯で盗人でっ」
もう笑えなくなったグチャグチャの顔と、
同じようにグチャグチャの頭で、想いを言葉にしたら、
またポンポンと頭を撫でられた。
「だから大丈夫ですって。倖氏は〝普通はそうなる〟と言ったまでです。」
え? 何? どうゆーこと?
倖氏さんの言っていることの意味が分からないわ。
それで、ポカンっと倖氏さんを眺めていたら、
なぜだか後・フ義高様も同じように感じているのが何となく伝わってきて、
それをしばらく倖氏さんはニヤニヤと眺めていたんだけど、「もう堪え切れないっ」って感じで急に噴き出して爆笑し始めてしまって、
何が何だか分からなくて、
それで、義高様に説明していただこうとしたら、
義高様も不思議そうに、こちらを見てらして、
姫は「あぁ、義高様にも分からならないこともあるんだなぁ」と少し安心して、
そのまま二人して、倖氏さんが笑い終えるのを待つことにしたの。
すると倖氏さんは、いつものように涙目になるまで、さんざん笑った後、
「だってっ、ほらっ、馬舎の書き置きっ」
と言って、また何かを思い出したみたいに言葉を切って噴き出し、
笑い崩れるように馬に傾れかかった。
もう何が何だかわからなくなってしまった。
確かに姫は、馬舎にも紙を貼ってきたわ。
【馬を2とうかります。 大姫】
って、手習いの半紙にデカデカと書いてきたもの。
でも、それでもダメだって、さっき義高様が言ったのよ?
それを読んだように、幸氏さんは、まだヒイヒイ笑いながら、実に失礼なことを言った。
「だってっ、あんな文面でっ、…しかもっ、汚い字でっ、絶対大姫じゃなきゃ思いつきませんって!」
何よ、ぞれはっ!
姫は一生懸命書いたのに!!
そう思ってムッっとしたけど、
後ろで義高様が
「ああ。なるほどな…。」
と納得する声を聞いて、思わず悔しくてキッっと涙を浮かべて睨んでしまった。
それにギクッって感じで、母様に怒られた父様みたいに、少し義高様は顔を引きつらせて、
「いや。わかった。悪かった! だから、いちいち泣くなってっ!」
って、おっしゃったから、涙を両手でゴシゴシ拭いてから改めて睨みつけた。
すると義高様は、卑怯にも、スィッっと視線を外されて、
倖氏さんの方を見て、
「いや…でも…ほら、やっぱり…その…勝手な事して頼朝様がお怒りになるかもしれないし…な。」
話題をそらした。
それで、姫がムフゥッて唸っていたら、
「それも、この時期であれば大丈夫だと思いますよ?」
いやにしっかりした保証が予想外に幸氏さんから帰ってきて、
これは義高様にも予想外だったらしく、
結果二人して、疑問符を浮かべながら、倖氏さんの方へ身を乗り出すことになって、
…危うく二人して馬から転げ落ちるところだった。
その光景が幸氏さんには、また固形で面白かったらしく、
もう完全に馬にダラッっと全身を預けて笑い出してしまい、
同時に、義高様はちょっと頬を赤くしてプイッって横を向いてしまって、
姫はしばらく爆笑と無口の中で、四苦八苦することになった。
それでも義高様の機嫌が直る頃に、ようやく倖氏さんも笑うのを止めて教えてくれた。
「義仲様が、平氏の軍を破って入京され、法皇様より『旭将軍』に任命されました。」
その声はどこか誇らしげで、今までで一番リンと響いて
何より喜んでいるのが一目でわかる〝にっこり〟を浮かべてらして、
「そうかっ!…そうか、父上がっ、平家一門をお下しになったのか!」
それを聞いた義高様の声も、今までで一番弾んでいらして、
姫も、
姫もそれを一緒に味わいたくて、
「ねぇっ、ねぇ倖氏さんっ、法皇様ってどなた? アサヒショウグンって何?」
倖氏さんに必死になって尋ねたら、
「法皇様は、京の偉い方です。その法皇様から旭将軍に任命されたということは、その偉い人に認められたということです。」
そう言って説明してくれたけど…
姫にはやっぱりよくわからなくて……
えーと、えーと。
義仲様は義高様のお父様だから…
んーと。
えーと、んーと…
と一生懸命考えていたら、
倖氏さんは少し、くすりと笑って、姫にもわかるように、こう教えてくれたの。
「つまり、義高様のお父様が大姫様との共通の敵である平氏に勝って、偉い方にそれを認めていただいた、ということです。」
それで、姫にも何となく分かって、
つまり、こういうことね。
「義高様のお父様は、とても頑張って、
 義高様のお父様も、やっぱり義高様と同じ凄い方で、
 義高様と同じで、偉い方にも『すごい!』って認めてもらえたのね。」
そう確認すると、倖氏さんは、やはり少しおかしそうに小さく笑った後、それでもハッキリと、
「はい。その通りです。」
首を縦に振った。
だから姫も嬉しくなって、
「すごいわっ。義高様のお父様は本当に素晴らしい方なのね!」
そう言って、背中の義高様を振り返ったら、
義高様も姫を見て、いつも以上に誇らしげな顔をされて、
「ああ。」
って静かに、でも確かに姫を見て笑われたから、姫は余計に嬉しくなって、
「きゃぁぁぁあっ」って胸いっぱいの嬉しいを叫び声にして喜んだ。
そしてピンときた。
そうか。
じゃあこれは、
じゃあ、この遠出は、
「ご褒美ねっ。義高様のお父様が頑張ったから、そのご褒美に、姫のお父様も遠出を許してくれるのねっ!?」
気付けた喜びも手伝って、目をキラキラさせて倖氏さんに問い質したら、
「まぁ……そうですね。ですから、この折なら、多少のことは大目に見てくれるかと…」
そう苦笑気味に話す倖氏さんに、義高様も、
「そうか。なら遠出もいいかもしれないな。」
とちょっと笑っておっしゃられて、
姫はいつか夢の中で、義高様に否定されたことをもう一度ちゃんと聞たくなったの。
「ねぇっ、ねぇ、義高様、義高様のお父様は頑張ったのよね?! 偉いのよね?!」
そう聞くと、義高様は「さっきもそう言ったろうに」というように、少し呆れた感じで、
「そうだな」
とだけおっしゃられて、馬の手綱をしっかりと握り直されて、
再び、ゆっくりゆっくり上下しながら進みだした馬上の風に乗せて、お尋ねしたの。
「だったら義高様は義高様のお父様と一緒に木曾に戻れるかもしれないのよね。」
パカパカ タカタカ
タカタカ パカパカ
馬の蹄だけが、しんっとした山道に響く中、
義高様は小さく、でもとても懐かしそうに、
「木曾か…。帰れるのかな、俺。」
と呟かれたのが耳元で聞えて、
だからお願いしたの。
あの宴の夜と同じに。
今度は夢のなかではなく、現(うつつ)の中で。
「姫もっ、姫も木曾へ行く! 連れてってくださいっ、姫も『天井桜』を見てみたいの。」
そう言った。
すると義高様は黙ったまま口を閉ざしてしまわれて、
でも前のように、「難しい」とか「無理」とかはおっしゃられることもなくて、
だから、だから姫は、義高様の綺麗だって言った木曾の桜に想いを馳せてみることにした。
それは空を埋める、まだ散りゆく前の満開の桜。 
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