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第十三章
散花無惨(チルハナ ムザン)
しおりを挟む残されたのは傷だらけのシアンとオメル
そして、外で舞う砂音が聞こえるほどの…異様な沈黙がものがたる絶望だった。
「…ご…めん、シアン‥…」
「……」
少し経って、床にうずくまるオメルが声を出した。
「オレのせいでシアンがこんなめに…っ、ごめん、オレ、ほんとに馬鹿で」
足を斬られたオメルはその場から動けない。
無言のシアンは片手を地につけて、グラグラと揺れる身体をなんとか起こした。
殴られ、蹴られた全身が骨の奥まで痛む。そんな状態で立ち上がり、オメルのところまで歩いた。
シアンはオメルの肩に手を添え、うずくまる彼を丁寧に起こす。そして彼の身体を抱きしめるように抱え、壁際まで運んだ。
その間にもオメルは泣きながら話していた。
「シアンの邪魔したくなかったよ……でもさぁ……どーしても我慢できなかった、あいつがシアンに酷いコトするの、嫌…だったんだ」
「……」
「だからっ…眠っちゃえばいいと思って…!! あいつが眠れば、シアンは傷付けられないと思って……!!」
……
『 眠れない夜にときどき飲むんだ。この薬は痛み止めにもなるし、それに睡眠薬にもなるから…便利だよ 』
『 ……眠くなるの? 』
『 そう、ぐっすり眠れる 』
昔、オメルにそう教えたのはシアンだ。
オメルにとってあの薬はただの眠り薬だった。
だからスレマン伯爵が錯乱してバシュ降格になったと知った日、誰よりも混乱したのはオメルだったのだ。
こんなつもりでは無かった。
こんなつもりじゃあ……!
「こんな怖いことになるなんて知らなかったんだ……!! 結局シアンが疑われて、殴られて……馬鹿だわ……オレ……」
「…………そうだね」
オメルを壁際に運んだシアンは、壁に寄りかかるように彼を座らせた。
自分の腰布をほどき、怪我をしている足に巻いて、出血を止めるためにキツめに縛った。左手は使えないので、右手と口だけで器用に縛る。
「い……ッ」
「痛いだろうけど…ッ…我慢、して」
苦い薬を無理に飲ませたあの日と同じように、シアンはオメルを励ました。
「バヤジット将官の屋敷に荷物をとりに行った時…──阿芙蓉が無くなっているのは気付いていた。気のせいだろうとっ…気にも止めていなかったけれど…君が持っていたんだね」
「…っ…うん」
「……返してくれる?」
「うん……、返す、よ」
傷の応急処置を終え、シアンが右手を差し出す。
オメルはそこに阿芙蓉の包み紙を置いた。
「口紐をほどいて」
「…?わかっ た」
そしてシアンに言われるまま包みの口を開く。
中には白い粉が入っていて、シアンはそれをオメルの口に近付けた。
「オメル……これはね、そんな恐ろしい薬じゃないんだよ」
「え?」
「言ったろう?これは眠れない時に飲むもので、…それに痛み止めにもなるって。スレマン様の件とは無関係だ…」
「……」
「だから安心して、ゆっくり…吸い込んで。水が無いから飲みにくいけど、頑張って飲むんだ」
「…………うん」
口元に差し出された阿芙蓉にそっと唇を付ける。
オメルが吸うと粉はあたりにふわりと舞い、当たり前だが、粉を吸い込んだオメルはすぐに顔をそらして咳き込んだ。
「頑張って」
シアンは柔らかな声で……だが次を吸い込むよううながし続ける。
義手の左手をオメルの黒髪に添えて、とかすように…優しくあやした。
「…シ…アン…、オレ‥もういいよ…」
「──…、そうか」
何度も咳き込んで、少しずつ少しずつ吸い込んで、残りが少なくなった時
オメルがそう告げたので、シアンは包み紙を彼の口から離した。
残った薬は利用価値がないので床に捨てる。
「偉いね、我慢できて」
「へ、へへ……今日のシアンは…いっぱい褒めてくれるなぁ…」
「…口の中も切ってるからあまり喋らないで。大丈夫、足の怪我も……深くはない。ここを出たらバヤジット将官に見せよう……ッ……すぐに医官を」
「……」
「すぐに医官を…呼んでくれるさ…っ」
「ん……ハァ、………そおだな」
口の端をゆるめたオメルは、瞼をおろし……穏やかに笑った。
「やっぱシアンは…………」
「……」
「……、へ……まぁ……いっか」
目を閉じたオメル。
シアンは背中まで腕を回し、彼を強く抱きしめた。
抱きしめた手が……ゆっくりと離れて、最後、オメルの頬を撫でると
オメルはくすぐったそうに首を傾げた。
「……なンか……ぼやぼやする」
「…ああ、喋らず、そのまま…おねむり」
「そぉ…する………………」
閉じた目から、再び涙が滲み出る。
それを指ですくって、彼から手を離した。
シアンが立ち上がる。
オメルを見下ろしたまま一歩、二歩と後ずさる。
「……ね……シアン……」
「……」
「バヤジットさまのお屋敷に……オレの荷物……あるから」
彼は男達が落としていった湾曲刀を床から拾い
震える足で立ち尽くした。
「そンなかにある……オレの宝物…──」
「……」
「…シアンにあげる」
「…いらないよ」
刀を持つ腕が信じられないくらいに重たい
「あの白い花は君の物だ。……いつか君の故郷をあの花で真っ白に染めるんだろう……!?──…それが君の夢だ」
「…………」
「だったら……その夢を叶えるまで、大事な宝を手放すべきじゃない」
「…………はなすんじゃないよ」
痛みの感覚が遠のき
ぼんやりと鈍る頭──
オメルは壁に背中をあずけて、だらんと手足を脱力させた。
「はなすんじゃなく て………──あげるンだ」
「……!?」
「シアンにあげる。……オレの、夢」
だからさ──
「──…生きてね、シアン」
ふいにオメルが瞼を上げた
霞む視界でオメルが見たのは
刀を手にして震えるシアン
そして彼と目を合わせたオメルは、穏やかに
…でもやっぱり悲しそうな瞳で見つめた
笑おうとして
上手く力が入らない頬っぺたを、ひくりと動かした
「‥‥‥‥生きて ね」
「───ッッ」
オメルに見つめられたシアンはその目を大きく見開いた
全身の肌から一気に体温が失われる
シアンは言葉を発する間もなくその手を大きく振りかぶった
──‥ッ
長い湾曲刀を、真一文字に横に振る
──シアンはその直後、鮮やかな血飛沫を身体に浴びた。
....
オメルは声をあげなかった。
斬られた喉からゴフッと小さく血を吐いて……頭を垂れて、静かに逝った。
「……ハァ………ハァ………ハァ」
「───」
「ガハッ!はぁっ……ハァ……!!……ハァ……!!」
冷たい室内に散った血は
シアンの頬まで散った血は
とても、とても温かく……シアンを追い詰めた。
その場に倒れそうになったシアンは刀を捨てて踏みとどまる。
苦しそうに無理やり呼吸を繰り返し
動かないオメルを真っ直ぐ見下ろした彼は、視線をそらさず呟いた。
「君は 必ず、陽の国へ…いけ……!」
「──」
「僕はこの まま‥‥──地獄に残るから」
自らの手で無惨に散らした愛しい命に、シアンは永遠の別れを告げた。
───…
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