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第二十一章
春待つ砂丘の花々よ
しおりを挟むあれから、二年
「牢を出ろ、ジフリル・バヤジット」
カシャンという音とともに、鉄の錠がはずれて落ちた。
薄暗い獄舎の一角。
そこに並ぶ中ではいくらか上等な設えの獄牢で、木の寝台に座っていたバヤジットは、開けられた戸に目をやった。
「…今朝は早いな。まぁ構わない。俺もそろそろ動きたい気分だった」
いつもの労働と思い立ち上がる。
が、迎えの相手が普段と違うようだった。
…というより、武官ではない。
文官の服装とも異なる。この男は……?
「……?誰だ」
「なんだ……俺の顔を忘れたのか、指切り将軍 。二年ぶりだからなぁ……お前のほうは……少し痩せたが、いい男なのは変わらんな」
「…っ…まさか貴様は」
暗い中で目をこらすと、そこにいるのは、上等な 龍袍に身を包む白髪の男だった。
左の目は眼帯に隠されている。
「皇帝にむかって " 貴様 " はどうなんだ?首を飛ばすぞ、気を付けろ」
「……!」
帝国の獄舎で囚われているバヤジットは、そこにいきなり現れた帝国皇帝に面食らう。
その反応でとりあえず満足したらしいヤンは、状況ののめないバヤジットを牢から出し、外へ連れ出した。
鳥がところどころで鳴き出す朝は、まだ日が昇る前の、東雲の空。
ヤンの目的がわからないバヤジットは、いよいよ自分は処刑されるのかと腹をくくった。
二年前
スルタン・アシュラフが崩御した日──
帝国軍は引き返した。けれど後日、兵器の密造について追求を受けたキサラジャは、責任をとる形で、近衛隊将官をはじめとする高官の身柄を帝国に引き渡すことになった。
そのためバヤジットは帝都に幽閉され、しばらく監獄生活だった。一年前から、日中は外で労働作業をさせられている。
“ ダラダラと生き残ったが……俺もそろそろ潮時か ”
ただ、処刑までの道程にしては、手枷があるだけで武官がいない不用心さが気になるバヤジットだった。
皇帝が歩いているのに、付き人がひとりもいない。
ここで暴れれば簡単に逃げられそうだ。
「…面倒だから逃げようとするなよ」
「……」
「勘ぐらずともお前は助けてやる。自由の身だ。キサラジャに返してやるよ。良かったな」
「は…?本気か?」
「本気だが?」
そしてヤンは、本気なのか嘘なのかとてもわかりにくい顔でニヤリとした。
この男は信用できない。
バヤジットは警戒していた。
「ハッ……嘘などつかん。お前は生かしていた方が面白いからそうする、それだけだ。なにせ、俺の可愛い可愛いシアンの……嫌がる顔が見れるからな」
「……!!」
「……ふん、なんだその顔は。今さら俺を恨む気か?」
バヤジットの顔が殺意をあらわに強ばると、ヤンはますます可笑しくなった。
「──…あの結果 を選んだのはシアンだ、俺じゃあない。ましてやお前でもないだろう…バヤジット将官。あいつは見事に復讐を果たしてみせた」
「違う。あれは……シアンが望んだ結果ではない」
獄舎を出て広大な宮中の庭を歩いていた二人は、牡丹の花が見事に咲き誇る園地で足を止めた。
葉についた朝露を一陣の風が揺らして、空に吸い込まれる。
バヤジットは苦しそうに語った。
「シアンには夢があった。王の臣下となって、王を守り続けることを願っていた…!」
「……」
「強く願っていたのに…」
「……なるほどそりゃあ、不憫だな。あいつに臣下が務まるものか。あいつは、シアンは、生まれながらの王族だった」
バヤジットの隣で、ヤンが冷淡に微笑む。
牡丹の花に指をはわし…そのひとつをもぎ取った。
「全てを奪われ賤人の身に堕とされようと、国の奴隷であり続けたか…。ナニがそこまで、あいつを突き動かしたかは知らんがな」
不自由な奴だ……
ヤンが呟いて、手の中の牡丹を握りつぶした。
すると、遠く築山の向こうから、ひとりの役人がバタバタと走ってきた。
バヤジットと同じくらいの歳の男が、息をきらして二人に駆け寄る。
「皇帝陛下…っ…いったい何処に消えたのかと探しましたぞ!おひとりでの外出はやめて下さいとあれほど…っ。王妃様も心配なさっています」
「今日もご苦労だな。王妃の嫌味はお前が変わりに聞いておけ」
「何を仰っておりますか…はぁ」
ヤンの臣下は頭をかかえた。
曲者の君主の世話は大変だろうということが、この瞬間だけでもバヤジットに十分伝わった。
そのバヤジットの視線に気付いた臣下が、今度こそ悲鳴に近い声で叫ぶ。
「なんですかこの男はー!?まさか獄舎の罪人でございますか?何故武官も連れず外へ出しているのですか??」
「キサラジャのバヤジット将官だ。刑武局に話は通しているから祖国へ送り返しておけ」
「えええ…!?」
「重そうな荷だが、輸送費はタダでみてやれ」
「…っ…あ、お待ちください!」
苦言すらも言えなくなったか。口を開けて呆れる臣下だったが、ヤンがまたしても勝手にどこかへ歩き出すから慌てていた。
後からきた二人の武官に、とりあえずバヤジットを拘置所に連れて行くよう指示を出す。
バヤジットに別れも告げず、ヤンは彼の前から立ち去った。
「──…何故、安静にしてくださらないのですか?皇帝陛下。ここ数日はとくに体調がすぐれないといいますに…」
「……」
バヤジットと別れた後で、臣下の男が言いにくそうに切り出した。
ヤンは握りつぶしてバラバラになった花弁を宙に放って、池のほとりに捨てる。
「…わかりきった事を聞くな。俺に残された命の " 期限 " は動かない。今さら引き伸ばす気にもならん」
朝の日が昇り始める。
日の光が苦手なヤンは、花弁が浮かぶ水面のきらめきにも耐えられずに、赤色の目を細める。
肌も弱い。これ以上太陽が姿を見せる前に、彼は宮殿に戻らなければならなかった。
それは変わることのない──神に見捨てられた者の、宿命だ。
「もう十分に生きたと──…そこまで悟ってやろうとは思わんが。…だが、そうだな」
けれどヤンの表情に暗がりはなかった。
「──…存外、悪くはなかった。
俺を見捨てた神とやらを…呪わずにすみそうだ」
父を殺され、賊に囚われ、他国の娼館でモノとして扱われ、命を削り復讐を果たした。
絵に描いたような悲惨な道を歩いてきたが、だが彼の隣にはシアンがいたのだ。
不思議なものだ。
父を裏切った先帝を殺す為に、それを目的に生き続けたのに、こうして懐古されるのは…目的とは無縁な、もっと些細な、なんて事のないシアンとの日々。
“ …どうやら俺も、本気で惚れていたらしい ”
向けられる不満げな顔も、皮肉を混じえたくだらない会話も、思えば愛しい瞬間だった。
そんな彼を最後に裏切ったのは自分だが、後悔はない。
ヤンは……この命を楽しんだ。
あとは地獄に堕ちてから、気長に罪をつぐなおう。
築山のひとつにもたれるように倒れたヤンは、うるさく騒ぐ臣下の声をいつものように嘲笑い、霞んできた視界のふちに春の到来を見送った。
───…
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